第十一章 白い花
花は、昨日と同じ老婆から買った。
老婆は老人の顔を覚えていた。昨日も来た者だと分かっていた。何も言わなかったが、白い花を選んで、少し丁寧に包んだ。昨日より丁寧だった。老人はそれを受け取って、代金を払った。
墓所への道は、今日も同じ道だった。
しかし昨日とは少し違った。昨日は花を持つことに、まだ慣れていなかった。今日は慣れているとは言えなかったが、昨日ほど変な感じはしなかった。
名のない石の前に着いた。
昨日置いた花は、まだあった。少し縮れていたが、形を保っていた。今日の花を、その隣に置くことにした。雪を少し掘って、茎を挿した。昨日より上手くできた。まっすぐに近かった。完全にまっすぐではなかったが、昨日より良かった。
老人は立ち上がった。
石を見た。
二輪の花が、石の前にあった。一輪は昨日のもの、一輪は今日のもの。どちらも白く、小さかった。
老人は、しばらく黙っていた。
いつも、ここでは黙っていた。黙って立っていた。それが老人のやり方だった。しかし今日は、黙っていることが、少し違う感じがした。
何かを言うべきかもしれない、という感覚が、老人の中にあった。
言うべき、ではなかった。言いたい、に近かった。
しかし何を言えばいいのかが、分からなかった。
騎士として報告するなら、形式がある。しかしそれは違った。謝るなら、言葉がある。しかしそれも、今日は違う気がした。
老人は、石を見ながら、口を開いた。
「市場の話を、した」
それだけだった。
続けようとして、続けなかった。続きが出てこなかった、というより、それだけで十分だった。市場の話を、コレットにした。それだけを、報告した。報告というより、ただ伝えた。
風が来た。
花が揺れた。
老人は花を見た。
「あの老婆は、まだ市場にいる」
老人は言った。
「野菜売りの老婆だ。顔が変わっていた。年を取っていた。しかし同じ場所で、同じように売っていた」
老婆の顔を老人は見ていた。通りかかった市場で。何年も前のことだった。王女と行った市場とは違う市場だったが、同じような老婆がいた。そのとき老人は、王女のことを思った。あの老婆も、今もどこかで売っているだろうかと。
「覚えているかもしれない」
老人は言った。
「あの日のことを。お前のことを」
石は何も言わなかった。
石は何も言わないことを、老人は知っていた。しかし今日は、言わないことが以前とは違う意味を持っていた。以前は、石が何も言わないことが静寂だった。今は、言わないことが、何かを含んでいる沈黙だった。
同じ静けさでも、種類が違った。
「市場が好きだったな」
老人は言った。
「毎回胃が痛かったが」
それだけ言って、また黙った。
黙っていると、廊下の記憶が来た。いつも廊下の記憶が来た。しかし今日来たのは廊下ではなかった。市場だった。変装した王女が、野菜売りの老婆と話している後ろ姿だった。老人は少し離れたところに立って、変装した付き添いとして、周囲を見ていた。王女の後ろ姿を見ながら、これが今日の仕事だった。
仕事だった。
しかしあの日の後ろ姿は、老人の中に、まだあった。
「同じ顔をしていると言っていた」
老人は言った。
「市場の人間たちが。値切る顔も、立ち話をする顔も、同じ種類だと。真剣さが同じだと」
老人は、花を見た。
「コレットという娘に話した。お前が言っていたことに、近いことを言う娘だ」
石は何も言わなかった。
「会ったら、気に入っただろう」
老人は言った。
それだけ言って、また止まった。
気に入っただろう、という言葉が、老人の口から出たことを、老人は少し意外に思った。出るとは思っていなかった言葉だった。しかし出た。出て、嘘ではなかった。
「振り回しただろうが」
老人は付け加えた。
それは老人なりの、正確さだった。気に入るだけでは足りなかった。気に入って、振り回す。それが王女だった。
風がまた来た。
今日の風は、昨日より少し温かかった。わずかに、しかし確かに。老人の鼻は、その僅かな変化を読んだ。
「花を持ってくるのが遅かった」
老人は言った。
責める口調ではなかった。ただ、事実として言った。
「遅かったが、持ってきた」
それだけだった。
言い訳でも謝罪でもなかった。遅かった、という事実と、持ってきた、という事実を、並べただけだった。
石は、そのままだった。
名がなく、日付がなく、ただそこにあった。しかし今日の石は、老人の目には、以前とは少し違って見えた。同じ石だった。変わっていなかった。変わったのは、老人の方だった。
老人は膝をついた。
昨日、一度膝をついた。今日もついた。
石と同じ高さになった。
「名前は分からなかった」
老人は石に向かって言った。
「お前が石畳の隙間で見つけた花の、名前は。今も分からない」
老人は、二輪の花を見た。
「しかしコレットが育てていた。棚で育てていた。お前が市場で買ったものと同じかどうかは、分からない。しかし同じに見える」
石は何も言わなかった。
老人は立ち上がった。
「また来る」
老人は言った。
来ることを、初めて言葉にした。いつもただ来て、ただ帰った。今日は、また来ると言った。誰に向けた言葉かは、老人にも分からなかった。石に向けたのか、自分に向けたのか。
どちらでも良かった。
来る、と言った。それだけで十分だった。
老人は踵を返した。
墓所を出る前に、一度だけ振り返った。
二輪の白い花が、石の前にあった。
一輪はまっすぐではなかった。もう一輪は、まっすぐに近かった。どちらも白く、小さく、風の中にあった。
老人は墓所を出た。
街道の光が、今日は昨日より明るかった。雲が薄かった。
まだ春ではなかった。
しかし、遠くなかった。
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*(第十一章、了)*




