「レイの過去」
「俺は、ヴァンパイアの父と、人間の母の血を引いている」
凛は、目の前にいるヴァンパイアの男をじっと見つめながら、その話に耳を傾けていた。
男は静かに凛を見つめ返している。
「俺の名は、レイ・アストレア」
そう名乗ったあと、レイは僅かに目を細めた。
「君のことは、風の噂で聞いていた」
「……私のことを?」
「ああ。冷酷で恐ろしいハンターだと」
凛の眉が僅かに動く。
レイはそんな凛を見つめたまま、静かに続けた。
「黒銀の凛――君の本当の名前が知りたい」
二人の視線が交わる。
どちらも目を逸らさなかった。
しばらくの沈黙のあと、凛が口を開く。
「私の名前は、東雲凛」
凛は、レイから視線を逸らさない。
「私が幼い頃に、母はヴァンパイアに殺された」
その言葉を口にした瞬間、凛の脳裏に、遠い日の記憶が蘇る。
「ヴァンパイアは人間の敵。そう思って、今まで生きてきた」
凛は一度、静かに息を吐いた。
「でも……貴方は、他のヴァンパイアとは違う」
レイは黙って聞いている。
「この銃が貴方には効かないこと。そして、あの日……貴方は涙を流した」
あの日。
凛が初めてレイと出会った夜。
ヴァンパイアであるはずの彼が、人間を守るように立っていた姿を思い出す。
「それに、あの日も今も……貴方は人間の味方をしている」
凛は、ほんの少しだけ迷った。
それでも、問いかける。
「貴方は……本当に、人間の敵なの?」
レイはすぐには答えなかった。
ただ、どこか寂しそうに凛を見つめていた。
凛は今まで、ヴァンパイアを憎んで生きてきた。
その気持ちは、今も変わらない。
母を奪った存在を、簡単に許せるはずがない。
それでも――なぜか、レイだけは完全に憎むことができなかった。
彼の瞳の奥にある、深い孤独。
それが、どこか自分と重なって見えた。
もっと、この人のことを知りたい。
凛は、そう思っていた。
「俺の父は、俺のことを良く思っていない」
レイが、ゆっくりと口を開いた。
「他のヴァンパイアたちも、俺のことを半端者だと言う」
自嘲するように、僅かに笑う。
「俺は、人間にもヴァンパイアにもなれない」
その声には、諦めにも似た響きがあった。
「何より……母は、ヴァンパイアをとても憎んでいただろう」
「……どういうこと?」
凛は、レイの言葉に疑問を抱く。
レイは少しの間、黙っていた。
そして、重い口を開く。
「俺の母は……父の醜い好奇心の犠牲になった」
凛の表情が曇る。
「母は美しかった」
レイの瞳が遠くを見る。
「そんな母を、父は攫った。そして、母の意思とは関係なく……無理やり、母を抱いた」
凛の表情が歪む。
レイは俯いた。
その表情は、ひどく悲しげだった。
「本来、人間とヴァンパイアの間に子どもが生まれることはない」
「……」
「人間の胎児が、ヴァンパイアの血に含まれる力に耐えられず、死んでしまうからだ」
レイは自分の手を見つめた。
「けれど……俺は、なぜか生まれてしまった」
そのときだった。
雲の切れ間から、太陽が顔を出す。
差し込んだ光が、レイの身体を照らした。
けれど――
レイの身体は焼けることも、灰になることもなかった。
「俺は最初、人間と大して変わらなかった」
レイは続ける。
「牙もなく、血を必要としない。そして、太陽の光を浴びても灰になることはなかった」
「……」
「そんな俺を見て、母はとても安心したようだった」
レイの表情が、ほんの僅かに柔らかくなる。
「ヴァンパイアの血を引いて生まれた俺を……母は、愛してくれた」
その言葉だけは、レイにとって大切な記憶なのだろう。
けれど――
「父は、そんな俺が気に入らなかったらしい」
再び、その瞳から光が消える。
「父の目的は、太陽の光を克服するヴァンパイアを誕生させることだった」
「……だから、人間との間に子どもを?」
「ああ。人間との間に子を成すことができれば、それが叶うと思ったんだろう」
レイは静かに続けた。
「けれど、太陽の光を克服していても……見た目も中身も、人間と何も変わらない俺を見て、父は俺を毛嫌いした」
そして――
『気持ち悪い』
『お前は失敗作だ』
父から浴びせられた言葉が、今も耳の奥に残っている。
レイは、それらの言葉を振り払うように目を伏せた。
「そんな言葉を浴びながら、俺は生きてきた」
「そして遂に、俺と母は父に拒絶された」
レイの声が僅かに震える。
「ヴァンパイアたちと暮らすことはなくなった」
けれど、その先に待っていたのは――苦しみだけではなかった。
「父から解放されたとき……俺は、とても嬉しかった」
レイの脳裏に、母と過ごした日々が蘇る。
「母と二人で、人間の住む小さな村に行った」
「そこで小さな家を建てて……二人で、静かに穏やかに暮らしていた」
その頃のことを語るレイの声には、ほんの少しだけ温かさがあった。
けれど――
「……俺が十五歳を迎えた、満月の夜」
レイの表情が変わる。
「俺は、人間ではなくなってしまった」
凛は息を呑んだ。
レイの顔には、深い後悔が滲んでいる。
まるで、その記憶に押し潰されそうになっているかのようだった。
「俺はあの日……母の首に牙を立てた」
声が震える。
「そして……母が息絶えるまで、血を貪り続けた」
凛は何も言えなかった。
「俺のせいで……母は帰らぬ人となった」
レイは拳を強く握りしめた。
「朝が来て、村の住人が息絶えた母を見つけた」
レイの声が、少しずつ掠れていく。
「血だらけになった俺を見て、村人たちは恐怖した」
「瞬く間に、俺が母を殺したという事実は村中に広がった」
「そして、村の男たちは銃を構えた」
何度も、銃声が響いた。
「何度も身体に銃弾を撃ち込まれた」
それでも――
「俺は死ななかった」
撃ち込まれた傷口は、瞬く間に塞がっていった。
「傷はすぐに塞がり、完治した」
「そんな俺を見て、村人たちは俺がヴァンパイアだと恐怖した」
そして――
「黎明会の男が、俺を仕留めるために村へやってきた」
そのハンターは、肩ほどまである黒髪を風になびかせた、端麗な男だった。
男は、祝福された銃弾を装填した銃をレイへ向けた。
引き金に指をかける。
しかし――
「その男もトリガーを引くことができなかった」
レイは、あの日の光景を思い出す。
「なぜだ!?トリガーが引けない!」
前代未聞の事態にハンターの表情が歪む。
目の前には、確かにヴァンパイアがいる。
それなのに、どうしても撃てない。
「くそっ……! 何故、引けない!」
男の叫び声が、今でも耳に残っている。
「その隙に、俺は逃げた」
レイは目を伏せる。
「ただ、走り続けた」
母の顔を思い浮かべながら。
温かかった母の身体。
その温もりが、もう二度と戻らないことを思いながら。
「母の身体が……冷たくなっていく感触を思い出しながら」
涙を流しながら、レイはひたすら走り続けた。
そのとき、レイの身体には今までにない凄まじい力が芽生えていた。
人間では到底追いつけないほどの速度。
追ってきたハンターを振り切るほどの力。
それが、レイが初めて自覚したヴァンパイアとしての能力だった。
「俺は、あの日から人間ではなくなった」
レイは静かに呟く。
「もう二度と……人間を殺したくない」
その声には、強い願いが込められていた。
「けれど……俺は、醜いヴァンパイアである父と変わらない存在なんだ」
凛は、何も言わなかった。
ただ、レイを見つめていた。
そして――
凛は腰に携えていた手錠を取り出した。
守護天使の力が宿った手錠。
それに繋がれた鎖の先には、レイの首に取り付けるための首輪がある。
凛はレイの手首に手錠をかけ、首輪を取り付けた。
「……ついてきて」
短い言葉だった。
レイは抵抗しなかった。
凛にされるがまま、鎖を引かれて歩き出す。
凛の歩幅に合わせるように、静かについていく。
本当は――この鎖も、手錠も、レイには効いていなかった。
簡単に外すことができる。
逃げようと思えば、いつでも逃げられた。
それでも、レイは何もしなかった。
おそらく、この先に待っているのは黎明会の拠点。
自分を殺すための場所だろう。
それでもいい。
むしろ――
もう、命を終わらせたかった。
自分の手で母を殺した。
人間ではなくなった。
父からも、ヴァンパイアからも、人間からも拒絶された。
もう、生きる理由など残っていない。
だからレイは、何も言わず凛の後を歩いた。
――どうか。
心の中で、静かに願う。
誰か、俺を殺してくれ。
この苦しみを、終わらせてくれ。
そう願いながら。
レイはただ、凛に引かれる鎖の音を聞いていた。




