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4.バイトのままでいたいのです

 テーブルに突っ伏した体勢で、ちとせは玄関の外から聞こえる音を聞き洩らさないよう、目を閉じて耳をそばだてる。


(まさか、本当に黒猫亭に依頼して来るとは思わなかったな。五日に一回、三時間だけアレクシス様の屋敷を訪ねる。高額報酬だし最近は私が好きなお菓子まで用意してくれるし、本当に好待遇。それだけ切羽詰まっていたのよね)


 外から馬車が停車する音が聞こえて、ちとせは突っ伏していた体を起こした。


 ちりんちりんっ。

 玄関扉の呼び鈴が鳴らされて、ちとせはテーブルの端を掴んで立ち上がった。



 迎えに来た馬車に乗車したちとせが連れて来られたのは、貴族の邸宅が建ち並ぶ区画の中でも最も王城に近い場所に建つ、ブランシュ侯爵邸。

 アプローチの手前で停車した馬車の扉を開き、ちとせに手を差し伸べて来たのは御者でも執事でもなく、シャツとスラックスという軽装のアレクシスだった。


「チトセ、手を」


 笑顔のアレクシスから差し伸べられた手を断れず、ちとせは彼の手のひらの上に右手を乗せた。

 軽く握られた手は、すぐに指を絡ませて繋がれる。


「あの、アレクシス様? 近いですよ。あっ」


 二人の距離を少しでも空けようと、ちとせが歩く速度を少し遅くすればアレクシスは繋いだ手を軽く引き、さらに距離が縮まった。


「いつもと変わらないだろう」


 耳元で言われると何も反論できなくて、頬を赤くしたちとせは俯いた。


(そうじゃなくて、今はまだ外なのっ。皆さんが見てるのー!)


 乗って来た馬車の御者や、出迎えに出て来た執事と護衛達から興味津々といった視線を向けられているのを感じつつ、アレクシスと手を繋いで歩く。

 アプローチを歩き、屋敷の玄関手前で曲がって向かったのは、庭園だった。


 主の性格を表しているようにシンプルな造りの庭園を進み、奥に建つ八角形のガゼボに着くとアレクシスは柱と柱の間に手をかざした。結界の一部が解除されて、柱と柱の間に入口が出現する。

 屋根を支える柱全てに魔石がはめ込まれており、雨や虫がガゼボ内に入らないようにされている。

 ガゼボの中央には大人四人くらいが座れるベンチが置かれ、背凭れに大き目なクッションが二個並べてあった。


「どうして外なんですか?」

「呪いが周りに影響が与えて、体調を崩すメイドがいたため外にした」


 アレクシスにエスコートされてベンチに座り、ちとせは改めて彼の顔を見上げる。


「では、魔法を解いてください」

「ふっ、さすがにチトセは誤魔化せないか」


 苦笑いしたアレクシスが幻視魔法を解除し、彼の全身状態を確認したちとせは眉尻を下げた。


「これは……随分と無理をしたんですね。またぐちゃぐちゃに絡まってますよ。座ってください」

「ああ」


 ベンチに座ったアレクシスは、クッションに凭れ掛かり目を閉じた。


「無理しないでって、遠征に行く前に約束したでしょう……こんな、ひどい」


 呪いが埋め込まれている左胸から伸びた黒色の糸は、アレクシスの左半身を完全に覆いつくし、右半身にも伸びていた。

 呼吸を荒げるアレクシスの左胸から黒色の靄が放出され、ガゼボ内は黒く霞みちとせは目を細めた。


「半日前まで魔獣討伐に出て、前線で戦っていたからな。魔獣を殲滅させるために魔力を使い過ぎたのと、転移魔法を使ったせいだ。王都に置いていた影たちが、卒業式でダミアンが騒ぎを起こすことと、チトセが夜会の仕事を引き受けたことを知って、急いで戻ってきた」


 ちょうど五日前、アレクシス率いる部隊が国境付近で大量発生した魔獣の討伐に向かった。

 前回、ちとせが呪いの緩和をしてから五日経ち、呪いが全身に広がり始めているのに転移魔法を使用し、大量の魔力を消費したのだ。立っているだけでも苦痛だろう。


 眉根を顰めたちとせは、アレクシスの左胸から伸びる紐状になった黒色の糸に指をかける。


「呪いを解きます。もう、黙ってください」


 複雑に絡まっている糸に魔力を流し込んで解いていき、解いた糸がアレクシスの体に絡み付かないよう、一か所に集めて黒色の球体にする。

 体を覆っていた呪いの糸を解き、ちとせの頭大になった球体を結界で覆うと、浄化魔法を発動した。


 パキィーン!

 黒色の球体は粉々に砕け散り、粉塵は空気に溶けて消えていった。


 粉塵が全て消えて、閉じていたアレクシスの目蓋が開く。


「……だいぶ楽になった」


 糸を解き残していないか、左胸に触れていたちとせの手に自分の手を重ね、指を絡めませて握る。


「あ、あのですね。もう無理をしないでくださいね。呪いが全身に広がってしまったら、解く前に命を吸い取られてしまいますよ」

「呪いが広がる前にチトセを探して、縋りつくつもりだから大丈夫だ」


 真っすぐちとせと視線を合わせて、アレクシスは握った彼女の手の甲に口付けた。


「えっ? ちょっと、アレクシス様?」


 背凭れを片手で持ち起き上がったアレクシスは、焦るちとせに覆いかぶるように顔を近付けていき、そのまま彼女の膝に頭を乗せて横になった。


「眠い。少しだけ、膝を貸せ……」


 掠れた声で言い、アレクシスは目蓋を閉じる。

 膝枕よりもクッションを枕にして寝た方が寝心地はいいと思うのだが、呪いによって疲弊しているアレクシスを無理やりどかすことも出来ず、ちとせは汗で額に張り付いている彼の前髪を掻き分けた。


「……どうして転移魔法を使ってまで、駆け付けてくれたの?」

「……チトセが、巻き込まれたら……」


 返ってくるとは思っていなかった返答は、ちとせの心臓を大きく跳ねさせた。

 かつて帝国軍と戦った英雄とは思えない、警戒感など微塵も感じさせない穏やかな寝顔を見下ろして、ぎゅっと自分の胸元を押さえた。


(「俺が耐えられない」って、そう言ったの? 耐えられないって、どういうこと? それに、我慢しないで前みたいに他の人から精気をもらえば呪いは抑えられたのに。英雄様の力になりたいと思っている人はいるでしょう)


 眠っているアレクシスの銀髪にそっと触れてみれば、見た目通りのサラサラで柔らかな髪の感触がした。

 実年齢よりも幼く見える寝顔に、胸の奥がざわざわと落ち着かない気分になる。


『十年前、私が斃した皇帝は絶命する寸前、私に呪いをかけた。それは、“生きながら徐々に肉体が死んでいく”悪趣味な呪いだ。皇帝の死によって呪いは強固なものになり、私の魂にまで浸食していてね。様々な方法を試したが、解呪出来なかった』


 収穫祭で再会したアレクシスが告げた、自身にかけられている皇帝が命を媒介にした呪い。

 呪いを可視化して触れられるのは、ちとせが異世界からの転移者であり、魔女から譲渡された魔力が膨大だからだろう。


(生きながら死んでいくって、細胞が壊死していくってことだよね。痛くて苦しいだろうな。権威を振りかざして一言、「私に仕えろ」って命令すればいいのに、律儀に契約を守ってくれてる)


 髪を撫でる手を止め、ちとせは魔力を練りアレクシスに向けて守護魔法を発動させた。

 呪いが埋め込まれている心臓を中心にして、呪力が活発化した時に抑え込みやすくなるよう、呪詛の上書きをする。


「いつか、私が元の世界に戻るまでに、呪いが解けるといいですね」


 そっと頬を撫でれば、アレクシスの目元がピクリと動く。


(契約だから、仕事上の相手だって分かっている。でも、こんな寝顔を見ちゃったら、助けてあげたくなるじゃない。本当に厄介な英雄様だわ)


 肩から掛けていたショールを外したちとせは、眠るアレクシスの上にショールを掛けた。



 ***



 髪を撫でていた手が離れるのが寂しくて、縋りつくようにその手を掴んだアレクシスは閉じていた目蓋を開いた。


「……チトセ?」

「お目覚めですか?」


 アレクシスが目覚めたことに気付き、チトセは読んでいた本を自分の横へ置く。


「俺は、眠っていたのか」


 片手で顔を覆ったアレクシスは、ゆっくりと体を起こした。体を起こした際、肩から掛けられていたショールが床へ落ちる。


「眠っていたのは二十分くらいです。そろそろお屋敷に戻らないと、皆さんが心配しますよ」

「俺の心配よりも、チトセの心配をしているはずだ。俺がチトセを襲っていないか、とな」

「お、襲うって!?」

「く、はははっ」


 声を出して笑ったアレクシスは、手を伸ばして床に落ちたショールを拾うと、頬を赤く染めるちとせに手渡す。


「チトセ、俺の下で働かないか?」

「嫌です」


 ショールを両手で抱き、ちとせは何度も首を横に振る。


「相変わらずつれないな」

「今回みたいな例外はあっても、契約条件を守ってもらえて色々な仕事を出来る今のままがいいんです。それに、私なんかがアレクシス様にお仕えするのは畏れ多いですから。ほら、外で執事さんが困っていますよ」


 視線を逸らしたちとせは立ち上がり、ガゼボの外に待機している執事の姿を確認する。


「そろそろ帰ります。また体調が悪くなったら連絡してください。勤務可能時間に伺います」


 早口で言い、ショールを羽織ったちとせは逃げるようにガゼボを後にした。



 ***



 ちとせと入れ替わりでガゼボへやって来た執事は、口元に手を当てて考え込むアレクシスに向けて頭を下げた。


「アレクシス様、お見送りはよろしいのですか?」

「ああ。今追いかけたら、そのまま閉じ込めてしまいそうだから、いい。しかし、振られるのはこれで何度目かな」


 遠ざかっていくちとせの後ろ姿を目で追い、アレクシスは愉しそうに口元をほころばせて答えた。


「アレクシス様の誘いを何度も断る女性は、チトセさんくらいですね」

「俺と関わるのは契約上の仕事だけで十分、だそうだ」

「さようでございますか。ふふっ、見事に振られましたね」


 小走りで去って行ったちとせの姿を思い出して、執事は笑顔になる。


「アレクシス様、部屋の準備は整っております。お休みになってくださらないのでしたら、チトセさんに言いつけますよ」

「睡眠不足で体調を崩してチトセに叱られるのも楽しいだろうな。呪いを悪化させて、また心配されるのもいいな」

「……その締まりのない顔と今の発言を知ったら、きっとチトセさんは逃げますよ。屋敷の中へ戻ってください」


 執事に急かされて立ち上がったアレクシスは、呪いが埋め込まれている左胸を手で押さえた。


(俺を恐れず英雄扱いをしない女はチトセくらいだ。どこに逃げても、絶対に捕まえてやるさ。準備が整うまで、派遣の仕事とやらを楽しんでいればいい)


 呪いを抑えられるようにと、ちとせが施した守護魔法の力と体内に残る彼女の魔力を感じ取り、アレクシスはクツクツと喉を鳴らして笑った。



終話になります。

お読みいただきありがとうございました。

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