◆08 薄命男の残酷な記憶
港町。当たり前だが、海に囲まれている。
海賊船に乗り込むために通らなければならない港には、見張りの兵が大勢いた。船丸ごとを捕らえることができたため、外から助けに来る者はいないと油断はしているだろうが、それでも見渡しの良い港に乗り込む気にはならなかった。
海。やはり油断しているのか、海にまで見張りは居なかった。
ルージュは遠い沖の方から海底を泳ぎ、港からは見えない側面から船に侵入したのだった。
結果は大成功。縛られていた船員達を解き放ち、逃げるよう指示をだしてルージュは暗い海に戻った。
オールトは浜辺の屋敷に居るらしい。
海から建物をうかがえば、貴族の別宅といった様相をしている。大きな庭があり、硝子を使っているのか、中からの光りで建物全体が夜の闇に輝いて見えた。さながら灯台のようだ。
「不思議……懐かしい、なんて」
誰もいない砂浜で、影になるところからルージュは上がり、屋敷を見る。
奇妙な感覚だった。
覚えのある光景、既視感を感じる明かり。前世だ何だと夢見がちな者は言うのだろうが、どこかで見て、忘れているだけだろうと軽く考えた。今はそんなこと気にしている場合では無い。
ルージュは持っていたぼろ布を砂浜に捨てた。屋敷に忍び込むには、見られることより動きやすさを優先したい。
屋敷の庭に見張りは居るが、それなりの広さがあるために易々と通り抜けられた。二階につきでているのはバルコニーだろうか、窓が開いているため、そこから侵入できそうだ。
ルージュは素早く蔦を使いながら、二階へと登った。
「そんな……だめですよ……怒られてしまいます」
「記憶が無いというのはすごく心細い事なんだ。人恋しくて仕方がない。どうか少しでもいいから慰めてもらえないだろうか」
「……」
ルージュがバルコニーに上がると、部屋の中からオールトと女性の声が聞こえた。妖しげな会話に眉を潜めながら、硝子張りの壁を影からのぞき込む。冷たい潮風の吹く外とは違い、部屋の中は暖かそうだ。
「駄目……だろうか?」
「いえ、その……少し、……だけなら。内緒ですよ」
オールトと、侍女らしき女性が向かい合っていた。
オールトはゆったりとした黒いローブに身を包んでおり、金糸があしらわれたそれは、着ている者を高い身分だと知らしめている。黒髪は艶を増し、屋敷の暖かな明かりに照らされる顔は妖艶に笑っていた。
彼が居る部屋は一家族住めるほどに広々としており、置かれている家具も、職人の技巧が細部まで行き渡っている高価なものだ。
ルージュにはオールトが別世界の人間に見えた。……事実そうなのだろう。
まるで別人のように高貴なオールトの姿に、ルージュは思わず硝子に手をついた。見えるのに、入ることは許さないとばかりに、硝子はルージュを遮る。
かたりと小さな音を立ててしまった。
「……あら?」
侍女がこちらを見る寸前。
彼と目があったのは一瞬。
オールトは突然、ルージュに背を向けさせるように侍女の腰を抱くとそのまま女性に口づけた。
「また後で。人払いしておくといい。ゆっくり準備しておいで」
「……っ、失礼します!」
その美貌で誘惑されれば、誰もが断れないのだろう。侍女は赤面すると、慌ただしく部屋を出て行った。
赤毛をおさげにした、かわいらしい女性だった。ルージュは意味もなく、影に隠れる。
ルージュを助けるためだとは言え、人のラブシーンを見ていい気はしない。知人だと尚更だ。
もんもんとするルージュに痺れを切らしたのか、オールトはバルコニーに繋がるドアを開けた。
「鍵、かけてなかったんだけどな。来るのが遅い、待ちくたびれた」
「……わたしが生きていることに驚かないんだな。遅くなって悪かった……具合は良いのか?」
「まあな。この町一番の名医に、高い金を払ってまで治して貰った。ルージュが言うように、俺は貴族なのかもな」
オールトはいつもより幾分か良い顔色で、にやりと笑った。侍女に向けた妖艶な笑顔とは真逆。まだもんもんとした気分が残っているのか、ルージュは何とも言えない気分になる。
すると、オールトはバルコニーに出て、赤い瞳で影にいるルージュを見下ろしてきた。
「侍女に人払いをさせた。逃げるなら今の内だ。……さっきから様子が変だが頭でも打ったのか? それともキスを見るのは初めてだったか。もしかしてキスをしたことがないって事は無いよな」
「っこんな時に何を言い出す!? キスぐらいしたことあるに決まってるだろ」
「人工呼吸はカウントされないぞ」
「わかってるよ!」
面白くないなと引き下がるオールトに、ルージュの落ち着かない気持ちは吹っ飛んだ。
「……オールトは此処に残った方が良いんじゃないかと思っただけだ。その様子だと、お前を知る者が居るのだろう? なら、此処でお別れだ」
「あんたも屋敷の奴らと一緒で勝手だな」
オールトの為を思って言った言葉は、当人に冷たく返された。オールトは赤い瞳を細め、不満を露わにして言う。
「覚えてないのに、お館様も糞もあるかってな。俺は此処には居たくない。記憶を失う前の俺がどんなやつだったにせよ、今の俺には関係ないね」
「……海の上では、まともな治療は受けられない。今回みたいに体調が急変したとしても、対処できない。それでも良いのか?」
「此処に残ったって、どうせまた体調を崩す。俺の体はそんなに丈夫じゃないからな、海でも陸でも同じだ。……なあ、ルージュは何しに来たんだ? 俺を助けるためじゃなかったのか?」
不機嫌そうにしながらも、オールトは優しく頭を撫でてきた。指の長い大きな手は、ルージュと違いしなやかだった。
オールトはわかっているのだ。海の上で自分が死ぬかも知れないことを。
このまま屋敷に残れば、具合が悪くなっても悪化はしないだろう。彼は辛い思いをしなくてすむ。
それでも乗船したいと、ルージュに連れて行けとオールトは言っている。
何が彼にそんな行動を取らせているのか、ルージュは気になった。
※登場人物紹介(ネタバレ有り、キャラ崩壊、読み飛ばし推薦、以降追記有り)
*赤いおさげの侍女
何故かオールトに気に入られた赤毛の侍女。館に勤めるようになって日が浅い。真面目で正義感が強い主人公キャラ。流されやすいという矛盾を抱える。
男難の相が出ている。




