強さと弱さ2
平家建ての建物内は静寂としていた。大半が仕事で不在にしているためだろう。
玄関の扉を閉めると雪混じりの風が遮られた。隙間風が入ってこないよう、立て付けがしっかりしてあるようだ。使用人向けの建物といえど手抜きをしていないところに、領主の性格がよく現れている。
薄暗い廊下を進んで、目的の部屋の前に来た。モニカがノックをすると、聞きたかった声で返事が返ってきた。
「ここから先は、お二人だけで」
面会が終わったらサボテンに伝えてほしいと言って、モニカは帰っていった。残されたリリィはゆっくりと扉を開く。
広くはないが清潔で明るい部屋だった。一人用のベッドや机、イスなど必要な家具が揃っている。イスに座ってぼんやりと外を眺めていたらしいユーグは、入ってきたのがリリィだと分かると、振り向いた姿勢で少しの間だけ固まった。
「リリィ? なんでここに?」
「奥様が中に入れてくれたの」
「……大丈夫だって言ったのに」
「人の噂で知らされるところだった私の身になってくれる? 気になってもすぐに会えるわけじゃないんだから」
ユーグはリリィにイスを勧め、ベッドに腰を下ろした。なんでもない風を装っているが、やはり傷口が痛むのか動きが鈍い。いつでも寝られそうな、ゆったりとしたシャツとズボン姿だったところだけは評価できそうだった。
「寝てなかったんだね」
「まだ午前中だよ?」
そんな言い訳が通じるとでも思っているのだろうか。リリィはユーグの頬を両手で挟んだ。抵抗される前に魔力で診察をすると、服で隠れた左の腹部に流れが滞っている場所がある。
「重傷患者が何を言ってるの? 左のお腹に貫通した傷があるでしょ。治るまで大人しく休んでなさい」
「眠れそうで眠れないんだよねぇ。リリィちゃんが寝る前のキスしてくれたら、よく眠れると思うけど」
ここで恥ずかしがって黙っているようでは、見舞いに来た意味がない。ユーグの額に軽く口付けた。
「口にはしてくれないんだ?」
からかう表情でねだられ、リリィの心が揺らいだ。本気で甘えられると、望み通りにしてあげたくなる。要求を言ってくることは珍しいが、今はあえて突き放す方を選ぶ。
「そっちは治ってからね」
「残念。治るまで我慢か」
言葉だけは残念そうに、ユーグはあっさりと身を引いた。無表情を貫いていたリリィは、内心で助かったと安堵する。
ユーグは素直にベッドに入り、小さく息を吐いた。
「どこまで話を聞いた?」
「怪我したってことしか知らない。モニカは悪霊って言ってたけど」
「……行方不明だったドニの中に、負の想念が入りこんだらしいよ。魔王に似た存在だね」
目を閉じたユーグが右側を下にして横になった。リリィはベッドの近くにイスを移動させて座る。
「母親がドニの名前を叫んだ。斬ってもいいのか迷っていたら、刺されたよ」
敵なら容赦なく斬ってきたユーグらしくない。間近で見た親の行動に戸惑い、怪我を負わされるなんて、本人も予想していなかっただろう。それを心の弱さとリリィは思いたくなかった。損得勘定だけではない人の繋がりを理解して、向き合おうとした結果だ。
「事情聴取が終わったドニの両親が、僕に会いに来たんだ。手間をかけさせて申し訳なかったって。どうして謝ってきたんだろう? 僕はあの人たちの子供を殺そうとしたのに」
「私がここに来るまで、そのことを考えてた?」
「うん」
ユーグの髪を撫でると、瞼が開いてリリィを見た。指の間から見えた藤紫色の瞳は寂しそうだった。
「日本とは少し、考え方が違うから。悪霊がドニの体を動かしていて、本人の魂はとっくに空に還った。そう言われたら、この世界の人は死んでいる現実を受け入れる。むしろ早く悪霊から解放してあげたいって思ってるの」
「僕は目の前で首を斬り落とそうとしたよ?」
「首を切られる程度で済むなら、むしろ感謝されるわね。まだ人の形を保ってるでしょ。棺の蓋を開けられないまま葬儀をするのは、寂しいことだって考えが根底にあるからよ。近くに巫女がいなかったら、動けなくなるまで傷つけないといけない」
「だからフェリクスは胸を刺したのか。服で隠れるから……」
再び目を閉じたユーグに、リリィは回復の力を流していった。言葉で、態度で平気だと見せているだけで、隠れているところは怪我だらけだ。素直じゃないところは可愛くないが、弱っているところを知られたくない気持ちは理解できる。
回復魔法の使い方を思い出せて良かった――リリィは最も酷い腹部に力を集中させた。隣で一緒に戦う力はないけれど、支えるには力になれる。
「リリィの魔力は、いつも温かいね。幸せな気持ちになる」
「そうなの? 自分じゃ分からない」
「ダメだ、眠くなってきた」
「無駄な抵抗はやめなさい。ちゃんと休んで、怪我を治して。また家に来てね」
「久しぶりに唐揚げが食べたいなぁ。居酒屋風のやつ」
「鶏肉を仕入れてきてくれたらね」
「任せて。三種類ぐらい、目をつけてる品種があるから」
「食材を見つけてるくせに料理しないところが、あなたらしいわ」
楽しそうな笑い声だけ返ってきた。
やがて完全に眠りに落ちたのか、静かな寝息が聞こえてきた。無防備に眠っている姿を見ていると、心の深いところが温かくなってくるようだった。リリィのことを信用している証だと言われている気がする。
「おやすみ」
手を離したリリィは静かにイスから立ち上がった。起きるまで側にいて寝起きの反応を見るのも面白そうだが、畑の復興作業が待っている。自分の家の畑が終わったら、次は懇意にしている知り合いの農家を手伝う予定だ。
部屋の隅で置物のフリをしていたサボテンに声をかけ、リリィはカーテンを閉めてから部屋を出た。




