いっしょにいたいよ
「あら」
「ああ」
やっぱり気づいたのは向こうのほうが早かった。僕はまた村井さんと顔をあわせた。仕事帰りに寄ったスーパーマーケットで、彼女はやっぱり子供を抱いて、それから買い物袋を提げていた。
「こんにちは、はじめ」
「こんにちは、村井さん」
彼女はプッと吹き出した。
「どうしてまた村井さん、なんて他人行儀な呼び方をするのさ。昔みたいにキコって呼べばいいのに。それにいまは私、名字大和だよ」
人妻をそんな親しげに呼ぶのはマナー違反でしょ? と僕は思ったが口には出さずに「最初にキコって呼んだときには『私の名前はノリコだ!』ってめちゃめちゃ怒ったくせに」とか言ってみた。
村井さんは明後日の方に視線をやってしばらく考えたあと「そういえばぞんなこともあったかなぁ」なんて嘯く。そもそも僕が村井さんのことをキコと呼び始めたのは、村井さんが自分のノリコという名前をまるで気に入ってなかったからだ。響きが可愛くないから嫌いだったらしい。最初「キコ」と僕が呼ぶと前述の通り「それでも親からつけられた名前だから」とこっぴどく怒られた。けどそのうち「あの、えっと、キコって呼んでも、いいよ?」となんだかよくわからないうちに許されたのだった。意外と気に入ったそうだ。女心はわからないのである。
それはともかく村井さんは僕の手にぶらさがった買い物袋をじーっと見つめていた。野菜とか魚とか色々。今日はムニエルにしようと思っていた。
「おつかい?」
「いや、単に夕飯の仕度」
「ええっ!?はじめって料理できるの?」
「君は僕のことをなんだと思っているのか小一時間ほど問い詰めたい」
「ダメ人間」
「はいその通りです……」
どんよりする僕を見て村井さんはクスクスと笑う。
「まあ冗談だけどさ」
「ん」
それくらい言わなくてもわかる。
僕らはずっとこんな感じだったんだから。
ふとトイレの方から背の高い男が歩いてきた。どこかで見たことあるなぁと思って、苦笑する。どこで見たかって、村井さんの結婚式で見たのだ。
「あ、ヤマト。紹介するよ。こちら、高校の頃からの友達のはじめ」
「ああ、あのはじめさんか。お噂はかねがね」
ええと、村井さんは僕のことをどんな風に話していたんだろか……?
そのあたりで、村井さんの胸に吊られていた赤ん坊が小さくぐずりだした。
「じゃあこのへんで」
母親の顔になった村井さんは僕に背を向けて、大和さんと一緒に駐車場のほうへ歩いていく。二人の雰囲気はとてもやわらかくて暖かいものだった。
僕はそれから家に帰り、買ってきた鮭に小麦粉をつけて油を多めに敷いたフライパンで焼いた。適当にサラダをつくって、ついでにスープも作って美鈴の帰りを待つ。そのうち帰って来た美鈴は「ツカレターゴハンデキテルー?」なんて愚痴気味な声で言う。
「出来てるよー」
僕が答えると「よしよし、あんたは使えるはじめだなぁ」なんて頭を撫でられた。それから冷蔵庫を開けて麦茶をコップに注ぐと腰に手を当てて豪快に飲む。
「あのさ、美鈴」
「んー?」
二杯目を同じようにして男前に飲み始めた美鈴は、「美鈴って結婚についてどう思ってる?」盛大にお茶を吹いた。
「どうしたんだい? あたしと結婚したいのかい?」
なんてからかうような笑みを作って訊いてくる。
結婚したいのか?……うん。イエスだ。僕は結婚したいのだ。今日の村井さんと大和さんを見て、あんな風になりたいと思った。僕は美鈴を幸せにする自信はあんまりない。だけど美鈴といると、僕が幸せだった。僕が幸せになる自信はめちゃくちゃある。
「うん。したい。美鈴と結婚したい」
だから僕は素直にそう答えた。
「え、あ、ぅ、ぅぅ……」
美鈴は困ったように、照れたように二三度視線をさまよわせて、ぼくの顔を見て、それから下を向いてとても小さな声で「はい……」と言った。
エピローグ
その後、ぼくはこっぴどく怒られた。プロポーズするときは男は絶対に指輪を用意しなければならないものなのだそうだ。だけど一緒に指輪を見に行った彼女はひどく上機嫌で、あれがいいなぁ、でもこっちもいいなぁ。はじめはどう思う? ぼくはあっちのやつが好きかな。えー、ださーい。でもそれで決定! なんてやり取りをやりとりをして、最後に美鈴は「まったく、あたしを好きになるなんておまえはほんとに見る目がねーな!」と言った。
そんなことないと思うけどなぁ。




