暗躍する者
深夜の牢に明かりが増やされた。揺らぎのない人工的な光は、異なる世界から転移してきたユーグにとって馴染み深いものだ。
犯罪者の罪状が明らかになるまで閉じ込めておく独房は、脱出されにくいように自警団が本部として使っている建物の地下に設けられている。酸素を消費しないよう、継ぎ目のない壁に設置されている照明は、魔石を消費する高価なものだ。魔石が取れる森に面しているリール領だからこそ、こうした設備が整っている。
「この女が誘拐した娘を奴隷商人に売っていたのか」
領主と牢の鉄格子を挟んで対面した女は、うつむいて己の足を見下ろしている。魔法を制限する首輪をつけられた身なりの良い女というものは、なんともアンバランスだとユーグは思った。
歳は三十を越えたあたりだろうか。第一印象では若く見えるのだが、やはり誘拐された少女たちと比べると、肌の張りに違いがある。蓄光石のような弱い光の中でも違いは分かるが、誘拐されて混乱している心理状態で見抜けるかは怪しい。
会話の邪魔にならないよう、ユーグは後ろに下がっていた。近くには見張りの自警団員が控えている。会話を聞いていない風を装って立っているが、領民を誘拐して外国へ売ろうとしていた女に、苛立ちを感じているようだ。腰に佩いた剣の柄頭を、親指でしきりに擦っている。
「女の敵は女っていうのは、異世界でも変わらないんだねぇ」
先に尋問した男たちは、誘拐の首謀者はこの女だと口を揃えて言った。奴隷を集めていた末端組織を魔法を使って乗っ取り、男たちを手足のように操っていたのだという。男たちは女のことを全ての元凶のように証言していたが、彼女の下で甘い汁を吸っていたことに変わりはない。全員、極刑は免れられないだろう。
この女が監禁している部屋にいたのは、脱走しようとする者の気力を削ぐためだった。人が集まれば一人ぐらいは逃げる者が現れてくる。協力するふりをして絶望的な状況にあると洗脳し、楽しんでいたようだと手下が証言した。
リリィ達にも同じような目に遭わせようと、機会を伺っていのだろう。誤算だったのはリリィが脱走ではなく籠城を選択したことだ。木箱を解体して焚き火でスープを作り、見張りを眠らせたのに外へ出ようとしない。行動が読めずに手出しできないまま、自警団の侵入を許してしまった。
包囲されていることに気がついて、人質をとろうとするも失敗。頼みの魔導器は使えず、挙句に自警団ではなくリリィに眠らされた。魔石を加工して使うところを目撃していたのだから、警戒はしていたのだろう。それでも男の自警団より優先順位を下げていたのは、所詮は小娘だと侮っていたと思われる。
「……奪われるだけだった私が、自分のものを奪い返して何が悪いの」
聞こえてきたのはウィンダルム王国の貴族階級が使う言葉だった。貴重な転移の魔導器を持っていたり、魔法を使えることから予想はしていた。間違いなく、この女はウィンダルムの貴族として教育を受けた者だ。
「誘拐、窃盗、殺人の容疑で帝都へ連行する。先に捕まった奴らは全てを吐いたぞ」
女に宣言したフェリクスもまた、流暢なウィンダルム語で返す。訛りがない完璧な発音に、女は驚いてフェリクスを見上げた。帝国人は外国語など習得しないと思い込んでいたようだが、上流階級ほど外国の知識を積極的に収集している。帝国貴族にとって外国語の習得は出来て当たり前のことだった。
「そう、英雄様は語学にも堪能ってわけね。当然よね、我が王国を征服するつもりなんだから」
「何の話をしているのか分からんな。帝国は一度もウィンダルムを征服しようとは思っていない」
「嘘を言わないでよ!」
女は牢の鉄格子を掴んだ。
「じゃあどうして各地で暴動を起こして王都を占領したの!? ウィンダルムのためとか言って、あんな傍系の子供を王位につけるなんて……あの混乱のせいで私の家は平民に踏み躙られたわ」
「暴動を起こすよう扇動していたのは、帝国ではない。魔王だ。教会から正式に公布されただろう?」
フェリクスが一般に流布している説を言った。真実は古代から生きていた賢者が魔王という存在を作り出し、己の知識欲を満たすためにウィンダルムを実験場にしたせいだ。それを言わないのは、世界に余計な混乱をもたらさないよう教会と共に流した嘘だった。
「世迷いごとを……お前たちが王国を混乱させるための嘘だと、私は知っているのよ。みんな、そう言っていたもの」
「では聞くが、帝国や教会が民衆を扇動する存在があると情報をもたらしたとき、王国では対策が立てられていたか?」
「対策……?」
「外国からわざわざもたらされた情報を精査もせず、享楽に耽っていたウィンダルムの貴族がお前たちだ。まぁ、当時子供だったお前に、その責任を問うのは酷だろうが」
ウィンダルムの王都が賢者によって占領された時、この女は十歳ごろだったと思われる。煌びやかな貴族文化を築いていたウィンダルムで、女児に政治の話を聞かせる大人などいなかった。気がつけば、彼女は何不自由ない暮らしから転落していたのだろう。
かの王国は賢者が倒された後も混乱が続き、幾つかの小国に分裂してしまっている。民衆寄りの統治をしていた貴族は新たな指導者としての地位を得たが、己の贅沢にしか興味がなかった家は民衆に追い出され、行方が知れない。女の家もそのうちの一つかとユーグは思った。
「私が奴隷にされて犬以下の暮らしを強制されたのは、当然の結果だと言いたいわけ!? あんたも、あいつらと同じだわ。私が自分の力で家宝を取り戻しても、犯罪者として扱うのね!」
「転移の魔導器はお前の家にあった物で間違いないな。裏に紋章が刻まれていた」
「返してよ!」
フェリクスが例の魔導器を取り出すと、女は牢の柵から手を伸ばした。既に内部の機構は抜いて使用不能にしてある。女は返された魔導器を胸の前で固く握りしめた。
「お前がどのような人生を歩んでここへ辿り着いたのか、俺には関係ない。俺が治める領で犯罪を犯した。だから捕まえた。それだけだ。帝国の法律に則って断罪する」
「結局、私には不幸が似合うって言いたいの? 私を奴隷にして売った奴らに復讐したとき、誰もが私を責めたわ。そうよ、私はあのとき子供だったのよ? なのに、どうして『政治の責任』を取らないといけないわけ?」
「君の境遇には同情するけどさ、全く関係ない女の子を奴隷にして売り捌いてもいい理由にはならないよね」
つい口を挟むと、女は初めてユーグを見た。自分を捕まえた自警団の一人と分かると、冷ややかな目で睨む。
「私から全てを奪った帝国人だもの。憎んでもいいじゃない。苦労なんて知らずに笑ってるなんて許せない。私が惨めに生きている間に、幸せな顔してるなんて。みんな不幸になればいいんだわ」
「ふざけるな!」
フェリクスが牢の鉄格子を蹴って怒鳴った。領主の珍しい激昂した姿に、他の団員は驚いていた。
「お前を奴隷にした奴らを殺したことは、俺は否定しない。お前の中で、それは正当な復讐だったのだろう。だが、お前が受けた苦しみは、お前だけのものだろうが!」
地下に風が吹いた。怒りの感情を含んだ風は、フェリクスを中心に渦巻いている。
魔法を知っている女の顔色が変わった。怒りによる魔力の暴走は、時として悲惨な結果をもたらす。魔法で切り刻まれると思ったのか、怯えた顔で悲鳴を上げた。だが風はすぐに止み、フェリクスは静かに話し始めた。
「周囲に恨み言を撒き散らして不幸な人間を作ることは、ただの八つ当たりに過ぎない。許せないと言いながら、お前が憎んだ奴らと同じところまで堕ちるとはな。誘拐された女達は、お前が奴隷になることに加担したのか? 俺から見れば、お前を売った人間も、お前も、どちらも同じ下種だ。己のことしか考えず、人から奪うことしかしない」
「違う、あたしは――」
「何が違う? 己が不幸なら、何をしても許されるとでも? お前に傷つけられた人々も、お前が来なければ平和に生きられたのだ。そのことの意味を今一度、よく考えておけ。死ぬ直前までな」
フェリクスは見張りの団員を労い、振り返ることなく地下を出て行った。気乗りはしないものの、ユーグは追いかけて声をかける。
「領主様」
「何だ」
怒りが収まっていない。女への怒りというよりは、事件を未然に防げなかった己への怒りと、被害者への謝罪の気持ちだ。君の責任ではないだろうと言ったところで、この男は聞くわけがない。もっと上手く立ち回れたはずだと猛省するのが目に見えている。
「そんな険しい顔で歩いて帰る気ですか。領民が怯えますよ」
「いつもと変わらんだろう」
「どこが? さっきから怒ってる魔力がダダ漏れで、体に刺さるんですがね」
ユーグは廊下を先行して、待機している団員に領主が転移魔法で帰ると声をかけた。見送りに動きだした団員を止め、仕事の予定が詰まっているから必要ないと、領主が言っていたと捏造しておく。
領主が忙しいことは周知のことだったため、誰も疑おうとはしなかった。見送りを拒否したことも、きっと過剰な接待を嫌うフェリクスらしいと思われていることだろう。
フェリクスのところに戻ったユーグは、反論される前に転移魔法を展開し、アルトロワの北側まで移動した。小高い丘へ続く道を歩けば、領主の館にたどり着く。領民の大半は行政上の手続きで通る道だ。
ここから行政棟の玄関まで歩く間に、フェリクスの感情も落ち着くだろう。
しばらく無言で緩やかな坂道を登っていると、フェリクスは名前が書かれた紙を手渡してきた。いずれも女性の名で、出身地らしき地名や年齢、外見の特徴が記入されている。
「……誘拐されて、既に領を出た者の一覧だ。もう一枚は、帝国内で誘拐されたと思われる者の一覧。捜索をしてほしい」
「いいよ。引き受けた」
ユーグは即答した。
右端に書かれている外国の地名は、売った先の奴隷商人がいる町のようだ。女が持っていた帳簿を写したものだった。検索に必要な最低条件は揃っている。
「いいのか?」
「適任でしょ」
誘拐された自国民を捜すためとはいえ、外国では好き勝手に動けない。協力を要請したところで、本腰を入れて捜査をする国がいくつあるだろうか。
聴き込みや潜入までは出来たとしても、救出してから帝国に連れ帰るのは困難が予想される。帝国の思惑と知られず軋轢を起こさずに遂行するには、現地の人間を使うか、よほど上手く痕跡を消すことが重要だった。
時間を費やしてどこにいるのか分からない帝国人を捜すよりも、様々な魔法の法則を無視して動けるユーグに依頼することは理に叶っていた。
もしフェリクスが便利な道具としてユーグを使う相手なら断っていた。しかし、この義理堅い領主はどんな相手でも人間として一定の尊重をしている。道理を弁えている相手だからこそ、代わりに動いてやろうかと密かに決めていた。人を守って感謝される自警団の活動も嫌いではないが、裏側でこそ己の能力を存分に発揮できる。
「評価の点数稼ぎとでも思っておいてよ。取り急ぎウィンダルム方面かなぁ。向こうは帝国をよく思ってないみたいだし。記憶はどうする?」
「任せる。本人の希望と状況を考慮してやってほしい」
売られる前なら本人の意思を尊重しようかとユーグは優先順位をつけていった。あまりに酷い状況なら、いっそのこと外国にいた記憶を消すことも考えておくべきだ。心の治療は教会の専門分野ではあるものの、完全に心が壊れている者には向いていない。
どうか全員が売られる前であってほしいと、不相応にも祈りたくなってくる。個人の手に渡るまでは、少しでも高値をつけるために、傷つけないよう丁重に扱っているはずだ。その段階ならまだ細工をしなくても日常に戻れる。
「各所への連絡は、こちらで済ませておく。街道整備と自警団の他に、不在を告げておく相手は?」
「手合わせの約束をしている、君の護衛だね。あとは道中で手紙を出しておくから平気」
行政棟のホールに着くと、フェリクスから出発前に執務室へ寄るように言われた。万が一の時に備えて身分を証明するものと、活動資金として魔石を用意するという。換金しやすい粗悪なものから、魔力の回復に使えるような上質なものが揃っているというので、ありがたく受け取ることにした。
行政棟と領主が暮らす建物の間、護衛が宿舎として使っている区域に戻ったユーグは、出張に必要なものを異空間の収納に入れていった。机の上に置きっぱなしにしていた薄紙を引き出しに入れたが、一枚だけ取り出す。リリィに行き先は言えなくても、しばらく不在にすることだけは伝えておきたい。
日本語で短い文章を書き、紙飛行機の形にして窓から投げる。白い三角形の飛行機は瞬く間に上昇し、風に逆らってアルトロワの町へと飛んでいった。




