「凛の過去」
満月の夜が嫌いだった。
夜空に浮かぶ大きな月を見るたび、凛は思い出す。
母親の血の匂いを。
幼い頃、凛の世界は母親だけだった。
父はいなかったが、母は凛をとても愛していて、たくさんの愛情を凛に注いでくれていた。
狭い部屋の中、二人で寄り添い眠っていた夜を覚えている。
「凛、生まれてきてくれてありがとう。世界一愛しているわ。おやすみ。」
母はその言葉を凛に伝えて、頬にキスをする。
そして凛の頭を優しく撫でる。凛はそんな母の温かい手のひらを感じながら、幸せな気持ちで毎晩眠りについていた。
しかし、ある満月の夜。そんな幸せな毎日が突然終わりを告げた。
窓の外に、怪しい人影が見えた。
異様に白い肌、鋭い牙、夜に怪しく光る紅い瞳。
その人影の正体は、ヴァンパイアだった。
ーーガシャンッ!!
凄まじい音と共に、窓ガラスが砕け散った。
月明かりの中、ヴァンパイアが部屋の中へ飛び込んでくる。
母は咄嗟に凛を抱きしめ、震える声で言った。
「凛、逃げて!!」
凛は恐怖で身体が動かなかった。
そんな凛を母は隠すように庇い、ヴァンパイアの前へ立つ。
だが、人間がヴァンパイアに敵うはずもない。
次の瞬間、母の悲鳴が響く。
「キャァッーー」
ヴァンパイアが強い力で母を引き寄せ、首筋に勢いよく牙を沈める。
赤い血が母の首筋をつたい、血を貪るヴァンパイアの恐ろしい音が部屋中に響く。
ゴクッ、ゴクッ、ゴクッーー。
凛はただ、母の後ろで震えている事しかできなかった。
凛は無力だった。母が殺されるのを見ていることしかできなかった。
母が床に崩れ落ち、ヴァンパイアの視線は凛に向けられた。
血だらけの口元でヴァンパイアは笑いながら呟いた。
「次は、お前か?」
凛は恐怖で足が竦み、ヴァンパイアから目を逸らせなかった。
ヴァンパイアが凛の元へ、ゆっくりと近づいてくる。
ヴァンパイアが牙を覗かせた、その瞬間。
バンッーー。
銃声が部屋に鳴り響く。
轟音と共に、祝福された銀の弾丸がヴァンパイアの身体を撃ち抜く。
「ガァァァッ!!」
ヴァンパイアが苦しげに叫ぶ。
白い煙のようなものが身体から立ち上がり、皮膚が焼け爛れていく。
「その子から離れろ」
低い声が部屋に響いた。
そこに立っていたのは、黒いコートを纏った男だった。
男は迷いなく、再び銃を構える。
「化け物が」
二発目の銃弾。
ヴァンパイアの胸を貫いた瞬間、その身体は灰となって崩れ落ちた。
静寂の中、凛は震えながら男を見上げていた。
男は凛の前に膝を着き、優しく呟いた。
「......もう大丈夫だ」
凛を救った男は、黎明会のハンターだった。
「......お母さんは?」
凛は床に倒れて動かない母を見て、男に尋ねる。
間に合わなかった。
男は凛の母を助けることができなかった。
男は後悔に駆られながら、小さな声で苦しく呟く。
「......すまない」
凛は母にかけ寄り、母の手を握った。
温かかった母の手は、氷のように冷たくなっていた。
凛の瞳には、いつの間にか透明な涙が滲んでいた。
耐えられなくなった雫は、凛の頬を静かにつたい落ちる。
一滴、また一滴と零れていき、涙は止まることなく、淡い月明かりの下で静かに流れ続けていた。
その日から、凛の中には強烈な憎しみが生まれた。
ヴァンパイアは人間を喰らう怪物で、殺されて当然の存在だ。
救う価値もない、そう強く凛の心に刻まれていた。




