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転生した異能者は静かに暮らしたい  作者: 佐倉 百
5章 移り変わる境界

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交わる境界


 遠慮がちなノックの音がした。ドニの父親は半分眠っている頭で玄関へ向かった。


 早朝に人が訪ねてくるなんて珍しい。用心のために暖炉のそばにあった火搔き棒を掴む。玄関の鍵を開ける前に訪問者へ問いかけると、よく知った声がした。


「親父、開けてくれ」

「ドニ!?」


 外に立っていたのは行方不明になっていた息子だった。防寒具だけを身につけた格好は、まるで近所に散歩へ行ってきたかのようだ。


「お前、どこで何をしていたんだ! いったいどれだけの人に迷惑をかけたと思っている」

「……覚えていないんだ。気がついたら広場にいた」

「またそんな嘘を……森へ行ったんじゃなかったのか」

「森?」


 ドニは困惑した顔で首を横に振った。


「本当に覚えてないんだよ。俺、家で寝てたはずなのに、いつ外へ出たんだ?」


 分からないのは父親も同じだった。外へ出ていた間の記憶だけが消えるものだろうか。ただ泣きそうになっている息子には、自分たちを騙そうとしている様子はないようだった。


「……とにかく、中へ入りなさい。夜が明けたら、領主様のところと自警団本部へ行くぞ。いなくなったお前を探すために、さんざん手を尽くしてくれたんだからな」


 父親はドニを中へ迎え入れた。知らない間に自警団を動かす事態になっていたと聞き、ドニは混乱している。この様子では魔獣が町へ押し寄せたことも知らないだろう。まず息子を落ち着かせてから、順を追って話してやらなくてはいけない。


 暖炉に火をおこす準備をしていると、物音に気がついたドニの母親が起きてきた。飼い猫を抱いて居間に入ってきたが、ドニがいることに気がつくと驚いた顔で声をあげる。


「ドニ! あんた、いつ帰ってきたの!?」


 猫が急いで居間から逃げていった。母親の声が原因というよりは、ドニを警戒して唸っていたように見えた。あの猫はドニにも懐いていたので、違和感を感じる。


「……気のせいか」


 父親は二人が言い争いを始めた声を聞きながら、暖炉の中に薪を組んでいった。



 *



 畑の復旧作業に協力してくれている教会を訪れるため、領主の屋敷の前には馬車が停まっていた。


 教会はミケーレ司教の指示で、積極的に薬草や忌避剤を提供してくれている。建物の警備をしている僧兵は人数が少なく、防壁での戦いに参加していない。その代わり獣の浄化を無償で引き受けたり、精神面で不安になった住民へ心の治療を行なっていた。


 モニカが教会の出身とはいえ、フェリクスは宗教から一定の距離を保った付き合いをしていた。


 政治と宗教が過度に結びつくとロクなことがない。幾度も歴史が証明しているのに、同じ過ちを犯すのは愚者がやることだとフェリクスは思う。だが教会が領民を手助けしてくれた時は、可能な限り感謝の意を示すように決めていた。


 領内のことは領内で解決できるようにする。教会の支援はありがたいが、依存しすぎても良くない。


 ――そろそろ、領で運営する治療院のようなものを作るべきか。


 多少の怪我や病気なら各家庭で、それ以外は教会の治療師を頼るのが常識だった。適切な治療が必要な時に受けられるかどうかは、教会側の都合に左右されやすい。特に赴任してくる治療師の腕に差があるため、未熟な者と交代した地方は悲惨だった。怪我を負いやすい自警団にとって、死活問題でもある。


 幸い、リール領の予算には余裕が出てきた。新しいことを始める頃合いだろう。


 考えている間に馬車が動きだした。


「随分と気難しい顔をされてますね。お一人では解決できない問題ですか?」


 苦笑しているモニカの声で我に返った。彼女もまた共に教会へ向かうために隣に座っていた。


「領の予算で治療院を設立するなら、何から手をつけるべきか考えていた」

「教会が治療院を設立する手順を参考にしますか? 魔法の治療は教会がほぼ専売しているところがありますから、全てを真似するのは障りがありそうですね」


 なぜ教会に代わる治療院が必要なのか、モニカは分かっている様子だった。何度か領内の問題点について話したことがあるせいだろう。


「教会と対立しないために、運営目的が教会とは違うと明言しておくと良いかもしれません。あくまで教会が苦手とする分野を補足する形なら、妨害されないと思います」

「一番の問題は治療師の確保か。回復魔法の使い手は教会と帝国で奪い合っている。領内から人材を確保するのも限界があるな」

「魔法に頼らない高度な治療法があれば良かったのですが……」

「魔法以外の治療か」


 無いこともない。騎士団では魔法を使わない治療は珍しくなかった。戦場で魔法が妨害されたときを想定して、様々な治療法が伝わっている。だがそれは一時的な応急処置であり、完治を目的とした治療とは別だ。


 モニカが言う高度な治療は、更に一歩踏み込んだものだろう。


 ――各家庭で行なっている怪我や病気の治療のうち、効果が高いものを領内で共有できたなら。


 まず治療法について広く情報を集め、精査する場所が必要かと、ぼんやりとした像が浮かんでくる。魔法を使わずとも高度な治療ができることは、異世界の知識に触れた経験から知っている。ユーグを巻き込むことは決定だ。


「ここに学校と研究機関が移動してくるなら、責任者に話を持ちかけてみるか」


 たまには人脈を利用してやろうとフェリクスは企んだ。上手くベルトランの興味を引くことができたなら、似たような研究をしている機関を誘致できるかもしれない。


 あの上皇陛下が『動いてやってもいい』と思えるように話を持ちかけるのは、相当苦労するだろう。だが治療院を作る目的を正確に伝えられたなら、研究機関の長との面会に漕ぎ着けられるかもしれない。


 皇帝の位を退いたとはいえ、その影響力は帝国全土に及ぶ。


 国民想いの上皇陛下という姿は、長い年月をかけて作り上げた仮面。その下にある為政者の顔は非常に冷静で、たとえ身内であっても国政の障害になるなら切り捨てる。臣下の尊敬と恐れを集めるベルトランは、生ぬるい理想には決して首を縦に振らない。計画を持ちかけるなら、細部まで煮詰めておく必要があった。


「焦っても仕方ない。まずは具体的な――どうした?」


 馬車の速度が落ち、やがて完全に止まった。まだ教会には程遠い。緩やかな坂道を下りきって、アルトロワの町へ入ろうとしたところだ。


「領主様、ドニです。行方不明になっていた領民が、両親と共に現れました。迷惑をかけたことへの謝罪のため、訪れたと申しておりますが」


 護衛のネストリが馬車の外から告げた。馬車の横を馬に乗って並走していた彼は、どうしますかと尋ねてくる。


「……話を聞こうか」


 モニカに中にいるように言い、フェリクスは馬車から降りた。


 馬車を牽く馬の数メートル先に、初老の夫婦と若者がいた。フェリクスはドニの顔を知らない。人相書きでおおよその特徴を知っているだけだった。


「お待ち下さい」


 彼らの方へ行こうとしたフェリクスの袖を、モニカが掴んで引き止めた。真剣な顔でドニを見据え、フェリクスをかばうように前に出た。


「あなたは自分が何者なのか、知っていますね?」


 モニカの周囲に花びらが散った。彼女の手の内に現れた杖は、巫女が持つものとよく似ている。現役時代に使っていたものだ。家に保管していたものを精霊に願って持ってきてもらったようだ。


「出て行きなさい。その体はあなたのものではありません」

「お、奥様。いったい……」


 杖の先を向けられ、動揺したのは夫婦だけだった。ドニらしき若者は不愉快そうに杖を見ている。


「モニカ」

「体と魂の間に乖離が見られます。死体に悪霊が入った時と同じです」

「手遅れか」

「彼自身は既におりません。体を動かしているのは……誰かの魂とは言えないようですが……」


 モニカは断言することを避けた。彼女が相手にしてきた悪霊とは異なる部分が多いようだ。


 正体が何であれ、巫女が危険だと判断したものがそこにいる。悪霊がモニカに注目している間にドニの両親を保護しようと、ネストリに合図をした。すでに馬を降りていたネストリはフェリクスの側に寄る。


「あれは悪霊だ。お前はドニの両親を――」


 咄嗟に体が動いた。幾度となく繰り返してきた動作で盾を出現させ、呪文も唱えず身体強化をかけて前へ出る。モニカを狙っていた黒い腕は、体当たりに近い守りをぶつけられ、潰れた音をたてた。


 驚いた馬車馬が町へ向かって駆け出していく。御者は懸命に宥めようとしていたが、戻ってこられるまで時間がかかりそうだ。


 遅れて出現させた剣で攻撃してきた相手を狙う。盾に隠した突きは、大きく距離をとられてかわされた。


 戦いに精通した者の動きではなく、動物の本能に近い――フェリクスはそう予想した。


 前触れもなく襲ってきたのは、やはりドニの体を乗っ取った悪霊だった。右腕が黒く変色し、肥大化し始めている。裂けた服の下に見える肌は、アルトロワを襲った獣と同じ毛皮になりつつあった。


「どうして息子が……こんな……」


 気絶したらしい妻を抱え、ドニの父親が座りこんでいる。

 悪霊が離れた隙に、フェリクスはネストリへ中断していた指示を出す。


「ドニの両親を守れ」

「獣との戦闘なら、私が」

「貴重な証人だ。あれが町にいた経緯を知りたい」


 獣になった悪霊が低く唸った。防壁で食い止めた個体よりも大きく、顔はまだドニのままだ。苦悶の表情を浮かべているのは、体が変化していく痛みのせいだろう。


「フェリクスさん。あれは、憎悪で固められています。負の想念を取り込んだ時のような」


 フェリクスの胸の内に、負の想念に翻弄された苦い過去が甦る。

 一方的に押し付けられた力と感情が自分の中で暴れ、意識を侵食してくる不快さ。

 他人の記憶が混ざり、抵抗もできずに自分が塗り潰されていく恐怖。

 何年経とうと忘れられるものではない。


「消せるか?」

「やってみます」


 モニカはフェリクスから距離をとった。準備が整うまでは時間稼ぎだ。ネストリは音もなくドニの両親に近づき、獣の動きを注視している。ちょうど獣の死角になる位置だった。


「お前は誰だ」


 獣に話しかけると、ようやくモニカからフェリクスに視線が移った。どこか遠くを見たまま、口を開く。


「瞳はどこだ」

「……瞳?」

「盗られた。どこへ」


 獣がふと空を仰いだ。

 上から降ってきた人影が獣に斬りかかった。不意をついた一撃だったが、獣は前足で受け止め、人影を弾く。


「面倒なことになってるねぇ」


 前触れもなく現れた人影――ユーグは身軽に着地して刀を構えた。

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前作はこちら
ウソつき勇者とニセもの聖女
不幸な事故をきっかけに異世界転移した二人。
お互い性別が入れ替わっている上に、誰かと勘違いされて誘拐されて……

前作終了後の短編
放浪の終わり

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