第33話 作詞、作曲、吉田深雪 光の輪
秋が終わろうとしていた頃、僕らは冬服の上にコートを着てリハビリセンターにいた。
いつものように洋楽系音楽のコピーを暗譜で演奏しながら、時には会社での出来事や先輩社員の愚痴を言い合い、お互いの境遇を話しては聞き役に廻っていた。
通勤中の電車内ではサラリーマンと思われる数人が乗り込んでくると、きまって上司か部下の悪口を言い合っている。そんな会話を僕は毎日、帰宅時に聞き耳を立てないまでも聞こえていたので「どこの会社も同じようなものだよ」とドラマーに言ってやった。
練習のために借りた部屋を出ていく時間まであと三十分しか残されていない時だった。ドアをノックする音に気が付き、僕らは演奏を止めたんだ。
「村尾くん、お客様様だ。誰だと思う?」
声の主は僕に呼吸の反射で空間認識出来ることを教えてくれたリハビリ担当の先生だ。
「先日は深雪の法事にお越し下さりありがとうございました。吉田深雪の父です」
僕は吉田さんのご両親のお顔を知らない。けれども数ヶ月前の法事の時に、お声だけは聞いていたので直感的にお父様の声だと判断ができていた。
「村尾さん、これを聴いてほしいんです、みなさんにも聴いてもらいたくて今日はお邪魔させて頂きました」
吉田さんのお父さんはそれだけを言うと紙製の袋であろう入れ物からカセット・テープ・レコーダーを取り出して再生スイッチを押した。
レコーダーのモーターがキュルキュルと唸り始めて録音された音が聞こえてきた。
「え〜と、ここかな、うん、ここだ。コードはFメジャー7ね」
懐かしい声だった。声に続いてピアノの鍵盤が音楽を奏で始めた。そして彼女は歌い始めたんだ。優しい声で、か細い歌声で歌詞をメロディに乗せて歌い始めたんだ。
幼いあの日 僕の瞳は 輝く光を見つめていた
どこかを彷徨ってしまった時でも 歩いていく道を光は教えてくれた
どんなに人生が寂しくなっても
どんなに心が暗闇に落ちていっても
僕は君と歩いていく
それが僕と君のふたりで 生きていく道なのだから
それが光の輪の中ならば
深雪さんの歌声は『歩いていく』のフレーズあとから声量を大きくして歌い続けていった。曲はスローなバラードを崩すことなくAメロとBメロだけであり、録音テープにはまだ続きがあるようだが、深雪さんのお父さんは再生スイッチを止めて、僕たちに語り始めた。
「曲はここまでしか録音されていないのですが、このあとに深雪の声が残されているんです。もしも聞いて頂けるならば深雪は喜ぶと思う、でもあの子が君たちに残した言葉を重く受け止めてしまうと申し訳ない」
深雪さんのお父さんの声は太くてちょっとだけもの悲しさを漂わせていたけれど、僕は今聴いたばかりのバラードと吉田深雪さんの声が頭の中でリフレインしていたから、ほかの二人がなにかを言い出してくれるのを待っていたんだ。もちろん表情を見て取る事はできない。
「お父さん、聴かせてあげてください。この子たちは七年前より遥かに成長している。おそらく世間の同じ齡の誰よりも強い大人になっていますよ」
僕たちのことを買い被ったリハビリの先生の言葉を受けてカセットテープはふたたび動き始めた。
「タイトルは光の輪、吉田深雪作詞、作曲のオリジナルよ。ここからサビに入っていくんだけれども、どうしようかなぁ、作詞は簡単だけれど作曲がね、フレーズが思いつかない。わかんないなぁ、テンポアップは変かな。あ〜ん、わからん!どうしたらいいの村尾君、教えてよ」
磁気テープの中で深雪さんは声に出して悩んでいた。まるで彼女が今、この場所で僕たちをあの頃と同じように巻き込もうとしている喋り方だった。そして彼女は僕に救いを求めていたんだ。
曲は途中までしか出来ておらず、レコーダーに残された声に続いてピアノの鍵盤を叩きながら幾つかの和音を磁気テープは残していた。きっと作曲の続きを模索するために試し打ちされたピアノのコードだったのだと思う。コード進行は曲の旋律を作り出してはいないし、音楽とは言い難いピアノの音が続いていくだけだった。
「未完成ですけれど良い曲ですね。バラードが深雪さんの心情を丁寧に表現していますね」
リハビリの先生は曲の感想を言葉にして深雪さんのお父さんになのか、あるいは僕たちに伝えた。




