事故物件
数日後、教会から派遣されてきた巫女は、平均的な能力の女性だった。
アルトロワでは悪霊による被害が少ないため、葬儀や追悼の時ぐらいしか出番がない。そのため高い能力を有している巫女がいなくても、教会としての活動に問題は無かったのだろう。
「カーティアと申します」
緊張気味に名乗った巫女を見て、ユーグは激しく不安になった。彼女の人となりではない。滅多に会わない領主を前にして固くなっているが、巫女独特の礼儀正しさと柔らかい雰囲気は、どこに派遣されても差し支えないほど完璧だった。
死は貴賤に関係なく訪れる。巫女は王侯貴族の下に赴いて儀式を取り行うこともあるので、礼儀作法は見習いの期間に徹底して叩き込まれる。遺族を不快にさせないために言葉遣いや仕草までも矯正されるのだ。優れた巫女という評判の中には、普段の態度も含まれている。
ユーグは空き家を見上げた。彼女が保有している魔力と、空き家から溢れてくる魔力を比較すると、どう贔屓目に見ても巫女が負けている。
外に漏れ出している力だけでも差があるのだから、悪霊本体と正面からぶつかれば一瞬で勝負がついてしまうに違いない。
「では打ち合わせ通りに、敷地の外で待機しておくように」
「は、はい。葬送の準備をしておきます」
カーティアはフェリクスに言われた通りに外へ出ると、聖水で清めた小石を門の周りに置きはじめた。あそこへ悪霊を追い詰めればカーティアが始末する予定になっている。
空き家の玄関前まで移動したユーグは、フェリクスに正直に尋ねた。
「最高位の巫女だったモニカと比べるのは可哀想だけど……大丈夫なの?」
「だからお前がいる時に片付けようとしているのだが」
似たような疑問を抱いていた領主は、カーティアに聞こえないように小声で囁く。
思えば朝から不穏な空気だったのだ。フェリクスが用意していたのは、霊障にも効果がある対魔法装備だった。鎧こそ地味に見える革製だが、内側には魔法式が隙間なく刻まれている。上から羽織ったサーコートもまた、魔力に反応して強度が増す糸をふんだんに使ったものだ。
極め付けに魔王討伐の褒賞に皇帝陛下より下賜されたという剣は、攻撃魔法すら斬り裂くという業物。並の魔法使いなら、見ただけで降参してもおかしくない。
「どこの魔法国家に殴り込みをかけに行くのかと思えば、そういうことか……」
ユーグはエルフの里で買ったコートを羽織った。フェリクスの装備と同じく、魔法から身を守ることを優先して仕立ててある。
「悪霊を外に出す前に、できる限り相手の魔力を奪うぞ」
「やりがいがある仕事だなぁ。専門外すぎて過労死しそう」
改めて問題の家を眺めてみると、壁は意外にもしっかり残っていた。石や煉瓦を積んで漆喰で塗り固めている。元は農家だったのか、家の横に厩跡らしき残骸があった。屋根は赤茶色の瓦が使われていたが、ほとんど地面に落ちて割れている。
樹木が伸び放題になっている庭は、整理すれば簡単な菜園ぐらいは作れそうな広さだ。料理に使うハーブを育てるのも良いかもしれないと、ユーグは朧げに考えていた。
玄関らしい大扉は壊れて動かない。別の入り口を探して壁沿いに裏へ回った。虫に食われた裏口の扉を蹴ると、呆気ないほど簡単に壊れて落ちる。
「フェリクス、ちょっと待って」
中へ入ろうとしたフェリクスを引き留め、ユーグは青い球を空き家に投げ入れた。ゴルフボールほどの大きさの球は、朽ちた床板に当たると青い煙を勢いよく吐き出す。煙は短い時間で家中の空気を青く染めていった。
「何をした?」
「悪霊が見えないなら、見えるように色をつければいいじゃない。そんな考えで作ってみた。実験はしてないけど、使うのは悪霊だから問題ないよね」
「……そうだな」
フェリクスは迷ったものの、領民の範囲からは外れると判断したらしい。人には使うなよと注意するだけに留めた。話が分かる領主様で助かった。
煙が収まってから空き家に入る。内部は埃っぽく、まばらになった屋根から光が差し込んでいた。壁や床は全く青色に染まっておらず、煤けた色のままだ。
問題の悪霊の姿を探していると、二階だった場所から石や割れた床板が飛んできた。
「い、いきなり何すんの! 静かに暮らしてるのに煙で燻すって酷くない!?」
飛び交う廃材をすり抜けて、上から青く染まった女が降ってきた。長い髪を振り乱し、ぎらつく目でこちらを凝視してくる。
――これ、リリィちゃんが遭遇したら悲鳴あげるやつだ。
掴みかかってくる手を避けて予備の球を見せると、悪霊は泣きそうな顔で後ろに下がった。光が差し込んでいるはずなのに、悪霊が出てきた途端に室内全体が薄暗くなる。
「こういう建物ってさ、いっそ壊すって選択肢はないの?」
「お前の故郷は知らんが、だいたい悪霊自身の力で建物が保護されている。並の力では壊せないから巫女に除霊してもらうのだ」
ユーグは試しに壁へ向かって弱い電撃を浴びせてみた。小さな石なら砕く威力がある魔法は、壁に当たると反射して、空いた屋根から外へ抜けていった。壁は無傷なままだ。
「へー面白い。魔法が当たる直前に、悪霊の力が集約されていったね。ということは角度に気をつければ、悪霊の力を削ぐことも可能と」
「巫女が除霊できるまで削るには、どれほどの威力が必要だ?」
「むしろ防御以上の力で攻撃して、家を壊す可能性の方が高いね」
「どうせ建て直すのだから問題ないだろう? いま壊すか、後で壊すかの違いだ」
「建て直すのは僕なんですけど」
人のものになるからと、大雑把に事を進めるのはやめてほしい。
「さっきから何を言っているの……?」
悪霊の女が物陰から顔を覗かせている。
「何って、ここを建て替える話」
「この家は私のものよ!」
室内の気温が下がった。冷たい空気の中に刺すような痛みが混ざる。
悪霊は気に入らないことがあると暴走して人を襲う。巫女なら話を聞いて宥めるか、力任せに除霊するか選ぶ。
力技が通用するのは、己よりも弱い霊だけ。今の状態でカーティアに託しても、失敗することは分かりきっていた。
「お前はどのような経緯でこの家に住み着いた?」
フェリクスが冷静に尋ねると、女は力を霧散させて首を傾げた。
「どんなって……」
全体的に悪霊は複雑な思考が苦手だ。話題を逸らしてやれば、大抵は考えていたことを忘れてしまう。未練を残して死に、肉体から離れたことで思考力の大半が失われていると考えられている。
「そう、私は愛する人と無理矢理別れさせられたのよ。いつも物陰から見守っていただけなのに! まぁ、時には感情が赴くままに襲ったりもしたけれど。でもでも、あの人が悪いのよ。私以外の人と婚約なんてするから」
ただのストーカーだった。
「初めて会った時に分かったの。ああ、この人が運命の人なんだって。次の日からさっそく行動を始めたわ。最初は偶然を装って待ち伏せして、顔と名前を覚えてもらって……夜中に寝室へ潜入した時もあったわね。紳士的に部屋の外に出されちゃったけど」
女はユーグ達の困惑をよそに、愛しい人との馴れ初めから順番に語ってゆく。本人が愛と善意で行なっていること全てが、相手には嫌がらせと映っていたのではと確信できる内容だ。
「彼ってば、とても恥ずかしがり屋なのよ。だって私の顔を見ただけで逃げていくんですもの。彼の食事に、私しか見えなくなる薬を混ぜてみたこともあったわ。でも何の効果もなかったの。あの調合師に騙されたのね、きっと」
「……どうするんだ、これ」
「いや、話しかけたのはフェリクスでしょ」
「俺に恋愛の話が分かると思うか?」
「恋愛っていうか、ただの犯罪遍歴じゃないかなぁ」
悪霊に聞こえると何が起点で暴走をするか分からないため、小声で話し合う。
本気で関わりたくない二人のことなど目に入っていない女は、悲しそうに目を伏せた――ように見えた。真っ青に染まっているので細かい表情までは伺えない。
「失恋した私はこの家にたどり着いたの。寒い冬の日だったわ。メイドをしていた屋敷を追い出されて、住む場所が無かったのよ。だから私はここで生きていくの」
「もう死んでいるだろうが。厚かましい不法滞在者だな」
「君、ちょっと黙っててくれる?」
ユーグは思わずフェリクスの肩を掴んだ。せっかく悪霊が己のことを話しているのに、暴走させるようなことを言ってどうするのか。
「この家に来た理由は分かったよ。君が家を出て行きたいと思うのは、どんな時?」
「家を出る? そうねぇ、私を迎えに来てくれる男の人が現れたら、出ていってあげてもいいわ。あっ……もしかしてあなた達」
女は両手で己の体を抱きしめて、ふわりと浮き上がった。
「私の好みとはちょっと違うけど……でもせっかく来てくれたんだから私の恋人にしてあげてもいいわよ。さあ、私を連れ出して!」
「断る」
「ヤダ」
さあ、と差し出された両手から目を逸らし、ユーグとフェリクスは同時に拒絶した。
気まずい沈黙が流れる。
「……領主として何とかしてあげなよ」
「悪霊は領民ではない。外へ出る条件は分かったな? お前が何とかしてやれ。人を騙すのは得意だろうが」
「作戦とはいえリリィ以外と恋人になるとか嫌だってば。ここは重婚が認められてる君が行きなよ。嫌いな相手とでも結婚できる神経してるのが貴族でしょ」
「貴族にも拒否権はある」
「騙したのね……」
低い声が響いた。本音で押し付けあう二人に、女がどす黒い気配を撒き散らして睨む。
「私を、拒む権利なんてないのよ。あんたは私だけを見ていればいいの! 必要なものは全部、私が与えてあげる。だから」
まずいと思った時には、壊れたはずの裏口の扉が宙に浮いた。破片を寄せ集めながら裏口を塞いでゆく。悪霊の力で修復された扉は、どんなに叩いても微動だにしなかった。
「ここで私と一緒に暮らしましょうね」
暗い廃屋の中央で、青い女は朗らかに笑った。




