囚われた者
リリィが目を覚ますと、湿気を帯びた藁の臭いが鼻をついた。不快な肌寒さを感じてコートの襟元を寄せる。襟の裏に付いているベルトをしめて首を覆うと、少しだけ寒さが和らいだ。
剥き出しの地面の上に、藁が直接敷かれている。部屋のあちこちに蓄光石が置かれているらしく、周囲の様子がぼんやりと見えていた。太陽の光に当てておかないと使えず、発光時間も日暮れから二時間ほどだが、今は貴重な光源だ。
壁は古い石造りで、欠けてしまったりコケが生えている。仕切りの代わりに置かれている木箱は、比較的新しいもののようだ。
壁はあるものの、防風としては役に立っていない。小さく空いた穴から絶え間なく風が吹いてくる。屋根は無く、申し訳程度の日除けの幕が張ってあるだけだった。これでは外にいるのと変わらない。
誰かが咳をしている。周囲にはリリィと同じくらいの年齢の少女が、数人で身を寄せ合って座っていた。誰もが不安そうに黙りこんでいる。
咳をしたのは、藁の上で横になっている子のようだ。熱があるのか気怠げに目を閉じ、見覚えのあるコートを毛布代わりに体にかけていた。アニエスが着ているところを見たことがある。
「私は温かいものを持ってきてって言ったの! 硬いパンと干し肉で風邪が治るわけないじゃない。人を商品扱いするなら、管理には気を使いなさいよ!」
光源がある方向から勇ましい声がした。木箱の陰からそっと覗いてみると、アニエスが扉のところにいる誰かを叱りつけている。丈夫な布袋を返そうと突き出すが、受け取られることはなかった。
「すぐ売っちまうのに、そんな手間かけられるかよ」
「馬鹿じゃないの? 魔石で転移魔法を使うのに、いくらかかると思ってんの? 私達が高値で売れなかったら赤字よ。あんたね、責任取れるわけ?」
「そう言われても、俺が飯を管理してるわけじゃないし」
「呆れた。言われたことしか出来ないから、いつまで経っても使いっぱしりなのよ」
「なっ……おい、調子に乗るなよ」
「私達の監視って、その程度の仕事でしょ? 逃げたら他の人に知らせて、寄ってたかって捕まえるだけじゃない。とにかく薪とかまともな食事とか、風邪の薬を持って来るまで入ってこないで。許可なく入ってきたら、あんたに暴行されたって騒いでやるからね!」
アニエスは一方的に言い放つと、男を押しのけて乱暴に扉を閉めた。男は扉越しに口汚く罵っていたが、効果がないと気がついて静かになる。
突然の展開に口を挟む余裕がなかったリリィは、そっとアニエスに話しかけた。
「……アニエス?」
「あら。起きたのね」
アニエスはリリィに気がつくと、手に持っていた袋を木箱の近くに置いた。
「これ、私たちの食事ですって。酷いと思わない? 干し肉と硬くなったパンで、どうやって体を温めろって言うのよ」
「誰と話してたの?」
「奴隷商人の下で動いてる人」
「どうして奴隷商人が帝国に……」
帝国では犯罪者以外は奴隷にならないよう、かなり昔に法改正されている。その犯罪奴隷も国が管理をしているので、リリィたちには縁がないはずだった。
「私達を隣国に売るそうよ。敵国では特に高値で売れるとか言ってたわ。ふざけた話よね。だから私、扱いが悪いって文句言ってたの。少しでも見栄えよくしないと買い叩かれるのよ。勝手に値札をつけられるだけでも我慢できないのに、よりにもよって安物扱いなんて!」
「怒るところ、そこなんだ」
「もちろん誘拐して売ろうとしてることは、一番に文句を言ったわ。でも駄目。ここに来るのは下働きばかりで、ちっとも気が利かないんだから」
アニエスはそう強気に振る舞っているが、スカートを掴む手が震えていた。何をされるのか分からない状況で、男たちを相手に気丈に振る舞っていたのだから無理もない。他の女性から聞いた話と、男から聞き出した情報でおおよその状況は理解したとはいえ、本当に何もされないとは限らない。
周囲にいる女性はただ怯えて座っているだけだ。アニエスのように動ける方が珍しい。
リリィは自分のコートをアニエスに着せた。ここは暖をとれるようなものはない。防寒着も無しに夜を越したら、アニエスがコートを貸した女性のように風邪をひいてしまう。
「これ、リリアのでしょ」
「交代で使おうよ。寒くなったら代わってね」
「……ありがと。本音を言うとね、ちょっと限界だったの」
アニエスはコートの前を合わせてため息をついた。
疲れているアニエスには座って休んでいるように言い、リリィは膝の高さまである木箱を開けてみた。数枚のボロ布が入っているだけで、使えそうなものは入っていない。片っ端から開けていくと、古びたノコギリが入っている箱があった。持ち手の部分が腐蝕していて、金属部分しか残っていない。
「私も中を見たけど、壊れた道具しか入ってなかったわよ」
「壊れても罪悪感を持たなくていいね」
蓋を閉めた木箱を扉の前に置いて、障害になるようにした。外開きの扉なのでバリケードとしては役に立たないだろうが、嫌がらせとしては優秀だ。いくつか積み重ね、かろうじて顔が見える高さにする。
「あの人たちはどこから連れてこられたんだろう」
「リール領内の町よ。アルトロワからは私とリリアだけみたいね。床に魔法陣が出てきたと思ったら、リリアが倒れてるんですもの。驚いたわ」
監禁している部屋に来るのは、奴隷商人に使われている男たちだけらしい。幸いなのは商品として連れてきた女性に手を出すなと厳命されていることだ。商品価値が下がることは徹底して避けているようで、決まりを破れば男としての尊厳を失うという。
アニエスには意味が分からなかった様子だったので、リリィも彼女に合わせて分からないふりをする。前世が男だったリリィは容易に想像がついたが、あえて教えることもない。
「みんな魔法で連れ去られたのかな」
「違うんじゃない? リリアの後に一人来たけど、その人は見張りの男が連れてきたもの。あの人よ」
小声になったアニエスは一人で座っている女性を示した。神経質そうに藁で地面を引っ掻いている。リリィと目が合うと、抱えた膝に顔を伏せてしまった。一瞬だけ見えた顔立ちに違和感を感じたが、それが何だったのかリリィには分からない。
「ちょっと訛りがある帝国語だったから、外国出身なのかも。もしそうなら可哀想ね。わざわざ帝国に来たのに、滅多にいない奴隷商人に捕まるなんて。下手したら母国に奴隷として戻るなんてことも……」
見えている髪や手は綺麗だった。外で働く平民とは違う身分なのかもしれない。リリィが感じた違和感は、周囲の女性とは身なりが違っていたことに起因しているのだろう。彼女の服装は仕立てが良く、豪商の子女のようだった。スカーフを留めているブローチが鈍く光を反射している。
――そんな人が、どうして誘拐されたんだろう。
一人で町を歩いていたのだろうか。それともどこかの屋敷に押し入ったついでに連れ去られたのだろうか。
リリィは女性のことを考えるのは後回しにした。本人に聞かなければ本当のことなど分からないのだ。そんなことよりも、今は寒々しい環境を変えなければ、朝が来る頃には凍えて動けなくなってしまう。
蓄光石の光が徐々に弱くなってきた。空を見上げると、細くなった赤い月が見えている。もう一つの青い月は見当たらない。月明かりは弱々しく、蓄光石の光が消えてしまえば、歩くことは困難になるだろう。
「見張りに要望を伝えても無駄なら、自分たちで工夫するしかないな……」
冷静になろうとするほど、忘れていた分析方法を思い出していく。まるでスイッチが入ったように、思考が切り替わったのが自分でも分かった。




