第十七話 幕切れ
「二人とも時間稼ぎを頼む!」
片手ではヒメとの接近戦は無理だ。
それなら、二人に任せて俺は魔法に専念した方がいい。
『ああ!』
『はい!』
声を出したわけでは無いが何となくそう言っている気がする。
フェンリルが強烈な冷気をまとい、ヒメに接近しようと走り出す。
このわずかな時間にオーレリアを倒した。その実力は既にかつての勇者すら超えているだろう。まず間違いなく最強の敵だ。油断などする余裕はない。
だが、そんな俺たちの覚悟を嘲笑うようにヒメは問う。
「いいのですか?」
言葉と共に剣を抜く。
「二人が死んでも?」
まるで嵐の中に立っているかのようだった。ヒメから殺気があふれ出る。体にぶつかる圧力に恐れを抱く。以前立ちあったときとはまるで別格の濃密な死の気配。
やばい。
悪寒が全身をかけめぐる。
「っ!?二人とも下がれっ!!」
『『!!!』』
俺の指示にかろうじて二人は足を止める。
その目の前を剣風が通り過ぎる。
「惜しかったです」
ヒメはオーマに笑いかける。
「オーマ。まさか前に戦ったとき、あれが私の本気だなんて思っていませんよね?そんなわけないです、オーマのことが心配で本気だせなかったんですから」
「二人とも距離を取れ!!」
「近づかないなら私から行きますよ?」
ヒメは俺に向かって地を蹴り迫る。その瞬間フェンリルの片頭が雄たけびをあげ、少し遅れてもう一方の頭も雄たけびを上げる。
瞬間巨大な氷の塊が凝結する。氷の名を冠する二人にはこれぐらい容易い。
目の前に現れた氷壁に今度はヒメが足を止める。だがそれもわずかな間、剣を振ると氷が粉々に砕ける。
そこへ遅れて放たれた氷刃が迫る。剣を振り切った後の隙を狙うがヒメは最小限の動きでかわしてしまう。
近づかなくてもやりようはある、とばかりに氷雪が舞い荒れ、時折ランスのように太く鋭いつららがヒメに向かって飛ぶ。が、そのことごとくがヒメにダメージを与えるには至らない。
それでも足止めには十分だった。
「やっぱり少し邪魔ですね」
鬱陶しいと言わんばかりに荒い動きで氷柱を払いのけたヒメが剣を納める。するとその鞘は刀に形を変える。
(あれは・・・。)
「時間稼ぎは十分だ!巻き添え喰らわないように下がれ!」
『了解!』
二人の短いながらも必死の健闘のおかげでようやく完成した魔法を発動する。現れる俺の分身、二千体が平原一帯を埋め尽くす。
どの分身も本体とは違い両手があり、ブラン・ノワールを持っている。
そして現れると同時ヒメに斬りかかった。
「オーマがいっぱいですね」
少し嬉しそうにつぶやくヒメ。それは愛情によるものか狂気によるものか。
迫る俺の分身の強襲をたやすくかわし居合を撃つでもなく一体、二体と切り捨てる。しかし、斬られた分身が分裂し背後から襲い掛かる。
「オーマとの戦いは手間がかかります」
ヒメが持つ聖刀が青白い閃光を放つ。前よりもはるかに強い輝き。破魔の剣だ。そして刃渡りが伸長している。およそ十メートル、一振りだけで分身が十数体斬られ、そのまま消え去る。ヒメが一歩進むたびに俺とヒメの間の分身が削られていく。
だが開いた穴を塞ぐようにヒメの後ろ、左右の分身が正面へ回る。
そして、それを囲い込むように並ぶ七百体の分身が接近せずに、お決まりよろしく揃って詠唱していた。
「ヒメ、少し眠ってくれ」
斬り舞うヒメに最大威力の魔法を放つ。全力で倒さなければこちらがやられる。
各分身が持つノワールがまばゆいばかりの光を放ち始め槍へと形を変えていく。ヒメに向かって前後左右、上空からの三方向、計七方向へと陣取った光槍はヒメへと狙いをつける。
「穿て光槍!『七つ星影』―――」
俺が七人がかりでようやく発動できる魔法。七つの光の槍。
「―――百連。」
それが百。
ヒメに接近戦を挑む俺の分身ごと撃ち貫く。
しかし――
「姫流抜刀術『唯壱の型』――斬空。」
―――
ヒメの持つ、聖刀に変わった聖剣の無音の納刀。相変わらず目にもとまらぬ速さ。
ためもなしに放ったヒメの居合は空間を切り裂く。
放たれた光の槍はすべてヒメにたどり着く前に次々に異空間に消え去ってしまう。それに巻き込まれるように、ヒメの周囲にいた分身もどんどん吸い込まれていく。
ヒメの居合は空間を斬り、開いた異空間に敵を放り込み消失させる。
それが俺の技を消したヒメの居合の正体。
その開かれた空間の狭間もやがて消え去る。
落ち着いたときにはヒメの前方にぽっかりと穴が開いていた。
だが、その暴威はヒメの周囲にのみ留まり、遠巻きにしていた接近役、そして遠距離役の分身は無傷だった。
なら、まだ続けられる。
ヒメに新たな分身がまとわりつく。地味にブランを素振りしていた分身たちは動きを速めている。
相変わらず易々と分身を斬り進んでいくヒメ。それでもヒメの進攻は確実に遅くなる。
その間に、
「次弾、放て!」
再び放たれる七百の光槍。
―――
再びの納刀と共に空間が歪む。
光槍は再び消え去っていく。
「根くらべですか」
ヒメのつぶやきに答えることもなく。
再び光槍が放たれる。
「――斬空。」
それに応じ、ヒメもただ繰り返す。
どれくらい、それを繰り返しただろう。オーマの魔力が次第に空に近づいていく。
やがて、最後の光槍が放たれる。
「これで、終わり・・・ですか?」
息も絶え絶えにヒメが問いかける。確かな疲れを感じさせる。これだけでも無駄ではなかった。
その後に続く光槍はない。ヒメはそのすべてを打ち払った。分身を保つ魔力が無くなり残っていた分身はすべて消える。
「ああ。これが俺の全力だ」
これまではただの準備。ヒメの技が空間を切り裂くものだとあらかじめわかっていたからこその、この魔法。
「―――星影よ、空を撃ち抜け」
オーマの声に呼ばれ空間の裂け目に消えていった、十数万の光槍が今度は自ら空間を貫き再びヒメへ向かう。この魔法なら空間さえも飛び越えて獲物を貫く。次元の違う相手すら封印する最強最大の・・・・
再び舞い戻った光槍に空間は穴だらけでぐちゃぐちゃになっている。今更ヒメがあの技で斬ったところで何も変わらない。
そして訪れる数多の槍の乱舞。そして穿たれる一撃。ヒメを確かに光槍が撃ちぬく。
「・・ぁ・・・?」
決着。
「眠ってくれ、ヒメ。」
ヒメには向かわなかった光槍はあたりの地面に突き刺さり、魔法陣を形成する。幾重にも、幾重にも、幾重にも。
「・・・・・。」
最大威力の封印魔法。
こうするしかなかった。ヒメが死ねば勇者として、生き返っただろう。下手に拘束しようとすれば、失敗した時、後が続かなくなる。その間にアーリアとイーガルが死なない保証は無かった。
だから全力全開、たった一度の機会にかけて。
ヒメを封印した。
光の槍に貫かれたまま、ヒメは動きを止めた。
ほっと一息つく。流石にヒメでもこの封印を破ることは出来ない。
もし破ることが出来たら、それこそ―――
ともかく、
ヒメの狂化の原因を調べなければならない。今後の方針を決めなければならない。振り返りイーガル達を呼び寄せようとして、
「!?」
封印の異変に気付く。ヒメの姿が消えていた、何の前触れもなく。
(抜け出した?有り得ない、魔力も腕力も関係ない。人に破れる封印ではない!)
光槍が砕け散る。完全無比な結界が粉々になる。
あたりを見回す。アーリアとイーガルはいる。だが、ヒメの姿はどこにもない。
「どういうことだ?」
そして思う。これはまるで、かつての勇者と同じではないか。殺したわけではない。封印した。なのに―――
それはまるで、確かに殺したはずなのにその姿が消えていた時のように。
瞬時にある可能性に思い至り瞬間移動しようとする。だが、魔力が足りない。
「くそっ」
我武者羅に走る。
「アーリア!イーガル!こっちにこい!」
だが無情にも憶測は現実に変わる。
『『「――――――――!!!??」』』
瞬間、俺たちを押し潰す凄まじいばかりの圧力。
わずかに俺の動きが鈍る。
そして、フェンリルにはそれだけでは済まなかった。重圧に耐えきれずその膝を屈する。動くことは敵わない。
そして差し出されるように垂れた首を・・・
斬撃が一閃される。
『『――――』』
二つの狼の首が宙を飛ぶ。
(いったい、何・・・が・・・。)
ぼと、ぼと、と二度音が鳴る。
動く暇もなかった。他の魔法を使う暇もなかった。
アーリア達がいた場所のさらに向こうからヒメが歩いてくる。あの距離から二人を・・・。
「・・・・あ・・・・あぁ。」
「オーマ?」
こちらを窺いながら血振るいするヒメ。消耗したはずの魔力は全て戻っている。その手にはいつか俺が渡したエリクサーの瓶。それが地面を転がる。
ようやく理解が回り、今度は怒りで視界が朱に染まる。アーリアとイーガルまでも死んでしまった。いや、
ヒメに殺された。
「ヒメえええええーーーー!!!!!」
我を忘れて叫ぶ。
「殺す気で来ないと後悔しますよ。ってもう遅いですよね」
左手にブランを呼び出す。無我夢中でヒメに向かって駆け出す。
斬りかかる俺の剣をヒメは容易く受け流す。だがそれに怯むこともなくただひたすらに斬撃を繰り出す。もう作戦もなにもない。ただおのれの持つ身体能力の全てを斬ることだけに注ぎ込む。
そんな俺の猛撃に、ヒメはやはり容易く反撃を繰り出す。剣を弾かれた俺の鳩尾に蹴りを叩き込まれ、吹っ飛ばされる。
息つく暇も惜しいとばかりに立ち上がった俺に、急激な悪寒が襲い掛かる。見ればヒメがまた、居合の構えを取っていた。
突っ込んで阻止するか、避けるか、そのわずかなためらいが取り返しのつかないロスにつながる。そんな中、幸か不幸か、思考力を失っていたことで俺は真っ直ぐヒメに突進していた。
「っ」
辛うじてヒメの居合を防ぐことに成功する。俺の袈裟切りにヒメは刀を抜き放ちながら受け止める。
やがて、ブランの加速能力の重ね掛けによって、斬撃は嵐のように速さを増す。だが、それは魔力の全快したヒメも同じ。自らに強化魔法をかけオーマと渡り合い続ける。
技を変え、場所を変え、何度も何度も切り結ぶ。もう小細工をする魔力はない。ここへ来てできるのはただ魔剣を振ることだけだった。
何度も何度も手からブランが弾き飛ばされる。その度に新たな魔剣を呼び出す。
そしてようやく目的の場所への誘導に成功する。それを本能で自覚するや左手のブランを自ら手放し今度はノワールを呼ぶ。
魔剣の能力によって、周囲にそれまでに振るわれたノワールの軌跡が浮かび上がり灼熱に染まる。その数、三十万。
オーマはただ怒りに任せてノワールをヒメに振り下ろす。それが何を起こすかも忘れて。
輝いたかと思った瞬間、剣閃の軌跡は一点に収束する。そして、
爆発。
その爆炎は一瞬で、俺たちの姿を飲み込んだ。
ヒメはオーマの剣を受け止めたまま、その大爆発になす術もなく動きを止める。だがその顔に驚きはなく、なぜか・・・笑みが浮かんでいた。
煙が晴れるとともに我に返る。
(何をやっているんだ?俺は・・・・?)
絶望と共に視線をヒメが吹き飛ばされたであろうところへ目を向けた。
視線の先で、突き立った刀に体を預けるようにヒメは辛うじて立っていた。
オーマとヒメの視線が絡む。ヒメのものとは思えない弱々しい瞳の輝き。
ヒメがごぼりと血を吐き出し、膝をつく。全身に火傷を負い、その姿に一目でわかる。ヒメは、致命傷を負ってしまった。
その姿に後悔で頭が埋め尽くされる。俺がやったのはヒメを助ける行為ではなかった。ただ怒りのままにヒメを傷つけていただけだった。
俺は失敗したのだ。
そして、もう魔力もヒメを捕える手もない。やがて生き返るヒメに抗うことぐらいはできるだろう、だがその戦いにもう意味はないのだ。もう、ヒメを正気に戻すだけの力がない。
ヒメのもとへ歩み寄る。
「・・し・・・・たね。ごめん・・・・・オーマ」
ヒメも自分の死を悟ったようだった。ふらつきながら途切れ途切れの謝罪の言葉を口にする。
そんな状態になってもヒメは聖剣を手放さない。それに反して俺の手からノワールが滑り落ちる。握力が無くなっている。だがそれに構わず、ヒメに近づく。俺にとっての最後の言葉を聞くために。
ヒメの体を抱きしめる。
「大好き・・・だよ?オーマ。ずっと・・・に、い・・よ」
このヒメはいつものヒメだ。俺には分かる。―――なのに。
「俺も、愛してる。ヒメ、ずっと一緒にいよう」
まぎれもない俺ののぞみ、ヒメといつまでも一緒にいたかった。
「う・・・ん・・」
そう微かに頷きを返し、一気に俺の腕にかかる重さが増す。ヒメは息絶えた。
雨音が響く。いつから降り出したのだろう、雨は二人の体を濡らしていく。
ヒメの体を横たえる。
俺はヒメを幸せにできたのだろうか。
繰り返された世界で手に入れた結末。俺が望んだ世界は。
あたりを見回す。あるのはヒメの死体と胴から離れた三つの首。そしてこちらに近づいてくる一人の男。
「ユーシアか」
「魔王」
一瞬、ユーシアにやるせなさの矛先を向けようとして、しぼむ。分かっている。こいつが悪いわけでも、ヒメが悪いわけでもない。悪いのは・・・俺だけだ。
ユーシアはヒメの死体を見る。どう反応するだろうか。怒り狂うだろうか、泣き叫ぶだろうか。しかし意外にもユーシアが俺に向けたのは同情の視線だった。
もしかすると、あの時の、俺を殺した時のユーシアも今のヒメと同じだったのだろうか。ただ俺を殺すためだけの狂気に包まれて・・・。
ゆっくりと俺に近づきユーシアは左手でヒメの握っていた聖剣を掴み上げる。
何をするのかと見ていると、ユーシアはのろのろと聖剣を振り上げた。
「魔王、選べ、ヒメと共に死ぬか、独りで生きるか。」
ああ、そうか、そういう選択もあるのか。おそらくユーシアにとっては別の意味を持っているのだろう。だが、俺にとって、間違いなく救いだった。
ヒメに俺を殺させなくて済む。
なら決まっている、俺はこんな世界望まない。
そしてユーシアの腕が振り下ろされ――
体が傾く。意識が途切れる寸前俺が目にしたのは、ヒメの死に顔に張り付いた笑みと、その頬を雨が伝い、涙のように流れる様だった。
俺の意識は途絶えた。
意識が戻る。
ああ、またこの感覚だ。
俺の意識は体を離れ、俺の体を見下ろしている。
雨が降る中、俺の体は横たわっている、独り寂しく。
俺の視界に誰かが入ってきた。見間違えるはずもない。
ヒメだった。
良かった。ヒメが生きているのならそれだけで。
ヒメは俺の死体の傍らに膝をつくと、俺の死体にすがりついた。
音は聞こえない。
ただヒメの背中が震える。
泣いているのだろうか?
ヒメはそのまま動かない。
わずかな震えだけが時が止まっていないことを教えてくれる。
やがてヒメがゆっくりと体を起こす。
腰のアイテム袋から何かを取り出す。
角のようなものを。
それを握りしめる。が、何も起こらない。何も変わらない。
答えたかった。今すぐ傍に行きたかった。
だが、できなかった。
ヒメが何かをつぶやく。
うそつき。そう言われた気がした。
ヒメは俺の死に顔に自らの顔を近づける。
また、ゆっくりと体を離す。
やがて傍らに放置されていた抜き身の聖剣を手に持つ。
逆手に持ったかと思うと、力の限り貫く。
自らの体を。
そして、勢いよく体から抜き去った。
聖剣の転がる音と共にヒメの体が揺らぐ。
そのまま俺に覆いかぶさるように倒れた。
ああ、そうか。
それは手から零れ落ちる。
動かない。
ぴくりとも動かない。
その姿は、今度はいつまでたっても消えない。
生き返らない。
俺は守れなかったのだ。
ヒメを殺したのは。
不幸にしたのは。
―――俺が・・・・間違っていた。
世界は再び崩壊した。




