小さな変化
ユーグが合流したのは、クァンドラが追加のケーキを食べ始めたあたりだった。お茶だけを注文してから席につき、甘そうな菓子類から目を逸らす。
「早かったわね。もっと時間がかかると思ってたのに」
「そうでもないよ。片付けはすぐに終わったんだけど、戻ってきてから色々な人に捕まってた」
部屋に置いていた道具は異空間収納へ放り込み、掃除をしてから出てきたらしい。お手軽な引っ越しだ。
「色々な人?」
「奥様を筆頭に、クァンドラとの関係を聞かれてね。幸い、クァンドラのことはフェリクスも知ってるから誤解を解いてくれたけど……怖かった」
「怖いって……彼女が? 想像つかないんだけど」
遠い目をして紅茶に口をつけたユーグは、一緒に提供されたクッキーを皿ごとリリィに渡した。
「普通に喋っているのに、背後に鬼が見えるんだよ。それで、ああ、怒ってるなって分かるんだけど。何かに魂を握られているような、底冷えする怖さがあってさ……淡々と、理詰めで諭してくるのがまた恐ろしさに一役買っててね」
紛らわしい行動はしないよう釘を刺されたそうだ。間違った情報が流れて苦労するのはユーグなのだからと。
「心配してくれたってことでしょ?」
「あれは僕じゃなくてリリィが悲しまないようにって配慮だと思うよ。君が関連するとモニカは過保護になるから」
転生してからほとんど会ったことがないので、実感は全くない。だがユーグが言うなら、そうなのだろう。リリィは近い未来に待っているであろう訪問が少し怖くなった。
「よく分かんないけど、フセイジツなことはしちゃダメだよ、ユーグ」
「不誠実ね。クァンドラ、よく分からないなら黙っていようか。主に君が原因なんだから」
紅茶を飲んで気持ちが落ち着いたユーグは、真っ赤な魔石をクァンドラの前に置いた。
「これで契約は終了だね」
「ちょっと多いよ?」
「部屋代の延長料金。忘れてた分の迷惑料ってことで」
「別にいいのにー」
いきなり始まった商売の話にリリィは困惑した。
「……契約?」
魔石を受け取ったクァンドラは、そうだよと軽く答える。
「あたしは部屋を提供する、ユーグは魔石を払う」
「一から隠れ家を作るより、クァンドラと契約する方が早いと思ってね。食事の世話とか睡眠管理までは頼んでなかったんだけど」
「ユーグはすぐに生命活動を怠けようとするからね! リリアと会えても早死にしたら意味がないんだよ?」
「はいはい」
ユーグはクァンドラの口の端についていたクリームをハンカチで拭った。ごく自然に世話を焼く動作が、リリィの心にもやついた何かを発生させる。
クァンドラは明るくて誰とでも仲良くなれそうな性格だ。女性らしさや可愛らしさといった、リリィが持っていないものを、目に見える形にしたようなところがあった。
子供扱いされてむくれるクァンドラに、ユーグは慣れた様子で言葉を返している。
――無邪気な妹と優しい兄というよりも、むしろ。
自分がいない間に流れていた時間。契約したこと以上にクァンドラは世話を焼いていたという。
――そうか。私、嫉妬してるんだ。
リリィは自分の中にある感情に気がついた。自分がやりたかったことを横取りされたような、ひねくれた受け取り方をしてしまう。半ば同棲していたのは、リリィに会うために必要なことだったのに。
一緒にいられて羨ましい――そんな子供のようなことを言えるわけがなかった。行き場を失った気持ちが空回りしている。
ふと、どうしてユーグはリリィが好きだと思っているのか気になった。理由を聞いたことがない。転生して姿が変化しても気持ちが揺らいでいないなら、外見で惹かれたとは考えられない。
「次は観光だね。町の真ん中に変な建物があったけど、あれは何?」
「あれは教会だから近付かないようにね。解剖されるよ」
「わ、分かった。見つからないようにするよ……じゃあどこを見ようかなあ。リリアはどこがいいと思う? リリア?」
リリィが自分の魅力について悩んでいると、ケーキを食べ終えたクァンドラに話しかけられた。
「えっ……観光? 特に珍しいものはないと思うけど。中心地から見てみる?」
「うん!」
待ちきれないといった様子でクァンドラが席を立った。今にも走り出しそうな彼女を制御しつつ、リリィとユーグが後に続いて店を出る。
アルトロワはリール領最大の町とはいえ、特に娯楽が発展しているわけではない。あえて言うなら平民が教育を受けられることが特徴で、近年では大人向けに新しい学校を設立する計画が立っている。
期待はずれで落胆するのではと危惧していたが、クァンドラには何の問題もなかった。住民には何の変哲もない町でも、よそから来た魔族には新鮮に映るらしい。珍しそうに辺りを見回し、開いている店舗に入っては商品棚を隅々まで見物していた。
一通りアルトロワを見物し終えると、夕方になっていた。クァンドラは満足した表情で、そろそろ帰ると言い出した。
「今から?」
「うん、見たいものは全部見たからね。リリアにも会えたから、目的は達成できたよ」
「じゃあ家まで転移で送っていこうか……なるべく人間の町には降りない方がいい」
主に人間側への被害を心配して、ユーグが提案した。種族が違えば価値観も違う。人間に騙されそうになったとき、クァンドラが力技で解決する可能性が高い。
「魔力は大丈夫?」
「あと一往復ぐらいなら平気」
すぐに帰ってくると聞いて、リリィは安心した。往復できるなら向こうで泊まることは無い。ユーグに下心は全くないと信じていても、嫌なものは嫌なのだ。
クァンドラはリリィとユーグの顔を交互に見てから、そっと距離をとった。
「……気流に乗って飛ぶから、人間の町には降りないよ。それにね、漂ってるだけだから疲れないんだ」
送迎は必要ないということなので、郊外まで連れていくことになった。帝都まで繋げる計画の峠道へ転移し、見晴らしが良くなった山頂へ登る。馬車が通れるよう道を整備していた作業員は、仕事を終わらせて宿営地へと引き揚げていた。ここからなら誰にも見られずにクァンドラが飛び立てる。
上からアルトロワを見るのは初めてだった。田園に囲まれた町は、思っていたよりも小さく見える。あそこに自分の生活の全てがあるということが、少し不思議でもあった。
「今日はありがとうね。楽しかったよ」
クァンドラはリリィに抱きついてきた。そのまま内緒の話をするように、リリィの耳元に顔を寄せる。
「大丈夫、ユーグはリリアしか見てないから」
「え?」
「あの男、かなり捻くれてて分かりにくいけど。たぶんリリアしか必要ないって考えてると思う。だから、大丈夫」
離れたクァンドラがコウモリのような翼を出す。最後にユーグの顔を見てから、音もなく飛び立った。
「じゃあね。今度はお土産持ってくるから!」
そのまま振り返らずに空高く飛んだ魔族は、風に乗って西へと流れていった。前世でよく遊んだ凧のようで、少し懐かしい気持ちになる。
「二人で何を話してたの?」
「秘密」
リリィはユーグの顔を見ずに答えた。今はまだクァンドラが言ったことを考えたくない。一人きりになって、そこで初めて自分の感情と一緒に整理しないと、うっかり余計なことを言ってしまいそうだった。
「ねぇユーグ」
「んー?」
森がある方を見下ろしていたユーグは、町に帰るか聞いてきた。それを断り、リリィはずっと気になっていたことを尋ねる。
「ユーグは私のどこが好きなの」
「えっ……」
「一度も聞いたことがなかったから不思議だったの。というか、いつから好きだったの?」
まさかこんな山道で聞かれるとは思っていなかったのだろう。耳まで赤くなったユーグが焦った様子で後ろに下がった。いつもの余裕がある態度とは違う。
「ま、まだ言えない。いつか言うから、今はダメ」
「どうして?」
「どうしてって、その、心の、準備が……」
喋るごとに声が小さくなっていく。見たことがない反応が可愛く思えてきて、リリィは距離を詰めた。
「じゃあ、いつならいいの?」
返事がない。藤紫色の熱っぽい瞳がリリィを見下ろす。見惚れていたリリィは、肩を抱き寄せられても反応できなかった。
視界が歪み、山道から見慣れた家の裏に移り変わる。リリィの自宅だ。厩にいた雌馬が、急に現れたリリィに驚いて奥へ引っ込んだ。
「逃げられたわ……」
強制的にリリィだけ転移させられた。引き寄せられたときにキスされると身構えてしまった自分が恥ずかしい。
きっと同じ話を出すたびに、こうして逃げられるのだろう。ユーグが考えていることが知りたくて、性急に距離を詰めようとしたのだから。
「あんな反応されると、余計に聞きたくなるじゃない」
逃げられると追いかけたくなる。
隠されると知りたくなる。
相手に合わせてゆっくり関係を深めようと思っていても、たまに気持ちが先走ってしまう。
リリィは次こそ聞き出してやると決め、家の中に入っていった。
*
ふわふわと風に乗って漂っているクァンドラは、アルトロワの町を遠目に見下ろした。
楽しい場所だった。人間の町をゆっくり見学するのは初めてで、見た目も味も素晴らしい菓子を堪能できた。本当の目的は達成できなかったが、良い思い出になったと言える。
「……二人が上手くいってなかったら連れて帰ろうかと思ったけど……仕方ないか」
あの一途な男は、出会った時から彼女しか見ていない。半ば諦めつつも、もしかしたらと期待していた想いは完全に砕かれた。
クァンドラは魔族だ。強さを求めるのは種族の性で、当然ながら相手にもそれを求めている。一目見て強いと分かる相手に惹かれるのは、本能が求めていることだった。
恩人の相手を横取りしたくない――クァンドラは諦める道を選んだ。彼女と会えなければ、自分はあの薄暗い洞窟で死んでいただろう。だから番を巡って争うことを止め、別の相手を探すことにした。
「どこかにいないかなぁ。強い人」
できれば同じ魔族がいい。
一途な相手なら、もっと幸せ。
クァンドラは家までの航路を漂いながら、己の未来について考えていた。




