氷と雪の竜
防壁の外側、畑が広がっているところに、その白い竜はいた。己の魔力で氷と雪を生み出し、何かの建造物を建てている。初めて見る巨体に、アルトロワの住民は遠巻きに作業を見守ることしかできなかった。
様子を見に来たリリィとユーグも、不安そうな住民に混ざって竜を見学する。
「やっぱり竜だ。見たことない個体だね」
「少し小さい気がする」
古い記憶の中の赤い竜は六メートル近くあったが、あの竜は半分ほどだろう。子供が大きなブロックを積むように、氷の塊を上へ上へと重ねていた。壁を作っているようだが、垂直にするという発想はないらしい。崩れそうで崩れない、絶妙な均衡を保っていた。
ユーグはどこかから紙を出し、現状を書いてから紙飛行機の形に折った。自警団か領主への手紙だろう。空に投げられた紙飛行機は、曇り空の下を風に逆らって飛んでいく。
「あの子の目的は気になるけど、勝手に手出しできないからなぁ」
人が襲われているなら許可を待たずに動くが、畑の上で氷を積んでいるだけだ。
「なあ、あの畑って……」
「領主様の、だよな?」
リリィの後ろで領民が話し合っている。雪に隠れて見分けにくいが、方角は合っていた。
紙飛行機が見えなくなってからしばらくして、道の上に光る門が現れた。リール領で転移門を自由に使えるのは一人しかいない。護衛を伴って現れたフェリクスは、畑の上で遊んでいるようにしか見えない竜を見て、腰の剣に手をかけた。
「よし、斬るか」
「結論を出すのが早すぎませんかね」
フェリクスを出迎えたユーグは脱力して言った。
「当然だ。あいつの足元に何があると思っている。獣に荒らされて整地したばかりだというのに、今度は竜だと? ふざけるな」
「かなり怒ってるねぇ」
集まっていた領民たちは、領主の機嫌を察して距離を置いた。視線を逸らして何も知りませんといった態度で、それぞれの畑に帰ろうとする。護衛の男、ネストリはそんな領民を捕まえて、竜が飛来した時の状況を聞きだしていた。
「領主様。あの竜は突如、空から現れて氷の壁を作り始めたそうです。最も近くにいた領民に何かを言っていたようですが、言葉が分からなかったと」
「直接、問いただすしかないようだな」
竜がいる方へ歩き始めたユーグ達の後ろを、リリィもついていった。外出許可が出たばかりのユーグに無理は禁物だ。いざとなれば結界で守るつもりだ。
「こいつの監視役か? すまないな」
「私が選んだことだから」
リリィがいることに気がついたフェリクスに労われた。苦笑した顔は記憶の中のフェリクスそのもので、少しだけ目に優しさがこもっているところが変わっていない。
いつかモニカを交えた四人で会えたらいいなと思うが、それはずっと先のことになりそうだ。
近くを歩くネストリは、フェリクスとリリィを護衛する距離にいる。竜を警戒しつつ、マフラーを引き上げて顔の下半分を覆う。防寒というよりも、顔を隠すことが目的のように見えた。
竜の姿を見た時から目立たないようにして隠れたがっていたようだが、何か関わりたくない事情があるのだろうか。
畑にいた竜は近づいてくる人間に気がつくと、作業を止めて後ろ脚で立ち上がった。少しでも自分を大きく見せたいのか、背中の翼も広げている。
「喜べ人間ども! この地は我が支配してやろう!」
「あ゛?」
「ひっ……」
フェリクスが殺意を込めて聞き返すと、竜は体を震わせて翼を畳んだ。
大きな体に見合わず肝が小さいと言いたいところだが、リリィもユーグの腕を掴んで怖さから逃れようとしたので同類だ。涼しい顔をして立っているユーグとネストリが羨ましい。
「リリィさん、男を惑わせるものを僕の腕に押し当てないで下さい」
「ふ……不可抗力、だから……」
リリィはそっと腕を解放した。バカな発言のお陰で威圧の恐怖は紛れたものの、素直に感謝したくない。落ち着かない気持ちになったリリィは、見えない結界で自分たちを包んだ。
「周囲に良くない魔力が満ちておるぞ。人の力では災厄を防げぬであろう? 我が守護してやろうと言っておるのに」
「余計なお世話だ。今すぐ立ち去らないなら、その羽を斬り落とすぞ」
再び羽を広げた竜が提案するが、フェリクスは腕組みをして高圧的に言い返す。竜から聞こえてくる声は幼く、偉そうな言葉遣いと全く合っていない。見た目が竜でなければ、子供のままごとに付き合っているような気持ちになる。
「強がりは止せ、人間よ。なに、見返りなど求めぬ。我専用の城は自分で作るゆえ。どうしてもと言うなら、貢物は受け付けておる」
「交渉決裂だな。アルトロワが混乱している時期に、面倒な奴の相手までしていられるか」
「ちょっと待って」
リリィは今にも斬りかかりそうなフェリクスと竜の間に割って入った。
「人間同士で相談してくるから、待ってて。いいわよね?」
「む? 良いぞ。我は心が広いゆえ、待っていてやる」
「よし。ユーグ、防音は?」
「……ん、発動したよ」
竜に聞こえないなら、何でも話し合える。リリィはまずフェリクス側から片付けることにした。
「面倒な気持ちは分かるけど、竜を始末してどうするの。あれ、子供でしょ? 親の竜が出てきたら人間の手に負えないって知ってるはずよね? ウィンダルムの王都で見たことがあるんだから」
「それは……」
「怪我を負わせて屈服させてから追い返すつもりだろうけど、たぶんあの竜には逆効果だと思う。力を蓄えて遠距離攻撃されたら、人間は手が出せない」
自在に氷を出せる竜なら、上空で塊を作り出すだけでいい。あとは勝手に下へ落ちていき、人間の町に甚大な被害を与えられる。そう言うと、ユーグだけは楽しげに微笑んだ。
「僕なら上空の竜にも攻撃する手段があるけど」
「私が何を言おうとしてるのか、分かってて言ってるでしょ。攻撃は最終手段だから今は隠してて」
「竜と交渉しろと? 取引が可能な相手には見えんが。竜は己が上位だと思っている。気に入らなければ一方的に破棄してくるぞ」
フェリクスのやり方は、ある意味では正しいのだろう。問題は相手が遥かに強い力を持っているという点だ。魔獣のように完全に排除できる可能性が低い。
「あの竜は厄介な力を持ってるけど、そこまで賢くない。でも自尊心は高そうだから、付け入る隙は十分にある」
リリィはユーグとフェリクスに必要なことを伝え、竜との交渉を任せることにした。アルトロワの治安がかかっているので、リリィが勝手に交渉するわけにはいかない。普通の領主なら十代の小娘が言うことに従ったりしないが、前世の縁で信用してくれたようだ。
ついでに用意してほしい物を伝えると、フェリクスは転移門を開いてネストリに申し付けた。用事を申し付けられたネストリは口を挟んできたリリィを不審そうに見ていたが、結局は領主の命を優先して転移門の中へと消えていく。
竜から離れられると知ったネストリが安心したように見えたのは、おそらく気のせいではないだろう。




