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悪役令嬢〈リュシー〉の視点

ごふっ・・・ブクマと・・・閲覧数がすごいことになっております・・・。

本当にありがとうございます。ヒーローは浮気野郎なのに、まさかここまで受け入れられ、読んでいただけるとは思っていませんでした。先にお詫びさせていただくと、今回もかなり長いです。最後までお付き合いしていただけると幸いです。

 優雅な旋律が流れて、空中に溶けていく。

 夜は深まり、闇の色に銀粉をまぶしたような星屑がきらきらと輝いていた。

 僅かに縁の欠けた金の円盤。

 その光よりなお明るい、シャンデリアの灯りに満ち満ちた大理石のホールは若い活気に満ちていた。

 中庭へ続く扉は開け放たれ、温かな春の夜、薔薇の香りが漂う優雅な庭園でダンスやおしゃべりに興じる男女たち。特に娘たちは若く美しい体に色とりどりのドレスを纏って、自身が花のようですらある。


「なんでアドルフ先輩があたしのそばを離れなきゃいけないのよ!!あんたが絶対何かしたんでしょう?おとなしそうな顔して、この泥棒猫!!恥知らず!!彼を返しなさいよ!!」


 こんばんは。リュシー・シュヴァリエです。今年で一四歳になります。

 実は私、ちょっと困ってます。

 私には婚約者がいます。アドルフ・ラギエ。私より四歳年上の十八歳で、この王立学園の最高学年。剣術部という騎士志望の生徒が必ず入る、いわば登竜門的な部活があるのだけれど、そこの部長もしています。


「まだハグも壁ドンもキスもしていないのに・・・!!本当ならこの舞踏会で人気のない庭の片隅にあたしを連れ込んで愛をささやくはずだったのにぃっ!あんたまじであたしのアドルフになにしたわけぇ?あんたみたいなクズが釣り合いとれると思ってんのぉ?頭ついてるわけぇ?こんの愚図!!」


 私の婚約者はわりと困った人なのだ。何が困ったって言うと、女癖が悪い。

 確かに昨今、この学校での恋愛観はフランクになってきていると思う。しかしそれは広く浅く大まかな見解であって、貴族の子女――、特に女性にはやはり固い貞操観念を美徳とする傾向が根強かったりする。

 まぁそうだよね、ふつー。

 そもそも貴族の子女・・・に限らず、この王立学園に在籍する生徒たちは暇ではない。むしろ大変忙しい。国内最高クラスの授業を受け、マナー講座もとり、月に一度は舞踏会に、月に何度か(これはその月によってまちまちなのだ)開かれるお茶会に出て、さらに教養を深めたい生徒は選択制の授業も受ける。

 平民はもちろん、それなりに英才教育を仕込まれた貴族にも大変厳しいスケジュールを組まれているのである。もう本当に大変なのだ。

 だから、実のところ「恋愛遊戯」に興じるのは成績上位かつ余裕のある人、最初からその辺り放棄してる人、愛妾探してる人、逆に愛妾志願な人・・・ぐらいだろうか。それが全体にも淡く波及しているが、やっぱり現実には「恋よりお勉強」ていう人々も多い。

 古風な価値観かもしれない。が、現実的に考えればやっぱりそうならざるを得ないわけで。


 ちなみに私の婚約者は「成績上位かつ余裕のある人」だ。ある意味有能かもしれない。けど、あえて言おう。こっちはいい迷惑だ。

 確かに私はアドルフの婚約者だ。

 これはこの先揺らがないだろうし、貴族の結婚は義務だ。恋愛観が多少フランクになったとはいえ貴族の義務を放棄することはこれ以上ないタブーであり、秩序を乱す行為は国の不穏分子として粛清される。この国は王政だがきちんと法が整備され、貴族だろうとなんだろうと公平に処罰されなければならない。

 とにかく、アドルフは将来私と結婚するのは単なる事実であり、覆しようがないということ。

 皆、理性ではわかっている。

 でも、感情で理解できていない人もいる。


 野性的で端正な容姿。武勇名高き伯爵家の嫡子。剣、教養どちらも素晴らしい。加えて気さくで面倒見がいいところもあり、貴族平民を問わず彼に好感と尊敬の念を抱く人は多い。

 つまり私の婚約者はハイスペックだ。

 そういうわけで嫉妬も多い。

 アドルフが「遊び相手」にしていた女の子たちの中には私に対して激しい敵対心を燃やす人もいる。彼とこんなデートをしたのよ、とか、彼はこんなことを言ってくれたのよ、とか、彼にプレゼントもらっちゃった、とか、あんたみたいな女彼には似合わない私の方がふさわしいにきまってる彼だって私の方が好きに決まってる、とか。そういうことをわざわざ私に言いに来たり、聞こえよがしにしゃべったりするのだ。

 特に去年いた女の子はすごかったなあ。もう来ないから、アドルフに捨てられたのかしら。


 私は特に実害もないし気にもしていないのでほっといた。

 強がりではない。本当に気にしていないのだ。

 だって、アドルフは私にとって「お兄ちゃん」だから――――、


「ちょっとぉ!聞いてんのこのブス!!」


 ただし今回は違った。

 実害が出た。

 今日は月に一度の舞踏会。これも貴族のマナーを学ぶための教育の場だ。もちろん楽しいイベントだし、そういった余裕も必要だけれど、将来に向けての大事な社交の場でもあるのだ。アドルフもこの機会に自分の人脈をよく私に紹介する。


 で。


 そんな舞踏会の途中、ちょっと一人になった瞬間を狙ったように襲撃してきたのが、ただいま私に喚き散らしている、上級生っぽい女の子なのだ。


 金粉を散らしているのだろうか、シャンデリアの灯りが僅かしか届かない、人気のない庭の隅でもきらきらと輝くベビーピンクの髪。それに合わせたのだろう薄桃色の上品なドレス。さらに可憐で清楚なアクセサリー。

 どれも贅を尽くされた装い。この人は貴族なのだろうか?それにしては動作に品がない印象だけれど。

 美しく豪華な衣装と、支離滅裂なことを喚き散らす、悪い意味の女らしさのようなものがむき出しになった物腰。

 ちぐはぐな印象から、とっさに閃くものがあった。アドルフやその他大勢の人々に「ぼんやりしている」と言われている私にしてはすごいことだ。

 この春に編入してきた、平民の女子生徒。ぬきんでた魔力の持ち主だが、悪い噂がある。なんでも複数の、しかも女子生徒のあこがれの的になるようなハイスペックな美男子と関係を持っている、らしい。

 私は実際に見たわけでは無いけれどこれはかなり信憑性が高い噂なのだ。いやもう噂の域は軽く超えて予想外かつ非常に頭の痛い事態になっている。


 女子生徒によって身も心も蕩けてしまった令息たちが、自身の婚約者たちに婚約破棄を一方的にたたきつけている、と。


 さっきも言ったけれど、貴族の結婚は義務である。この国には法律が存在していて、不穏分子は粛清される。婚約破談においてどちらか一方に責任があれば裁判を起こして慰謝料を請求することもできる。

 令息たちはすっかりおかしくなってしまった。

 本来婚約とは両家の盟約のもと交わされる契りである。個人的な感情でどうにかできるものではない。それを、実家から離れた生活をしているのをいいことに連絡も届かないようにして一方的に破談にするのだ。あるいは、実家の了解などすぐに取り付けられると思っているのかもしれない。

 その女子生徒はまれにみる魔力の持ち主。

 さらに王立学園卒業生という箔は王宮でも十分通用するほどの名誉だ。

 もしも。

 もしもこれが、一対一の健全な状態のものであれば、考慮に入れるぐらいはしたかもしれない。

 しかしこれが一対多という異常事態になっている。それが今の状況なのだ。


 襟元にまで宝石が刺繍された、豪華なドレス。

 学校から奨学金に加えて補助の資金を支給されているという平民には、まず届かないと思われる品の数々。おそらく、自分の取り巻き(正直遺憾だがこの表現を使う)に貢がせたのだろう。

 彼女の名前は確か・・・。


「ルティア・ティリエ!!」


 優美に整えられた庭の片隅。

 その静寂の空間を斬るような厳しく張りつめた怒声が、私たちの間を鋭く突き抜けた。

 今日は整えられていたはずの艶やかな黒髪は乱れ、金褐色の瞳は燃えるよう。

 野性的な美貌は険しい。均整の取れた体は筋肉が強張っている。動作は荒々しい。

 こんなときなのに、怒っているのに、元の美しさが勝っているのか色香すら感じる、凄絶な、私の婚約者。


「アドルフッ!」


 私に向けていた、蛇の毒のような刺々しい声から一転。

 綿飴みたいに、蕩けるように甘い声でルティアが彼を呼んだ。

「やっぱり来てくれたのね!アドルフ!」


 いや、違うと思う。絶対。


 華奢な両手を広げて彼に飛びつこうとするルティア。それをすばやく半身を反らして躱し、アドルフは私の肩を優しくつかんだ。流石騎士志望。いい動きだ。

「大丈夫か!?なにもされてないか?」

「うん、まあ・・・」

「そう・・・か」

 ふー、と息を吐くアドルフ。こういうところは昔とおんなじだ。私のお兄ちゃん。いつも助けてくれる。

 まあ今回は元凶でもあるわけだが。

 それを責めようとして、口を開きかけたとき、

「アドルフ!?どうしてぇ!?」

 全く別方向から責めが来た。

 ルティアは信じられないものを見る目でアドルフを見上げている。そんなに意外かな。アドルフほんと何したんだろ?


「なんでそんな女に構うの・・・?あたしのこと、あんなにかわいいって・・・好きだって!!」

「いや、かわいいと言ったことはあるかもしれんが好きなんて言ってねえぞ!?」

「そこがそもそもおかしいのよ!本当なら今頃私に夢中になって『もう離さない』って囁くのに!壁ドンも押し倒しもあるはずなのにぃ!?」

「お前何言ってんだ!?」

「だって、だっておかしいこんなの絶対におかしいわ!そうよ、アドルフは騙されてるのよ!そのリュシーとかいう女はおとなしそうな顔して裏でヒロインをねちねちいじめる悪役令嬢なんだから!!なに方向性変えてんのよ!あんたのせいでこんなことにぃ!!」

「本当に何言ってんだ!!」


 本当に何言ってるんだろう?

 私はこの人の名前も、アドルフが言って初めて思い出したのに。


「アドルフ、この人になにしたの?」

「手握るぐらいしかしてねえ!!」


 手は握ったんだ。ふーん。


 でもそれぐらいでここまでいくかな?というか、なんで私にいじめられる妄想までしてるのかな。

 とにかく、このルティアの誤解を解く方が先決だよね。


「ティリエさん。」

「・・・なに?」


 ものすごい目で私を見るルティア・ティリエ。


「何を勘違いしてるのかわかりませんが、アドルフはそこまであなたを気に入ってはいませんよ。」

「――ほらっ!!こんな根も葉もないこと言ってあたしのこといじめようとするのよ!ひどい腹黒女だわ!」

 わざとらしく目を潤ませてアドルフに詰め寄り、私に蔑みの目を向ける。まるで自分は清廉で可哀想な乙女なの、と言わんばかりだ。


「本当ですよ。だって、アドルフがあなたといたの、ほんのちょっとぐらいだと思いますよ。アドルフの女性づきあいでは最短に匹敵するんじゃないですか?」


「――へっ?」

 ここで世にも間抜けな声を出したのは我が婚約者殿。


「それにアドルフ、そのすぐ後にずいぶんいろんな人と遊んでますよね。三年のリーナ先輩やカトリア先輩、四年のアイリ先輩、ヴェロニク先輩、クララ先輩、五年の・・・」

「いやちょっと待て!?」

 なぜかさえぎるアドルフ。

「なんでお前がそんなこと知ってるんだ!?」

「だって兄上が」

「は?リュファス殿がなんで出てくるんだ!?」


 リュファス・シュヴァリエ。

 私と同じ白銀の髪と藍色の瞳。綺麗な線で描かれた涼やかな美貌と、怜悧な雰囲気。それに加えて最近ではどこか冷ややかな、不思議な色香を湛えるようになった、シュヴァリエ家次期当主。

 私の家ではすでに父上がなくなって、母上が女伯爵として家を支えている。本来なら学園を卒業した時点で、成人にも達している兄上が当主になるはずだった。けれど同じく学園卒業生で執政にも詳しい母上の手腕で領内はたいへん安定しているため、兄上は今も王宮に仕官して更なる人脈作りや自身の研磨に励んでいる。王宮側がなかなか兄上を手放そうとしたがらない、というのもあるのだけど。


 そんな十歳年上の兄上は、兄弟というより一人の大人として小さいころから頼りになる御仁だ。

 だからあのときも、兄上にだけは相談した。


 アドルフの浮気宣言を受けた、次の日のことだ。


「兄上、どう思いますか。」

 私は兄上の部屋を訪れて昨晩のことを相談してみた。

 アドルフがもしかしたら私と結婚しないなんて言うかもしれない、とまでは考えなかった。

 けれど、アドルフもお兄ちゃんぶっていても兄上に比べればまだまだまだ子供。本当に何も起こらないのか、ちょっと心配になったのだ。あれでかっこつけてすごいヘマ起こすときあるし。

 兄上は窓の外を見ていた。白く綺麗な横顔は亡くなった父上に似てきていた。

「そうだな。」

 流れる水のように涼やかで低い声が、軽いトーンで言った。

「首輪を付けよう。」

「くびわ・・・」

「ああ、犬を遊ばせるときにはよくつけるだろう」

 兄上は静かに、楽しそうに言った。

「うん・・・」

「アドルフはお前の夫になる。つまりお前のものだ。だから放すときにはきちんと首輪をつけるんだ」

 簡単だろう?という感じで藍色の瞳を私に向ける兄上。

「どうやってつけるの?」

 私の頭の中では、我が家の牧羊犬とおそろいの首輪をつけているアドルフの姿が浮かんでいた。

 私の考えていることは手に取るようにわかるのだろう、ことさら愉快そうに兄上は笑った。

「あれが手を付けた女の名前を調べさせる。いざというときに使おう」

 兄上は長い指で私の頭を軽くなでた。

 手を付けた、という言葉の意味はまだよくわからなかった。

 兄上も教えるつもりはないらしく、やや長めの自分の髪を揺らして私の方にきちんと向き直った。

「できるの?」

 兄上にできないことはないと今でも思うけど、それでもなんとなく訊いた。

「できるさ」

 兄上は切れ長の目元をおかしそうに細めて、なんでもないことのように言った。


 そして本当にできた。どうやったのかは知らないけれど、兄上のもとにまとまった資料として定期的に届けられていた。相手の名前と、どれぐらいの期間付き合ったか。学園に人脈があったんだろうけど、こんなことをそんなに律儀にしてくれるなんて、よほど兄上に恩義があるか弱みを握られているのだろう。

 後者かもしれないな、と思うのは兄上が兄上たる由縁だろうか。


 私は正直そこまで興味があったわけではないので、だいたいは兄上に任せといた。

 けど、学園に自分も入学してからは資料をこっちに流してもらうようにした。だって、嫉妬を燃やす女の子っていうのはしつこいって相場が決まっているから。こっちから避けようと、自衛しようとするのは大事なことだよ、当然。


 アドルフは頭を抱えて前のめりの姿勢になっていた。

 なんだかものすごい衝撃を受けたみたいだ。


「あ――・・・、リュシーさん」

「なあに?」

「つまり・・・俺の・・・火遊びは全部監視されていた、と」

「うん」

 兄上に限って抜け洩らしもなかろう。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 動かなくなった。

「アドルフ?」

 返事をする元気もないようだ。さながら彫刻・・・、いや、屍の如し。


「――そんなことはどうだっていいのよ!!」


 若干カオスになりかけていた空気を、ヒステリックな声が粉々に砕いた。

 ルティアは華やかに結い上げていた髪をぐしゃぐしゃにしてしまっているのも気づかないのか、苛々としつつも妙に得意げな声で喚いた。


「とにかく!!ほかの女はどうだっていいのよ!!そうよねぇ彼は女たらしっていう設定だったし、兄貴肌と見せかけて強引なトコが受けてたし」


 せってい?うけ?


「でもそれがなに?」


 ルティア・ティリエは笑った。

 それは傲慢とか、侮蔑とか、自尊心とか、どれか一つの感情に結晶化されてはいなかった。

 どの感情も半端に醸成され、ただもう、勢いのままというか、まぜこぜというか、ただただ欲望のままに突き進む―――狂気の笑顔だった。


「彼は――アドルフはあたしのものよ。最後には絶対にあたしのトコへ帰ってくるの。だってあたしが好きなんだから。みぃんなあたしのものよ!ヒロインのあたしのもの!!」


 彼女は何者なの?


 いや。


 彼女は「何」なの?


 これほどまで理不尽な、非合理な、欲に満ちた思考回路をできるのは、どうしてなの?


 アドルフも顔を上げていた。

 その顔には紛れもない恐怖と、――道端の汚物に向けるような、耐えがたい嫌悪があった。


「だから・・・」


 ルティアは手を伸ばした。一本一本が形の良い、細くたおやかな指。

 その五指が蜘蛛の足のような、まがまがしく醜く映るのは、私の方がおかしくなってしまったのだろうか。


「――――ここにいたのか。ルティア」


 麗々しい低い美声が、静かに響いた。


 暗闇に金の炎が燈ったように、その声は鮮やかに空気の色を塗り替えた。

 このお声は。


「王太子殿下!?」


 アドルフが驚愕に畏怖を混ぜた声で叫んだ。

 私は歩み寄ってくる、背の高い人影を視界に入れて、慌てて婚約者と共に膝を軽く曲げた。王族に対する、恭順の姿勢だ。

 レオナール・ド・パルトゥーシュ王太子殿下。

 そこに立っているだけで光り輝くような存在感と風格を持つ、この国の次期国王であらせられる。どれほど優秀な方かと問われれば、実は今現在、国王陛下は病床に臥せることが多くなり、公務も信頼できる家臣が代行しているのだが、王太子殿下が学園を卒業なさったら即、譲位することを公言している程なのだ。

 若干十八歳にしての王位継承。

 この国ではまず、前例のないことであるし、他国でも非常にまれにみる若い国王だろう。

 それなのに不安や反対の声はほぼ皆無だという。

 国内屈指の名門貴族の正妃殿下を母に持ち、友好国の王女が婚約者だという後ろ盾もあるが、やはりご本人のたぐいまれな気質が貴族たちの口を黙らせたともっぱらの評判なのだ。

 その王太子殿下が、なぜ、今ここに。

 王太子殿下は私たち二人には軽く視線でなでるだけで済ませ、ルティアに向き直る。よほどうまく立ち回られたのか、だれもこちらには気づいていないようだった。


「レオナール様!」


 ルティアは再び声色をがらりと変えた。

 それにしてもこいつ今なんて言った?王太子殿下を御名で呼んだの?どうしてそんなことができるの?

 わずかに視線を上げてうかがうと、ルティアは蜜色の瞳を潤ませて、どこかあどけなさすら漂う愛くるしい笑顔を浮かべていた。

「舞踏会は楽しんでいるか?」

 炎のような美しさ、猛々しさを感じさせるお声に一滴の甘さを加えて囁く。

「はいっ!もちろん!でも・・・レオナール様とご一緒できなくて・・・すごく寂しかったです・・・」

「そうか。それは悪かったな。今宵は輪が婚約者も同席している故、そなたの相手も満足にできずすまない。」

「いいえ!いいえ・・・!」

 ルティアはほとんど恍惚の感に溺れたような、とろんとした目で殿下を見つめている。

 見つめ返す殿下の紺碧色の瞳もまた、お優しい。


「それで・・・レオナール様」

 一際甘く、それでいて悲しげな声でルティアは言う。

「本当に・・・あの隣国の姫君とご結婚されるのですか?そんなの、私・・・!」

 先程まで私の婚約者を欲しい欲しいと喚いていた少女は芸の細かいことに、一人称まで変えてほかの男にすり寄るさまを私は見た。けれど、そこはどうでもいい。


 何を、言っているの?

 この女は―――ルティア・ティリエは、自国の王太子と友好国の王女の婚約を何だと思っているの?

 セレスティーヌ姫のルプティ王国とは長く同盟国の間柄だった。しかし、両国の経済活動の活発化から、最近では協力体制を敷くだけでなく、お互いに障害を感じることも多くなり、いたるところで綻びが発生しているのだ。

 パルトゥーシュもルプティも、安定した国力を持つ大国だ。その二つの国の同盟関係は、この大陸の平和を約束する盟約と言っていい。

 それを保つため、互いに熟慮と経験を重ねることでよりよい関係への活路を見出すための結婚なのだ。

 それを――このルティアはただただ己の感情だけで非難しているというのか?

 私の肩を支える、アドルフの体が僅かに震えるをはっきりと感じた。

 彼は騎士だ。まだ正式な叙勲は受けていないけれど、その志はすでに騎士のものだ。

 王国を守護する戦士。だからこそ、このルティアの言うことはあまりにも度し難く、許せない。

 それは私も一緒だった。これはもはや、この国の民として、許容できる範囲をはるかに超えている。

「ああ、そのことなんだがルティア」

 殿下のお声が、弦の一本を弾いたように、わずかに弾んだ。


「俺のそばに来てくれないか。ルティア。我が王宮に、そなたの部屋を設けよう」


 冗談なしで、悲鳴が出そうになった。

 王太子殿下のお言葉が、私の解釈に間違えがなければ、こういうことを意味する。

 私の愛妾になってくれ、と。

 私とアドルフはほぼ同時に顔を上げた。アドルフの張りつめた表情には驚愕があった。そして凄まじいそれを上回るほどの絶望があった。


「殿下・・・!やっぱり、私を・・・私だけを想っていてくださったんですね!」

 感極まった勢いで、ルティアは目を潤ませてレオナール殿下に抱き付き、礼装の胸に顔をうずめた。

 どうして?

 どうしてその女を?

 確かにこの学校での恋愛観はここ何年かに渡って緩やかになり、火遊びや愛妾探しに興じる生徒も多い。けれどそこにも一定の節度は存在するはずなのだ。私たちは貴族なのだから。特に多くの男は恋よりも立場をとる生き物なのだから。

 確かにルティアはぬきんでた魔力の持ち主だ。高位貴族にも匹敵するだろう。けれどそれなら高位貴族の娘たちでもいいわけで。そちらの方がよほど器量の優れた娘たちがいるわけで。

 殿下は狂ってしまわれたのか?

 あの令息たちと同じように。一度だけ見たことがある、ルティアと逢引していた公爵家嫡子のような、甘い蜜に酔う哀れな蝶の一匹に化してしまわれたのか?

 私とアドルフは畏れ多くも、穴が開くほど殿下のご尊顔を凝視した。一生分の拝謁よりも、ずっとずっと長い時間、この方の――次期国王のお顔を眺めていたような気がした。

 けれどそれは数秒の出来事だったらしい。

 殿下は胸に抱き付く少女の髪を軽くなでていた。

 ふと、視線を上げて、私たちの方を見た。その視線は私たちに語り掛けているようだった。

 そなたたちの心はよくわかる、と。

 そして再度、自分の腕の中の少女に目をやった。


 その表情を、なんと言い表せばいいのか。

 愛でるようであり、嬲るようであもあり、慈しむようであり、嘲るようでもある。

 ただ感じたのは圧倒的なまでの傲慢さだった。王者の傲慢さだった。この国のすべての人間の生殺与奪権を握ることになる、王の表情だった。


 殿下は、次期国王陛下は少女を腕に収めたままその場を後にした。

「騎士よ、おまえにならわかるだろう」

 囁くような、陽炎のようなお声は確かに私と、――アドルフに届いた。


 殿下が向かった、少し離れた木陰には、淡く輝く人影があった。

 セレスティーヌ姫だ。

 いわずもがなだが、絶世の美姫と名高い隣国の王女の正装姿は極上――至高の美しさだった。

 銀に輝く、細身の絹のドレス。銀糸で施された流麗な刺繍は月光に照り映えて煌めいている。透き通った白いレースのボレロの袖が手の甲まで続き、中指にはめられた銀の指輪に先をひっかけていた。白い首にはどっしりとした銀細工に金剛石をはめ込んだネックレス。純銀の髪は下ろして各所に編み込みを入れ、銀細工に金剛石をふんだんに散りばめた華奢な宝冠を載せている。

 これこそ姫。一国の女性の頂点。至高の宝石。我が国の次期王妃。

 王女殿下はルティアを一瞥した。ルティアは王太子殿下の胸にまだ顔をうずめたまま。

 本来なら、私ごときにあの完璧な、銀の姫君の心情を読み取ることなど不可能だったろう。

 けれどその時はわかった。

 王女殿下は柳眉をほんのわずかにいさめ、非難するように王太子殿下を睨んだ。

 その声なき声が私にも聞こえた。

 悪趣味なお方。

 そう、言っていた。


 魔力を持つ者の結婚、出産は重要だ。目に見える魔力という才能が保障されているのだから。貴族たちは古来から様々な血を取り入れ、その強化に勤しんだ。

 特に王族はそうだ。魔力の強さは国力の強さ。だから正妃だけでなく側室たちにも重い役目が科せられる。

 けれど、それは同時にこういうことでもある。

 子どもが産まれさえすればいい。あとはもう、用済みだ。


 これは少し後のお話。一か月後、セレスティーヌ殿下が帰国されてから数か月後、ルティア・ティリエは王太子の愛妾として王宮に召し上げられた。ルティアの取り巻きだった男たちは、我に返ったものもいれば、そうでなかった者もいる。再び婚約者との縁を紡ぎ直した者もいれば、結局破談となり、揚句に勘当を言い渡された者もいるらしい。その辺りの詳しい全貌については私が知ることではない。

 さらに数か月後。王太子殿下は卒業され、正式に即位。セレスティーヌ殿下とも結ばれた。

 それと同時に、十数人の側室を迎えられた。

 正妃殿下が治める後宮には、毒婦とささやかれるひとりの女がいるという。

 その娘はいずれ自分が正妃になる、そのために陛下は自分を一番にお傍に招かれたのだ、あの正妃は政略結婚で迎えられただけの嫌われ者だ、陛下のお心は私にある、私はあのお方の寵姫であると妄言を喚き散らす、美しくも卑しい、女だ。

 その女は娘を産んだが、そちらには何の関心も求めず、権力と王の愛を求めて醜く足掻いた。

 やがて彼女は後宮の秩序を著しく乱した罪により修道院へ追い出され、その数か月後に事故死したという。

 ―――けれどそれは、もっと、ずっと、あとのお話。



 アドルフは舞踏会のすぐ後の休暇に、私の実家に行った。

 決して近いわけでもないし、ただでさえ最高学年で忙しい彼だが、このときばかりはそんなことに構っていられなかったようだ。

「お前の兄さんと話を付けてくる。」

 アドルフはそう言って、私の実家に行くための汽車に乗り込んだ。

 そしてぼろぼろになって帰ってきた。精神的に。

 で、アドルフは兄上から私に、こんな言いつけを預かってきたという。

「お前の婚約者を、好きなようにしていいぞ。地位でも、金でも、体でも、なんでも」



 一着目は最高級の光沢を持つ、漆黒のビロードのドレス。

 胸元は逆三角形でやや開いていて、袖はぴったりと長く細く、手の甲も覆っている。胸のすぐ下で切り替えし、ひざ丈のスカートの部分はフリルを重ねたいわゆるティア―ドと呼ばれる形状だ。繊細な黒レースが襟、袖、裾を縁どっている。さらにこれに合わせて黒いレースに雫型の黒曜石の飾りをふんだんに使ったチョーカー、花びらはビロード、花芯は黒真珠を数粒組み合わせた薔薇の形の髪飾り。

 ただ上品なだけでなくゴシックな印象も加えられた、蠱惑的と言っていい品々だ。

 二着目はライムグリーンのシフォンのドレス。

 こちらもひざ丈で、丸い襟元にはきらきらと輝くビーズを縫い付けている。全体がゆったりと布をたゆませたドレープデザインになっており、ふんわりと優美でありつつも大人びた印象。色もただのライムグリーンではなく、上から下へ、だんだんと色が濃くなる美しいグラデーションになっているのだ。これには華奢な銀鎖に微小なダイヤモンドを散りばめたネックレスを合わせる。

 こちらは今まで着たことのない、爽やかな美しさを持つ品々である。

 そんなわけで、私はアドルフと一緒に、歓楽街の五区に来ていた。

 私はアドルフに「じゃあ今度の週末は私に付き合って、なんでも我儘聞いてくれる?」と言ったのだ。

 アドルフは三人兄弟の長男で、姉妹がいないせいか私には昔から甘い。

「いいとも。」

 ほっとしたように頷いたアドルフ。兄上の脅し文句に比べて遥かにかわいいデートのお誘いはお安い御用だ、とでも思ったのだろう。

 まあ、それを後悔させる勢いで高額なおねだりをしまくっているわけだが。

 私も今までわりと迷惑をかけられたわけなので。いいよね。アドルフも「いいとも」て言ってたもん。

「俺の・・・個人資産が今日一日で削り取られていく・・・」

 休憩がてらに入ったカフェにて頭を抱えるアドルフ。

「アドルフの個人資産に爪痕つけるなら、これぐらいしなきゃだもん。」

 私は注文したかわいいケーキをつつきながらにっこり笑った。

 伯爵家嫡子のアドルフには土地や現金などの資産がすでに個人的に与えられ、家令たちによって管理されている。その額たるや、私のおこずかいなど塵のようなものだろう。

「ああ畜生。笑顔はかわいいのはむかつく・・・」

「まあ正直、そこまで怒っていたわけでもないけど、もうこれに懲りて女遊びはやめとくんだよ」

 まあ言われるまでもないだろうけど。

 そう笑って続けようとしたとき。

「は?」

 アドルフはすっとんきょうな声を上げた。

「ん?」

 なんでそんなに不思議そうなのかな。


「・・・怒って、なかった?」


「?うん」

 アドルフは私のお兄ちゃんだから。

 小さいころから兄上は厳しかった。頼りになるけど、ちょっと距離のある兄だった。

 でも、アドルフは違う。

 アドルフは年も近くて、優しくて、私から言わなくても私のことわかってくれて、心配してくれて、甘えさせてくれる。理想のお兄ちゃんなのだ。

 だから、女の子たちに対して、普通の婚約者が抱くような不快感はなかった。

 強いて言うなら、アドルフのバカ、すけべ、とか、年頃の妹が兄に抱くような抱くような反感みたいなのはあったかもだけど。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 返事がない。ただの屍のようだ。


「ちょっとは・・・こんだけするんだから・・・ちょっとは、そういう意味で怒ってくれているかなと思っていた俺が馬鹿だった・・・」

 苦悩の声を絞り出し、そして全身の力を抜くような、深い深いため息を吐く。

「身から出た錆。因果応報。自業自得。馬鹿の所業・・・か」

 ぽつりと、よくわからないことを呟く。

 そしてちらっと私を見て、目をそらして、思い切ったように再び私を見た。

「リュシー」

 言いつつ、アドルフは大きな右手を伸ばし、私の頬を包んだ。

 はっとするほど、真剣な瞳を向けて、同じぐらい真剣な声で、彼は言った。


「これからの一年、全力で口説くからな。覚悟しとけよ」


 そう言って、右手を滑らして前髪を払うと、私の額にキスをした。



 なぜか、そのときのアドルフは、全然お兄ちゃんには見えなかった。
















兄貴肌な色男だけど本命にはだめだめなアドルフと、妹属性に見えて飄々としているリュシーのお話でした。

いかがだったでしょうか?

いいざまぁを書きたいと言っていた割には、しょぼいと思われるかもしれませんが・・・、すいません。納得のいくラストじゃなかった読者の方もいると思いますが、こんなかんじかなー、と書いてみました。

レオナール殿下。ルティアは新しい血を取り入れるために利用することしか考えていません。下手にいいとこの奥さんになられても困るし(人格があれなので)、ここはもう自分が利用するだけ利用して後始末すればいいか、という感じです。苦労するのはセレスティーヌ姫。後宮の管理は彼女の仕事なので当然側室のまとめ役もせねばなりません。ちょっとそこんところ非難してます。きっちり与えられた役目はこなしますが。愚痴らなきゃやってられないよ。きっと。

あと、私はドレスとかかわいい女の子とか、そういった華やかな描写が好きなのでその辺りにも力を入れました。楽しんでいただければ幸いです。

予想以上に皆様の受けが良かったことから、時間があればもう少し何か書いてみたいと思っています。セレスティーヌ殿下とかまともなセリフが一言もないし・・・。ほかの婚約者たちのざまぁとかも・・・書けたらいいな(限りなく予定です。あしからず)

よければご意見、ご感想、お待ちしています。

拙作にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

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