第17話:時間軸のズレ、あるいは引き伸ばされた永遠
メインブレーカーを落とした直後、管理室の非常灯が血のような赤い光を放ち始めた。
マーカス・グレイは、壁の上部にある通気口の格子をスタンバトンの柄で叩き壊し、狭いダクトの中へ這い上がった。その数秒後、彼が立っていた場所の床が音を立てて陥没し、あの透明なシリンダーが虚しく空を切ってせり上がってくるのが見えた。
冷たい金属のダクト内を、ほこりとカビの匂いにむせながら這い進む。
目指すはDブロック。ノラが指定した合流地点だ。
暗闇の中を這いながら、マーカスの脳細胞はかつてないほどの速度で回転していた。
端末で見た「プロジェクト・グリーン・ルーフ」の真実。この施設が人間の脳を群体意識体の演算装置として利用しているという事実。
その時、彼の中で一つの「矛盾」が引っかかった。
マーカスは15年間、毎日同じペースで新しい「宿泊客」を迎え入れてきた。一日に約50人。単純計算で、15年なら27万人以上になる。だが、この施設の収容限界はどう見ても数千人規模だ。そして、ジェームスのように「処理」され、地下へ送られる者の頻度は、決して毎日のように頻繁ではなかったはずだ。
計算が合わない。
人間の脳の摩耗速度、搬入される人数、そして「終わらない白昼」。
『あなたの時計、秒針が止まっているわよ』
ノラの言葉が脳裏にフラッシュバックする。
マーカスはダクトの中で立ち止まり、暗がりの中で自分の左手首の時計に目を凝らした。やはり秒針は動いていない。
では、管理室の端末に表示されていた「システム稼働時間」はどうだったか?
――稼働時間:43,800時間。
日数に換算すれば、約1,825日。つまり、たったの「5年」だ。
「馬鹿な……」
ダクトの冷たい底板に額を押し当て、マーカスは戦慄した。
自分がこの施設でインテイク・オフィサーとして過ごした時間は、間違いなく15年という膨大な体感時間だった。その重み、疲労、絶望の記憶は本物だ。
だが、システムの記録では5年しか経っていない。
外界の1日が、この壁の中では3日に引き伸ばされているのだ。
「気づいたようね、マーカス」
不意に、前方から声がした。
ダクトの十字路。薄暗い非常灯の光を背にして、オレンジ色の制服を着たノラ・パーカーが座っていた。彼女の瞳は、暗闇の中でも猫のように静かな光を帯びていた。
「時間の……ズレ」
マーカスは乾いた唇を動かした。
「外の世界と、ここでの時間の流れが違う。なぜだ……物理的な時間の歪みか? それとも何か別の技術か?」
「もっと悪質で、合理的な『仕様』よ」
ノラはダクトの壁をコツ、コツと叩いた。
「この施設全体が、一種の巨大な隔離重力場、あるいは並行次元のポケットに包まれているの。ハミルトンという群体意識体は、膨大な演算を行うために『時間』を必要とした。でも、外界の物理的な時間は限られている。だから彼らは、空間の内側だけ時間を引き伸ばしたのよ」
マーカスは息を呑んだ。
「終わらない白昼……睡眠の剥奪……」
「そう。宿泊客たちの時間感覚を完全に狂わせるためよ」
ノラは残酷な真実を淡々と告げる。
「時計の針を止め、常に強い光を浴びせ続けることで、人間の脳から時間の概念を奪う。外界ではたった1日しか経っていないのに、彼らはここで3日分の無意味な労働を強制され、3日分の絶望を味わい、3日分の演算能力をハミルトンから搾取される」
それは、人間の精神を摩耗させるのに最も効率的な方法だった。
「主観時間」という地獄。肉体の老化は5年分でも、脳と精神には15年分の負荷がかかる。だからこそ、屈強なジェームスも、プライドの高いサラも、たった数日の体感時間であれほど容易に精神を破壊されてしまったのだ。
「47回」
マーカスはノラを見つめた。
「君は47回ループしていると言った。それは、この施設の中での時間か? それとも……」
「外界での時間に換算すれば、ほんの数ヶ月の出来事かもしれないわね」
ノラは薄く微笑んだが、その目には底知れぬ疲労が隠されていた。
「システムがエラーを起こすたびに、彼らは時間を巻き戻して『再計算』を行う。私はそのバグの隙間に意識を引っ掛けて、記憶を保持したままループを繰り返してきた。あなたという『最高の監視者』が、自分の意思でその制服を脱ぎ捨てる瞬間を待つためにね」
マーカスの背筋に、冷たい汗が伝った。
外界の時間がどれほど経っているのかはもはや関係ない。この狂った精神と時間の牢獄の中で、ハミルトンは何十万という人間の魂をすり潰し、今この瞬間も肥大化し続けているのだ。
「……どうすればいい」
マーカスの声から、かつての迷いや怯えは消えていた。
「その『心臓』をどうやって止める?」
「アーロンの図面通りなら、最深部の地下7階。すべての神経網が集中する場所に、ハミルトンの主機があるはずよ」
ノラはダクトの奥、さらに下へと続く縦穴を指差した。
「行きましょう、マーカス。私たちの『無期懲役』を終わらせるために」
マーカスは無言で頷き、ノラの後に続いて未知の暗闇へと這い進んだ。
背後のダクトの入り口から、施設が「異物」を検知し、怒り狂うような巨大な重低音が響き始めていた。




