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第12話『優しい嘘』

遅くなりました。

 商店街とはまさに真反対の景色だった。

 まばらに広がる田んぼの間に古い家屋が点在し、住宅街と呼ぶにはどこか寂れている。視界を大きく占めるのは、青々とした木々を茂らせる険しい山だけだ。そんな静かな郊外の一本道を、人生満喫部の面々は人を探して歩いていた。


「……日向市にも、こんな場所があったんだね」


 鈴蘭は周囲の景色にキョロキョロと目を奪われ、驚きを隠せずにいる。見渡す限り田んぼと民家ばかりで、飲食店や娯楽施設のような華やかなものは一切ない。人の気配もまばらで、ただ風の音と鳥のさえずりだけが響いていた。

 しばらく歩き進めると、道路脇の田んぼで農作業に精を出す一人の老人の姿が目に入った。


「すみませーん! 今、お時間少し大丈夫ですかー!」


 鈴蘭がすかさず元気いっぱいの声を張り上げる。作業を中断した老人はこちらを振り返ると、人懐っこい笑顔を浮かべながら手を振ってくれた。


「おぅ! でぇーじょーぶじゃ、嬢ちゃん! オラに何か用でもあったとけー?」


 耳慣れない独特の訛りを含んだ声。顔や服は泥にまみれ、使い込まれた手は農業の厳しさを物語るように荒れ果てている。深く刻まれた皺は、この土地で過ごしてきた長い年月をそのまま表しているようだった。


「お仕事中にお邪魔してすみません。私たち、昔の『おひな村』の頃にこの辺りで地主をされていた方を探しているのですが……何かご存知ありませんか?」


 柚花が丁寧な所作で頭を下げ、要件を的確に伝える。老人は鍬に手をかけ、少しだけ難しい顔をして考え込んだが――すぐに何かを思い出したように、パッと表情を明るくさせた。


「んとなぁ……。嬢ちゃんらがさがしとっとは、藤本さんとこのことだべか。うん、まちゲェねぇなぁ、えれぇデカい家だったばってん、すぐ分かったぞい」


「!? その藤本さんのお宅って、どこにありますか!?」


 思わぬ収穫に、鈴蘭は食い気味に身を乗り出した。


「そこの角さ右に曲がってなぁ、山の方へまっすぐ行きよったら家が見えてくるはずじゃ。そこにドーンと建っとる一番大きい家が、藤本さんのとこだべ」


「本当ですか!? ありがとうございますっ!!」


 頭を深々と下げてお礼を言う。あれほど足を使って探し回っても掴めなかった手がかりが、柚花の推理とこの聞き込みのおかげで、ものの数分で手に入ってしまった。一同は顔を見合わせ、隠しきれない驚きと興奮に胸を躍らせていた。


 老人の教えてくれた道を辿る。めったに人が通らないのか、あぜ道には草が生い茂り、歩くたびに鈴蘭たちの足をくすぐった。雑談を交わしながら長い一本道を抜けると、やがて昔ながらの立派な瓦屋根を戴く家屋が数軒、視界に入ってきた。


 その中でも、一際異彩を放つ巨大な屋敷があった。庭と目される敷地には立派な池があり、手入れされた松の木が雅な佇まいを添えている。屋根の瓦は最近張り替えられたのか汚れひとつなく、重厚な存在感を放っていた。建材として用いられた黒漆塗りの樫の木は深い年代を感じさせるが、丁寧な手入れによって今もなお家全体をしっかりと支えている。立派な門構えの正面には、桔梗の家紋が掲げられていた。「藤本」の名が刻まれた表札には無駄な装飾がなく、かえってこの家が歩んできた長い歴史の重みを無言で物語っている。

 あまりに立派な邸宅を前に、鈴蘭たちは思わず目を奪われて立ち尽くした。だが、東がいち早く我に返り、「おい、見惚れてる場合か」と低く声をかける。その声でハッと我に返った一同は門の前へと歩み寄った。しかし、現代的なインターホンなど見当たらず、重々しい木製の門扉が立ちふさがるばかりだ。皆がどうやって呼び出そうかと困惑していると、柚花が一人、あごに手を当てて考え込んだ。そしてすっと扉の前に立つと、門に据え付けられた輪状の金属を掴み、数回コンコンと扉を叩きつけた。


「あっ、先生!?」


 大胆な行動に一同が焦って止めに入ろうとした、その時。門の向こう側から静かに声が響いた。


「――何か、ご用でしょうか?」


 まるで鈴の音か、氷の張った水面のように透き通った声。その声の美しさに毒気を抜かれつつも、柚花は動じることなく代表として落ち着いた声で返答する。


「突然の訪問、申し訳ありません。こちら、藤本さんのお宅でお間違いないでしょうか?」


「はい、藤本ですが……どちら様でしょうか」


「私たちは日向ヶ丘高校の者です。部活動の一環で、あるおじいさんからの頼みを受けて伺いました。少々、お話を聞かせていただくことは可能でしょうか?」


 数分間にも及ぶ静寂が続く。ジリジリと汗をかきながら、誰一人として笑みを浮かべる者はいない。張り詰めた緊張がその場を支配し、わずか数秒の時間すら何時間にも感じさせていた。

 緊張がピークに達しようとしたその時、重厚な扉が軋んだ音を立ててゆっくりと開かれた。扉の先に立っていたのは、艶やかな黒髪を一本に束ね、胸元へ流した一人の女性だった。若葉色の美しく艶やかな着物を身にまとった彼女は、鈴蘭たちを見つめると、静かに口を開く。


「……どうぞ、中へ」


 それ以上、無駄な言葉はなかった。だが、その洗練された立ち振る舞いと神秘的な佇まいに息を呑み、誰も声を上げることができない。

 促されるまま屋敷へ足を踏み入れると、まず目に飛び込んできたのは大きな屏風図だった。桔梗の花がいくつも散りばめられ、その中央には気品あふれる女性の姿絵が鮮やかに描かれている。女性の手によって襖が開かれると、その先には青畳が一面に広がる大広間が続いていた。ここで待つようにと言い残し、彼女は静かに去っていく。

 彼女の姿が見えなくなると、ようやく緊張が解けたのか、楽が「はぁぁ……」と深々と大きく息を吐き出した。その拍子抜けするような溜め息に耐えきれず、鈴蘭と志鶴が吹き出す。


「あはは、楽ったら緊張しすぎ!」


「緊張で膝が笑ってるよぉ」


 二人の和やかなやり取りに、張り詰めていた空気がふっと和らぐ。すると、まるでその瞬間を見計らっていたかのように、再び静かに襖が開かれた。そこに立っていたのは、先ほどの女性と、一人の威厳ある老人だった。老人は鋭い眼差しで一同をぐるりと見渡すと、重々しい動作で畳の上に腰を下ろし、口を開いた。


「――よぉ、坊主ども。儂に何か聞きたいことがあるんだってな」


 腹の底に深くズシリと響く声。その圧倒的な威圧感に、柚花を含めた一同は思わず息を飲み、完全に呑まれてしまっていた。


 ――だが、ただ一人だけ、いつもの能天気さを発揮する人物がいた。


「おじいちゃん! アタシたち、探してる人がいるの!」


 静かな大広間に、鈴蘭の元気いっぱいの声が響き渡った。一同は「やってしまった……」と生きた心地のしない顔で老人を見つめる。老人の顔は硬直し、眉間には深々とシワが寄せられていた。完全に怒らせたと悟った柚花が、顔を青くして謝罪しようと身を乗り出した――その瞬間。

 老人は目元を手で覆うと、腹から高らかに大笑いし始めた。


「ハハハハ! 活きのいい可愛らしい嬢ちゃんだなぁ! どれどれ、何でもこのじいちゃんに言ってみろ!」


 そこには先ほどまでの威厳など欠片もなかった。隣に座る着物の女性は、深々とため息をつくと肘で老人の脇腹を小突いた。そして、呆れ果てた顔で文句を言う。


「はぁ……おじいちゃん。さっき『威厳たっぷりで行く』って自分で意気込んでたよね? なに一瞬で好々爺になってんの。やる気あるの? 真面目にやって」


 完璧な和装の佇まいからは想像もつかないフランクな言葉遣いに、一同は驚きを隠せない。老人は照れくさそうに笑いながら鈴蘭の頭を撫で回し、鈴蘭もまた嬉しそうにそれを受け入れている。怒る女性と能天気な二人というカオスな構図に、部員たちは思わず頭を抱えた。そんな数分間のドタバタを経て、ようやく老人が咳払いをひとつ挟み、本題へと戻った。


「コホン……で、探したい人がいるって話だったな。一体どんな奴を探しているんだ?」


「えっとね、アタシたち、五十嵐龍五郎っていうお爺さんの頼みで探してるの。お相手の名前は分からないんだけど、昔ここが『おひな村』だった頃の、地主さんの娘さんだったって聞いてここに来たんだ」


 鈴蘭の言葉を聞いた瞬間、老人の表情が一変した。目は大きく見開かれ、何かを言おうと口を半開きにしたまま完全に固まっている。隣の女性――南(みなみ)も、その異様なたたずまいを不思議そうに見つめた。


「おじいちゃん……知ってる人なの?」


 南に問われ、老人は深く一息をついて視線を落とした。そしてゆっくりと顔を上げると、昔を懐かしむような、どこか切ない表情を浮かべる。静寂が部屋を包む中、老人は意を決したように真剣な眼差しで鈴蘭たちを見据えた。


「……五十嵐の倅か。懐かしいな……あいつには、本当に悪いことをしたと思ってる。……嬢ちゃん、お前さんたちが探しているその人ってのはな、儂の娘――孝子(たかこ)のことだ」


「!? じゃあ、その孝子さんは今どこに!?」


 身を乗り出す鈴蘭に、老人は重々しく首を横に振った。


「――分からねぇ。……ずっと前に行方不明になっちまったんだ」


 あまりに衝撃的な事実に、その場にいた全員が息を呑んだ。隣にいた南は混乱するように何度か唇を動かすと、静かに言葉をこぼす。


「……それって、まさかお母さんの……」


「そうだ、南。お前のおふくろの妹……つまり、お前にとっての叔母にあたる人だ」


 南はいまだ唖然としたまま立ち尽くしていた。やがて吸い寄せられるように老人の元へと歩み寄ると、その肩を強く掴み、真剣な眼差しで詰問した。


「私にも……私にも教えて! お母さんは孝子さんの写真を見るたび、いつも一人で泣いていた……! その理由が知りたいの! お母さんがおじいちゃんの元に来なくなった理由を!」


 だが、老人は俯いたまま何も語ろうとしない。南の顔はボロボロと溢れる涙で濡れ、その表情は怒りと切なさで歪んでいた。いくら問い詰めても固く口を閉ざす老人に、とうとう激昂した南は大きく腕を振りかぶると、その頬を思い切り叩いた。パシィンっ! と乾いた打擲音が部屋に響き渡る。


「自分の……自分の罪悪感から逃げないでよ、このクソジジイ! 逃げて、逃げて一人で楽になろうとしないで……! それじゃ、孝子さんが……お母さんが報われないじゃない……っ!」


 涙に濡れた、震える声。南は老人の肩を強く掴んで揺さぶりながら、己の魂を削るような叫びを浴びせかけた。老人は大きく目を見開き、赤く腫れ始めた自身の頬をそっと撫でた。じんと痺れる鈍い痛みを噛み締め、一瞬だけ目を伏せたが――やがて静かに南の目を正面から見据え、その肩を優しく抱き返した。


「……すまんな、南。儂が弱かった。そこに座りなさい。……嬢ちゃんたちも聞いておくれ。孝子の、話を」


 もはや言葉による静止など必要なかった。部屋を支配する濃密な後悔の空気に、誰もが息を呑み、固い表情で耳を傾ける。老人は南の涙を指先でそっと拭うと、鈴蘭たちへ視線を向け、ぽつりぽつりと過去を語り始めた。




 ◇◆◇◆◇◆◇





 孝子は、本当に大人しい子だった。

 口数も少なく、いつも誰かの後ろに隠れているような子でな。ある時、孝子が珍しく一人で外出することがあったんだ。家の者は皆忙しく、誰も構ってやれなかった。だが……孝子の運命はそこで変わったんだろう。

 家に帰ってきた孝子の顔は、今まで見たことがないくらい爛漫な笑顔だった。儂は信じられなかったよ。あの孝子が、あんな晴れやかな表情をするなんてな。理由を聞いてみれば、好きな男ができたと言う。……それが、龍五郎だった。


 それからというもの、孝子は毎日龍五郎の元へ通うようになった。儂はそれを止めず、自由にさせていた。なぜなら……孝子の人生は、生まれた時から決まっていたからだ。隣村の地主の息子との婚姻――それが生まれながらに課せられた、孝子の運命だった。だが、儂は孝子にそれを知らせなかった。せめて祝言の時が来るまでは、自由に生きてほしかったからだ。


 ……だがある日、孝子が夜になっても帰ってこなかった。

 儂は村の人間を総動員して捜したよ。そうしたら、龍五郎についていって山の深くまで迷い込んでいたことが分かった。それを知った時、儂は怖くなったんだ。これ以上はいけないと、二人を切り離そうとした。孝子に、許嫁の存在を打ち明けたんだ。

 孝子は……ただ暗い顔で、静かに了承した。

 心が痛んだよ。だが、地主としての立場もあり、儂にはどうすることもできなかったんだ。


 しばらくして、五十嵐の一家が村を引越すと聞いた。

 儂はこれでよかったのだと安堵した。龍五郎がいなくなれば、孝子も諦めがついて忘れてくれるだろうとな。……だが、甘かった。もう、取り返しのつかないところまで来ていたんだ。


 五十嵐一家が発った日――孝子は姿を消した。




 ◇◆◇◆◇◆◇





「……孝子が今どこにいるのか。生きているのかすら……儂にはもう、分かりやしないんだ」


「そっか……」


 深い哀愁が漂う。重く張り詰めた空気が場を支配し、耐えがたい沈黙が押し寄せていた。


 鈴蘭たちは静かに立ち上がり、屋敷を後にした。今はあの二人だけにしてあげるべきだと判断したからだ。外に出ると、陽はすっかり傾きかけていた。誰も言葉を発することのないまま、沈黙の中で学校への帰り道を歩く。学校へ到着した頃には辺りはすっかり暗くなり、空の端にわずかな夕暮れの残光が残るばかりとなっていた。校門の前で足を止めると、柚花が静かに口を開いた。


「……皆さん。今回の結果、龍五郎さんにはどう伝えますか?」


 夕暮れの空へ投げかけられたその問いに、一同はお互いに顔を見合わせる。やがて、東が代表して低い声で答えた。


「話は……しますが、すべてを伝える気はありません。『孝子さんは遠くの街へ嫁いで幸せに暮らしている』と、そう嘘をつきます。……行方不明なんて残酷な真実、あのお爺さんに言えるわけがない」


「……そうですね。とても優しい嘘ですね」


 柚花が噛み締めるように呟く。一同の顔色は暗い。思い描いていたハッピーエンドとはほど遠い、考え得る限り残酷な結末だった。そのまま解散となり、各自が帰路につく。途中まで道が同じだった東と鈴蘭は、分かれ道へと差し掛かった。東が声をかけずにそのまま通り過ぎようとした、その時。背後から、ポツリと声が掛けられた。


「……じゃあね、東くん」


「……おぅ」


 振り返りざまに見えた鈴蘭の表情には、哀愁とはまた違う――どこか危うい何かが孕まれているような気がした。

ちょっとゲームしてたらここまでかかってしまいました。今日中にもう1話投稿するつもりです。

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