戸惑う刃
領主の馬車が暴走しているらしいと聞いたユーグは、様子を見に行くことにした。手助けと興味本位が、それぞれ半分ずつ混ざっている。領主の屋敷からアルトロワまでの間に、馬を驚かせるものでも落ちていたのだろうか。
自警団がある建物へ向かっている最中だったが、少しぐらい遅くなっても構わない。この世界は前世の電車ほど正確な時間を求められないので、非常に楽だった。
馬車はすぐに見つかった。アルトロワの北側、領主の屋敷へと続く道に人が集まりつつある。御者をしている男と駆けつけた住人が、興奮した馬をなだめていた。馬車は馬と離されて路上に置かれたままだ。誰も乗っておらず、開けっぱなしの扉が風に揺れていた。
「何があったの?」
顔見知りでもある御者に話しかけると、分かりませんと返ってきた。
「いきなり男の姿が変わって、魔獣みたいに……」
彼自身も訳が分からず、ここまで来たらしい。途中まで領主夫婦を乗せていたそうだが、彼らが馬車を降りた後で馬が暴走してしまったという。
「早く戻らないと」
「この先にいるんだよね?」
町の出口から坂を見上げたが、木々に遮られて見通せない。
誰か、もしくは何かに襲撃されたということは理解した。フェリクスが馬車で移動する時は護衛も同行する。そう簡単にやられる奴ではないので放置しても構わないが、魔獣のように変化した敵というのは気になる。
普通の魔獣なら自分の警戒網に引っかかったはず。道の先にいるらしい敵を探そうと探知の力を伸ばすと、ざらついた魔力を感じた。
「誰か、自警団に知らせて。魔獣がいる」
目が合った若者に伝言を頼み、ユーグは緩やかな坂道を上っていった。
感じ取った魔力は、森から流れてきたものと完全に一致した。町の中に入ってきた獣は始末したはずなのに、どこから入ってきたのだろうか。
いくらか進むと黒い影が見えてきた。道の端には夫婦らしい男女が座りこみ、ネストリが二人を守るように戦斧を構えている。黒い獣と向かい合っているのはフェリクスだった。巫女の杖を持つモニカは、離れた位置から魂を空へ還す準備をしているようだ。
――獣に葬送の儀式?
黒い獣は四つ足ではなく後ろ足で立っている。鳥に変化できるのだから、人のような姿になることもあるのだろう。また倒した後に死骸を浄化するだけだと判断して、ユーグは刀を抜いた。
気配を消して近づき、上から斬りかかる。不意打ちは太い前足に防がれ、力任せに振り払われた。防壁の近くで戦った獣より、随分と人間らしい動きだ。黒い顔も人に近い凹凸で、こちらの不快感を煽ってくる。
――また得体の知れない敵が出てきた。
フェリクスの近くに着地したユーグは、獣から目を離さずに言った。
「面倒なことになってるねぇ」
「来たのか」
「馬車はアルトロワの北口にいるよ。怪我人はないみたい。で、あれは?」
「魔王に似た何か」
「君の親戚?」
「ふざけるな。叩き斬るぞ」
獣が動いた。一足飛びに距離を詰め、腕を薙ぎ払う。あまり速くない。当たる間合いではないと判断して後ろへ下がったところに、しなる刃が飛んできた。刀の峰で弾いて軌道を逸らし、直撃を避ける。
刃は獣の手だった。腕の動きに合わせて形が変わり、見た目で判断した間合いを超えて斬りつけてくる。
「瞳……お前、持っているだろう? 分かるぞ、あいつの後継者だ」
獣はユーグしか見ていなかった。頭部と下半身は肉食獣の形になり、毛に覆われた腕に鋭い爪が生える。二足歩行のバランスを保つためか、太い尾が左右に揺れていた。
人狼――そんな感想が頭を過ぎる。
「最初から気に食わなかったんだ。この力があれば勝てる」
どこかで聞いたことがある声だった。
なぜか獣はユーグを敵視して突っ込んでくる。攻撃を避けることはそう難しくない。襲いかかってくる動きは人そのもので、慣れてしまえば余裕をもって見切れる。
「ユーグ、こいつを空へ還す時間を稼げ!」
獣の左腕が斬り飛ばされた。ユーグしか攻撃してこないことを利用して、大胆に接近したフェリクスが獣の足を狙う。だが左腕を再生させた獣に、上から拳を叩きつけられた。盾に沿わせる形で受け流したフェリクスは、距離を開けて隙を探る。
「こいつ、町を襲った獣じゃなかったの?」
「分からん。俺の前に現れた時は、行方不明だったドニの姿をしていた」
「え?」
体の近くを黒い刃物が通り過ぎた。
斧に変形して首を狙われる。身体強化をしていても、かわすのが難しくなってきた。こちらの動きを学んで進化しているのではと、嫌な予想が働く。
道の先に武器を持った自警団が見えた。ユーグ達が黒い獣と戦っている姿を見て、速度をあげて坂を登ってくる。増援が到着するまで、まだ時間がかかりそうだ。
「死者の体を悪霊が乗っ取ったらしい。葬送の準備が整うまで、あれの力を削ぐぞ!」
フェリクスの声に、ドニの父親が諦めた目をした。
あれがただの死者なら、悪霊を追い出して弔ってやるべきだ。ユーグは獣に詰め寄った。獣は無防備な胸元から棘を出して迎え撃ったが、刀を一閃させて切り落とす。落ちた棘は黒い煙になって、また獣へ吸収されていく。
「疾風」
重ね掛けした身体強化の影響で、感覚が冴える。
右の刀がドニだった獣を狙う。人の形であろうとする獣なら、首を斬り落とせば動きが鈍るはずだった。
獣の背後からフェリクスが斬りつける。気を取られた獣が、ユーグから目を逸らした。獣の首に吸い込まれるように刀の軌道が乗った。
振り抜けば終わる。
「ドニ!」
獣の肩越しに母親が叫ぶのが見えた。気絶から回復し、駆け寄ろうとしてネストリに止められている。
刀が迷った。
姿が変わっても心配してくれる身内がいる。彼女の中にあるものが親としての愛情なのか、義務なのかは知らない。おそらく彼女にも分かっていない無意識の行為だろう。
ここでドニを斬ることは、人として正しいのか。
親の目の前で子供を斬ろうとしている。
悪霊を理由にして。
普通の親子が羨ましいと思っていた。
なのに、壊す側にいる。
――僕は。
腹部に熱が走った。槍になった獣の腕がユーグの腹を貫いていた。
耳鳴りがする。
地面に光の線が現れた。
何度も見た巫女の儀式。
あるべき場所へ死者を送る道が開かれた合図だった。
「フェリクスさん、お願いします!」
「そのまま動くな!」
割って入ったフェリクスがユーグを貫く槍を断ち切る。その勢いのままドニを蹴ってユーグから離し、体勢を崩した獣の胸に剣を刺してとどめを刺す。
光の柱が獣の姿を隠して、空と繋がる。
断末魔に似た魔力のうねりが辺りに満ち、かろうじて保っていたユーグの意識も深い暗闇の中へ落ちていった。




