来訪者
秋の空に黒い翼を広げた人影が現れた。気流に乗って滑空する姿は安定しており、飛ぶことに慣れている様子が見てとれる。
「えっと……人間の町では羽を見せないのがいいんだよね。見つからないように降りて、隠して、それから探さないと」
銀髪を風になびかせた女は、どこか幼さを感じさせる口調で言った。
眼下に見えてきた町を確認し、近くの森に狙いを定める。コウモリのような翼を体に密着させるように折り畳み、ほぼ垂直の軌道で急降下してゆく。森の木の先端が近づいてくると、今度は翼を広げて勢いを殺し、ゆっくりと地面に降り立った。
「そういえば銀髪って珍しいんだっけ?」
女は自分の髪を一房だけ摘んだ。右耳の近くにある部分だけ、薄い灰色をしている。女の種族では平均的な、ありふれた色だ。
「……まあいいか! 全くいないわけじゃないって聞いてるし!」
悩むことを止めた女は、森から見えている町へ向かって歩き始めた。だがいくらも歩かないうちに、弓を手にした男に声をかけられた。
「お嬢ちゃん、見ない顔だな。どこから来た?」
余所者が森にいると目立つ。矢こそ番えていなかったものの、男の目には警戒の色が現れている。あからさまに敵視されているにも関わらず、女は全く焦っていなかった。
「あたし? 人を探しに来たんだよ」
「ここは街道から離れているが」
「えっと……」
こんな時に使うといい言葉があったはずだ。女は探している人から教えてもらったことを、そのまま口にした。
「あの……お花摘み、してたの……」
「あっ……すまん、ヤボだったな。忘れてくれ」
何かの暗号なのだろうかと女は思った。ひとまず男は警戒を解いてくれたので、それ以上は考えることを止める。本当の意味は教えてくれた本人に聞けばいい。
「それで……人探しだったか?」
男は背中の矢筒に矢を戻しながら話しかけてきた。
「アルトロワの住人なら、ある程度は分かるが」
「本当!? ユーグって名前なんだけど、知ってる? 紫色の目で、変わった魔法を使う人」
「ああ、あいつか。いつもどこかに駆り出されてるからなぁ。まあ、何人かに聞けば居場所ぐらいは掴めるだろうよ」
知っていそうな人のところまで案内してくれると言うので、女は遠慮なく世話になることにした。人間の中には騙そうとしてくる奴がいると聞いているが、本当に危ない奴なら臭いで分かる。この男はまだ安全だ。
「嬢ちゃんはユーグとはどんな関係だ?」
「えっとね……こっちの言葉で何て言うんだったっけ……」
人間の言葉は発音が簡単だが、それ以外が面倒だ。女の種族なら一言で言い表せる言葉が、何種類も分かれている。
「外国人だったか。恋人ってわけじゃないよな?」
「違うよ。そんな言葉じゃなかった。たぶんユーグに会うまでには思い出せるはず!」
「いいよ、無理しなくて。あいつに聞けばいいさ」
「そうだね! ユーグに会えば全部解決するんだ」
女はあっさり同意して、鼻歌を歌いながら男に続いて森を出た。
*
革職人に手袋を注文したユーグは、工房から出てきた時に予感めいたものを感じた。何かが迫ってきている。命に関わるような脅威ではないが、あらかじめ備えておかなければいけない気がする。
「いた! ユーグだ! 本当に会えた!」
索敵機能の警戒レベルを最大に上げると同時に、能天気な女の声が通りに響いた。慌てて声が聞こえてきた方向を見ると、銀髪の女が満面の笑みで走ってくる。大人の男でも追いつけないほどの速さに、周囲にいる住民は驚いて動けない。
「ユーグ!」
走る勢いのまま飛びついてきた女の顔面を、ユーグは身体強化した右手で掴んだ。女は潰れたカエルのような声を上げて止まる。左右に大きく広げた腕が行き場をなくし、代わりにユーグの手を離そうとすがりつく。
「あのぅ、どうしてあたしは顔を掴まれているの……? ちょっと息苦しくなってきたから離してほしいなーって思うんだけど」
「君の腕力で抱きつかれたら、僕の肋骨が死ぬんだよ」
試したことはないけれど、きっとそうなるに違いない。ユーグには強い確信があった。見た目では分かりにくいが、この女は人間とは違う種族だ。その気になれば、片手で人間の首をへし折ることなど雑作もない。
「人間って、再会した時は抱きつくんじゃなかったの?」
「どこで聞いたの。それをやるのは仲が良い家族だけって覚え直して。僕と君は家族じゃないでしょ」
「そっか、ごめんね!」
危うく変な噂が立つところだった。己の危機管理センサーがまともに働いていることに安堵して、ユーグは手を離した。少し女の顔に跡が残ったが、数分もすれば元に戻るだろう。
――二股をかけてるなんて誤解されたら、せっかく認めてくれたお義父さんから殺される。
子供を大切にしているテランスには、不確かな噂よりも先に、女を紹介しておくべきだろうか。ユーグが迷っていると、女よりもかなり遅れて一人の猟師が走ってきた。
「はぁ……はぁ……急に、走るから……何かと思えば……」
「ユーグ! この人が案内してくれたんだよ!」
近くの森にいたところを見つけて、町でユーグを探す手伝いをしてくれていたようだ。確か名前はマルクと名乗っていたはず。テランスの工房を贔屓にしているので、何度か顔を合わせたことがある。
「そうだったんですか。ありがとうございます」
「いや……会えたならいいんだ。そういや名前を聞いていなかったな」
「あたし? クァンドラ。ユーグの」
「いとこ」
ユーグはさらっと嘘をついた。
「イトコって何だっけ? 発音、合ってる?」
「うん、あとで説明してあげるから黙ってて」
今は女が喋ると誤解されるだけだ。ユーグは乱暴にクァンドラの頭を撫でて黙らせた。なぜかクァンドラは嬉しそうに笑っているが、素直に従っているので放置しておく。
「いとこ? ああ、そういやユーグも外国出身らしいな。国境からここまで遠かっただろうに、よく女一人で来たなぁ。いや、あの足の速さなら問題ないか」
ユーグと女の髪の色が似ているせいだろうか。マルクは簡単に信じてくれた。もしくは、クァンドラの言動が幼いので恋人とは思えないのだろう。
アルトロワの住人は女の種族と交流をしたことがない。二人の関係を説明するのも面倒なので、この先も従姉妹として紹介しようとユーグは企んだ。
マルクとは路上で別れ、適当に歩きながら話しかける。
「ここまで飛んで来たの?」
「すごいでしょ。気流に乗るから疲れないんだ。ユーリとは会えた?」
「うん、会えたよ」
彼女はリリィと会ったことがある。前世の出来事だったので、呼び名も前世に由来したものだ。由利と発音できないために、ユーリと間延びしている。
「クァンドラも会いたい?」
「うん!」
即答したクァンドラを連れて、ユーグはリリィがいるはずの工房へ行くことにした。工房にいなくても、家族の誰かは行き先を知っているだろう。
――リリィはクァンドラのことを覚えているかな。
もし思い出せなくても、リリィなら空気を読んで話を合わせてくれるだろう。それよりもクァンドラがリリィに抱きつかないよう、注意しておかないといけない。
「ユーグ、いま殺気みたいなのを感じたよ?」
「気のせいじゃないかなぁ。そんなことより、クァンドラは『由利さん』に抱きつかないようにね」
ユーグはクァンドラが理解しやすいよう、前世のリリィの名前を出した。クァンドラは不思議そうに首を傾げる。
「どうして? 女の子どうしなら家族じゃなくても問題ないよ?」
「いや。僕が毎日毎日、必死で我慢してるのに、目の前で由利さんに触る奴がいたら嫉妬して殴りたくなるから」
「そっちなの!?」
複雑そうな顔でクァンドラは黙ってしまった。他に何があると思っていたのだろうか。
クァンドラと話していると微妙なズレを感じるのは、種族と言語、どちらの違いに起因するのだろうか。ユーグには正解が分からなかった。




