移住の条件
リリィに再会したあと、知人でもある領主に挨拶へ訪れたユーグは、そのまま屋敷に滞在するよう決められた。野放しにすると何をするか分からないという、領主の一方的な判断だ。酷い言い草だと思う。
「まるで僕がトラブルを呼び込むようなことを言うね」
決定が不服なら移住を認めないとまで言われて反論すると、フェリクスは無言で二冊の本を寄越してきた。
「お前は異世界からの移民だろうが。こちらの世界の常識を知らずにいれば、いずれそうなる。手始めに帝国法とリール領の法律を学べ」
「斜め読みでいい?」
「……最低限の歴史も知っておけ」
却下された挙句に本を追加された。分厚い本をざっと中を見てみると、皇族や貴族に焦点を当てて記されている。貴族が学ぶべき知識として受け継がれている本のようだ。
フェリクスが言っていることは正しいので、素直に歴史から学ぶことにした。執務室に置いてあるソファに座って本を開く。貴族の姓名が覚えにくいが、五回ほど通して読めば頭に入るだろう。
近年では紙が大量生産できるようになり、本の値段が下がってきた。加えて帝国では庶民に教育を施していることで識字率が上がり、娯楽としての読本が増加し始めている。貴族や教会が知識を独占している時代の終わりは、そう遠くないと思われた。
本を開いて数分後、歴史を中断して法律を読んでいたユーグは、フェリクスに話しかけた。
「リール領で移民が家を買うことに制限はないの?」
「各村や町の長及び領主の判断に委ねられていた……が、外国からの移民を制限するために審査が厳しくなった。多大な貢献かつ相応の金を払うことで、移住する審査を受ける権利が与えられる」
「審査の前に条件があるわけか。アルトロワに住もうと思ったら、君の審査があればいいと?」
「ああ。だが、知り合いだからこそ容赦はしない」
「そうして。外野が何も言えないぐらい完璧な方がいいよ」
身内に甘い為政者はいつか足元を掬われる。公正だと評判な領主なら、なおさらユーグに対して妥協してはいけない。
「お前は金なら問題ないと思うが」
「値崩れを起こせるぐらい魔石を溜め込んでるよ。全て換金したらいくらになるかなぁ……睨まないでってば、しないから」
とある賢者が消えたあと、各地を放浪していた時に得た魔石だ。当時は凶悪な魔獣が各地で暴れており、どの地域も被害に悩まされていた。上質な魔石が手に入ったのはいいものの、見境なく金に変えるわけにはいかず、半ば死蔵している状態でもある。
守るものが増えた領主は、ユーグのことを知人から危険人物に評価を改めたようだ。疑わしそうに見ている。
「経済に混乱をもたらすようなことをしたら、国が動くとだけ言っておく。貢献についてだが」
「手頃な魔獣とか盗賊がいるなら片付けてくるけど?」
「そんなものがいたら、俺が出る」
敵に対して好戦的な領主で、領民はさぞ平和に暮らせるに違いない――そう皮肉を込めて口にすると、存分に褒め称えろと普通に返された。
「家を買っても、外国人は二年ごとに更新料を支払う義務がある。払えなければ没収されて、他領にも情報が共有される。結果として帝国内に家を買うことはできなくなるだろうな」
「ブラックリスト入りしちゃうのか」
帝国は今、移民を受け入れたくない時期に来ている。なるべく規制を厳しくして、能力が高い移民だけを吸収したいのだろう。帝国が提示する及第点から溢れた者には大きな障害だ。
だが帝国が一番大切なのは自国を繁栄させる国民なのだから、富に縋ってくる他人を切り捨てるのは当然と言えた。
「購入したい家は決まっているのか?」
「郊外がいいね。中心地は狭い家ばかりだから」
「俺が所有している家に、ある問題が起きているのだが」
「あっ断れない予感がする」
「その問題を解決すれば、領に貢献したと認めてやる。どうする?」
どうするも何も、最初からユーグに解決させる気だろう。
――ギブアンドテイクに見せかけた搾取だよね。立ち回りが貴族らしくなったなぁ。
アルトロワに住もうとするなら、絶対にフェリクスの許可が必要だ。その彼が放置していた問題など、内容を聞かなくても面倒なことだと分かる。できることなら、面倒の方向が武力で解決できるものであることを願った。
「一応、問題を聞こうか」
「空き家に悪霊が棲みついた」
「教会から巫女を派遣してもらえば良くない? 君の名前で請求すれば、喜んで協力するでしょ」
「女が行くと出てこなくてな」
「うわ。面倒なタイプだった。女性がいるとダメって、巫女が除霊できないじゃないですかー」
「だからお前が来るまで放置していたんだよ」
悪霊は時間が経つほど力を蓄える性質がある。そこを指摘すると、フェリクスは問題ないと答えた。
「モニカの助言で家ごと封印している。人も悪霊も出入り出来ない上に、力をつける心配もないそうだ」
「へー。そんな便利なものがあるんだ」
己の力不足で悪霊を始末できないと判断した巫女が一時的に使う結界らしく、世間にはあまり知られていない。元巫女だった領主の妻らしい助言だ。
「悪霊自体の力は強くない。家の中に入らなければ害が無いせいで、教会から見た優先順位も低くてな」
「後回しにしているうちに、何年も経ってしまったと」
「領地の運営を最優先にしていた結果だ」
「まぁいいけどさ……」
封印してしまえば問題ない空き家と領地経営なら、後者を優先するフェリクスの選択は理解できる。
「家を封印したのは誰?」
「なぜそれを聞く?」
すぐに答えなかったところが怪しい。ユーグはもう少し踏み込んでみた。
「結界を使ったのはモニカかな? 君が何年も教会に封印を依頼するとは思えないし、巫女が使う魔法は帝国貴族が使う魔法とは理論が違う。彼女達が何年もかけて習得する魔法を、後回しにするような空き家のために覚えるのも無駄だよね」
読みかけの本を閉じ、誰にも聞かれないように盗聴防止の結界を張る。
「敷地には帝国で使う侵入防止の結界を使っている」
「家には巫女の結界を使っているでしょ?」
フェリクスは答えなかった。沈黙は肯定だ。
「モニカが力を取り戻していたとしても、言いふらすようなことはしないよ」
領主の妻が教会の巫女、それも聖女と呼ばれていたことは知られていない。教会内部の政治的な権力争いに利用されるのを防ぐため、利害が一致したごく少数の上層部と結託して、表舞台から退場したためだ。この事実を知っているのは数えるほどしかおらず、聖女は己の命と引き換えに魔王を倒したことになっている。
その後は結婚するまで、アルトロワにある教会のシスターという立場で、引き続き教会の管理下に置かれることになった。だが性格的に向いていない政治から遠ざかることができて良かったとユーグは思う。
不幸中の幸いとも言うべきか、巫女の力を失っていたことで素性を疑う者はいなかったそうだ。あの時代は生活に困った女性が教会に助けを求めることが多かったため、仕事に慣れていないシスターがいることは、そう珍しいことでもなかった。
「と言うか、一部の自警団員はモニカのことを知ってるんだし、悪霊を誘き出してモニカに還してもらえば良かったのに」
事情を知っている元騎士なら戦闘能力も高い。加えて仲間意識が高いので、人員を厳選すれば表沙汰になることは無いはずだ。
フェリクスは無表情で聞いていたが、やがて嘆かわしいと言わんばかりにため息をついた。
「俺が妻を危険な目に遭わせるわけがなかろう」
「くっ……この溺愛系愛妻家め!」
その妻は悪霊相手に一歩も引かなかった過去を忘れたのだろうか。更に対立している宗派の戦闘員とも戦ったことがあるのだが、どうやら記憶の彼方に置き去りにしているようだ。
「妻を溺愛して何が悪い」
「開き直ってる! そうだけど! そうなんだけどさぁ!」
あまりにも正論すぎて返す言葉がない。
「理解したなら悪霊退治へ行くぞ。教会の巫女に最後の葬送をしてもらう。日程が決まるまでに、対悪霊の装具でも整えておけ」
「もう決定なんだね……」
家の立地や広さを教えられ、ユーグは受け入れざるを得なかった。求めていた条件に合う上に、審査を受ける際の良い判断材料になる。
悪霊には何が有効なのか――行動の日までにモニカに聞いておこうと決めて、ユーグは歴史の本を開いた。
*
「一つ確認させて」
リリィは話の合間で尋ねた。
「領主様と奥様は私が転生したことを知ってるの? 何度か会ったことがあるけど……」
前世で異世界転移をする切っ掛けとなったのは、彼女が使った反魂の魔法だった。死にかけていたフェリクスを救おうとした魔法が、日本で事故に遭ったリリィ達を呼び寄せてしまったのだ。リリィだけは日本へ帰ることになったので、あれから二人がどんなきっかけで結婚したのかもよく知らない。
「うん。巫女は魂の情報を、ある程度は知ることができるからね。二回も日本へ送り返したんだから、なかなか忘れられないだろうね。ただ君は前世を忘れている様子だし、言えなかったんじゃないかな」
領主の立場から、ただの領民に話しかけるのは難しいだろう。ましてや前世といった不確定なことを持ち出せば、気でも狂ったのかと言われるのがおちだ。
「落ち着いたら、会いに行く?」
「そうね。でもなんて呼べばいいんだろう。今まで通り『奥様』だと泣かれそうだし、前世みたいに呼び捨てなんて出来ないよね?」
「むしろ前世みたいに呼ばないと泣くんじゃないかなぁ。ただでさえ君に負い目があるのに」
「なんで?」
「僕とリリィが一時的に別れる原因になったからって理由で。リリィが転生してくる前は、自分の幸せのことなんて後回しにしてたぐらい」
「真面目ね」
「本当にね」
気にしなくても良いのにとリリィは思うが、それがモニカの性格だ。真面目で優しい聖女らしい。
「続けても良いかな? 教会から呼んだ巫女とフェリクスの三人で空き家に来たんだけど――」
リリィは爽やかな味のお茶を飲みながら、静かに続きを待った。




