2-4.山越え
レムスはのどかな街であった。
玲奈はフルーとギリムを連れて、クライド子爵領の執政ジェナスから渡された地図を見ながら、ダネス村から二日かけてレムスにたどり着いた。
ダネス村を出て雛森の北側を回ると西側は平原が広がる。
黒土の畑が続く中、クライド子爵領から他領に移ると、路面の状態が悪化した。
轍が深くえぐれ、路肩が崩れかけている箇所がある。
途中の村で泊まったところは、大きな農家に過ぎず、納屋の床にワラを積んでシーツを敷いたものが寝床だった。
それでも玲奈が浄化の魔法を唱え、アイテムボックスに何枚も入れて持ってきた毛布を取り出して使うことで、それほど劣悪な環境で過ごさずにすんだ。
レムスの街に近づくと道は再び整備されるようになった。
当地の貴族家が領都の近郊はしっかりやっているらしい。
街が近づくにつれて人や馬車が増える。
狼の紋章か入った深緑色のマントをまとったレムス領軍の兵士が巡回しているのが目に入る。
お昼を少し回ったころレムスに到着した。
南北に伸びる中心街は、パルマやクライドほどでないものの、そこそこ人通りが多くにぎやかであった。
パルマは化粧品や薬、クライドは毛織物や乳製品が特色だったが、レムスは穀倉地帯に所在しているためか、パンをはじめたとした食品が豊富にあった。
近隣の農産物が中心なので気取ったところもなく、お昼過ぎということもあって、大通りものんびりした空気が漂っていた。
玲奈たちはまず、商業組合で薬屋の場所を聞いて訪問し、ポーションの買取りを持ちかけた。
食事への興味が肉中心のフルーはパンや焼き菓子に興味を示さなかったが、玲奈だけでなくギリムも甘いお菓子を喜んだ。
玲奈は留守番をしているアメディアたちに、グレイナーでは手に入らない種類のパンやクッキーを買っていった。
彼女は買い物をする際に店の人と世間話のついでに特産物や周辺の地理などを聞き出した。
街の西側に見える低い山並みを越えると西方辺境伯の領地になるが、レムスからの道は間道で、南隣りのファラリアという街からのルートがもっぱら使われているとのこと。
彼女はお土産と得られた情報に満足して帰途に着いた。
翌日は休息にあて、一日おいて玲奈は学園に出かけた。
一方その間、フルー、スドン、ギリムにアメディアを加えてゴーレムの迷宮に送り出した。
アメディアは付与魔法にしても治癒魔法にしても安定してしてきたので、玲奈がいなくても問題ない。
玲奈は学園にミセリ教授を訪ねた。
幸いにも教授は在室していた。
「お邪魔します、教授。もしお時間よろしかったら魔道具の初歩を教えていただけませんか?」
「あら、来たのね。」
ミセリ教授は机に向かってなにか書き物をしていた。
薄緑色のチュニックの上に黄色いカーディガンを着た玲奈に対して、教授は室内でも黒いローブをまとい、魔法使いらしい装いをしている。
教授は立ち上がって玲奈を招き入れるとイスにかけるよう促した。
無造作に束ねたポニーテールを揺らして玲奈がイスに腰を落とすと、と教授は自分も座り、赤茶色の長い髪をかき上げながら手元のノートをめくって予定を確認した。
「少々の時間は割くことが可能よ。せっかく新魔法の開発者が訪ねてきたんだから会わない手はないでしょ。」
「そんな私は大した者ではないですよ。」
「そう? 自己評価が低いのね。でもここでは私の評価が優先するから。」
ミセリ教授は背もたれに体をあずけて腕を組み目を細めて玲奈を見ていたが、身を乗り出すと笑みを深めて切り出した。
「取引しない?」
「えっ、どういうことですか?」
「そんなに警戒しないでちょうだい。これも私とあなたは対等だと思うからよ。」
「でも私と教授とは経験や能力だけでなく立場からして違いますよ。」
「そうかしら? 私が知る限りここのところ王国で新魔法を開発したのは私の師匠とあなただけよ。むしろ私の方が格下と言われてもおかしくないわ。」
「さすがにただの学生が教授が対等なわけがありません。」
「あなたからなら学ぶことがあると見込んだの、私からあなたが学ぶようにね。でも心配しないで! 仮にそうでなくても、魔道具と錬金術の基礎はちゃんと教えるから!」
「錬金術、ですか?」
「あら、話してなかったっけ? 私の師匠は当初、錬金術が中心だったけど、それに使う道具を自家製でそろえるうち魔道具が中心になったのよ。魔石を使う魔道具なら魔力を持たない人でも使えるという狙いもあるしね。」
「レイモンド師はそんな変遷をたどったんですね。」
「ええ、もっとも私は後から弟子入りしたから錬金術は概略しかわからないけれどね。」
「なるほど! 実は私の配下がポーション作りをやっているのですが、ポーションも錬金術と関係がありますか?」
「あるといえばあるし、ないといえばないわ。その配下は錬金術でポーションを精製しているのでないでしょうから、薬師の知見でやってるなら別系統の技術よ。両系統の知識を持っている人もいて、混合している部分も少なくないんだけれどね。」
「私の配下はスケルター教授から習ってますから、薬師の系統になりますね。」
「ああ、スケルター君ね。たしか彼に調合を教えた薬師は、私の兄弟子と交流があったようね。兄弟子は最低な男だけど、師匠から錬金術のレシピはほとんどすべて教わっているのよね。」
「その兄弟子はどうしているんですか?」
身を乗り出して笑みをたたえていたミセリ教授は一転、肩をすくめて渋い表情になる。
「放浪の旅に出てしまって、その後のことはよくわからないわ。師匠の関心が錬金術から魔道具に移ったから不満があったのでしょうね。」
それからひとしきりミセリ教授は、ときに口汚ない言葉も交えて、ディートという名前の兄弟子を罵った。
玲奈はただただ聞き役に回り相づちを打つのみだった。
毒を吐き出して教授の感情が落ち着きを取り戻したのを見て取った玲奈は質問を投げかけた。
「あの、錬金術について伺ってよろしいでしょうか?」
「あっ、も、もちろん! 私は錬金術が専門というわけでないけど、それでもよければ。」
「ではお言葉に甘えて。そもそも錬金術は何を目指していたのでしょうか? やはり卑金属から金などの貴金属を作ろうとしたのでしょうか?」
ミセリ教授は玲奈の質問に苦笑いを浮かべる。
「大きく出たわね。錬金術の目指すものはなにか? 疑問に思っている人はいても、口に出す人は珍しいと思うわ。さて、私にうまく答えられるかどうか。」
「いえいえ、私は錬金術に関してなにも知識がありません。初歩的な事項だけでも教えていただけるとありがたいです。」
「そういうことなら。」
ミセリ教授はイスをひいて座り直すと、姿勢を正しセキ払いを一つして説明を始めた。
つられて玲奈も背筋をピンと伸ばして聞く。
「レイナちゃんが言うとおり、錬金術の発端は身近にある安価な金属から金や銀のような貴金属を生み出して富を得ようとしたところにあったの。でも現在では金を生み出すことは不可能に近いと見切りをつけて、主流は役に立つ素材をいかに生み出すかに移っているわ。」
「その役に立つ素材に薬が含まれるとすると、製薬にも錬金術は関連があるのでしょうか?」
「私は薬の方面には明るくないから断言はできないけれど、影響はあるんじゃないかしら。」
「たとえばポーション、ですか?」
「そうね。ポーションは錬金術師も作るし、相互に影響があったのはたしかでしょうね。元々薬は薬効のある植物をすりつぶしたり、煎じたりして作ってたでしょ。どうしても効果が穏やかなものになるわよね。」
玲奈がうなづくのを見てミセリ教授が続ける。
「そこで錬金術を応用して成分の化合や濃縮を行なって、等級の高いポーションを作るようになったんだと推測できるわよ。どうしても戦争や魔物との戦いで大ケガをする人がいたからね。」
「なるほど、教授のお話でポーションと錬金術との関連性が見えてきました。」
「でも私が教えられる範囲はここまでよ。師匠から基本的な錬成法は習ったけど、錬金術の根本原理とかわからないから。それより魔道具の話をしましょうか?」
「はい、ぜひお願いします。」
もう一度ミセリ教授は座り直すと、声のトーンを一段と落として語り始めた。
「魔道具は魔法を使える人でなくても魔術的効果を得られるように開発された道具のことよ。魔法が使えない人にも魔法のようなことができるようになったり、誰もいない部屋に結界を張ったりできるわ。」
「うちで使っている魔導型照明器具や冷蔵庫も魔道具の一種ですよね?」
「そうそう、魔道具の使用歴があれば有用性について理解してるわね? ではどのような仕組みで魔道具は魔術的効果を発揮しているかわかる?」
「魔道具の仕組みに関して私が知っていることはほとんどありません。ただし魔法を元に推測すると、魔石などを外部動力源として、魔力操作と属性変換に相当する過程を経て、いずれかの部分から変換した魔力を出力して所定の効果を達成する、といったところでしょうか。」
「ふふっ、レイナちゃん、なかなか鋭いわよ。魔道具の概観を抽象的に記述すると、あなたの言うとおりね。では、魔道具の肝となる一番重要なところはどこだと思う?」
玲奈は天井をにらんで、ミセリ教授の質問を考える。
「んん、効果を発揮するには元となる魔力が不可欠でしょうから、魔石が最も重要ということですか。」
「そうね、たしかに魔石の魔力がないと稼働しないし、魔道具の運用で一番費用がかかるのは魔石で間違いはないわ。では、その魔力を制御する要となるのは何なのかわかるかな?」
「魔道具であれ、魔力を制御する部位なら、魔法で言うなら魔力操作の術式に相当するところですよね。」
「そう! そのとおり! そこが肝心要よ。馬車にたとえると、馬がいないと成り立たないし経費も一番かかるけれど、馬にまかせるとどこに行くかわからないから、制御する御者が必要なわけ。魔道具で制御をになうのは魔法陣よ。」
「魔法陣?」
「そう! 魔道具は魔法陣次第よ。だから私があなたに教えるのも魔法陣の組み立て方を中心にしようと思ってるの。筐体の中に組み込む魔法陣の完成度が魔道具の価値を大きく左右するわ。」
ミセリ教授はそこまで力説すると、不意に立ち上がった。
「ちょっと待ってね!」
そう言って教授は身をひるがえして部屋の奥にある棚をあさると、カードケースほどの大きさをした白木の小箱を見つけ出した。
机の上に置いたそれは、上面の半分が金属製の板で覆われている。
「この魔道具を見てみて!」
教授は魔道具の側面にあるスイッチを入れると、前面の金属板がまぶしい光を発した。
彼女はニヤリと笑って、目をしばたたかせている玲奈を見ながら尋ねた。
「どう?」
「すごく明るいですね。この小さくて簡素な箱からすると驚きの明るさです。」
「でしょ? ただし、この魔道具は魔石にも特徴があるの。」
そう言ってミセリ教授は魔道具の光を止めて、筐体を開けた。
そこには指先ほどの小さな魔石が入っていた。
教授は魔石を魔道具から取り外して玲奈に渡した。
「ずい分と小さい魔石ですね。」
玲奈は手のひらに乗せた小さく透明な球を窓の光に透かしてながめる。
「光の魔石よ。こんな小さくても光を発することに関しては一番の適性があるわ。」
「その適性の高さを余すことなく発揮させるのが魔法陣というわけですね。」
「わかってるじゃないの! 私が伝えたいことはそれに尽きるわ。光の魔石は光を発するのに適した特性を持っているけど、その特性を引き出すところに魔道具の妙味があるのよ。」
「同じ魔石を使っても効率がよければ同じ明るさを長く保てますしね。」
「そういうこと。でも効率だけではないわ。魔法もそうでしょうけれど、魔道具も極めれば世界の理の一端に触れることもできるのよ。ちょっと待ってね!」
ミセリ教授の口が熱を帯び始めたが、中断して再び立ち上がり、今度は本棚をあさっている。
玲奈は、教授が発した“世界の理”という言葉を魔法の法則性という意味にとらえたが、ふと力学的、化学的法則は“世界の理”に含まれるのか気になった。
彼女が思い至る限り、魔法を除くと以前いた世界とこの世界は物質的な法則性に違いは感じられない。
ただし感覚的な部分だけでなく、理論的にも裏付けたいと彼女は思い、かつて習った数学や理科の法則をいくつか思い返してみた。
今となってはあいまいな記憶に公式の細部が埋もれかけている。
デカルトの時代にも及ばないかと自嘲的な気分になっていると、ミセリ教授が一冊の本を持ってきた。
教授が本を机に置くとページをめくった。
そのページには丸い図形が描かれている。
「これは初歩的な魔法陣よ。」
教授はページに記された円の外周部をなぞりながら、各部の意味や効果について詳述し始めた。
玲奈は疑問点があると質問をして、教授は丁寧に説明した。
図面での説明が一通りすむと、教授は本を閉じて玲奈に渡した。
「これは初心者向けの本なので読み返して、私が今日話したことの復習に使ってね。簡単な説明でしかなかったけど、魔道具の深遠さの一端に触れることはできたかしら?」
「私の理解がどこまで届いたか自信がありませんが、得難いお話を聞かせていただき、とても勉強になりました。」
「それはなにより。もしあなたがよければ、つぎの機会にはもう少し複雑な様式や応用例を見せるわよ。」
「はい! ぜひお願いします。」
玲奈を頭を下げようとすると、ミセリ教授は玲奈を押しとどめて言った。
「レイナちゃんがやるべきことは私に頭を下げることじゃないでしょ? さっきあなたとは対等な関係を望むって言ったはずよ。さあ、教えてちょうだい、あなたがつかんだ魔法の真髄を!」
改めてそう言われた玲奈は戸惑った。
魔法に関する知識なら他の教授陣に尋ねればいいのに、あえて自分に聞くのはなぜか?
世界の理というのなら、魔法だけでなく、自分が憶えている自然科学的法則でも話そうかと彼女は一瞬考えた。
しかしミセリ教授が求めているのは元素周期表でもなく、三角関数でもなく、玲奈なりの魔法に対する考えや見方であろうことは容易に想像できた。
そこで玲奈は、ロザラム教授から習った魔法理論の概要を話し出した。
「空気や土の中には魔素というものが漂っています。その一部は人体に入って体内で貯蔵されますが、その魔素を自分で扱うことで得られる力を魔力といいます。」
教授は腕を組んで表情を消して聞いていた。
玲奈は魔力の変換や操作についても言及して、魔法についてのかいつまんだ説明を終えた。
「よくまとまってわかりやすい説明だったわ。口頭試問だったら十分に及第点ね。」
にこやかな顔をしてミセリ教授は拍手をしてみせた。
だがすぐに真顔になり玲奈に問いかける。
「でもねえレイナちゃん、あなたが今話したことの中に、新魔法を編み出す過程で独自につかんだものはあるかしら?」
教授の問いに玲奈は小首をかしげた。
少し間をおいて、玲奈はおずおずと問い返した。
「それは初歩的、一般的な事項の説明はいらないってことでしょうか?」
「自明なことでしょ? お互いに知っていることは確認する必要はないのよ。私は自分がまだ知らないことを知りたいし、あなたなら知っていることがあるはずよ。」
ミセリ教授は、求めるものを玲奈が示せなくても魔道具についてある程度まで教えてくれるとは約束した。
それ以上の情報を引き出すなら、相手が求めるものの一片でも表さなければならないだろう。
玲奈は素早く考えを巡らせ、自分が知っている範囲でミセリ教授に示しても差し支えない情報はないか探った。
「教授に同意いただけるかわかりませんが、魔力の属性について私なりにつかんだことをお話しします。」
属性についてなら、既にスケルター、ロザラム両教授に伝達済みである。
「ふぅん、じゃあ話してみて!」
「はい! 一般的に魔力は四つないし六つの属性に分けられると言われています。私はこの区分について疑問を感じました。」
「それってどういうこと?」
「属性に関しては、付与魔法を使うことで気がついたことがあります。私の場合、属性付与して魔物と戦う場合が多いのですが、属性間の相性や相克のような通説で言われている現象とは異なる結果が出ることがあったのです。」
「属性付与して攻撃したのなら、剣や矢を使ったのかしら? それなら被付与者の攻撃力によって結果も大きく違ってくるんじゃない?」
「剣による攻撃はおっしゃるとおりムラがありますね。そのため、私が行なった実験では対象となる魔物に個体差がほとんどないゴーレムを選んでます。」
「ゴーレムって、岩とかでできてるあれ?」
「ええ、岩でできたあれです。それに加えて攻撃者も同じ箇所を極力同じ力で斬りつけて、与えるダメージの平準化を計ってます。これを属性ごとに複数回行なって、得たデータを比較しています。」
「へぇ、思ったよりもずっと根気強く腰を据えてやってるのね。単なる直感ではないのね。」
ミセリ教授は腕を大きく広げて驚きを表した。
思わず玲奈は苦笑いを浮かべる。
「元はスケルター教授が付与魔法の効果について実戦データを欲しがったことが発端です。このため、剣の斬撃による物理的損傷は除外して、属性付与の魔法効果による損傷のみを比較対象としています。」
「ふぅん、なるほどねぇ。ちゃんとした方法をとったようだけど、それで何がわかったの?」
「属性付与したうえで剣を振って攻撃すると、物理的な損傷のほかに、属性魔力による損傷を与えることができます。斬撃による損傷を除外し、属性付与による損傷状況を確認すると、攻撃魔法による損傷となんら変わりはありませんでした。」
「えっ、同じなの? 剣で切った場合の属性付与と攻撃魔法とは違うでしょ?」
教授は腕組みをして眉を寄せた難しい顔をして尋ねた。
玲奈は落ち着いて答える。
「違うのは斬撃による直接的な攻撃だけで、属性付与と攻撃魔法は相手に与える損傷に関して質的な違いはないんですよ。」
「そうなの? じゃあ、あなたの言うとおりとしてこの場は聞くから続けてちょうだい!」
「はい、被験対象としたゴーレムは石ゴーレムというもので、属性は土だと言われています。また、一部鉄ゴーレムという別の種のゴーレムも対象としてますが、こちらは火属性と言われています。いずれも、同じ種であれば個体差はほとんど観測できません。」
「なるほどね。個体差の少ない傾向にある魔物を対象とするなら、結果に安定性をもたらすかもね。」
「私もその点を考慮しました。対象の個体差が少ないからこそ、属性の違いによる微妙な差異が浮き彫りになります。属性間の違いが分かることで、相性や相克について見えてくることがあります。」
「へぇ、何が見えてきたの?」
「はい、自分たちでとったデータを調べてみて、従来言われていた属性間の相性というものに疑問を感じる点が見つかりました。たとえば石ゴーレムは土属性と言われていますから、水属性に強く、風属性に弱いはずです。一方、鉄ゴーレムは火属性と言われていますから、風に強く、水に弱いはずです。しかし結果は予想どおりにはなりませんでした。」
教授がさらに眉を寄せて難しい顔をする。
「うぅん、それは誤差ってことも考えられるよ。それに、各属性に共通した傾向があるなら、それは付与者、もしくは被付与者の特性かもしれないよ。」
「はい、誤差もあるかもしれません。ただ、被付与者はともかく、付与者に関しては、人を変えても傾向は変わりませんでしたよ。」
「もう一人、付与魔法を使える人を用意したってこと? それってスケルター君かな?」
「いえ、私の配下の奴隷に覚えさせました。この実験のためではないのですが。」
教授の表情が少しやわらぐ。
「そりゃそうよね。でも同じようなタイプの魔法使いをもう一人用意するとは驚いた!」
「あはは、たしかに変かもしれませんね。一つのパーティに付与魔法使いは一人いれば十分ですから。」
教授が頭の上にクエスチョンマークを浮かべたのに対して、玲奈は声を落として苦笑いしながら答える。
「大した動機があるわけではないです。今日のように学園で教授陣から話を聞いたり、図書館で調べものをしている間、代わりに迷宮で探索や素材採集にあたってもらおうというだけなので。」
「なんだぁ、レイナちゃんのことだから深い理由があるかと思いきや、割と俗っぽいのね。」
教授が表情を崩すと、玲奈はペロリと舌を出した。
「研究室だけでなく、買い物にも行けますしね。あっ、たまにですよ。ちゃんと比較データも集めてますよ。」
「そのあたりはしっかりやってると思ってるから、取り繕わなくても大丈夫よ。」
「ありがとうございます。話を元に戻しますと、剣士に付与する属性をいろいろ変えて攻撃させた場合、土属性の石ゴーレムと火属性の鉄ゴーレムとでは、属性間の相性に特段の違いがありませんでした。水属性を付与した剣は火属性に強く土属性に弱いはずなので、属性が違う石ゴーレムと鉄ゴーレムが受ける損傷は様相が異なっているはずです。」
「そうよね。普通はそうなるはずだけど、あなたがわざわざ言及するってことは?」
「はい、ご明察のとおり、予想される結果とは異なりました。石ゴーレムと鉄ゴーレムはどの属性にも同じ傾向を示したのです。このことから私は属性間の相性や相克といったものに疑問を感じるようになりました。」
「うんん、定説から予測される結果が出ない場合、定説そのものを疑うのはわかるわ。でもそれは誤差とか、他の要因が属性よりも大きく影響を及ぼしたとかではないのかしら?」
教授は眉を寄せて難しい顔に戻った。
その様子を目にした玲奈は淡々と質問に答える。
「ミセリ教授のおっしゃるように、私も誤差を疑いました。そのためサンプル数を増やしたり個体差が少ないゴーレムを対象とするなど誤差の要素を極力抑えています。それに他の要因の影響を見るために付与者を私の他にもう一人用意して比較しています。比較している項目は少ないのですが、影響を及ぼす要因ごとに検討を続けるつもりです。」
「話を聞いていてもレイナちゃんが実証的に進めていることがわかったし、そこは信用するわ。それでどのような結論が導き出せそうなの?」
「はい、現状では単なる勘を元にした仮説に過ぎませんから憶測と言われても仕方ないありません。そんな憶測まがいの仮説ですが、私が思うに属性による四つないし六つの分類法は妥当ではなく、別な分類法を適用して方が属性魔法の特性を適切に説明できるように感じるのです。」
ミセリ教授が組んでいた腕を開いて肩をすくめる。
「はぁ? 四属性が妥当でないのなら何が当てはまるの? 三態?」
「三態だと、土魔法、水魔法、風魔法が固体、液体、気体に置き換えられるとも考えられます。ただし、この考え方は、物質の状態に重きを置き過ぎで、魔法の本質から遠いと感じます。水で言えば、冷やすと氷になり、熱すると蒸気になる。氷を溶かして水にするのも、水を煮立てて蒸気にするのも、同じように熱が作用しています。つまり三態も魔力の分類法とはなりません。」
「四属性でもなく、三態でもないなら、なにがあてはまるの?」
教授は身を乗り出しているが、指先で机をトントンと軽くたたき、いら立ちが見え隠れする。
玲奈は変わらず淡々と説明する。
「その先は仮説ですらなく、単なる思いつきに過ぎません。そもそも魔法は行使することでなんらかの変化をもたらすものですから、その作用のさせ方を主軸として考えるといいのではないか、というのが私が思いついた発想です。魔法の効果を見るなら、魔法の使用前と使用後を比較するのが一番です。魔法を使って何が起きたのか、どのような使い方をしたのかが重要ではないでしょうか?」
「んん、ちょっと待って! レイナちゃんの見方はもっとものように聞こえるけど、聞こえるんだけれど、それって魔法が引き起こす現象を表面だけ見てるんじゃないの? 魔法の本質に迫っているようには思えないもの。」
「そうでしょうか? たしかにまず現象面に着目はしてますが、魔法って術者が魔力を操って所定の現象を引き起こす手法のことですよね。それなら魔法を使うことによって何が起きたのか、どのようにその現象を起こしたのか、そこが重要だと思うんです。だから、魔力の作用のさせ方という切り口は妥当だと自認しています。」
「いや、考えの組み立て方自体は悪くないのよ。ただし、魔法は一筋縄ではいかないわ。成り立ちが特殊だから。レイナちゃんは精霊魔法を知ってる?」
厳しい顔をしていた教授が表情をやわらげ問いかける。
今度は玲奈が首をひねる。
「精霊魔法、ですか?」
「そう、精霊魔法よ。元々人間は魔法をまったく使えなかったの。その当時はまだ人間の周囲にも存在していた精霊だけが魔法を使うことができた。ごくわずかな人間が精霊と交信することができた。そのような人間が精霊と契約することで、精霊に頼んで魔法の行使を代わってしてもらっていたの。これが人間が関わる最初の魔法よ。」
「それが精霊魔法?」
「うん、そのとおり! それでね、精霊と契約して魔法を行使することができた人の中で、自らの精霊と交信する力を精霊の魔法行使と同期させて、魔法の発動を早めたり、発動間隔を縮めたり、効果を及ぼす範囲を限定したりする手法を編み出した人がいたの。この手法は精霊魔法を格段に扱いやすくしたわ。でも当然ながら契約した精霊の存在が不可欠で、人間単独で魔法は発動しなかった。」
初めて聞く情報がいくつも出て、玲奈は若干混乱しつつも、頭を整理しながら聞くことに徹した。
爛々(らんらん)と輝きだした玲奈の眼を見ながら、ミセリ教授は唇をペロッと舌でなめ、説明を続けた。
「そう、魔法は発動しなかった。しなかったはずだったのに、あるとき、一番簡便で規模が小さい火の精霊魔法が人間単独で発動してしまったの。それは種火になるかどうかというささやかな火がほんのひと時灯るだけだった。それでも初めて人間が単独で魔法を使ったのよ。これを契機に人間単独で発動できる魔法が徐々に開発されるようになったの。精霊はいつしか姿を消してしまったけれど、これらの魔法は消え去ることなく今に至ったというわけ。」
「初めて聞く話ばかりで、驚きを禁じ得ません。学園の図書館で自分なりに調べたつもりだったんですが、見つけられませんでした。現在使っている魔法の成り立ちにそんないきさつがあったなんて!」
「私も師匠から聞いた話の受け売りだけどね。錬金術師たちの口伝かもしれないから、魔法使いの系統には伝わってない話なのかな。」
「そうなんですね! どうりで図書館や魔法学の教授から得られない話のわけです。現在の魔法体系が精霊魔法由来だとは思いもしませんでした。でもそうなると、精霊が消失した以降に開発された魔法は精霊との関係が薄いことになりますね。」
「うんん、どうなのかしら?」
「少なくても近年に創造された魔法は精霊とは、関連づけることに無理があると感じます。精霊が存在していた時期に作られた魔法はともかく、それ以降の魔法なら属性による分類よりも、魔力の作用させ方によって分類した方が実勢に即しているし、今後新たに魔法を開発する際の基礎となると考えてます。」
「そうかな? 私の説明が十分でなかったのかな。現在では精霊魔法と総称しているけれど、たとえば火の精霊魔法と水の精霊魔法はまったく別物よ。そもそも火の精霊は火の精霊王の眷属で、水の精霊は水の精霊王の眷属で、同じ精霊としてくくられているけど、魔法を使うくらいしか共通点はないわ。」
「精霊は精霊ではないんですか?」
「いいえ、便宜的に魔法を使う種族のうち魔物でない種族に対して精霊という共通の名前を冠しただけよ。犬とカメが同じ“動物”という分類をされても、四つ足で陸棲という共通点があるだけで異る生き物であるようなものなの。火、水、風、土の精霊は、それぞれ独立した別の存在で、使う魔法も別の系統よ。」
「そうなんですね。現在、精霊はもうどこにもいないんですか?」
「私たちが住んでいる範囲にはいないわ。でも大陸の端、人跡未踏の地やはるか洋上の島ではわからないわよ。エルフが住む島もどこかにあると言われているし。」
「いるんですね、エルフ?」
「うん、誰も確かめたわけではないし、私も知らないけれどね。」
「なるほど、今まで知らなかったことばかり伺って、とても勉強になりました。もしなにか精霊や精霊魔法に関する書物がありましたら、見せていただけるとありがたいです。」
「残念ながら、精霊関係のお話は口伝なので、書物はないの。師匠から聞いた話を一言一句違わずに憶えているわけでもないし。」
思わず玲奈は肩を落とす。
ミセリ教授はパンパンと手をたたいて立ち上がった。
「精霊に関する本はないけれど、魔道具の本ならあるわよ。ちょっと待ってね。」
ああ
教授は部屋の奥にある本棚を探り、一冊の本と古びた紙袋を一つ取り出した。
「お待たせ! この本は魔法陣の初歩的な理論とそれを応用した魔道具設計の例が載っているから、目を通しておいて! 今日は時間がなくなってしまったから、魔法陣と魔道具については次回解説するわ。」
「ありがとうございます。お借りしていきます。」
頭を下げる玲奈に教授は紙袋から取り出した紙束を見せる。
「それとこれは師匠から授かった錬金術の初級レシピよ。本と一緒に貸すから、よかったら役に立ててね。今日はレイナちゃんとお話しできて楽しかったわぁ!」
玲奈はミセリ教授と来週の再訪を約して研究室を後にした。
玲奈は研究棟を出ると、その足で図書館に向かった。
彼女の脳裏には、錬金術や魔道具のことは跡形もなく消え、精霊魔法のことで一杯だった。
書架で作業している司書のクローカをつかまえると、精霊に関する本がないか尋ねた。
「えっ、精霊? またレイナさんは変わったものを目をつけるのね。たしか独立した分類項目にはなってなかったかな、ちょっと待って!」
クローカはそう言うと書架を行き来して何冊か本を取り出してページをめくっていたが、すべて棚に戻すと通路で待つ玲奈のところにやって来て肩をすくめた。
「やはりレイナさんが探しているような本はなさそうね。念のため書名でも検索してみる?」
「お手間をかけますが、お願いします。」
「調べるから待ってて!」
クローカはカウンターの後ろからいくつか冊子を取り出して、パラパラとめくって調べ始める。
何ページかめくったが、クローカは苦笑いして肩をすくめた。
「蔵書の目録から頭が“精霊”から始まる本を探してみたけど、歴史書や魔法関係と思われる本はなかったわ。あるのはおとぎ話みたいな本ばかりだけれど、それでもよければ見てみる?」
「試しに題名だけでも見せてください。」
玲奈はクローカの持っていた冊子を受け取り、紙面に目を落とした。
そこには書籍名が“精霊”から始める本が数冊見いだせた。
「レイナさん、どう? 見た限りオススメできるような本はなさそうだけど。」
「そうですね、まず占いの本は除外したいかな。あとはおとぎ話が大半でしょうけれど、ほとんどが創作だとしても、当時の伝承が一片でも含まれていれば読む甲斐があるというものです。」
「無駄足を踏むことになるかもしれないけれど、レイナさんなら思いもかけないことを読み解くんじゃないかと思ってしまうわ。」
「あはは、クローカさんの期待に添えるかどうか。」
玲奈は図書館で、精霊に関する伝承を記したと思われる本を二冊借りた。
帰宅した玲奈はその日、つとめて普段どおりに過ごした。
翌日、早朝の運動とミーティング、朝食をすませると、玲奈は執務室にこもって前日に借りてきた本を読み始めた。
他の従者たちは生産活動や家事にたずさわっている。
借りた本は二冊とも精霊に関する伝承、有り体に言えば荒唐無稽なおとぎ話集だった。
各地に伝わる口伝を集めて編集したらしい。
一冊目の本には七つの伝承話が収められていた。
普段目をとおしている論文集や学術書、歴史書とは異なり、読み始めた最初のページからメルヘン全開であった。
それでも玲奈は気を取り直して、集中して読んでいく。
最初の話は、冷遇されていた下級貴族の三女が精霊の加護を得て最終的に幸せをつかむ話であった。
主人公や主要な登場人物が実在した人物をモデルにしたのでないならば特に興味はひかなかったので軽く読み飛ばし、精霊に関わると思われる箇所は丹念に読んだ。
精霊の加護はどんな内容なのか、加護を得るための条件はどのようなものなのか、加護を得るとなにが変わるのか、能力的なものか、このあたりの記述がないか注視した。
それほど長い話でもないのでお昼になるかなり前に読み終えることができた。
ただし、話の力点は姉、特に次姉との確執、それと主人公の苦境に都合よく現れて助けてくれる貴公子たちとの交流にあり、精霊はそれらを彩る装飾、背景のような扱いだった。
主人公は姉たちの言いつけで森の奥まで野草を採取に行くが、何度も通ううちに精霊の加護をいつの間にか得ていた。
しかし具体的な加護の契機、加護による能力の変化などには触れていない。
求めていた手がかりが見出せず玲奈は頭を抱えたが、気を取り直して別の話を読むことにした。
別の話は猟師の息子が主人公だった。
幼くして山野を駆け巡る脚力と弓の腕を評価された主人公が領主の目に留まり、平民ながら騎士団に入る。
領主の息子にライバル視されるが、剣や騎乗は騎士団に入ってから習い始めたので領主の息子には及ばず、後塵を拝すことが多かった。
しかし領主の家で内紛があり、監禁された息子と姫を主人公が救出した。
領主は主人公の活躍をたたえて姫を娶らせ、二人の子孫は永く栄えてめでたしめでたしという内容だった。
主人公によいことが起きると、「精霊の加護により」と記述があるものの、主人公が精霊の加護を得た時期や経緯については何も書かれていなかった。
ひょっとすると、物語が始まる以前、主人公が父親に連れられて山野を駆け回っていたころに付いたのだろうか。
主人公が幸運に恵まれたり、活躍して評価を高めたりすると、それは“精霊の祝福”、“精霊の導き”ということが書かれている。
精霊というものが明確に描かれていない分、見方によってはお守りのようなラッキーアイテムのようにも受け取られる。
半ば予想されたこととはいえ、精霊の加護や精霊魔法に関して手がかりが何一つ得られなかったことに玲奈は落胆した。
もう一話読むか迷っているうちにアメディアが執務室のドアをたたき、昼食の時間を告げた。
昼食後、片付けを終えたアメディアとダダクラが裁縫部屋に端切れと紙の束を持って集まった。
玲奈も読みかけの本を持って裁縫部屋に行き腰を下ろした。
アメディアとダダクラが古着の仕立て直し作業を進めているのを横目に見ながら、本を読んでいった。
その本はやや古い文体ながらも平易な表現がされていたので、夕飯をはさんで寝るまでの間に読み終えることができた。
ただし収穫という面では乏しいと言わざるを得ない。
七つの話のどこにも精霊の加護ないし祝福の具体的な内容は語られていなかった。
翌日玲奈は、ゴーレムの迷宮に入るフルーたちに同行して午後出掛けた他は前日と同じように部屋にこもって過ごした。
そうして図書館から借りてきたもう一冊の本を読んだ。
前日読んだ本の内容から考えて、玲奈は過大な期待を持たずにページをめくった。
案の定、どの話にも精霊の能力や加護の内容に関する具体的な記述は見当たらなかった。
その点は前の本と変わらないが、一つ違いがあり、精霊の呼称に関して異なる記述があった。
一つは、物語の中で“水の精霊”と呼ばれている存在が記されていた。
主人公が家から離れた泉まで毎日水をくみに出掛けているうちに、その泉にいた“水の精霊”から加護を受けていたというのだ。
ただし水の精霊の具体的な能力や加護の内容は言及がなかった。
さらにもう一つ精霊の呼称が表された話には“サラマンダー”が出てきた。
主人公の少年が街の外にお使いで出たところ、道に迷い荒野をさまよっていたところ、サラマンダーから加護を得たという。
無事故郷の街に戻った少年は何度かあった野盗の襲撃を撃退するのに主導的な役割を果たし、街を守りきったと書かれている。
相変わらず精霊の能力や加護の内容には具体性がないが、サラマンダーなら火に関連していると推測できる。
玲奈はその話の中で“サラマンダー”の単語が出てきてからは、火に関係する記述がないか注意を払って読み込んだ。
しかし他の話と同じように、具体的な能力に関する記述は、火に関する事項も含めて見当たらなかった。
それよりも気になるのは、物語の最後に自分たちの国を建てた主人公が、世界中から争いを終わらせるため国の境界をなくすとサラマンダーに誓うシーンだ。
このときのセリフはそれだけを聞くと立派な決意であるように感じられるが、国是だとすると覇権主義的に思われる。
東側の国々にみられる拡大主義的傾向の出発点だとすると、他人事ではすまないと玲奈は警戒した。
もう一冊の本を読み終わる頃には暗くなっていた。
既に夕食の準備を始めてきたアメディアとダダクラを手伝いに、玲奈も厨房に向かった。
夕食の席でフルーはご機嫌だった。
このところフルーは庭で素振りするほかは、室内でポーション調合ばかりだったので鬱屈するものがあったのだろう。
この日は迷宮に潜り、据え物斬りに近いゴーレム相手とはいえ、思う存分剣を振ってきたのでスッキリして表情に見える。
「アメディアが後衛で付与魔法をかけてくれるのも助かるが、今日みたいなマスターが同行してくれると格別だな。」
「そう?」
「ああ、とても助かっている。状況を読みながら細かく支援してくれるから前衛として心強いんだ。それに攻撃魔法だと見ているしかないが、付与魔法なら一時的とはいえ自分の力が向上するからな。」
「前衛の役に立っているならなによりだよ。」
玲奈は自分が典型的な魔法使いではないことを改めて自覚した。
と同時に物語の中で精霊の加護を得た主人公たちは典型的な魔法使いとは限らないということに思い至った。
自分と同じように付与魔法を使うのなら、変化は自分自身ではなく周囲の人やその装備品に起こるだろう。
あるいは無意識的、受動的に魔法が発動するタイプということもあり得る。
その場合、変化はゆっくりと大きく環境に働きかけるタイプである可能性もある。
主人公だけ見ていたのではこれらの変化を見落とす恐れがあることに玲奈は気がついた。
そして明日から改めて借りてきた二冊の本を読み返すことにした。
翌朝、玲奈は日課のストレッチと魔法の練習をこなし朝食をすませると、執務室にこもって本を読み込んだ。
今日はノートとペンを持ってメモを取りながらである。
今回は主人公だけでなく、その周辺の登場人物、場合によっては気候や土壌などの環境にも変化がないか複数の視点で細かく見るのでメモが必須になる。
目が疲れを覚える頃、お昼となった。
午後になると玲奈は裁縫室に移って、アメディアとダダクラが布の裁断や縫製に勤しんでいるのを横目に本の続きを読んだ。
しばらくは布を裂く音、ページをめくる音、ペンを走らせる音ばかりする。
玲奈はようやく一話読み終えて大きく息を吐いた。
彼女のテンションが緩んだのをみて、アメディアが話しかけてきた。
「お嬢様は本をよくお読みになるんですね。」
「うん、私には知識が足りてないからね。こうやって本を読んで補充してるんだ。」
「そうなんですか。実は私が以前仕えていた貴族家のお嬢様も本がお好きだったんですよ。」
「へぇ、そうなの?」
「はい。でもかたわらで見ていて、そのお嬢様とレイナ様では同じ読書でも違いを感じます。」
「どう違うの?」
「そうですね、そのお嬢様はソファでくつろいで読んでましたし、うっとりとそれは楽しそうにしてましたよ。」
玲奈にはその令嬢がどんな本を読んでいたか見当がついた。
「読んでいる本による違いもあるけど、私が楽しそうに見えないのは確かだよね。自分でも自覚あるもん。」
「ええ、失礼ながらレイナ様は本を読むとき難しそうな顔をなさってます。メモを取ったりして調べ物をしているように見受けられます。私がつかえていた商家の旦那様が帳簿をつけているとき、そんなご様子でした。」
「そんな帳簿ほどカッチリしたものではないよ。」
「そうなんですか?」
「うん! 読んでいるのは昔の言い伝えを集めたおとぎ話のようなものだよ。主人公ががんばって周りに認められてめでたしめでたしというお話ばかりだって!」
「そんなご本ならうっとりしないまでも、にっこりしながら読めそうですね。」
玲奈は姿勢を緩めて、左手でほおづえをつき右手の指でペンをクルクルと回した。
「そんな本をしかめっ面しながら読んでる私が愚かってことだよ。」
「いえいえ!」
「でも古い言い伝えって元になった実際のできごとがあったはずで、一片の真実を含んでいたりするんだ。私は真実を見逃さないために、わざわざメモを取りながら見ているんだよ。」
「そういうわけなんですね。」
「うん! さて、私は“読書”に戻りますか。アメディアもダダクラもキリのいいところまでやったらお茶にしよう!」
玲奈はイスを引いて姿勢を直し、自らのほほをピタッとたたくと読書に戻った。
「はい! 私もそれまでもう一踏ん張りしますね。」
アメディアは話しながらも手を休めていなかったが、黙々と裁断や縫い合わせの作業を続けた。
玲奈は夕食後、執務室で寝るまで本を読んだ。
一度読んだ内容ではあるが、細かいところまで見落とさないようにしたので思いのほか時間がかかり、この日は一冊の四分の三までしか読めなかった。
翌日玲奈は読書の合間にパルピナで買い物、翌々日はゴーレムの迷宮で探索と息抜きをはさみつつ、二日間で二冊とも再読し終えた。
主人公だけでなく、その周辺の人物や事物にまで細かく目を向けたものの、精霊の加護や祝福の具体的な描写は見当たらず、内容は不明のままであった。
水の精霊にしてもサラマンダーにしても、実際に水や火に関係ありそうな事象は文中で起きていない。
一つだけ関係ありそうなのが、村の外に出て荒野を開拓した男の話だ。
彼は兄と仲違いをして村を追われるように出て行ったが、人跡未踏の地に至り、精霊の加護を得て沃野を切り開いたという。
彼の営為によるところが大なのであろうが、精霊がいかなる関与をしたのか文章からはうかがえない。
植物や土壌に関係する力が働いたのであろうか?
この話に限らず玲奈にとって気になったことは、主人公が精霊の加護や祝福を受けたことを誰も疑わないことだ。
詐称や僭称を疑わないほど一目瞭然なのであろうか。
そうだとすると何をもって見分けるのか?
疑問が増えた玲奈であった。
その次の日、アメディアに選んでもらったシンプルな白い服を着て、玲奈はクライドに出かけた。
先週狩ったふっくらフォックスの買取代金を受け取ることになっている。
アメディアとギリムを連れて、玲奈は一週間ぶりに商店街の石畳を歩いた。
大通りを西に進み貴族街に入ると豪壮な子爵家の屋敷の手前に政庁の質実な建物が見える。
玲奈は中に入って名乗り案内を乞うと、丁重に事務官から別室に通され、少し待つように言われる。
彼女は一人残された部屋で貴族らしい繊細な浮き彫りの入ったイスのひじ掛けを眺めていると、ほどなくして執政のジェナスが人懐こい顔をのぞかせた。
「お待たせしました。遠路ご足労いただき恐縮です。」
続いて制服に身を包んだ領軍司令のカークが姿を現した。
彼と再会のあいさつを交わしていると、さらに二人の男が部屋に入ってきた。
二人とも紺色の服をきているが、中背の筋肉質な男はカークと同じ軍服を着ており、もう一人の長身の男はローブをまとっている。
カークが気を回して引き合わせる。
「レイナ殿、紹介しましょう! 魔導士隊の隊長バートリーと工兵部隊の隊長クリフです。」
「紹介にあずかりましたバートリーです。」
ローブを着た長身の男が進み出て頭を下げる。
「はじめまして! レイナです。」
ローブの男と軽く握手した。
次に軍服の男が一歩進み出る。
「初めてお目にかかります。クリフと申します。」
「はじめまして、クリフさん。レイナです。」
クリフとも握手して、全員腰を下ろした。
「さて、まずはこちらをお渡ししておきますね。」
口を開いたジェナスがテーブルの上に革袋を置いた。
ジェナスに目で促され、玲奈はスエード調のきれいになめされた革袋を持ち上げ自分のヒザの上に乗せた。
それは意外なほどズシリと重かった。
中には金貨が詰まっていた。
ジェナスが口にした金額は予想を大きく超えており、奨学金の半額を賄って余りあるものだった。
「意外でしたか?」
「はい、正直に言いますと思ったより高かったです。」
玲奈はジェナスの問いに曖昧な笑みを浮かべて答え、価格が高過ぎることをそれとなく伝えようとした。
「価値を算定するためにここ最近の記録を当たってのですが、あの狐は希少で見当たらないのです。」
そう言ってジェナスは持ってきた冊子を開いた。
「軍でも訓練と魔物の間引きを兼ねて定期的に迷宮に入っているのですが、捕まえた記録は残っておりません。子爵家の取引記録で数十年前に購入した例があったので、その額を元に算出しています。支度金は含まれていませんよ。」
支度金という言葉にいぶかしさは感じるが、ジェナスは玲奈の意向を察したうえで価格は根拠があると言っているので、貴族家のメンツもあるだろうし、提示された額での買取に同意して書類にサインした。
玲奈が出されたお茶に口をつけていると、今度は魔導士隊長のバートリーが話しかけてきた。
「レイナ殿はエリュシオール魔法学園で学ばれているんですよね。」
「はい、そうです。」
「実は私の師匠で先代の隊長も魔法学園を出てるんですよ。ときどき学園の話をしてくれました。」
「私は魔法使いの素質が乏しくて生活魔法が精一杯なので現在は工兵部隊をやってますが、それでも先代の隊長の教えを受けた一人なのです。」
クリフは精悍な顔をほころばせる。
「なるほど、お二人とも先代のお弟子さんなんですね。私はローブを着ませんし、杖も使わない魔法使いらしからぬ格好をしていて期待と違ったかもしれません、学園も先代の隊長さんの時代とは変わっているかもしれませんよ。」
バートリーやクリフは現在の学園に関して聞きたいのかと推測して、玲奈は学園の話から始めた。
「現在私は学園で付与魔法を中心に治癒魔法や魔道具なども習っております。支援魔法を主とした私のようなタイプは少数派ですの、それは先代隊長の当時も現代と同じですね。」
魔法を使うバートリーやクリフだけでなく、カークやジェナスも玲奈の話に耳を傾けている。
「現在学園の学長はメルヴィン王子ですが、実質的なトップは副学長のラッシュフォード教授です。この先生と重鎮と言われているロックウェル教授が攻撃魔法の大家とみなされているようです。」
玲奈は当たり障りのない、相手にも周知の事実から話し始めた。
しかし王子の名前を出すとバートリーが一瞬顔をしかめた。
王族にトラウマがあるのか気になるところではある。
ただし面倒ごとにつながる恐れがあるので、玲奈は気にかけつつも素知らぬ顔で話を続けた。
「私の指導教官は付与魔法のスケルター教授ですが、攻撃魔法のロザラム教授からも主に理論面で指導を仰いでおります。新魔法も二人の指導の賜物です。」
ここでクリフが口をはさむ。
「レイナさんが作られた新魔法は生活魔法だと伺ったのですが、理論的裏付けは攻撃魔法から取ったのですか?」
「ロザラム教授は攻撃魔法が専攻ですが、理論家肌の魔法使いす。私が開発した散水魔法は自分で使う分には問題ないのですが、誰でも使えるよう汎用性を持たせるため術式の検証をしていただきました。」
「そうすると新魔法はレイナ殿がほとんどの部分を独自に開発したのですか?」
今度はバートリーが尋ねる。
「はい、そのとおりです。私が自分に課している独自の訓練法から応用して組み上げてみました。水魔法にしてみると水やりに便利で、調べたところ同種の魔法もなかったので登録することにしました。」
「ほう、なにか独自の訓練法があるんですか?」
重ねてバートリーが身を乗り出すように問う。
「独自というほどでもないんですが、まぁ鍛錬はしています。試しに一つやってみましょう。」
玲奈は右手を開いて目の高さに上げた。
手の甲を相手に向けると五本の指先それぞれに小さな火が点いた。
その火を順々に消して、また点ける。
「このように細かく正確に魔力を制御する練習を繰り返して魔力の発動が素早く精度が高くなるようにしています。こんな風に。」
玲奈は火を点滅させるペースを早め、二つ同時に点けたり消したり、ランダムな動きをして見せた。
クライド側の四人が目を見張る。
彼女は魔法を使いながら話を続ける。
「攻撃魔法だといかに大火力、高威力を叩き出すかに意識が向きます。魔法の専門家に学生がおこがましい限りですが、複数の敵を相手に連続して戦うなら魔力をいかに効率的に使うかで継戦能力が左右されますし、他兵種と共闘するなら正確な制御は不可欠ですよね。」
「言われるまでもなく重要性は認識しています。認識はしているものの、現実にできるかどうかは別なわけで、レイナ殿は何か打開策をお持ちですか?」
バートリーは真顔になり問いかけ、玲奈も指先の火を引っ込める。
「どうでしょう? 私は魔法を習い始めてまだ一年もたってないような若輩者です。いい知恵も簡単には浮かんできません。」
「こういうことは経歴の長さに比例するとは限らないでしょう。それにレイナ殿は短い期間で既に実績をあげておられる。」
訓練のことは玲奈が言い出したことなので頭をひねってみたが、これといったアイディアは思い浮かばなかった。
「近道は簡単には見つからないかもしれません。やはり小さなことを日々反復して積み上げていくのが確実な道だと思います。これだけでは芸がないので、思いついたことを述べます。もし組織的、継続的な強化を目指して練習するなら、細かい段階に分けて一つずつ履修していってはいかがでしょうか?」
玲奈は、たとえばと言って右手の人差し指を立てる。
「最初は一定間隔で人差し指の先に火を点けたり消したりできるように練習します。」
玲奈はさらに中指も加えて指を二本立てた。
「それができたら次に人差し指と中指の先の二ヶ所に火を同時につける練習をします。それもできるようになったら今度は人差し指と中指でバラバラに制御できるように練習します。」
言葉どおりに玲奈は人差し指と中指の先にバラバラのリズムで火を点けたり消したりした。
少しの間点滅を繰り返し見せると、彼女は再び口を開いた。
「このように細かな練習の末に魔力を複数扱うことに習熟すると、左右の手から同時に別々の方向に向けて火球を打ち出すことができるようななるかもしれません。」
「なかなか興味深い話です。後日の完成をお待ちしますが、改めて教えていただくと追加の報酬が必要となりそうですね。」
バートリーは軽い口調でそのように言うとチラッと執政のジェナスを見た。
ジェナスはニヤリと笑うと軽く肩をすくめてみせた。
「話が人員に及ぶのであれば私の一存では計りかねますので、お嬢様の裁可を仰がねばなりませんなあ。」
人員という言葉を聞いて、玲奈は先ほど出た支度金の意味を悟った。
キリもいいので、話が変な方向に向かわないうちに辞すことにした。
帰り際、玲奈は工兵部隊長のクリフに話しかけた。
「クリフさん、工兵ということは戦場周辺の地面を掘ったり盛ったりするのが役目ですよね。」
「ええ、任務の一部です。」
「その作業は土魔法で代替可能なのではないですか?」
「我々も考えないではないです。ただ、魔力量が多い人間ばかりでないので、大半は人力でこなさざるを得ません。」
「やはりそこが隘路ですよね。土魔法に限らず、私は効率をよくすることを課題として考えています。土魔法も考えてみますね。」
「楽しみにしています。」
あまり楽しそうではない顔をしたクリフに別れを告げて、玲奈は政庁舎の外に出た。
待っていたアメディアとギリムと合流した。
「やあ、お待たせ!」
「いえいえ、お気になさらず! お嬢様、いかがでしたか?」
玲奈はアメディアに近づき声を落とす。
「思ったよりいい額になったよ。貴族の経済力はすごいね。」
「はい、下々とは住む世界が違います。ところでお嬢様、少しばかり時間がかかりましたが、勧誘を受けていたのでは?」
「うん、遠回しにそれとなく含みを持たせるくらいだけどね。」
「レイナ様の腕前があれば引く手あまたでしょう。」
「どうかな? 大した攻撃力もなくて王宮とのコネも持っていないけどね。」
玲奈は冗談めかして話すが、アメディアだけでなくギリムも真剣な眼差しをしていることに気がついた。
「あっ、そうだね。私の去就はみんなに影響を及ぼすんだった。よく考えてちゃんと決めるから安心して!」
「信頼してますからね!」
玲奈はつとめて明るい調子で話したが、ギリムは表情を変えることなく返した。
気を取り直して彼女はクライドの中心街で名産の乳製品を買い込み帰った。
午後は自宅にこもってミセリ教授から借りた錬金術の入門書を読んだ。
翌日、玲奈はフルーとキリムを伴って王都に飛んだ。
クライド子爵家から受け取ったふっくらフォックスの報酬を忍ばせている。
王都では学園に行くとまず図書館に顔を出した。
借りていた精霊のおとぎ話の本を返すためである。
司書のクローカはカウンターにいて、別の学生の相手をしていた。
その学生が所用をすませ席を立つのを待って、玲奈はクローカに話しかけた。
「借りていた本をお返しします。」
「いつもレイナさんが借りるのと違って、今回は気楽な読み物ね。」
「ええ、お気楽な読み物でした。ただしメモを取りながら綿密に二回読みました。」
「アハハ、読み方はいつものレイナさんらしいわね。」
「結局いつもどおりになっちゃいました。」
玲奈はクローカにつられて笑顔を見せるが、一転して真顔になる。
「ところでクローカさん、本を探しているんです。東側の国について書かれた本はありませんか?」
「まあ! レイナさんはまた妙なものに興味持ったのね。」
「ええ、妙なものに興味持っちゃいました。実はお借りした精霊の本にサラマンダーの加護を受けた人が出てきたんです。その主人公の言動が覇権主義的なので東側を思い起こさせて気になったものですから。」
「なるほどねぇ。いきさつはわかったわ。だけど東側に関する本はあったかしら。」
クローカはカウンターの後ろから目録を取り出して、パラパラとページをめくる。
何ヶ所かめくった後、彼女は力なく薄い笑顔を浮かべた。
「残念ながら東側のことを主に書いた本はやっぱりなさそうよ。」
「そうですか、あまり興味をひくような分野でもないし、仕方ないのかな。」
「そうね、東側は一般に西側と比べて魔法が発展していないといわれているし、かと言っておいしい食べ物があったり、きれいな服を作っているわけでもないから。」
「以前グレイナーに攻めてきたことがあったというし、もっと研究されているかと思いました。」
「そりゃ軍事的なことや政治的なことは王宮や騎士団で調べてるでしょ。旅行記や地誌ではないから本という型になっていないだけで。」
「騎士団かあ、なるほどねえ。」
クローカは舌をペロリと出し、バツの悪そうな顔をした。
彼女の夫は王立騎士団員である。
「ごめん! でも家では東側の話なんて聞いたことないわ。」
家では仕事の話をあまりしないようである。
「こちらでいろいろ当たってみますよ。元々微妙な事項を含んだ話なのは承知してますから。」
「じゃあそうしてくれる? 悪いわね。」
この日は他に読みたい本もなかったので、そのまま図書館を後にした。
主目的である事務室に出向き、窓口で奨学金に関する要件を告げた。
受付に出た吏員が引っ込むと間もなくジェンクスがやってきた。
「やあ! 奨学金の件だって? 返済免除の条件にかなうところに決まったのかい?」
「いえいえ、返済免除ではなく返済のお話ですよ。一部ですけどね。」
「そうなのか?」
「ええ、半分の額ではあるのですが、お返しできるようになったので手続きをお願いします。」
「そうか、しかし意外だな。てっきりどこか返済免除になるところに行くのかと思っていたぞ。魔導士隊からでも王宮からでも声がかかるだろうに。それにしてもよく稼いだな。」
「残りも一年以内に返しますよ。」
「金づるをつかんだな。額からしてどこかの貴族家だろうが、まさか王国外ではないだろうな?」
「違いますよ!」
玲奈はクライド子爵家に自分の情報を流したのはジェンクスではないかと疑ったが、そのクライド子爵家と取引したことはつかんでないようだった。
情報は先方に流したものの、あちらからはなにも知らされていないのかもしれない。
「実は先日、クライド子爵家と少々取引をしまして、お陰で繰り上げて一部を返せるようになったのです。」
「そうか、クライドか。」
ジェンクスは少し考える仕草をした。
玲奈はそれが演技か判断がつきかねた。
「うん、悪くないな。ただし、あそこは当主が現在具合がよくないので要注意だ。このことは内密にな。」
このようなことを明かしていいのかと玲奈はいぶかったが、同時に執政のジェナスが裁可を仰ぐ相手が旦那様でなくお嬢様であると言った理由がわかった。
「それと伝を求めて王宮に出入りすることもあろうが、現在の状況は容易ではない。特に宰相には気をつけることだ。」
「ご助言感謝します。ただご懸念には及ばないかと思います。こちらから近付く意思も動機もありませんので。」
「うむ、本心からそう思ってるかはわからないが、しばらくは控えるのが吉であろう。まあ、返済の手続きは進めておくので、近いうちに書類を交付する予定だ。日を置いてまた来たまえ!」
「本日はありがとうございました。それでは失礼します。」
早々に玲奈は事務室を立ち去った。
ジェンクスは立場上、彼女が知り得ない情報に接することができることは確かだ。
しかし、わかりにくい時流をそこまで見通せるほどの眼力を備えているか不明なので、なるべく関わらないにすませたいと彼女は思った。
事務室を出て、気を取り直して玲奈は研究棟に向かい、スタローム参謀のドアをたたいた。
しかし王立魔導士隊の参謀は部屋にいなかった。
貴族街の奥にある魔導士隊の詰所に行けば会えるかもしれないが、王宮のすぐ前まで貴族街の中を歩く気力は振り絞れなかった。
やむなく彼女は階段を上がりミセリ教授の部屋に向かった。
彼女がドアをノックすると返事があり教授から中に招き入れられた。
「お邪魔します。借りていた錬金術の本を返しに来ました。」
「あら、早かったのね。」
ミセリ教授は玲奈から貸していた本を受け取るとニヤリと笑った。
「それで、精霊魔法はわかったかしら?」
「わからないことがわかりました。」
教授はうなづいて続きを促した。
「図書館で精霊に関する伝承を集めた本を二冊借りたのですが、肝心の精霊の権能や加護の内容がわからずじまいでした。」
「そうでしょ? わからないでしょ? だから失伝になってるのよ。」
「そうですね。確かに復活させる手がかりがつかめそうにありません。」
「新しい魔法を作るよりも古い魔法を復元することが難しい場合もあるのよ。実際に新魔法を開発したあなたならよくわかるでしょ?」
「私が開発した魔法はごく簡単なものです。精霊魔法とは複雑さや規模の点で比較にもなりませんよ。」
「あら、精霊魔法だって意外と簡素なものかもしれないわよ。なにもわかってないのだから。」
「逆にわかっている部分として、以前教授から、現在使われている魔法は精霊魔法を模して人間でも扱えるように手直ししてものだと伺った記憶があります。」
「それ、もっともらしいけど、定説というより師匠の類推だからね。」
「その類推が正しいとすると、現在の魔法と精霊魔法はどこかに類似点があり、そこから精霊魔法を再構築する手がかりが得られないでしょうか?」
「どうかしら? そもそも類推が正しいかどうか不明だから、なんとも言えないわ。」
「相違点だったらいくつか指摘できますよ。この前お話した属性の問題もその一つです。」
属性の話になるとミセリ教授がうんざりとした顔をする。
口で言ってもちゃんと耳を傾けてもらえないと感じた玲奈は魔法の実演をすることにした。
「たとえば」
そう言うと玲奈は手のひらの上に土魔法で小鉢ほどの容器を作り出した。
かなり硬く突き固めて成形している。
ミセリ教授は目を見張り、身を乗り出した。
「このように土魔法を使って物を作ることも、ここではやりませんが、地面を盛ったり穴を開けたりすることもできます。水魔法なら水を生み出したり」
玲奈は指先から水を滴らせ、器の約半分を水で満たした。
「水面を揺り動かしたりもできます。」
彼女の左手に持った容器をミセリ教授の前の机に置くと、右手を容器にかざした。
すると、容器を揺らしたわけでもないのに、水面に細波が立った。
「同じ属性の魔法でも、物質そのものを生成する魔法と物質に対してなんらかの作用を及ぼす魔法があります。後者は属性間の相違より共通点の方が大きいのです。」
見るとミセリ教授は腕を組んで首をひねっている。
いまひとつ玲奈の説明が腑に落ちないようだ。
「今お見せした水魔法で水面を揺らす魔法は、魔力の使い方において、土魔法で穴を開ける魔法とほとんど一緒です。むしろ水を生み出す魔法の方が違いが大きい。つまり属性による区分は魔法の本質をとらえていないと私は考えたのです。」
「ああ、魔法の実演を見たらなんとなくだけど、あなたの言わんとすることがつかめてきたわ。現象面から見ると魔法の属性に関する考察にはうなずける部分もあるかな。」
玲奈がうんうんとうなずくのを見て教授が言葉を続ける。
「でもね、精霊魔法に関しては前も言ったけれど、行使する精霊の属性によって系統が厳然と分かれているのよ。土の精霊と水の精霊はまったく別の存在なの。火の精霊サラマンダーと水の精霊ウンディーネは、同じ“精霊”というくくりに入るのが不思議なくらい共通点の少ない異なった存在だって言われているわ。」
精霊が実は精霊ではないとも受け取れる話をミセリ教授から聞いて玲奈は面食らった。精霊に関して詳しいことはわからないと言いながら、これだけまくし立てるミセリ教授も不可解である。玲奈の頭は混乱気味であるが、ウンディーネという水の精霊の名前はしっかりと記憶した。
「精霊魔法もいいけど、レイナちゃんの土魔法はなかなかのものじゃない? さっきの土でできた容器にしても、思いどおりの形に作れるなら大したものよ。」
今度は一転して玲奈の土魔法をほめるが、玲奈は当惑を隠せない。
「ええ、思ったとおりの大きさや形にはなってますよ。」
「ならば立派なものよ。思いのままに造形ができたら魔道具作りの進歩は計りしれないもの。魔道具の根幹である魔法陣は魔法の術式を幾何学的に表現したものだから、あなたと相性がいいんじゃないかしら?」
魔法と幾何学を結びつける話を聞いて、玲奈は円形の魔法陣の面積を求める数式、球形のファイアボールの体積を求める数式を思い浮かべた。
これらの魔法を行使する者は、面積や体積を考慮しているのだろうか?
ともかく教授が考えているのは魔法陣の描線に関する事項にとどまっている。
その後も話は教授のペースで進み、玲奈は魔道具に関する本を三冊、読んでおくようにと言われて渡された。
玲奈は研究室しか廊下に出たところでそっとため息をついた。
部屋の壁際でやり取りを聞いていたギリムは伸びをしつつ、同情するような眼差しを玲奈に向けた。
フルーはこの後に入る予定の迷宮に意識がいっているのか、どこ吹く風だ。
「フルー! 今日は私も魔法をぶっ放して攻めるよ!」
学園の迷宮に入った玲奈たち三人は、三階まで戦闘は最小限にして通過し、四階に上がった。
三階までと同じようにフルーは先頭に立ち剣を振ったが、最後尾にいた玲奈も前に出て、ゴブリンに火魔法をお見舞いした。
火魔法を喰らったゴブリンは腰ミノから皮膚に燃え広がった火に焼かれ、悲鳴を上げながら地面をのたうち回る。
火勢が強かったのか、ゴブリンはまもなく動かなったが、しばらく死体は燃え続けた。
焼けぼっくりを残して三人は先に進む。
玲奈が魔力感知を最大に働かせてながら四階の奥に進むと、この日遭遇したことない十匹を大きく超えるゴブリンの群れが引っかかった。
「レイナさん、フルー! この先にデカい群れがいるぞ。」
探知能力を働かせながら歩いていたギリムも同時に気がついた。
「全部で二十一匹だね。」
「そうっすね。」
指を折ってゴブリンを数えていたギリムが玲奈に同意する。
数えるのは彼女の方が早いようだ。
先頭を行くフルーがチラリと振り返る。
「うん、戦おう! ギリムもいいね?」
「レイナさんがそのつもりならしかたねえな。俺もできるだけのことはしますよ。」
ゴブリンたちも三人に気がついて騒々しい声を上げながら包囲しようするつもりか左右に広がる。
「私が左側から真ん中を焼き払うよ。フルーは突出しないように注意しながら真ん中から右側に対処して!」
「承知した!」
「ギリムはナイフを投げて、右側から回り込まれないように気をつけて!」
「まかせてください。」
玲奈はフルー、続いてギリムにも火属性を付与した。
ゴブリンはわめきながら棍棒や刃こぼれした粗末な剣を振り回しながら近づいてくる。
顔が見分けられる距離になったが、見たところ上位種などの特異な個体はいない。
玲奈はフルーの後ろから左隣の位置まで進み出る。
ゴブリンたちは左側の人間が女と気がつき、左に回る個体が増える。
玲奈はゴブリンたちが魔法の届く距離に入ったと見ると、右手を真正面、左手を真横に突き出して手のひらを立てた。
次の瞬間、彼女の両手のひらから勢いよく炎がほとばしり出た。
先ほどの戦闘より魔力を多く込めたので、火勢も強い。
さらに彼女は、水平に伸ばした左右の腕を交差させながら円周上を四分の一周動かした。
ゴブリンの群れの中心から左端にかけて火がなめ、逃げ場をなくした十余匹が炎に包まれた。
二十匹を超えた群れがいきなり半分以下になった。
残った個体も火魔法の猛威に怖気づき、逃げ腰になっている。
フルーが構えた剣の先からもチロリと火が立ち昇る。
ゴブリンたちはなかなか踏み込めないようだ。
それでも胃を決したように一匹また一匹と奇声を上げながらフルーに突っかかったものの、一撃で切り捨てられている。
ギリムはナイフを投げている。
ただし力まかせに投げているので一向にあたらない。
それでも火を帯びて飛ぶナイフはゴブリンを牽制するには十分で、右側から回り込まれるのを防いでいる。
その間にも一匹がフルーに斬られた。
残りが六匹になり、玲奈は指示を出す。
「フルー、斬り込んでいいよ。」
「よしきた!」
フルーは剣を構えたままダッシュしてゴブリンの群れに突っ込む。
剣を横から薙ぐと二匹のゴブリンをまとめて大きく吹き飛ばし、二匹は地面にたたきつけられてそのまま動かなくなった。
さらにその後ろにいたゴブリンを素早く踏み込んで剣を振り下ろし、文字どおり両断した。
残る三匹は背を見せて逃げ出したが、フルーが追いかけていずれも倒した。
以前だったら手に余る数の敵で撤退する選択肢もあり得たところ、今回はあっさりと殲滅することができた。
「くせぇ!」
ギリムが顔を歪める。
戦闘が終了して平静さを取り戻すと、肉が焼け焦げる異臭に気がつく。
玲奈は鼻をつまみたくなった。
フルーは気にならないのか、表情も変わらずいつものとおりである。
「マスター、すごい威力だったな。ただし、岩や石ころだらけのここだからよかったが、花の迷宮や屋外でも森林地帯や草地では使い難いな」
「ありがとう! 使うときは気をつけるよ。」
フルーは重要な話をしたようだが、玲奈は匂いに気を取られて生返事になってしまった。
玲奈はフルーの盾やよろいに着いた血を水魔法で洗い流してあげると、次にあたり一帯に浄化の神聖魔法をかけた。
空気までうっすらと光を発する聖なる魔力のさんざめきが引くと、そこには炭化した有機物の残滓は残っていなかった。
もう匂いもしない。
玲奈はカップに水を満たしフルー、ギリムにも渡して一息入れた。
「五階に上がって一当たりしたら外に出て食事にしよう。」
「いやマスター、五階を攻略してはどうか? 四階での戦い方を見ればたやすいと思うぞ。」
「おなかがすいたし、今度でいいんじやない?」
「マスターがそう言うならしかたない、またの機会にするとしよう。」
玲奈たちは五階に上がると、ギリムの探知能力を頼りにコボルトを探し始めた。
コボルトは警戒心が強く組織的な動きをするので、相手より先に見つけて間合いを詰めたい。
大きな空間に出て間もなく、先頭を進むギリムが立ち止まりそっと手を上げた。
指差す先にはコボルトが三匹うろついている。
こちらを気にするようすはない。
玲奈はフルーに指示を出した。
「フルーはこのままコボルトに向けてゆっくり歩いていって! なるべく足音立てずに身をかがめて見つかりにくくしてくれるとなお望ましい。私とギリムは反対側に回って挟撃するからね。」
「ヤツらが私の方に来たら斬ってしまっても構わないのだろ?」
「もちろん! コボルトがどっちに動いても逃さないための配置だよ。私たちが所定の場所に着いたら合図するね。」
「承知した。」
「さあ、私たちも行くよ、ギリム!」
「はいはい!」
小声で会話を交わすと、玲奈はギリムを従えて足早に大回りして、コボルトたちの反対側に進出した。
移動が完了すると玲奈はフルーのいる方向に向けて、光魔法を使い収束した弱い光を一瞬放った。
コボルトたちには気付かれなかったようであるが、フルーは合図の光を目にして歩くペースを上げた。
コボルトたちは近付いてくるフルーに気が付き、低くうなり声を上げる。
フルーが鈍く光る大剣を抜くと、かなわないと思ったのか、コボルトは背を見せて逃げ出した。
だが、その方向には身を低くして玲奈とギリムが待ち構えていた。
魔法の射程圏内に先頭を走るコボルトが入ったと見た玲奈は立ち上がり、火魔法を発動する。
右手のひらからほとばしった炎の先端がコボルトを包んだ。
火達磨になって転げ回る群れの仲間を見て、後続のコボルト二匹はあわてて進路を右斜めに変えて逃げ去る。
玲奈の後ろにいたギリムがすかさず立ち上がり、逃げる相手の背にナイフを投げつける。
あいにくナイフは外れてコボルトは逃げ去ってしまった。
ギリムが舌打ちをしていると、フルーが駆け寄ってきた。
「フルー、お疲れ!」
「マスターの魔法を駆使すれば、この階の魔物をあらかた退けて上の階に進めると思うぞ。」
「どうだろうね。さっきも言ったけど、今日はこれ以上進まずに帰るよ。進むのなら、事前に情報集めて態勢を整えてからだね。」
「そうか。」
フルーは残念そうな素振りを見せるが、すぐに引き下がった。
今度はギリムが口をはさむ。
「こんなに燃やしちまうと素材が取れねえな。」
「そうだね。火力が弱いと火が付いたまま突っ込まれる恐れがあるから強めにしたんだ。素材採取のこともあるから、対策を考えておくよ。」
玲奈たちは四階でコボルト一匹倒しただけで迷宮を後にした。
帰宅した玲奈は夕食後、執務室にこもって素材を損なわない魔法を考えた。
相手の皮革ないし筋肉や内臓を極力傷つけずにダメージを与えなくてはならない。
ダメージを確実なものにするなら物質的な実体を持った攻撃でなくてはならないし、損傷を最小限度にするには攻撃範囲を一点に絞らなくてはならない。
玲奈は半ば妄想の海にたゆたいながら時折浮かび上がる思いつきをパラパラとノートに書き留めた。
気体では弱い?
それなら液体か固体がいい?
範囲を絞るだけじゃダメ!
液体や固体に毒性を持たせる?
たとえば強酸性の液体は可能?
全身に浴びせると皮革の価値が下がる!
では一点だけどこに浴びせる?
息を吸い込むときに鼻腔に浴びせようか?
呼吸に重篤なダメージを与えられそう!
玲奈は自分でもひどいことを考えていると苦笑しながらアイディアをまとめながらメモを残して、明日以降魔法で毒性の液体が生成可能か試してみようと思った。
また、土魔法を使い土を針や槍の穂先のように鋭く硬くとがらせ、四足歩行の魔物の下から心臓を突くことも考えた。
硬度を高めるには魔力を多量に使うが、地上を歩く魔物で地中の魔力を感知する能力を持つものは少なそうなので、こちらも明日以降試してみることにした。
身体だけでなく脳にも疲労を感じた玲奈は思考をやめて眠ることにした。
翌朝、玲奈は眠い目をこすり日課の運動をこなし、朝食をとるとすぐに執務室にこもった。
今日は一日特に外出の予定はない。
彼女はミセリ教授から借りた本を写した錬金術のレシピを取り出した。
錬金術で錬成できるものでなにか応用ができないか調べてみた。
入門書を写したものなので、残念ながらレシピのバリエーションは多くない。
しかもポーションや解毒剤などの薬が主に記載されていた。
金属の性質を変えるような劇薬、塩酸や硫酸のような物質は記載されていなかった。
錬金術や魔法による精製に限定するわけではないが、果たして強酸性ないし強アルカリ性の溶液が作れるのだろうか。
硫酸なら火山を探してガスを採取した方が確実だと思われる。
玲奈はノートに憶えている限りの化学式を書いてみた。
昨晩書いたメモも読み返したが考えがまとまらないので、外に出て魔法の練習をすることにした。
まだ日が高く登らず、庭は冷気に満ちていた。
雑草一本生えていない地面に玲奈はボールを転がした。
製材所のバクロリーに作ってもらった木製の球で、上に乗ってバランスを取るなどの鍛錬に使っている。
玲奈は球を地面に置くと三メートルほど離れた。
動かない球を見つめ、おもむろに魔力をつま先に集めると地中に魔力を流し、土を槍状に固めると球を目がけて地中けら突き出した。
彼女は慎重に狙ったつもりであったが、穂先はズレて球をかすめて上に伸びた。
土の穂先は引っ込めると、彼女は目を閉じてもう一度集中力を高める。
自分の足元と球の位置を下から、地中から見上げるイメージで確認した。
そして球の真下と思われる箇所に土魔法を作用して槍を生成すると、真上に向けて土の槍を突き上げた。
思っていたほどではないが、一度目よりは精度が向上した。
一度深呼吸して集中し直して、地中から足のつま先と球の位置関係をイメージしてみる。
それがすむと、球の真下で土を槍の穂先状に硬く鋭く固める。
そして真上に向けて土の槍を突き出す。
ズレがあれば修正を試みながら、もう一度最初からやり直す。
この過程を五回も繰り返すと、おおよそ狙ったところを突けるようになった。
成果に満足した玲奈は 五、六歩あとずさり、木製の球から五メートル見当の距離をとって練習を再開した。
距離だけでなく、斜めや横に向きに変えて練習した。
そうするうち、ギリムが庭に出てきて昼食を告げた。
食堂には既に全員がそろっていた。
魔法の練習に熱が入り過ぎたようである。
「マスター、なにをずっとやっていたのだ?」
フルーの調合室やスドンの鍛冶場からは庭が見える。
「戦闘で火魔法が使えないときの備えだよ。」
「レイナさんのことだから、またロクでもねえこと考えてるんだろ?」
玲奈はギリムの言うことにムッとしかけたが、そう言われてもしかたないようなえげつないことを考えていたのも確かだと思い直した。
午前中は土魔法だけ試しているが、構想では相手の鼻腔に強酸性の液体を流し込む予定である。
「披露する機会もあると思うんで、楽しみにしていて!」
「うう、なんだか寒気がしてきたぜ!」
午後になると、午前中の練習状況をメモしたり、裁縫室でアメディアとダダクラの作業を見守ったりした。
その後また庭に出ると、今度は木製の球を転がした。
動いている目標をとらえようというのである。
今度は足と球の位置が固定されていないので、球の動きを予測しながらタイミングを測って地面から土の槍を突き出す。
自分の魔法が発動するタイミングを把握すると、ある程度球をとらえることができた。
ただし地面には凹凸があるので、球が予測したとおりには転がらない。
これは実際の生き物の動きと似ていると言える。
そのことに気がつくと、彼女も魔物を攻撃するつもりで狙ってみた。
予測しながら狙う感覚がつかめる頃には、夕雲があかく染まっていた。
翌日は朝から小雨が降っていた。
玲奈は朝食をとった後、執務室で書き物を少々すると王都に飛んだ。
奨学金関係の書類ができる日である。
玲奈は事務室に行く前に図書館に顔を出した。
錬金術関係の本を借りる予定である。
「ふふ、レイナさんが現在興味あるのは錬金術かあ。何冊か蔵書があったから見てみる?」
「はい、もしレシピ集みたいのがあったらお願いします。」
「ちょっと待ってね!」
司書のクローカはカウンターの後ろから目録を取り出してパラパラとめくる。
数箇所にしおりをはさむ。
「いくつか調べてみたけど、レシピが載ってそうなのは入門書くらいみたい。あとはね、昔の錬金術師の伝記があるわ。レイナさんの求めるものと合うかどうかわからないけれど、見てみる?」
「ええ、お願いします。見てよさそうならお借りしますね。」
クローカは玲奈を書庫に案内して、カウンターでとったメモを見ながら本を抜き出す。
受け取った玲奈はそれらの本を開いて流し読みする。
「入門書は期待した理論的なことは書いてないけれど、知らないレシピがいくつも載っているから、是非お借りしたいです。」
「じゃあ、こっちは決まりね。」
「伝記の方は、うんん、そうですねえ、立派な錬金術師がいたんだなってわかりました。」
「レイナさんがそう言うってことは、どんな評価かは見当がつくわね。」
「せっかく探してもらったのにごめんなさい。」
「いいのいいの、気にしないで!」
「ありがとう! でもサラリと見た限りでは、錬金術師が疫病から人々を救って王様から表彰されたって話だけれど、肝心の救った内容、使ったレシピは出てこないんですよ。」
「そうね、深刻な局面で使うレシピとなると秘中の秘になるんじゃないかしら。」
「ああ、なるほど! 誰が読むかわからないものにはうかつに書き残せないですね。」
「うん、だからこの本は実用的なレシピを示すより、錬金術師の一つのあり方を表すための本だと思うの。自分の能力や経験を発揮して世の中に役に立ち、人々に感謝され王様からもほめられる。きっとそんな生き方を示して、これから錬金術師を目指すかもしれない人に目標の一つでも示そうとしたのよ。」
「そうか! 確かに私は実用上の効果を性急に追い求め過ぎたかもしれません。」
「いろんなことに気がついて視野が広がるのはいいとこだわ。でもレイナさんはレイナさんらしさも失わないようにね。」
「はい、クローカさん、ありがとうございます! 視野が狭くならないように、入門書だけでなく伝記もお借りしていきます。」
「それじゃ、手続きするからカウンターに来て!」
玲奈は図書館で錬金術関連の本を二冊借りて、事務室に向かった。
窓口でジェンクスを呼んでもらう。
間をおかずに事務室の奥から書類の束を抱えたジェンクスが現れた。
「やあ、書類ができてるぞ。」
事務室の脇にいる小部屋に招き入れられる。
殺風景な部屋で、ジェンクスは手元の束から数枚の紙を取り出して玲奈に示す。
「まずこちらが、先日受け取った金額の受領証だ。」
ジェンクスは小さな紙片を玲奈に渡す。
金額の下には誰かの、恐らくラッシュフォード副学長のものと思われるサインがデカデカと書かれていた。
「それと、これが奨学金のうちまだ残っている額の証明書た。入学から一年とたたずに半額返済とは早いな。この分なら全額返すまであと一年とかからないだろう。大したものだ。」
「恐れ入ります。」
長居するとなにを言われるかわからないと玲奈は恐れて、早々に帰ることにした。
「他になにかありますでしょうか? ないなら、あまりお時間をいただくのもなんなので、この辺で失礼いたします。」
ジェンクスはまだなにか言いたそうであったが、玲奈が頭を下げると、ああとだけ言って見送った。
事務室を出た玲奈は、最後にその足でスタローム参謀の研究室を訪ねた。
幸いにも参謀は在室していた。
玲奈は彼に、精霊に関する本を読んで感じた懸念を伝えた。
「軍事機密で明かせないことはある。一方で機密でもなんでもない公然の事柄もある。たとえばグラリビオの王室は、火を吹くトカゲ、つまりサラマンダーを紋章にしている。」
玲奈は少々拍子抜けする思いがした。簡易な便覧的資料があれば、すぐわかったことだ。
同時に本で読んだサラマンダーのお話は現在にもつながる話なんだと気を引き締めた。
「もう一つ、グラリビオの北にあるユーフォルブという国の王室は、翼のあるトカゲ、つまりドラゴンが紋章だ。この二つの国は大陸統一を標榜していて、西側にも攻め入ったことがあり要注意だ。」
玲奈は参謀が口にしたグラリビオとユーフォルブの名を警戒感とともに心に刻んだ。
同時に精霊魔法に関する懸念を口にした。
「本に出てきたサラマンダーの加護を得た少年の伝承は建国神話みたいなものかもしれませんが、何かしらの歴史的事実を含んでいるなら、グラリビオは火の精霊魔法に関する技法を継承している可能性があるかもしれません。」
「そうだな、確かに建国当時における可能性は否定できない。現状での可能性は低い。少なくてもグラリビオが公開している情報で精霊魔法に結びつくものは皆無だ。」
「そうなると、実際に精霊魔法に関する能力をまったく有していないか、厳重に管理して秘匿しているかのどちらかでしょうね。」
「もちろん秘匿されている可能性は念頭にあるよ。ただ、グラリビオやユーフォルブのように拡張主義的な勢力は、他国にない特別な能力を手に入れたなら隠すより示威行為に使うだろう。」
この話は玲奈もうなづけた。
この手の国は、能力の詳細や限界値、術者の所在は隠匿しても、能力を保持していることを吹聴するくらい誇示する傾向にある。
「そうすると精霊の加護を得たり、精霊魔法を行使する人物は東側に存在しないと?」
「ああ、現在グラリビオの王位にあるエルネストという男は、精霊に愛されたという触れ込みだそうだ。わざわざ“加護”や“祝福”とは異なる用語を使っているのだ。精霊魔法を行使する権能は授けられておるまいよ。」
「能力の有無以前に術者の名前が出てくるのは変ですね。能力は持っていませんと言っているようにも受け取れます。」
「我々の見解も概ね同じだ。もっとも万が一のことも想定しているがね。」
玲奈は抱いていた疑問のいくつかが氷解するのを感じた。
「今日は貴重なお話、ありがとうございました。」
「またいつでも来たまえ! 我が国を取り巻く情勢に関心を払うのはいいことだ。むしろ指導すべき教授陣にこそもっと危機意識を持って欲しいところではあるな。」
疑問はぬぐえても、問題の大きさと根深さもわかって、重い気分を引きずりつつ、重い足取りでスタローム参謀の研究室を後にした。
玲奈は帰宅して図書館から借りてきた錬金術の本を読んだ。
入門書のレシピに関する事項はまだしも、伝記となると心理的に沈んでいるせいか、今ひとつ頭に入ってこない。
午後から雨をついてゴーレムの迷宮に出かけ、フルーとスドンの後ろに控えて支援しつつも、ときに魔法でゴーレムに攻撃したりした。
自分の手元から吹き出した炎がゴーレムを焼き焦がしても、彼女は心が晴れないと感じた。
迷宮の外に出てもまだ雨は降り続いていた。
翌朝、玲奈が目を覚ましたときには、既に雨はあがっていた。
寝室を抜け出して庭に出ると、土にはまだ湿り気が残っていた。
彼女は比較的乾いた場所を選びながら、ゆっくり歩き回り、取りとめもなく考え事をする。
精霊魔法にしても東側諸国にしても、手がかりが少な過ぎたり、問題が大き過ぎたりで、彼女が気をもんでいてもいかんともしがたい。
かと言って後者は、忘れてしまったり気にしないでいたりすれば、知らない間に自然解決するわけでもないので悩ましい。
住んでいるのが、十年前に攻撃にさらされたグレイナーなのだから杞憂とは言えない。
現状では自分の実力を高めつつ、情報を集めていくしかないかと無理やり結論づけて、彼女は考えをなんとかまとめた。
では、どうしようか?
部屋の中で考え込むのは、思考が堂々巡りとなって良策ではない。
ならば外に出て、どこかへ行くか?
外でなにをするか?
魔法学園の教授陣は危機意識が薄いとスタローム参謀は言った。
では危機感を抱いているつもりの自分は単なる杞憂でないと言い切れるのか?
東側だけでなく、周辺の情勢はどうなっているのか?
一度王国の外に出て、少し離れて情報を見てみたい。
新しいものを知り、新しい土地を歩き、見聞を広げたい。
どこに行こうか?
また玲奈が考えごとをしながら庭を歩き回っているうち、屋敷から全員が庭に出てきた。
ストレッチの時間となった。
玲奈はいったん頭の中を空っぽにして、号令をかけながら体を動かした。
いくらか頭の中がスッキリしたような気がした。
朝食後、玲奈はダダクラに声をかけた。
「ねえ、ダダクラ! 私はちょっと前にレムスって街に行ったんだけど、あなたは行ったことある?」
「ええ、ありますよ。でも何年も前ですから、今のことはわからないです。」
「わかる範囲のことを教えてもらえばいいからね。レムスから山を越えて西に行ったことはある?」
「レムスからはないです。」
「他の街からは行ったことあるの?」
「はい、レムスの南にあるファラリアという街から山を越えました。ファラリアは俺が前に店開いてた街です。」
「あっ、そうなんだ! ねえ、ファラリアってどんな街?」
「どんなって、普通の田舎街ですよ。商人たちの往来は多かったかもしれません。俺がファラリアで店を出したのも、そのためです。」
「なるほどね。ちゃんと考えていたんだ! じゃあ、特産物はある?」
「特産物ですか? ちょっと思い浮かばないですねぇ。しいて言えば、パンの種類は多かったかもしれません。」
「それは楽しみだ! レムスとの距離はどのくらい?」
「丸一日はかかりませんが、日帰りはキツいですね。」
「なるほど、そこそこの距離がありそうね。じゃあ、ファラリアから山越えの道はどう?」
「どうって、まあ山道です。グレイナーの入会地に行くよりはなだらかです。」
「向こうの街までどのくらいかかるの?」
「そうですね、ファラリアを朝早く出れば夕暮れどきには辺境伯様の街に着くって言われてます。途中の村に宿がありますから、普通はそこに泊まります。峠のあたりには無人小屋もあります。」
「それなら途中の村で泊まった方がいいかもね。辺境伯様の街はどう?」
「ごちゃごちゃしてますが、ファラリアよりにぎやかです。それと俺はそんなに行ったことないですが、山を一つ越した先に割と大きい迷宮があります。」
「あっちにもあるんだね。機会があれば入ってみようかな。」
「なあ、マスター。今度向こうの街に行ったら入らないか?」
フルーが、迷宮があると聞いて口をはさむ。
「どうかな、下調べしてよさそうなら、その次の機会に寄るかも。」
「そうか。」
ちょっと残念そうである。
玲奈はダダクラから必要な情勢は聞き出せたと判断した。
朝食後、しばらくは図書館から借りた本を読んだ。
お昼過ぎになると、玲奈はレムスに飛んだ。
道路状況を調べるためである。
商業組合などに行って聞き込み、レムスから辺境伯領へ行く道はファラリアからの道程より長く、山中で一泊が必要なこと。
山中に村はないが、代りに泊まれる小屋が二か所あること。
門番に尋ねると、東側の城門だけ夜間でも通行可能なことを聞き出した。
これらの情報とダダクラから聞いた話から判断して、早朝にレムスを発ちファラリアを経由して山中で一泊、翌日早めの時間に辺境伯領の街にたどり着く予定で行くことにした。
グレイナーの城門では守衛をしている騎士に依頼して、明朝早くに旅程の都合で通行させてもらえるよう依頼した。
帰宅した玲奈は、フルーとギリムに、明日早朝に出発してレムスからファラリアを経由して道中で一泊して辺境伯領の街に出かけるので同行するように告げた。
朝が弱いギリムは難色を示した。
「すまねえけど俺は朝が弱いんで、もう少し遅くならねえか?」
「日の出や日の入りは待ってくれないからね。明日は私も起こすよ。」
「起きなかったら最悪置いてっても結構です。」
「うん、最悪フルーと二人で出かけるから。」
残り人員には明日明後日の指示を出しておいた。
玲奈も支度に追われたが、明日に備えて早めに休んだ。
翌朝まだ暗いうちに目覚めた玲奈が庭に出てみると、星が瞬いており、空は晴れ渡っているようだ。
彼女は室内に戻り、二階に昇るとフルーとギリムに声をかけた。
フルーはうっそりと起き上がったが、ギリムはどうにも無理なようだ。
準備をすませてある玲奈は先に一階に降りて、厨房でお湯を沸かした。
身支度を整えて降りてきたフルーと食堂でお茶とクッキーを口に入れた。
白っぽい外套の下に厚手のセーターを着込み、ニットの手袋と帽子を身につけて出発した。
レムスの東門を出たときには東の空がうっすらと白み始めていた。
玲奈とフルーが吐く息も白い。
東に向かう道をすぐに右に折れ、点在する人家の間を縫って南にすすむ。
間もなくファラリア方面に向かう街道に合流した。
道は平坦で幅はあるがぬかるみもなく歩きやすい。
しばらく歩き続けていると、東から朝日が顔を見せ、西の山を赤く染める。
西側の山並みはなだらかで、山肌のどこにも雪はない。
周囲は見渡す限り黒土の畑だ。
日が昇ると、ときおり荷馬車をひく人とすれ違う。
二人は淡々と一定に、しかしかなりのベースで歩き、一時間に一回ほど小休止を入れながら歩いた。
いくつも小さな村を通り過ぎたが、お昼にはまだ早い時間に城壁を備えた街の姿が見えてきた。
城門から中に入ったファラリアは、お昼には間があるためか開いている店も少なく閑散としていた。
玲奈はこの街にお昼過ぎに着き、ゆっくり食事をして夕方に村に着いて泊まる予定だった。
しかし思ったより早くファラリアに着いたので彼女は欲を出した。
ファラリアを早めに出発して村で泊まらず通過して峠まで行って泊まる。
そうすれば、明日の辺境伯領の街での滞在時間を延ばすことができる。
そこまで考えた玲奈はフルーに予定を手短かに説明すると、休む間もなく行動に移った。
中心部に近い商業組合に行くと、登録されている薬屋のリストを見せてもらい店名と所在地をメモに取る。
世間話をする体で峠道の状況を尋ねたところ、昨日山を降りてきた隊商によると路面は安定していたとのこと。
その隊商に限らず、峠を往復する馬車は護衛を連れているのが一般的だそうだ。
治安は必ずしもよいとは限らないらしい。
商業組合の建物から出た玲奈は開いているパン屋を探してパンを買い求めた。
それがすむと開いている食堂を探して、かなり早い昼食にした。
スープと焼いた肉をほおばる玲奈とフルーに女将は朝昼兼用かと話しかけてくる。
玲奈がこれから山越えと答えると感心された。
気をつけてと送り出されて、二人は西に向けて歩き出した。
西の城門を出てしばらく進むと畑の中の小さな村を通り過ぎる。
なおも進むと川に行き当たった。
石造りの橋があり、渡って進むと道は川の上流方向へと向きを変える。
川沿いの道をいくと山が迫ってきた。
ちょうど登りにかかるところまで進むと、道沿いに家並み細長く延びる村に着いた。
中を歩くと宿屋が二軒見つかったので、ダダクラが言っていた途中の村とはここのことであろう。
山の中にある村だと思っていたので、意外とファラリアに近く、ここに泊まらず峠まで行くつもりで来てよかったと玲奈は思った。
隊商が行き交う街道沿いのためか、この村には宿屋のほかに食堂や道具屋も店を開けていた。
これから登り坂にかかるところでもあるので、玲奈はフルーを連れて食堂に入りお茶を頼んで一服入れた。
隣のテーブルには商人風の男が三人座っていた。
話しかけるとファラリアの商人たちとわかった。
彼らは馬車を三台連ねて護衛を雇い、峠を越えて辺境伯領まで買い付けに行くのだそうだ。
彼らのリーダー格の男が言うことには、今から急げばデュリシーという辺境伯領の街までは無理でも、峠には日没まで着けると聞き、玲奈たちはすぐに出立することにした。
はじめ、道は川に沿っていたが、やがて川が右に屈曲すると別れて、葉を落とした木々の中をゆるやかに登るようになる。
今回はギリムがいないので、林の中に入ったときから玲奈は歩きながら周囲に魔力を慎重に放ち、魔力探索を始める。
魔力を感知できる人か魔物にはこちらから存在を教えかねない行為であるが、視界がきかない木々の間では、不意を突かれないために必須だ。
出力を抑えたり方向を絞ったりして逆探知されないよう気をつかっているが、たまにとらえるのは小さな鳥かリス、ネズミくらいである。
降ってくる馬車とは二回すれ違ったが、同じ方向に行く人たちを追い抜くことも追い抜かれることもなく進む。
一本調子の登りが終わると尾根に出た。
木立がまばらになり、いくらか視界が開ける。
いつの間にか日は西に傾いていた。
道は起伏を巻いて左右に大きく蛇行するようになる。
後ろを振り返ると、木の間越しに遠く平野がオレンジ色に染まった。
所々道幅が広がり、馬車がすれ違えるようになっている。
峠が近づくにつれて日は低くなり、やがて西の稜線に姿を消した。
あたりが急に暗くなる。
間もなく玲奈の魔力探索が少し離れたところで一群の動くものをとらえた。
そろって同じ方向に移動しているところから、人か魔物であろう。
数えると五人、もしくは五匹いるが、途中で一つ合流して六になった。
数十メートルの距離が徐々に縮まると、木々の間に動く影が見える。
玲奈の目では細かいところでは見分けられない。
彼女は前を歩くフルーに声を落として話しかける。
「フルー、左側の斜面を見て!」
フルーはハッとして歩調を緩めて左側を凝視する。
「出たな。マスター、あれは野盗の類だ。」
「魔物じゃなくて人間なんだね。この暗さでよく見えるね!」
「ああ、ドラゴニュートはヒト属と違って夜目が効くぞ。この時間帯の戦闘はまかせてくれ!」
野盗たちもこちらをはっきりと視認したのか、距離を縮めつつ先に回り込もうと動きを速めた。
フルーと玲奈は相手の動きを注視しながら警戒して進む。
フルーは左手に円形盾を装着した。
玲奈は相手に向けてかなり強く魔力を照射してみたが、反応がなかったことから誰も魔力感知能力を持っていないと彼女は推測した。
相手からの魔法攻撃はないと判断し、自分の魔法攻撃を考える。
まばらとはいえ林の中なので、火魔法は使わない方がいいだろう。
複数人が不規則に動き回る中では土魔法をピンポイントで当てるのも難しい。
考えがまとまらないうちに道が広がった箇所に出る。
野盗たちはここを襲撃地点と決めたのか、木立を出てバラバラと斜面を駆け下ってくる。
枯れ草を踏む足音がやけに大きく響く。
フルーは玲奈をかばうように一歩前に出て足を止め待ち構える。
玲奈は他にも賊がいないかもう一度魔力探索を使い確認したが、周辺に六人以外はいなかった。
「まさか辺境伯の軍隊ということはないよね?」
「偽装でもしていない限り、あんな無秩序に進み、装備も粗悪で不統一な軍隊はないだろう。体格や武具の手入れ具合からしても野盗で間違いない。マスターは後ろで安心して見ていてくれ。」
「うん、頼りにしているよ!」
野盗たちは道路に降り立ち、行く手をふさぐように広がる。
そして得物を手に喚きながら駆け寄ってきた。
「私は支援に徹するよ。まずは付与魔法!」
火魔法は使えないので、付与効果が高い属性を彼女は選んだ。
フルーには光属性を、自分自身には闇属性を付与した。
左腰に佩た剣の柄に触れ、右腰に付けたナイフ入りのポーチのフタを開ける。
フルーが背中から大剣を引き抜いて構えると、光属性を帯びた剣心が自ら光を発する。
五メートルほどの距離に接近していた野盗たちは思わず立ち止まり、口々に魔法剣という言葉を発する。
「来ないのならこちらから行くぞ!」
フルーは叫ぶと重心を沈めて一気に間合いを詰めた。
前列にいた野盗二人に右、左と剣を振り、一撃で切り捨てた。
残りの野盗はハッとしてあわてて距離をとり、得物を構え直す。
そのうちの一人が大きく左の山側に開くと、その動きを追っていた玲奈と目が合った。
玲奈は相手に接近されるよりかはとポーチからナイフを取り出し、一本、二本と投げつけた。
一投目ははずれたが、二投目は相手の右肩口に突き刺さった。
野盗はウッとうめき身をよじった。
その間にフルーはさらに二人を斬り捨てていた。
さらに斜面近くでうめいていた男に駆け寄ると横合いから斬りつけて倒した。
最後の一人はかなわないとみて背を向け斜面を登り逃げ出した。
フルーは追いかけて後ろから足を突いて転倒させると剣を突き立てた。
喚声と怒号が響いていたあたりはうめき声が聞こえるだけになった。
それもフルーが倒れた野盗にとどめを刺して回り、すぐに静寂があたりを包んだ。
フルーと、投げたナイフを拾いに歩く玲奈の足音だけが聞こえる。
フルーが剣から血を滴らせて戻ってくる。
「フルー、お疲れ! 強かったね。」
「私が強いというより、あちらが弱過ぎただけだ。ひとりも武術の心得など持っていなかったぞ。」
玲奈は水魔法で水を出し、フルーの剣と盾を洗い流す。
いつもはよろいや服の返り血も水で洗い流すが、山中の宵闇なので冷えて凍えないように、布巾を取り出して水で湿らせ、よろいと素肌を拭うにとどめた。
「あとは峠の小屋で着替えてね。さて、これをどうしたものか?」
玲奈があちこちに転がる野盗の死体を指差す。
「どうもこうもない。あるいは明日、ふもとの町まで持っていって門番に引き渡すのも一つの手だ。マスターの能力を使えば収納可能だと思うが、イヤか?」
「できれば遠慮したいかな。」
「それならこのまま放っておくか?」
「それもまずいね。魔獣が寄ってくるのもよくないから埋めるよ。」
「好きにしたらいい。」
玲奈は道路沿いの谷側斜面に立つとつま先に魔力をこめる。
土魔法で棺桶二つ分の穴を深めに掘った。
好きにしたらいいと言いながら、フルーは六人の死体を引きずり穴に投げ込んでくれた。
玲奈が再び土魔法を発動して土をかけ埋めた。
あとは所々残る血だまりに水をかけて洗い流した。
乾いていた道にぬかるみができた。
山道をまた歩き出すと、峠はすぐだった。
周辺の木々が切り払われて広々としている。
馬車が数台止められそうだ。
開けた場所の真ん中に石造りの小屋が建っていた。
玲奈がノックしてドアを開くが、カギはかかっていない。
右手のひらを魔法で淡く光らせて室内を照らすと、中の様子がぼうっと浮かび上がる。
木の板で前室と後室に分けられ、いずれも土間で、寝床に使うらしいワラが手前の壁際に積まれていた。
二人は室内の隅に荷物を下ろすと、フルーは血のついた衣類の着替えを始め、玲奈は一旦外に出た。
彼女は枯れ枝や枯れ葉を拾い集め、小屋の脇にあるかまどに入れて火をつけ、持ってきたケトルに水を満たして火にかけた。
着替えを終えたフルーも出てきて、彼も枯れ木や枯れ枝を集めてくる。
こちらは小屋の前に積んで火をつけたき火とした。
お湯が沸くまでの間、軽くストレッチをしながらポツポツと話す。
「誰もいなかったね。」
「そうだな。これから登ってくるのもいないだろう。」
「行商の人や巡回の兵隊さんは来ないだろうけど、別の人が来たりして。」
「だから見張りは立てた方がいいな。」
「それなら私、朝が強いから、最初フルーが見張りやって、中間の時間で起こして!」
「ああ、そうしよう。」
お湯が沸いたのでお茶を入れ、ファラリアで買ったパンや家から持ってきたクッキーをかじり、簡素な夕食にした。
食事がすむとフルーは武具の手入れをする。
玲奈も使ったナイフに軽く砥石を当てながら話をする。
「さっきドラゴニュートは夜目が効くって言ってたけど、今の明るさでも見えるの?」
「たき火の側にいると瞳孔が開くから厳しいな。そうでなければ、星明かりのあるところは見えるぞ。」
「すごいね! ひょっとして夜行性?」
「純然たる夜行性ではない。二光性とか薄明薄暮性とか言うべきか。」
「それって?」
「ああ、エカエリ諸島は特に日中気温が上がって暑いだろう? だから午睡をとるんだ。朝から昼まで起きて、午後仮眠を取って、また夕方起きて夜中まで活動するんだ。」
「それいいね!」
「そうか? 気候のためもあるが、船上でも利点はある。風向きが変わるのは朝や夕方が多いので、その時間帯の活動量が重要なんだ。」
「なるほど! 生活習慣に根差しているんだね。」
「いや、生活習慣と目の特性に関連があるかどうかは私にはわからない。」
「そりゃそうだ! じゃあ獣人は夜行性なの?」
「種族によるとしか言いようがない。」
「種族によってちがうんだね。そう言えばさっきヒト属は夜目が効かないって言ってたけど、人間だけでなく亜人もそうなの?」
「私も直接は知らないし又聞きだが、エルフ は森に棲み昼行性だと言うぞ。」
「へえ、そうなんだ!」
ここでフルーはたたずまいを玲奈に向き直った。
「ところでマスター、聞いて欲しいことがあるのだが、かまわないだろうか?」
「うん、いいよ! 話してみて!」
「今日立ち寄ったファラリアで薬屋に出向いてポーションを売ることはしてないだろう?」
「そうだね、やってないね。でも商業組合ではちゃんと場所を調べておいたよ。」
「調べたことはいいことなんだ。ただ、できれば一歩進めて、薬屋まで出かけてポーションを買い取ってくれるよう交渉してきてもよかったのではないか?」
「うん、時間があればそうしてもよかったね。売れれば収入になるし、売れなくても次回以降に顔をつなげて販路を広げられるし、相場もわかるもんね。」
「そう、販路を広げるのが大切なんだ。」
「フルーには切実だね。でも今のところはスケルター教授が大口の顧客になってくれてるから大丈夫だよ。」
「それは“今のところ”だろう?」
「どういうこと?」
「私が見た限り、教授は野心家のように思われるんだ。」
「若くして実家の後押しもなく教授になっているくらいだから、まあ野心はあるでしょう。」
「その野心を妨げているのが、戦闘はしたくないという本人の思いと、ポーション調合よりも付与魔法の使い手として遇されたいというこだわりだ。」
「それ、実際に本人の口から聞いたね。」
「もしこの二つのうちいずれかでも本人が腹をくくって妥協するか、どちらもかなえてくれる寛大な人物、特に国外の王侯貴族が現れたらどうだ?」
「あっ!」
玲奈はやっとフルーが持つ危機感の全貌が見えた。
スケルター教授はポーションを買い上げることで玲奈の大きな収入源になっているが、学園内や王宮内だけでなく、国外からの動きによってもそのポストは失われる恐れがある。
「教授は騎士団につながりがあるといっても学園内では非主流で居心地がいいわけじゃないだろうからなあ。優遇を約束した勧誘が外からあればためらう理由は少ないかも。」
「わかってくれればいいんだ。」
「うん、わかったよ。まず明日は薬屋を回ってみよう!」
フルーの表情は読みがたいが、心なしか安堵しているようだ。
「ところで、野盗たちがフルーの剣が光ったのを見て“魔法剣”って言ってたけれど、フルーの認識でもあれは魔法剣なのかな?」
「昔、私の親類で魔法剣の使い手と言われた男がいたんだ。彼は私が物心つく前に引退して、私が剣を習い始める前に亡くなった。そんな彼は魔法をまとうと言われていたと記憶している。」
「当たらずと言えども遠からずか、その親戚の人はどんな活躍をしたんだろう?」
「詳しいことはわからない。ただ剣が強かったらしい。特に船の上では無類に強かったと。」
「詳しいところはともかく、その人がフルーが目指す目標なら、いつか肩を並べられるといいね。」
「そうだな。」
「魔法を教えるなら私でもできるから、少しは力になれると思うよ。」
「機会があったらたのむ。」
「最初は己の内なる魔力を感じとるところから始めるんだ。瞑想をしているのも一つはそのためだよ。」
「そうか。」
「自分が魔法を上達するだけでなく、アメディアに教え始めたでしょ? あれがわかりやすい方法を確立するために役立ってるんだよ。」
玲奈は沈黙を嫌うかのように次から次へとよくしゃべった。
はじめは話に応じていたフルーも、玲奈のテンションが少々おかしいことに気がついた。
夜が更けてますますペースアップする玲奈の舌をフルーが止めにかかる。
「マスター、もう寝ろ! 一日歩いて戦闘もして、かなり疲れているはずだ。」
フルーは玲奈の両肩に手を置き、つとめて落ち着いた口調でさとした。
「そうだね、冷静になるとドッと疲れを感じるよ。さっきも言ったように先に休ませてもらおうかな。」
「そうしろ! なんなら朝まで寝ていてもいいぞ。私が寝ずの番をつとめるから。」
「いやいや、交代で休まなくっちゃ! 明日もしばらく山の中なんだから、前衛のフルーが寝不足では困るよ。」
「わかった。それなら途中で交代しよう。ともかくマスターは小屋に入って休んでくれ。」
「毛布を数枚置いていくから、寒かったら使って!」
「ああ、ありがとう!」
玲奈はフルーに背中を押され、小屋の中に入った。
左手のひらを光魔法で光らせて室内の様子を再確認する。
寝藁を適当に集めて毛布を重ねて敷きシーツをかけた。
持ってきたクッションを枕代わりにして身体を横たえ、その上に残りの毛布数枚をかけて寝入る体勢になった。
手のひらの光を消すと真っ暗闇になった。
外にフルーがいるのだろうが、なにも音が聞こえない。
この静寂は野盗全員にとどめを刺した後に似ている。
さっきは難なく切り抜けたようで、実は危なかったのかもしれない。
野盗に知恵があり、二手に分かれてはさみ撃ちをされると、玲奈も敵に肉薄されたかもしれない。
そうなったら切り抜けられたか?
林の中でも魔法を使った方がよかったのか?
相手がダメージを省みず突っ込んできたらどうする?
剣でどれだけ戦えるのか?
刃がこちらを向いてもビビらずにいられるか?
相手にためらわず剣を振り下ろせるのか?
考えが頭に浮かぶと堂々巡りを始め、脳が熱を帯びて眠れない。
背中には地面の冷たさが這い上ってくる。
心臓の鼓動が大きく聞こえる。
これはまずいと気がつき、思考を無理やり中断させ、大きくゆっくり息を吐き出した。
心臓の鼓動がおさまり、音も聞こえなくなった。
意図的に手足の力を抜いてみる。
筋肉を緩めると、今までガチガチに力が入って全身がこわばっていたことに気がついた。
三回、四回と深呼吸するうち心は凪いできたが、荷物を背負ってきた肩や首の張りを感じた。
他にも歩き詰めだったふくろはぎや足の裏にも違和感を覚える。
寝ながらではあるが、肩と足をゆっくりと動かしてみる。
動き始めは軽い痛みもあったが、狭い範囲でも動いているうちに痛みは感じなくなった。
血行がよくなったのか、背中からくる寒さもマシになった。
身体の違和感がなくなると、暗闇の中で頭はまたロクでもない方向に回り出す。
魔法使いは意外と制約が多くて、戦闘では役に立ちにくいのではないか?
魔力探索を常時使うわけにもいかないので、不意を突かれて肉薄されたらどうする?
敵が一人ならまだしも、二人、三人となったら対応できるのか?
考え出すと不安がふくらんで空転を続ける。
知らず知らずのうちに体に力が入りこわばる。
脳が過熱し、体が冷えていることに気がついて、意識して力を抜く。
このサイクルを一睡もしないまま三回、四回と繰り返していると、ドアがノックされた。
フルーが低い声で中に呼びかける。
「マスター、交代の時間だ。起き上がれるか?」
「あっ、フルー? すぐ外に出るから、ちょっと待って!」
玲奈は毛布をのけて起き上がった。
手のひらに魔法で光をともして周囲を確認する。
暗闇の中で想像するよりずっと、小屋の中は狭かった。
ドアを開けて開いて外に出ると、冷気が身を包む。
幸い風はほとんどないようだ。
フルーが玲奈の顔をのぞき込む。
「マスター、大丈夫か? 疲れが抜けていないなら朝まで寝ていてもかまわないぞ。」
「そういうわけにはいかないよ。フルーこそ少しでも体を休めて! 日が登ったら起こすから。」
「それではすまないが休ませてもらう。おやすみ!」
「おやすみ!」
フルーが小屋の中に姿を消すと、あたりが急にシーンと静まり返る。
ときどきたき火で枯れ枝がはじける音がする。
たき火の脇には、玲奈が休んでいる間にフルーが拾い集めてくれたのであろう枯れ枝が積まれていた。
玲奈はそのうちの数本を火にくべる。
たき火の前に腰を下ろして一息入れると、玲奈は周囲にゆっくりと慎重に魔力を放散する。
自分の魔力の後を追って意識を集中させると、目には見えなくても林の中が把握できる。
近くに人や大型動物はいない。
少し離れた木の根本にネズミかリスと思われる小動物がいるだけだ。
このまま毛布にくるまって座っているのも楽でいいが、またなにか悪い方向に思考が向きそうで怖い。
脳内から雑音を締め出すため、剣を素振りして体を動かすことにした。
今一度周囲を魔力で探索して異変がないか確かめてから、ストレッチで体をほぐした。
それがすむと剣を静かに引き抜き、ゆっくりと正眼に構えをとる。
柄を握る右手と左手の形を整え、剣先に意識を向けて、すり足で半歩前に重心を移動させ一気に剣を振り下ろす。
風のない峠に小さな風切り音が鳴った。
正眼からの振り下ろしを何回か繰り返すと、今度は斜めから袈裟懸け、腰のひねりをきかせて横合いから剣を振ったりして体を動かした。
たき火しか明かりのない闇の中、自分の感覚に集中していると、剣に対する微妙な扱いにくさを感じた。
玲奈は剣を両手で握るが、フルーをはじめこの世界の剣士は片手で剣を振り回し、もう片手に盾を持つことが多い。
彼女の短剣もこの扱い方にならった片手剣だと思われ、彼女の小さな手でも柄の長さが少し足りないように感じられる。
重心ももう少し手元に近いところにあった方がコントロールしやすい。
帰ったら鍛冶を手がけるスドンにリクエストしようと思ったが、邪念が浮かんでいるとも感じて、剣を振ることだけを考えた。
しばらく繰り返して体が熱を帯び始めたところで、ひとまず一休みして手ぬぐいて汗を拭く。
深呼吸を繰り返して息が鎮まると、再びゆっくりと魔力を周囲に放散させる。
毛布を身にまとってたき火の前に腰を下ろし、周囲の様子をうかがう。
小動物は見当たらなくなったが、その他は変化がなかった。
そのことを確かめて、玲奈は魔法を練習した。
光魔法だと遠くから見られてしまう恐れがあるので、闇魔法を使って指を黒く染めた。
ひとしきり魔法の練習をしているうち、足元、背中から寒さが這い上ってきた。
今度は毛布を置いて立ち上がると、再び剣を抜いて振った。
しばらく剣を振って体が温まると、また腰を下ろして魔法の練習を行う。
このサイクルを三回繰り返した。
サイクルが四回目に差し掛かると、東の空が白みはじめた。
剣を振って体が温まると、今度は腰を下ろさず峠の周辺を見て回った。
小屋の裏手からは稜線の上を踏み跡程度の道が続いている。
玲奈は分け入って歩いてみたが、けもの道か地元のハンターや木こりが使う道が判然としない。
道に迷いそうな気もしたので、ほどほどのところで引き返した。
玲奈は小屋の前まで戻ると、これから進む辺境伯領の方向に行ってみた。
街道は峠の平坦部を抜けると、緩やかな斜面に従って降りている。
玲奈は街道を西へ、辺境伯領側へ歩いてみた。
少しいくと斜面の反対側から登ってくる細い道が街道に合流しており、なにか標識のようなものが立っている。
彼女がそこまで下って標識のような木の板を見ると、そこには“みずば”と書かれていた。
細い道の先に水をくめる場所があるらしい。
彼女は興味をひかれて急な細道を下っていった。
しばらく下ると道はゆるやかになり、まもなく窪地のような地形に出た。
岩陰から水がポタポタとしたたり落ちる。
彼女は手を差し伸べて両手の手のひらでしずくを受け止めた。
水は澄んでいたが、気温ほどは冷たくなかった。
口をつけると一息に飲み干した。
屋外では自分が魔法で出した水を飲んでいたので、自然の湧水を飲むことは新鮮な体験だった。
次に顔を洗ってみた。
同じように手のひらに貯めた水で顔をこすると、たき火ですすけた肌が洗い流された。
玲奈はさっぱりした気分で水場を後にした。
往きに下った坂は帰りに登ると急に感じられた。
息を切らせて峠に戻った玲奈の目に、東の稜線から登る日の光が映った。
ふと小屋を見ると、正面の左右両端上部にフックがあり、なにかハンカチ大の布が引っかかっている。
向かって右、東側の布を広げると、交差する杖と王冠、エリュシオール王国の紋章だった。
西側はと見れば、水色地に白い翼をあしらった模様で辺境伯の紋章であろうか。
小屋の周辺から離れていたが、魔力探索をかけても特に異変は感じられなかった。
消えかけていたたき火に枯れ枝を足して再点火し、かまどにも火を起こす。
水を入れたケトルを火にかけてから、小屋のドアを叩いて呼びかけ、フルーを起こした。
寝起きのいいフルーはすぐに起きて外に出てきた。
お湯が沸くまで二人でストレッチして軽く体を動かした。
ケトルが蒸気をたてるようになると、お茶を入れてパンで朝食をとった。
寝具に使った毛布やシーツ、クッションを収納して、火の始末をして出発した。
水場への道を分ける地点で玲奈はフルーに声をかけた。
「この先に水場があるよ。寄っていってみる?」
「いや、やめておこう。急坂のようだし、体力や時間を失うだけだろう。」
「そう?」
「ああ、マスターやアメディアがいてくれると飲み水の心配をしなくてすむんだ。」
「フルーがいいならそれでいいや! それじゃ行こうか!」
二人は坂道を下って進む。
東の王国側に比べて、西の辺境伯側がいくらか傾斜がゆるいようだ。
「フルーが起きる前に少し剣の素振りをして気がついたんだけど、自分の剣は柄が片手で握る長さしかないんだよ。」
「それはそうだ。」
「でも両手で握った方がしっくりきたんだ。フルーは両手剣の使い手って見たことある?」
「両手剣か? 体勢によっては一時的に左手を添えることはあるだろう。しかし常時両手を使うような剣術は聞いたことがないな。変わった流派があるものだ。」
「流派かどうかはわからないけれど、私が子供のころ見た剣士は両手剣だったよ。」
「その剣士は両手で剣を握っていたとすると盾はどうするんだ? 防御が難しいだろう?」
「盾は当然使ってなかったね。相手の攻撃を剣で受け止めるというよりも、かわしたり受け流すのが主なんだと思う。」
「やはり変わった流派だ。その剣士が健在なら会ってみたいものだ。」
「もういないと思うけどね。」
「そうか。」
玲奈は話題を少し変える。
「フルーの親族の魔法剣士って、どんな活躍したの?」
「私も直接見聞きしたわけではない。伝えられるところによると、さる悪名高き海賊との海戦で活躍したそうだ。敵の旗艦に先陣を切って乗り移り、海賊の首領を斬ったとのことだ。」
「大活躍だったんだね! でも船の上で火の魔法剣は使いどころが難しいんじゃない?」
「私も詳しいことはわからない。恐らく火とは別の属性を使ったのではないか。」
「なるほどね。」
振り返ったフルーが眉を寄せているのが玲奈から見えた。
表情の変化が少ないフルーには珍しい。
昨日からほとんど寝ていなくてテンションがおかしくなっているのは自分でも気がついていた。
「フルー、心配してくれているんだね? 足元がフワフワと飛んでいるようだし、精神状態もおかしいかも。自分でもわかっているから、周囲も念入りに警戒するし、歩くのも慎重に、慎重にゆきます。」
フルーは玲奈の言葉が聞こえたのか、眉を開き、わずかに歩調をゆるめた。
道中はしゃべり続けたわけではないが、ときおり会話をしつつ、その合間に玲奈は魔力探索を行う。
害のなさそうな小鳥の他は、特に気になることもなく下る。
林の切れ目で視界が開けたところで一度小休止したが、木の間にこれから行く辺境伯領が見える。
平原が広がる地形というよりは、低い丘陵地が多いようだ。
峠道を半ばまで下ると、葉をつけたままの常緑の樹木がところどころかたまって生えている。
東の王国側は葉を落とした落葉樹ばかりだったので植生が異なっており、気候も違いがあるのかもしれない。
山の上と比べると傾斜もゆるくなっている。
早朝に麓を出発したらしい馬車とすれ違う。
さらに下りると常緑樹の林の中を進む。
枝が払われ、下草が刈られて、明らかに人の手が入っている。
人里が近いのかもしれない。
緑が茂る林を抜けると、広々とした牧草地に出た。
こちらは一転して枯れ草色で、動物の姿はない。
道の両側には木の柵が続く。
そのまま下りていくと、道の先に家並みが見えて来た。
簡素な木製の門を入ると、柵で囲われた村の中を街道は進む。
馬をつなぎ出発準備をする馬車がいる。
この村に泊まるか立ち寄ったところであろうか。
王国側の麓の村と同じ役割をこの村も果たしているのかもしれない。
街道沿いには宿屋や道具屋、食堂があり、宿場町の体をなしていた。
玲奈は食堂で腰を下ろして一休みしたくなったが、その前に人に聞いて村長宅を訪ねた。
アポイントなしでも村長は快く会ってくれた。
白髪も顔のシワも見当たらなく若く見える村長は、玲奈から峠付近での野盗との一件を聞くと、あとはこちらでと言って話を引き取った。
村長は、若いのにお強いのですねと言って微苦笑を浮かべて玲奈たちを見送った。
用事がすむと二人は食堂に向かった。
朝食の時間はとうに過ぎていたものの店は開いており、昼食には早いので他に客はいなかった。
後片付けしている主人に頼んでお茶を出してもらった。
決して上等でないひねた香りがするが、温かな液体を口に含み、イスに深く座り直すと、玲奈は睡魔に抵抗できなくなった。
首がカクッとなり、玲奈は目を覚ました。
どうやらうたた寝をしていたらしい。
フルーが寝入る前と同じく静かに見守っていた。
「フルー、ごめん! ついうとうとしてたみたい。恥ずかしいところを見せてしまったね。」
「いや、全然恥ずかしいことではないぞ。それだけ体力も気力も使ったんだ。」
「それはフルーも同じじゃない?」
「いや違うぞ。マスターはギリムの分も働いていたではないか!」
「そっか! 索敵もしていたのは確かだし、そういうことにしておこう。ところで、私はとのくらい寝てた?」
「大してたっていない。まだ昼前だ。」
見回すと、食堂の中は相変わらず玲奈とフルーだけしかいなかった。
「一息ついたし、そろそろ行こうか?」
玲奈は代金を払い外に出た。
フルーが先に立って歩き始める。
歩き出して彼女は、自分の体の感覚が休む前と変化していることに気がついた。
休む前はフワフワと飛んでいるように体が軽く感じたが、今は地中に引き込まれそうなほど体が重い。
体の重量に服と装備品、荷物の重みが両足にのしかかる。
下り坂から平坦に近い道に変わったこともあるかもしれない。
フルーは休む前と同じペースで歩き続け、玲奈は気力を奮い起こし、ストライドを伸ばして追いかけた。
村を出て疎林を抜けると、周りは黒土の畑が広がる。
道はすっかり平坦になる。
馬車と何度かすれ違う。
小さな農村を通り過ぎる。
行く先に城壁が見えてくる。
ここあたりから往来に人や荷車が増える。
沿道に人家が立ち並ぶようになる。
軒先で軽く飲食ができる店がちらほらとあり、そこで休んでいる人をながめながら歩いていると、城門が近づいてきた。
門は広く開け放たれ、門番はいるが検問されることもなく中に入ることができた。
城壁には、峠の小屋で見た翼をかたどった旗と、緑地に糸巻きを描いた旗の二枚が対になって翻っていた。
門から入った通りは、王都エリュシオールや城塞都市グレイナーと違い、それほど広くもなく、真っ直ぐでもなくカーブしながら続いていた。
元の地形に沿っているのかもしれない。
この通り沿いにワープポイントがあるのでタッチした。
さらにもう少し進むと屋台が連なるにぎやかな通りに出た。
この通りがこの街デュリシーのメインストリートのようだ。
お昼時ということもあって、たくさんの人が通りを歩いている。
初めて訪れた街、屋台を飾る雑多な物、食欲をそそる串焼きや焼き菓子の匂い。
重かった玲奈の体が再び軽やかに動き出した。
彼女は空腹を覚えたがこらえて、先に商業組合で薬屋の所在を確かめることにした。
通行人に尋ねると、商業組合の事務所はすぐ近くだった。
組合の窓口で昨晩の野盗の一件をサラリと告げた後、薬屋のリストを見せてもらい、行きやすい場所にある薬屋の所在を何軒か確認する。
そのついでに、世間話にかこつけて情報収集も行う。
「屋台が多くて、にぎやかでいい街ですね。」
「その分ごちゃごちゃしてますけどね。屋台はデュリシーの自慢ですよ。」
「ほかの街の屋台となにが違うんですか?」
「まず数や扱ってる物の種類が多いことですね。あとは内輪の話ですが、仕切っているのが私たち商業組合、正確には商工会議所であることです。」
「商業組合と商工会議所は違うんですか?」
「はい、商工会議所は商業組合のほかに職工組合、近郊の村の協同組合などが参加しています。西方辺境伯様の傘下で、デュリシーの市政運営をまかせられているんです。」
「それで辺境伯様のほかに糸巻きの旗が掛かっていたんですね。」
「はい、糸巻きが商工会議所の紋章です。」
「糸巻きが紋章になるってことは、糸や織物が特産なんですか?」
「そうなんです。毛糸や毛織物は古くから知られた特産品ですね。」
「それは楽しみです。薬屋さん以外にも行きたいところが増えました。」
「ぜひ楽しんでいってくださいね。」
「はい! ありがとうございました!」
玲奈はフルーを連れて商業組合の事務所を出ると、人混みを横切って一番近くにある薬屋に向かった。
店は大通りに面して、さほど遠くない場所にあった。
「ごめんください。」
ドアを開けて店内に入ると、壁際の棚に置かれたたくさんの瓶が目に入る。
植物の根や葉の断片が見える。
間もなく初老の神経質そうな男が顔を出した。
「なんでしょう?」
「エリュシオール王国領から来た者ですが、ポーション調合の心得があってポーションを持ってきているので、もしよろしければ買い取っていただけないものかと思って伺いました。」
「そうですか、買い取らなくもありません。まずは現物を拝見しましょう。」
白髪まじりの店主に促され、玲奈はバッグから取り出すフリをしてアイテムボックスからポーションを二本取り出してカウンターに置いた。
店主は円筒形の機械をポーションが入った瓶に当ててなんらかの測定を行った。
そして顔を上げて表情を和らげた。
「よろしいでしょう。なかなかの品質です。」
玲奈は店主と価格交渉をしたが、王国内の相場と同額で三本買い取ってもらうことになった。
「このあたりは平穏にみえますが、ポーションの需要は多いのですか?」
「街の周辺は平穏そのものです。でも東の山では街道から離れて奥に進むと魔物が現れます。それにデュリシーは近くに迷宮がありますから。」
彫刻のように不動の姿勢を保っていたフルーが身じろぎした。
「需要は少なくないというわけですね。供給は十分なのですか?」
「まあ均衡を保っていますよ。街中で調合している人は数人います。」
「デュリシーはポーションの自給自足ができているのですね。」
「ええ、ある程度までは。」
「ある程度まで、ということは必ずしも十分だとは限らないんですか?」
「足りてますよ。足りてますけれど、余裕があるにこしたことはないといったところです。少量でも安定して供給してくれるなら助かります。」
玲奈は店主と話して、一か月に一回程度ポーションを持ち込むことにした。
また店主からは、辺境伯領にはかつて腕のいい錬金術師がいてポーションを作っていたが、放浪癖があるのか出て行って現在はいないということを聞き出した。
玲奈たちはもう一店舗足を運んでポーションを二本買い取ってもらった。
さらにもう一か所行く予定で大通りに戻ったが、空腹を感じた彼女は昼食にしようと考えた。
屋台を見比べていた玲奈にフルーが声をかける。
「なあマスター、ちょっといいか?」
「なに?」
「ちょうどすぐそこに冒険者協会があるんだ。昼食をとる前に迷宮のことを調べていかないか?」
「お昼にしたいところだけど、まず情報集めるって約束してたね。それに薬屋さんで迷宮の話が出たときにフルー、反応したもの。」
「そういうわけだ。頼めるだろうか?」
「うん、いいよ! お昼の前に冒険者協会で話を聞いてみよう!」
二人は扉を開けて建物の中に入る。
事務所風の簡素な作りの部屋は、お昼時のためか閑散としていた。
玲奈は空いているカウンターに近づく。
「あの、近くの迷宮について伺いたいのですが……」
受付の男性はにっこりと笑顔を見せる。
「それでしたらマップをお求めになってはいかがでしょうか?」
いきなりマップ購入をすすめてきた。
玲奈は少々あきれたが、ポーションを売って手元が潤っていたのでおすすめに従った。
「はい、二階までのマップになります。行きかたですが、南門を出て石碑のところを右に折れて橋を渡ると登り坂にかかります。そのまま丘を乗り越すと『湿地の迷宮』の入り口が見えてきます。」
迷宮は湿地の迷宮と呼ばれていることがわかった。
「デュリシーからどれくらいかかりますか?」
「朝一番で出るとお昼前には着けると思います。」
四時間くらいの道のりだろうか。
他にも、迷宮内は沼地が広がり湿性の植物が茂り水棲ないし半水棲の魔物が多いことを聞き出した。
また、湿地の迷宮は未踏派で浅い階層は木道が整備されているが、深くなると未整備で詳細がわからないとのことで、かなり上級者向けの印象を玲奈は受けた。
受付の担当者は、辺境伯から報奨金も出るのでぜひ踏破するよう満面の笑みで玲奈にすすめた。
上級者向けで、下層階は地形も出現する魔物もわからない、階層数もわからないのに踏破は困難だと彼女には感じられた。
後ろで聞いていたフルーは、迷宮踏破という言葉にやる気を刺激されたようだった。
冒険者協会を出た二人は、もう一軒薬屋を訪ねてポーションを買い取ってもらった。
フルーは湿地の迷宮に行きたいのか、南門に通じる大通りの南側を何度も振り返った。
ようやく昼食にしようと玲奈は入るお店を探したが、お昼から少したっていたので、どの店も空きはあった。
彼女は昨日の奮闘への労いを兼ねて、フルー好みのボリュームのある肉料理の店に入った。
食事の後は買い物タイムとなった。
玲奈はフルーを連れて大通りの露店を冷やかし歩く。
三軒目にポーションを売った薬屋は街の南寄りだったので、中心部とは雰囲気が違っている。
街の住人ではなく、近郊の村から農民が農産物を持ち込んで売っていた。
そのうちの一つ、香草を売っている屋台に玲奈は目を止めた。
丸くて小ぶりな葉が清涼感あふれる香りをたたえている。
玲奈は売り子の女性に断って、乾燥した葉を一切れ二切れ手に取って鼻先に持っていく。
さらに口に含んでみた。
さわやかな中にほろ苦さとわずかな刺激性がある。
この香り、味はオレガノ、あるいはマージョラムだろうか?
肉料理の味付けにバリエーションを増やせると考えると買わない選択肢はなかった。
玲奈は人のよさそうな農家のおばさんから二袋買い求めた。
彼女によると、冬場は乾燥したものしかないが、それ以外の季節は生の葉もあるとのこと。
また屋台を置いている場所は近郊にある彼女の村、正確には村の協同組合が権利を持っていて、生産農家が順番で出張ってくるそうだ。
玲奈は近くにある屋台も見て回った。
他の村もそれぞれの特産物も並べた屋台を出していた。
暖かい季節にまだ至ってないため、新鮮な産物は少ない。
玲奈は乾燥させた野菜や果物を買った。
そぞろ歩きで中心部に戻ってくると、扱っているモノに違いを感じられる。
串焼きや軽食の他に、衣服や食器、生活用品を扱っている屋台が増える。
古着はさすがに皇都パルピナほどではない。
それでもニットは本場だけあってパルピナより安く種類も豊富だ。
ミトン
室内用ソックス
ポーチ
キャップ
マフラー
玲奈は目につくものを次々に買い求めた。
ニット製品を買い込んで満足すると、次に彼女は食品を探した。
露天とは違う筋の食べ物も見てみたいと思ったので、高級そうな店舗に入ってみた。
身なりのよい店員に、香辛料や香草を見せてくれるように頼んだ。
最初に店員が棚から出してきた小さな壺には黄色いペーストが満たされていた。
玲奈の手のひらにすっぽり収まった壺の口からは土っぽい匂いの中にピリッとした風味が混じっていた。
彼女はこの匂いに憶えがある。
マスタードだ!
店員に用途を尋ねると、辛味だと言う。
肉だけでなく、パンにもゆでた野菜にも使えそうだ。
実を完全にはすりつぶさず、粒が少し残っているカラシを小さな壺に二つ買った。
次に店員が出してきたのは、紙の袋だった。
ウイキョウという名を教えてくれる。
中には楕円形の小さな草の種が入っている。
匂いをかぐと、いかにも草の青々とした香りが鼻腔を刺激する。
単体だときついが、肉の臭みを消したりスープに香味を添えたりといった使い道が思い浮かんだ。
店員に用途を尋ねると、そのうちの一つとして漬物という言葉が出た。
現物があると言うので、さっそく持ってきてもらう。
瓶に入ったそれは残念ながらぬか漬けではなかった。
それは白菜ともキャベツともつかない葉物野菜を酸味のある液に漬け込んだものだった。
漬け汁にはカラシの粒やウイキョウの種が浮かんでいる。
ことわって試食させてもらうと、ザワークラウトに似た感触だった。
肉料理のつけ合わせによさそうだ。
玲奈は漬物を瓶一つ、ウイキョウも一袋買った。
店の外に出ると日は西に傾き始めていた。
デュリシーをワープポイントに加えたので、帰りは山越えをすることなく、ポータルワープでグレイナーに帰り着いた。
重さのある瓶や壺もアイテムボックスに放り込めば運ぶのに造作もない。
自宅の厨房ではアメディアが夕食の支度を始めていた。
「ただいま! 留守番お疲れ!」
「お嬢様、お帰りなさい! こちらはなにごともなく無事でした。」
「こっちも無事帰ったよ。アメディアが留守番してくれているから安心だね。辺境伯の街でおみやげ買ってきたよ。」
玲奈は床に漬物入れの瓶を置き、テーブルの上にウイキョウ、カラシ、オレガノっぽい乾燥した葉を取り出して説明した。
アメディアは鼻を近づけて匂いを確認している。
「これだけあると、味付けにいろいろ変化を出せそうですね。」
「明日からでも試してみよう!」
夕食後、食堂で旅の話をしているうちに、玲奈は疲れからか急な眠気に襲われた。
普段ならこの後に本を読んだり魔法の練習をする時間であり、旅行から帰ったなら記録をつける時間でもある。
しかし頭がまともに働きそうにないため、寝室に直行した。
そしてベッドに身を横たえると、深い眠りに沈んでいった。




