かき混ぜた気持ち
元気よく工房に入ってきた女性を見て、リリィは懐かしいような気持ちになった。どこかで会ったような気がするが、なぜか暗い洞窟やらコウモリの鳴き声ばかりが脳裏を支配してくる。
「ユーリ」
親しげに笑いかけてくる女性が、リリィの名前を呼んだ。リリアーヌと言われていないのに、そう呼ばれることは間違いではないと知っている。
「こら、いきなり話しかけないの」
後から工房に入ってきたユーグが、女性の頭に手を置いて黙らせた。余計なことを喋らないようにするためか、徐々に力を入れて締め上げているらしい。女性の表情が引きつっていく。
「いらっしゃい……?」
「客か? それとも冷やかしか?」
アルトロワの住民ではない顔を見つけて、父親のテランスが奥から声をかけた。ユーグは困ったように微笑んで、従姉妹ですと紹介をする。
「さっき町に到着したばかりで。案内しているんです。初めて帝国に来たから、放置するわけにもいかなくて」
「ああ、外国から来たのか。出身は?」
テランスが女性に尋ねると、やや迷ってから南の方角を指さした。
「だいたい、あっちの方向だよ」
「いや、どこだよ」
苦笑したテランスはユーグを見た。子供っぽい言動のせいか、難しい話はしないほうがいいと判断したらしい。
「魔族。ロキニア王国より南、クロトーネ山脈を越えた先にある国家……というか、共同体」
知らない地名を並べられて、テランスの眉間に皺が寄った。前世なら外国のことは学校で習うか、世界地図を見て知っている。だがこちらでは地図を見られるのは特権階級に限られていた。庶民は伝聞で周辺国のことを知っている程度だ。
「と……とにかく、あっちの方向か」
「そう、あっち!」
テランスは聞いても分からないと判断して、女性の適当な説明を受け入れた。父親は平民にしては学がある方なのだが、さすがに外国の地理には弱かったようだ。アルトロワだけでも生活を完結させることができるので、仕方ないといえば仕方ない。
ただリリィは『アルシオン』という名前には聞き覚えがあった。記憶が確かなら、地名ではなくて種族の名前だったように思う。
女性はクァンドラとだけ名乗った。この国の主要言語であるタルブ語にはない名前だ。平民が姓を持たない国もあるので、名前だけの紹介でも違和感はない。
「案内か……ちょうどいい、リリアーヌも手伝ってやったらどうだ?」
「私も?」
「こいつだけで女が好みそうな場所を案内できるとは思えん」
「さすがお義父さん。製菓店を案内しろって言われて、困ってたんです」
「おい、まだお義父さんって呼ぶな」
工房の仕事はどうするのかテランスに尋ねると、問題ないと返された。
「もう繁盛期は過ぎた。今日は俺一人でも十分だ」
テランスが言う通り、村の巡回が終わってからは持ち込まれる魔石の数が少なくなっている。代わりに魔導器の簡単な修理を依頼されることが増えたが、リリィはまだ魔導器の修理は勉強している最中だった。
「お父さんがそういうなら……準備してくるから、待っててくれる?」
「はーい。ケーキのためなら、いくらでも待つよ!」
どうしても甘い物が食べたいクァンドラが、瞳を輝かせて待っている。リリィは歩きやすい靴に履き替え、財布を掴んで工房に戻った。三人で連れ立って歩いていると、うっすらと過去の記憶が蘇ってきた。
「クァンドラ?」
「ユーリ、久しぶりだね」
リリィが名前を呼ぶと、クァンドラは嬉しそうに笑った。
「人間はすぐ見た目が変わるって本当なんだね」
「色々あったからね」
魔族に転生の概念は通じるのだろうか。クァンドラに理解してもらえるよう説明できる自信がなかったので、リリィは彼女の勘違いを正そうとはしなかった。
今は由利ではなくリリアーヌと名乗っていることを伝えると、クァンドラはすぐに繰り返し名前を呼んだ。
「リリアーヌ? 長いからリリアって呼んでいい?」
「いいよ。クァンドラはどうしてアルトロワに来たの?」
「あたし?」
立ち止まったクァンドラは愕然とした顔でユーグを見上げた。大切なことを忘れていた、そんな感情が全身からあふれている。
「思い出した! ユーグ、あの部屋はどうするの?」
「……あ。忘れてた」
「あの部屋?」
「アルトロワに来る直前まで住んでたところだよ」
リリィが転生してくるまでの間、滞在先としてクァンドラの家を間借りしていたらしい。人の国は魔王や賢者の影響で情勢が不安定なところが多かった。さらに人に見られたくないことを研究していたので、秘密が露呈しない場所を探していたそうだ。
「クァンドラのところにいたんだ……」
「ちょっとした延命をね。君がいつ転生してくるのか分からなかったから」
声をひそめてユーグが補足した。外見が変わっていないということの裏には、公にしたくない研究の成果があった。
リリィが詳細を聞いてもいいのか迷っていると、クァンドラが不満を口にする。
「ユーグはすぐに食事と睡眠をサボるから、監視しなきゃいけなかったんだよ」
「あ、やっぱり。どうせクァンドラにうるさく言われるまで、作業を中断しなかったんでしょ?」
「さすがユーリだな! よく分かってるなー」
「うわぁ。味方がいないや。借りてた部屋を片付けてくるから、適当に観光してて」
劣勢と見るや、ユーグは転移魔法で逃げていった。
心の中にはもやついた感情だけが残る。過去を聞かないようにしていたのは、こんな気持ちになりたくなかっただけかもしれない。
魔族とはいえ相手は女性。ユーグの性格的に男女の仲にはならないことは断言できる。だがしばらく同棲していたのは事実で、クァンドラが身の回りの世話をしていたらしい。
自分の居場所を横取りされた気持ちと、仕方がないことで勝手に嫉妬している気持ちが混ざっている。二度目の人生のくせに、少しも落ち着きがない。己の幼さが嫌になる。
「追いかける?」
リリィの内面に全く気がついていないクァンドラは、彼女の家がある方向を指した。純粋な好意だけを向けられて、リリィは怯んだ。
素直で感情が表に出やすいクァンドラには、こちらも善意で返してあげたくなる魅力がある。ユーグもそう思っていたのだろうか。下心がない彼女なら、彼も言葉の裏を読まなくて済む。きっと快適な環境だろう。
「いえ……もう追いつけないでしょ。放っておいてパイでも食べに行かない?」
リリィは暗くなりがちな気持ちを抑えて、クァンドラを親友の製菓店に誘った。
「行く! 人間のお菓子は見た目が可愛いからね! ずっと食べたいって思ってたんだ。どんな味かなぁ。果物? それとも甘いカスタード?」
今にも歌い出しそうなクァンドラを見ていると、自分の悩みが小さなものに思えてくるから不思議だ。彼女が持つ明るさには、些細な問題を吹き飛ばす効果があるらしい。
アニエスがいる製菓店に入ると、独特の甘い香りに包まれた。扉のベルが鳴る音で、店番をしていたアニエスがリリィたちを見るなり、カウンター越しに手を振った。
「いらっしゃい。今日は珍しいお客さんと一緒なのね。ユーグの従姉妹だったかしら?」
「相変わらず情報が早いわね」
「それだけ彼が目立つのよ」
アニエスはリリィ達から注文を聞くと、奥の席へ二人を通した。
この店では菓子を売るだけでなく、買ったものを店で食べることもできる。追加料金を払えば紅茶も出してくれるので、お茶の時間になるといつも混んでいた。今は昼を過ぎたばかりなので、他に客の姿はなかった。
注文したパイと紅茶が届くと、クァンドラはうっとりと眺めた。食べるのがもったいないようだ。
「このまま飾りたい……」
「カビが生えるよ」
リリィはポットから紅茶を入れ、クァンドラの前に置いた。クァンドラは残念そうにフォークでパイを刺す。
注文したのは、秋になると売り出されるリンゴのパイだった。薄く切ったリンゴを小さな皿型のパイ生地の上に並べ、バラの花に見立てている。口に入れると酸味のあるリンゴと、甘いカスタードの味がした。どちらも主張しすぎることなく、調和が取れている。
「肉料理のソースは あたし達の方が発展してるけど、お菓子は人間のが一番美味しいね」
「帝国のお菓子は貴族が流行させてるの。お茶の時間を大切にしてるから、お菓子にも気合いが入るらしいよ」
貴族と庶民ではお茶の目的も違うのだが、概要は間違っていない。貴族は主に情報を収集するために茶会を開き、平民は休憩のためにお茶を淹れる。
茶会で提供される菓子も話題の一つで、茶会を開く必要がある貴族は、こぞって話題の中心になるために珍しく美味なものを求めた。市井の菓子店は、そんな貴族の目に留まるよう工夫を凝らし、生活に余裕がある平民はそうして生まれた菓子で一時の休息を得る。
「聞いたことある! 貴族は茶会の名目で他人の足を引っ張ってるって。インケンだから近付くなってユーグが言ってたよ」
陰険のことだろうか。
貴族の全てがそうではないことは、領主を見れば明らかだ。偏った情報を正そうかリリィは迷ったが、クァンドラのような純粋そのものな魔族が、狡猾な貴族に騙されるところは見たくない。彼女のために黙っていることを選んだ。
「リリアは見た目が変わったな。成長って言うのか? 胸が大きくなった」
「どこ見てんの」
リリィは上着をかき寄せて胸元を隠した。好きで大きく育ったわけではない。むしろ重いので縮んでくれるとありがたいのだが、それを言うと慎ましい胸の女性を敵に回してしまう。無い物ねだりとはよく言ったものだ。
「クァンドラも竜人族みたいに魂の形で人間を見分けてるの?」
話題を変えるために気になっていたことを聞いてみると、クァンドラは頬張ったパイを飲み込んでから、そうだよと答えた。
「竜人族は知らないけど、アルシオンは子供と大人でだいぶ姿が変わるからね!」
クァンドラから聞いた子供の魔族は、前世の悪魔とよく似ていた。頭がヤギだったり、下半身が獣そのものの姿をしているらしい。不定形なゼリー状になる子供もいるそうで、外見はお互いを見分けるための判断材料にはならない。
「匂いとか魔力とか、見た目以外の変わらないことを覚えておくんだよ。説明しにくいんだけど、目を閉じてリンゴとブドウを見分けるような感じかな。リリアの魔力は包む感じが強くなったね。魔力量は減ったけど」
「何となく分かった」
見た目以外で見分けているから、転生したリリィに会っても驚かなかったのだろう。彼女達にとって外見とは魂を包む包装紙でしかない。本質に変わりがないのだから、外側を覚えるのは無駄だ。
「人間にもそんな才能があったらいいのに」
「んむ?」
リリィのつぶやきにクァンドラが首を傾げる。子供らしい仕草は彼女の内面をよく表していた。何でもないと答えて、リリィはリンゴのパイを一口食べた。
心だけで他人と繋がることができたら、それは幸せだろうか。それとも新しい苦痛になるのだろうか。答えが見えそうにない疑問が浮かんだが、甘いお菓子を前にゆっくりと消えていった。




