雪の日の日常
獣の襲撃から一週間後、アルトロワの町は落ち着きを取り戻していた。
行方不明になっていたドニのことは、悪霊に憑かれて亡くなったとだけ明かされたそうだ。獣の姿に変化したことは一部の者だけが胸の内に抱え、ドニの両親も忘れられることを望んで静かに暮らしている。
冬が到来した町は、辺り一面が雪に覆われて真っ白になっていた。早朝に起きて雪かきを始め、普段よりも遅い時間から仕事を始める。この季節では当たり前の光景だ。
リリィは抱えた小袋を落とさないよう、慎重に除雪された道を歩く。持っているのは高齢の客へ配達する魔石だ。いつも加工済みの魔石を即金で買ってくれる良客だったが、近年は足を悪くしているせいで出歩くことが難しいらしい。定期的に必要な量を聞いて届けていた。
届けた先の家で魔石と料金を交換し、また来た道を引き返す。壊れやすい荷物を持っていないぶん、気持ちが楽だった。
なるべく人が多い道から帰ろうと思い、大通りへ出ることにした。広い道の端を自宅へ向かって歩いていると、自警団の本部がある建物が見えてきた。ここからアニエスの店の前を通って帰るのが早いだろう。リリィは歩きながら帰る道順を考えていた。
本部の前には人が集まっていた。団員にしては小柄だ。どうやらリリィとあまり歳が変わらない女の子ばかりのようだった。また事件でもあったのかと思ったリリィは、彼女たちに囲まれているユーグを見つけた。
声は聞こえないが、当たり障りのない会話で離れようとしている。だが彼女たちがしきりに話しかけて逃さない。強引に押し退けるわけにもいかないようで、対応に困っているようだった。
何となく、面白くない。
対応が手ぬるいとかではなくて、可愛い女の子に囲まれているという状況を目の当たりにしたことが苛ついた。
移住するために『いい人』を演じなければいけないのは理解している。女の子たちは強かだ。そうした弱みを嗅ぎつけて、既成事実を作れないかと狙っている。もちろんユーグは隙を見せることなどないと信じているが、一刻も早く離れてほしい。
――でもはっきり拒絶するのは簡単だけど、後のことを考えると難しいよね。
相手に逆恨みされずに断るためには、きつい言葉は避けなければいけない。一対一ならうまく逃げていただろうが、今回は集団だ。
困っているところを見てしまった以上、無視して通り過ぎるわけにもいかない。自分が乱入すれば解散するだろうかと考えていると、歩く速さが落ちてきた。そんなリリィを見つけたユーグは、女の子たちを遠ざける言葉を思いついたらしく、手際よく道を開けさせた。
「リリィちゃん。いいところに来てくれた」
やや疲れた顔で歩いてきたユーグは、そのままリリィの手をとる。名前を知らない女の子に睨まれたが、そろそろ諦めて放置していてほしい。
「どうやって抜け出してきたの?」
「待ち合わせしてた子が来たから、通してねって」
今日は会う約束をしていないが、逃げる口実に丁度よかったのだろう。話を合わせてくれる知り合いなら、誰でも使えそうな手だ。
「退路を塞がれて、質問責めにされててね。どう逃げるか悩んでたんだ。あれが男だったら、殴って道を開けさせるのに」
「なるほど、そうやって舎弟が増えていくのね」
素晴らしく脳筋な解決方法だ。ユーグはよく帝国人の力技で解決するところを批判するが、自分も染まっていると気がついているのだろうか。
このまま別れるとまた取り囲まれそうだったので、工房まで連れていくことになった。
「外に出るのは久しぶり?」
「うん。やっと外出許可が出たから、自警団に顔を見せに行ってた」
「で、あの惨状だったと」
知り合いに挨拶をしながら歩いてきたのだろう。怪我をしたことはアルトロワ中に広まっているし、自警団で用事を済ませている間に、仲良くしたいと狙っていた子たちが集まってきてしまった。
「この世界の女の子って、外から来た人間に興味ありすぎだよねぇ。僕が凶悪犯だったら、どうするんだか」
「余所者全員に興味があるわけじゃないから、大丈夫よ」
「……もしかして、移住希望者の素行調査を引き受けてるとか?」
「そうかもね」
リリィは説明するのが面倒になった。正直にユーグに興味があるからだと言っても、曲解しそうな気がする。覆面調査員だと思っていれば、今まで以上に相手を警戒して接するようになるだろう。無害そうに見える女の子に囲まれるという状況は、徹底して避けるに違いない。
雪道を言い訳にして、手を繋いで歩いていく。ユーグがいるなら、どの道から帰っても安全だろうと、一番の近道を行くことにした。
「外に出られないし娯楽も少ないから暇でね。せめて素振りしようと小刀を出したら、サボテンが至近距離でガン見してくるんだよ……」
「自分が怪我人ってことを忘れてない? お腹に穴を開けた人が言うセリフじゃないわ」
「もうほぼ完治してるよ。回復魔法をかけてくれたでしょ?」
「たった一回だけね。表面を塞ぐだけで精一杯だったし」
「僕は回復魔法が使えないから、すごく助かったなぁ」
「そうなの? 回復もできると思ってた」
苦手ではなく使えないと断言したことが意外だった。使う魔法に法則が見えてこないので、使えない系統は無いと勝手に思い込んでいた。
「似たようなことが出来るだけ。血の流れを操作して出血しないようにできるけど、怪我そのものを癒すのは無理」
「血を操作するの?」
「身体強化の応用。戦場で腕を斬り落とされても、道具を使わずに止血して、戦い続けられるように考え出された方法だね。この国だと、貴族は必須技能。騎士は習得しているかどうかで出世が決まるらしいよ」
重傷を負っても戦い続けられる技とは、恐ろしい方向に発展したものだ。かつて侵略国家として恐れられていた帝国らしいとも言える。
工房に帰ると、テランスが楽しそうに魔導器をいじっていた。冬の間は加工の仕事が極端に減るので、趣味のことに没頭している。いつものことだ。
「ようやく出てきたか。どうだ、怪我の具合は」
「順調に治ってますよ」
客から預かった代金を金庫に入れ、帳簿に付けている間に、ユーグはテランスの近くに座って世間話を始める。だがすぐに作業台の上に置かれた魔導器に興味が移り、二人で分解しながら性能や構造について盛り上がっていた。
リリィも仕事で必要な知識のために魔導器を分解するが、この二人ほどの情熱は持っていない。
「魔石を入れるのが面倒だから、もっと長持ちする加工はないのかってよく聞かれてなぁ。そんな方法があるなら、俺が知りたいよ。見たことはないが、結界に使ってるのは何ヶ月も交換しないんだろう?」
「あれは製法が完全に秘匿されてますからね。分解しただけじゃ分かりませんよ」
まだ関係者しか知らないんですが――ユーグは少しだけ声を抑えた。
「魔力が通る回路を壁とか天井に張り巡らせて、魔導器に供給する実験をすることになりました。最初は行政棟の一角を改装して、照明から始めます。魔導器は設置した場所から移動させることは難しくなりますが、交換の手間は減るかと」
電気と同じ使い方をしたいのかとリリィは解釈した。家の一部に魔石を設置して、そこから建物全体に送る。似たような構想は各地で現れているそうだが、実現には至っていない。空中に拡散してしまう魔力を、どう目的の魔導器へ送るかが課題だそうだ。
「一般家庭での実用化はまだ当分先のことになりそうですけどね。近いうちに加工の仕事が増えるかもしれません。実験に使用する魔石を、いくつかの工房へ依頼するそうなので」
「さすがにうちには回ってこないだろ」
「分かりませんよ? お義父さんが加工した魔石は、長持ちするって評判ですから」
「おい、お義父さんって呼ぶな」
更にからかってやろうとしていたらしいユーグは、不思議そうに窓の外を向いた。
「どうしたの?」
「何か来た」
「また魔獣か?」
テランスが問い詰める。
「いや……たぶん、竜。どうして来たんだろう?」
意外な生き物の名前に、リリィもテランスもすぐに言葉が出てこなかった。




