闇夜に紛れたい者たち 前編
オークション会場に悲鳴が響く。かつて劇場として数々の公演を行ってきた建物は、その切羽詰まった声を遠く離れた客席の端々にまで届けていた。
突如として起きた異変に見張りの男たちが駆けつけたが、逃げ出そうとする参加者の波に押されて前に進めないままでいる。
また一人、参加者の姿が消えた。転移魔法の名残りである燐光が宙を舞う。だが使われた魔法の種類を特定できる者はいない。得体の知れない怪人に人が消失させられた、それが会場に集まっている者たちの共通した認識だった。
「ふぅ……ここは随分と罪深い場所だな! そう思わんか? ええと……狐!」
「……そうですね」
ユーグは目の前で起きている現実から逃避したくて、話しかけてきた危険人物から目を逸らした。
「おお、あそこにも見覚えのある者がいるぞ! そーれ、天誅!」
「ぎゃあっ!」
光の矢が逃げ惑う男に命中した。男の姿が光る膜に覆われて消失し、さらに混乱が増していく。まるで魔法による殺人のようだが、これが危険人物が使う『転移魔法』だ。塵も残さず殺しているようにしか見えない。
「やはり正義の執行というものは気持ちがいいな!」
「いや、これ、正義の押し付けでは? 殿下にとっては外国でしょうが」
「おっと、敬称で呼ぶでない。今の私は怪盗紳士、ココ仮面だ」
「鳥頭を被ってパンツ一丁で走り回る輩のどこが紳士なんですかね」
「細かいことは気にするな!」
危険人物――幸運を運ぶというココ鳥の被り物をして、マントを翻して走り回る青年は仁王立ちで堂々と笑った。マントの下はパンツしか履いていない。羞恥心など欠片もない態度に、ユーグの精神が音をたてて削られていくようだ。
「早く帰りたい……」
この人物と出会ってしまった己の不運を嘆き、ユーグはつぶやいた。仲間と思われたくなくて距離を取りたいのだが、何故か頻繁に話しかけられて迷惑している。こいつが乱入してこなければ、今頃はアルトロワに帰っているはずだったのだ。
*
被害者の捜索は途中まで順調に進んでいた。
奴隷として集められた女性を隣国に『輸出』するには時間がかかる。迅速に動いたことで、大半の被害者は国境付近にいるところを発見できた。
国境越えに備えて馬車馬を休ませていた奴隷商人達は、音もなく襲撃してきたユーグに昏倒させられ、馬車ごと国境警備の騎士団がいる砦に放置しておいた。彼らの正体についての調査書と抜け道の地図も添えておいたので、あとは帝国の法律に従って扱ってくれるだろう。
被害者は誰もが誘拐された恐怖で怯えていたものの、体を傷つけられた者はいなかった。彼女たちの一人に教会と領主宛ての手紙を持たせ、強制的にアルトロワへと転移しても問題ないと判断できる程度には。
被害者へのアフターフォローを丸投げにする形にはなったが、ユーグには彼女ら一人一人に向き合っている暇はない。他の被害者を速やかに救出しなければならないのだ。
決して動けないふりをして抱きついてこようとする被害者に嫌気が差したからではない。
――アルトロワに帰ったら三日ぐらい何もしたくないなぁ。
興味がない肉食系女子に言い寄られるという嬉しくない体験をしたユーグは、強い精神的疲労を感じていた。まだ魔獣を相手にしていた方が気が楽だ。どうせ吊り橋効果で恋に落ちたと思い込んでいるだけなのだから、さっさと夢から醒めてほしい。
休みたいと思う心を叱咤して国境を越え、ウィンダルム王国内のジークセンという町へ潜入した。王国が混乱している間に無法者に占拠されてしまった場所だ。まともな住人はとっくに逃げ出し、まともに生きられない者ばかりが集まってくる。目の前で犯罪が行われていても、誰も止めようとしない。
誰もが加害者であり、被害者でもある。そんな荒れ果てた町では、当然ながら倫理に反する取引も行われていた。そのうちの一つが奴隷オークションだ。
帝国内に潜伏していた奴隷商人を散々脅して手に入れた情報によると、あらゆる場所から集められた奴隷は、ここで取引されて各地へと輸送されていくそうだ。帝国で誘拐された女性も、必ずジークセンを経由してからでないと商品として認められない決まりだった。
単に奴隷の保管場所として最適だっただけだろうと思うが、裏社会にも一定の秩序はあるらしい。
ユーグにはどうでもいいことだ。売られる前の被害者が一箇所に集められる、それさえ分かればあとは解放するのみ。想定よりも早く帰れそうな気がして、やる気が出てきた。
――でも手当たり次第に解放してたら、警戒されるだろうなぁ。
やはりオークションの最中が狙い目かとユーグは思う。ジークセンの各地にある監禁場所を一つ一つ襲ってもいいが、被害者を転移させるために魔法を使う機会が増える。魔法を使うほど痕跡を残すことになり、使用者や魔法の情報が浮き彫りになっていく。この町に魔法の残滓を読み取れるような人物はいないだろうが、油断は出来ない。帝国が外国で好き勝手に暴れていると思われては意味がないのだ。
オークション会場となっている建物に潜入したユーグは、天井裏で始まりを待っていた。
元は劇場だった建物を使っているので、商品を展示するのは舞台の上だ。最初は美術品から始まり、愛玩用の魔獣、奴隷と続く。商品を置いておく場所が狭いため、被害者はオークションが始まってから監禁場所から輸送されてくるらしい。
大金を投資して帝国から集められた奴隷――見張りの数も桁違いだろう。だがユーグは困難とは思っていなかった。
建物内を見回ってみたところ、転移魔法を妨害するような結界は使われていない。結界は国家が防衛のために設置するような代物だ。たかだか町のギャングの資金では用意できないに違いない。人を増やして怪しい動きに注意するしか対処方法がなかった。
こちらは転移魔法さえ展開してしまえば、簡単に奴隷を解放できる。人が入る檻は確認済み。焦らず、着実に行動するのみだ。
入り口のホールが徐々に騒がしくなってきた。オークションの参加者が身元の確認と持ち物の点検を受けて入ってくる。取り締まる者がいなくなった町は、昼間から堂々とオークションが開催され、参加者もわざわざ顔を隠している者は少ない。買い付けに来るのは代理人がほとんどで、奴隷を所有する者の多くはこんな場所に出てこない。
ユーグは参加者の顔を覚えてから、商品が出番を待っている楽屋へと移動した。
贋作が混ざる美術品が搬出されていくのを眺めていると、裏口から細い縄で繋がれた少女たちが入ってきた。周囲をいかつい男たちに囲まれ、気を失いそうな顔色になっている。布面積が少ない際どい服装をさせられていて、靴は履いていない。よく縄を見れば、長いリボンを編んだもののようだ。少し工夫をすれば自力で解けそうだったが、これだけ周囲を固められては逃げ出せない。
「これで全部か?」
「いや、一組だけ遅れてる。馬の調子が悪くてな。オークションには間に合うから」
「それならいい。女共を檻へ」
監禁場所から会場までは馬車で輸送されているようだ。二回までの転移魔法なら、残滓を探られたとしても特定は不可能だ。
少女たちが入った檻に鍵がかけられ、魔獣の檻が搬出されていく。オークションは順調に進んでいるらしい。
ユーグは狐面を取り出して装着した。祭で見かける物と形が似ているが、全体の色は黒く、朱色と金で縁取りがしてある。見張りの男たちには気絶してもらう予定なので、顔を知られたくない。永遠に黙っていてもらう方法もあるが、被害者の少女たちに血生臭いところを見せたくなかった。ただでさえ心に傷を負っているのに、止めを刺すなど可哀想だ。
額に角がある馬が檻ごと出ていく。そろそろ仕掛けようかと天井板を外して静かに物陰に降り立ったとき、それはやってきた。
裏口の扉が豪快に吹き飛び、肉厚な両手剣を背負った人影が現れた。派手な衣装に身を包み、無駄にひらひらとしたマントを羽織っている。恵まれた体格は手にした剣を扱うには最適で、戦い慣れた者の威圧感に満ちていた。
「ここがオークションの舞台裏か! おお、骨の髄まで悪に染まった奴らばかりではないか!」
声を聞く限り、青年と言っても差し支えないほど若い。
乱入者は一歩中へ入ってきた。逆光だった姿が見えるようになり、異様な風体が明らかになる。彼は、頭にフクロウの被り物をしていた。ココと呼ばれる幸運を運ぶ鳥だ。
つまり変質者である。見張りの方がまだ常識人の範疇にいるに違いない。
「な――」
「飛燕」
乱入者に注目が集まっている間に、ユーグは物陰から出て刀を抜き放った。加速した太刀筋が見張りを次々に捉え、昏倒させていく。ものの数秒で始末し、少女たちがいる檻の前で止まった。
「む? 君は奴隷商人ではないようだが」
「仕事で彼女たちを助けに来ただけです」
半歩横にずれると同時に、ユーグがいた場所に両手剣が叩きつけられた。床に転がるように避けた上を、肉厚の刃が通り過ぎる。
襲ってきた鳥人間から距離をとって、ユーグは魔石と紙片を投げつけた。自分への攻撃と思った鳥人間は、豪剣で叩き潰そうと剣を振るう。だが剣に当たる前に魔石と紙片は軌道を変え、全て檻の中へと入った。それぞれが正しい位置に移動し、光が床を走ると一つの魔法陣を形作っていく。光の輪は少女たちを囲み、瞬きする間に遠く離れたアルトロワへと転移した。
鳥人間は巧妙に立ち位置を調節している。この保管庫から逃げることはおろか、転移魔法で逃げる隙すら与えてくれそうにない。まずは説得から始めようと、ユーグは話しかけた。
「その剣は殿下が継承なさったようですね。鳥の被り物は新しく新調されたようですが」
「何者だ」
気配が変わった。肌を刺すような殺気が満ち、こちらに圧力をかけてくる。ユーグとそう歳が変わらないような青年なのに、なかなかの覇気だ。彼の父親といい、かの血筋は武人としての才能にも恵まれている。
「ですから、仕事で彼女たち帝国人を解放しに来ただけですよ」
ユーグはフェリクスから預かった身分証を見せた。メダルに象嵌細工で彼の紋章が描かれている。使わないと思っていたのに、まさかこんなところで出すことになるとは意外だった。
メダルを投げて渡すと、鳥人間は被り物越しに検分した。念入りに表と裏を眺め、やがて本物だなとつぶやく。
「なるほど、リール子爵の使いの者か。ご苦労であったな」
殺気を収めて偉そうにふんぞり返っているが、格好のせいで威厳など何もあったものではない。
ユーグの予想が正しければ、この鳥人間は皇帝の血縁者だ。皇室の男子が継承をするという両手剣を持っていることが証であり、嬉々として怪しい被り物をして出歩いているところも、先代によく似ている。
「君、私の正体に心当たりがあるようだが?」
「さすがにその剣を持てる人物は限られておりますので。皇帝陛下の弟君、アンリ殿下ですね」
「ご名答。見事な観察眼、恐れ入ったぞ。認識妨害はしていたが、それすら見破るか」
「まあ、先代が同じ格好で活動しているところを拝見したことがあるので」
「父上はもう歳だからな。発案者である私が役目を引き継いだのだよ。いざやってみると楽しいものだ。父上がことあるごとに市井に降りて行った気持ちがよく分かる」
「残念なところも父親譲りか……」
アンリはメダルを放り投げた。緩い弧を描いて返されたそれを、無くさないように異空間に収納する。目印を付けているので紛失しても見つけられるが、不用意に外国で出して良いものではない。ここにフェリクスの代理がいることは、決して知られてはいけないことだ。
「で、皇帝陛下の弟が外国で何をしているんですか? ウィンダルムの無法地帯に来るような身分ではないでしょう」
「あー……その、君、額に角がある馬を見なかったか?」
「それならとっくにオークション会場へ運ばれていきましたが」
「あれは母う――ゴホッ。その、さる高貴な女性の愛馬なのだ。ちょっとした手違いで逃げ出してしまった。早く連れ戻さないと……」
小刻みに鳥人間の体が震えている。おそらくきっとアンリの不注意で逃してしまったのだろう。さっさと連れ戻してこいとでも言われて、叩き出されたのだろうか。控え目に言って自業自得だ。
「よくこの町に辿り着きましたね」
「帝国内を探していると、国境近くの町で奴隷商人が己の罪を自白しているところに出くわした。よくよく聞くと魔獣も外国へ輸出している。もしや誤って捕獲されたのではと思って、オークションを開催している町の名を聞き出した次第だ」
「やっぱり往来で罪を叫ばせるんじゃなかった」
ユーグはやりすぎたかと後悔した。
奴隷商人を見つけて情報を聞き出したあと、余計なことは喋らないよう言い含めてから路上に放置してきた。帝国内で違法な奴隷商人は問答無用で極刑と聞いている。町の警備をしている自警団だか騎士に説明をするのも面倒で、丸投げしてきたことが裏目に出たようだ。
「どうだね、共に悪党共を成敗しに行かないか? 丁度いい仮面も付けていることだしな!」
「同類って思われたくないんで遠慮します」
さあ、と手を差し伸べたアンリの誘いを、ユーグは謹んでお断りした。自分で作った狐面とリアルな鳥頭を同列に扱って欲しくない。それとも傍目には同じに見えるのだろうか――激しい不安に襲われたが、ユーグは深く考えないことにした。
「名を聞いていなかったな」
「狐でいいですよ。こちらも本名を名乗る気はないので。まだ解放していない女性がいるようなので、僕は帰りますね」
馬車が遅れているせいで到着していない女性がいることを話すと、アンリは解放済みだと言い放った。
「貧相な馬車に乗せられた女たちなら、ここへ来るまでに帝国へ転移させたぞ。国民を保護するのは義務だからな! 我が国の民以外もいたが、あのような破廉恥な格好で放置するわけにはいかん。まとめて面倒を見るよう命じておいたから良かろう」
「転移させたって、どこへ?」
「私の別荘だ。そうか、リール領で誘拐された女は連れて帰らないと、君が怒られてしまうな。では特別に別荘に招待してやろう。馬を救い出した後でな」
「……仕方ないか」
皇室が所有している別荘ともなると、警備も段違いだ。勝手に侵入して連れて帰るわけにもいかないので、ユーグはアンリの用事が終わるのを待つことにした。殿下も馬を見つけたら、さっさと回収して戻ってくるだろう。
――帰ってくるよね?
裏口を破壊して入ってきたところを思い出し、ユーグは不安になった。親子揃って派手な振る舞いを好むようなので、まさかオークションに乱入する気なのではと嫌な予感が働く。
「おい、早く奴隷の女共を連れて――な、何だお前ら!?」
商品の搬入が遅れていることを不審に思った作業員が様子を見に来た。床で転がっている仲間と、仮面や被り物をした不審者を見つけて顔色が変わる。
「秋水」
ユーグは加工した魔石を投げつけた。作業員の近くで破裂した石から大量の水が溢れ、顔にまとわりつく。振り払っても取れない水の中で、作業員は気を失って倒れた。殺してはいないから、そのうち目を覚ますだろう。
「ほう、鮮やかな手並みだ」
「それはどうも」
「では私も行動を開始しようか。やはり上から華麗に登場しなければ! 舞台はこっちか!?」
そう言うなりアンリは、ヒャッハーと叫んで走りだした。無詠唱で発動した身体強化の効果で、その怪しい背中がみるみる遠くなっていく。ドッグランに放たれた犬のように、全身から喜びが満ち溢れていた。非常に危険だ。
「ふふふ。ついでにオークション会場にいる『私が知っている顔』を強制送還しておこう! 奴らの悲鳴で帝都の牢獄を満たしてやるわ!」
「……どうしよう。頭痛がしてきた」
追いかけるべきか待つべきか。ユーグは遠ざかる声を聞きながら、どちらを選んでも心が疲れる選択肢に本気で悩んでいた。




