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第11話『大人』

「すいませーん! 昔、この辺りの地主だった方をご存知ですかー!?」


 鈴蘭の元気な声が朝の空へ爽やかに響き渡る。その弾けるような明るさと全身から溢れ出る陽のオーラに、街の人々も自然と目を細め、表情を和らげていた。


「んー、地主さんなぁ……。すまんが、ちっとも心当たりが無いなぁ」


 話を聞いていた老婆が申し訳なさそうに首を振る。

 これで5人目だ。どこへ行っても同じような返答しか返ってこない。それもそのはず、龍五郎の記憶からは肝心な名前と容姿がすっぽりと抜け落ちており、手掛かりと呼ぶにはあまりにも心許なかったからだ。


 結局、「かつてこの辺りの地主だった家の娘」というわずかな情報を頼りに、龍五郎と同世代と思われる高齢者に片っ端から声をかけて回るしかなかった。


「誰かー! 昔の地主さんについて知ってる人はいませんかー!?」


 通りすがる人々へも懸命に呼びかけてみる。だが、色よい反応は返ってこず、ただ返事の代わりに春の風が吹き抜けていくだけだった。気がつけば太陽は頭上高くへ上り、眩しい日差しが地面を照りつけていた。


「んんー……なかなか厳しいなぁ……っ」


 額に浮かんだ汗を手の甲で拭いながら、近くの日陰へと移動して小休憩を取る。自動販売機で買った冷たい水を一口流し込み、一息ついたところでスマートフォンを取り出した。


「もしもし、しづー? そっちはどうー?」


『もしもーし、鈴蘭ぁ。こっちは全然ダメダメぇー……』


 スピーカー越しに、志鶴の脱力した声が返ってくる。互いに午前の進捗を報告し合い、得られた話を突き合わせてみる。だが、元々の手掛かりがあまりに乏しいこともあり、どちらの調査も完全に手詰まり状態だった。


『一旦ごーりゅーしよーよー』


「オッケー、みんなにも伝えとくねー」


 通話を終えて画面を伏せると、鈴蘭は眩しい真昼の空を静かに見上げた。


「……絶対、見つけないとなぁ」


 ぽつりとこぼれた小さな呟きは、誰の耳に届くこともなく、吸い込まれるように澄み渡る青空へと消えていった。




 ◇◆◇◆◇◆◇





 空の色が茜色に染まり始めた頃、鈴蘭たちは再び商店街へと戻ってきていた。全員が心身ともに疲れ果て、誰からともなく口数を減らしていく。重苦しい静寂の中、ただ荒い呼吸の音だけがその場を支配していた。うつむく一同の顔には、芳しくない結果がはっきりと滲み出ている。


「……今日はもう、解散しよっか」


 誰からともなく零れたその言葉に、応える者は誰もいなかった。だが、それが合図であったかのように、一同は静かに背を向け、その場は自然と解散となった。



 翌日、学校の廊下。

 鈴蘭は重い足取りで部室へと向かっていた。昨日の捜索は実を結ばず、手元に残ったのは果てしない徒労感だけだった。どうにかしてこの手詰まりな状況を打破したいと、昨夜からずっと頭を抱えて悩んでいたが、名案など浮かぶはずもない。重い足取りで歩いていると、背後から声をかけられた。


「一条さん。……ちょっといいですか」


 静かな声。振り向いた鈴蘭の視線の先に立っていたのは、幽かな怒気を纏わせた柚花だった。口元には微笑を浮かべているものの、その瞳はまったく笑っておらず、凍てつくような冷たさをたたえている。圧倒されて思わず後ずさりした鈴蘭に気づくと、柚花は大股で一歩踏み出し、目の前まで距離を詰めると上から見下ろすように静かに口を開いた。


「……聞きましたよ。昨日、勝手に行動したそうですね」


 氷のように冷ややかな声が、鈴蘭の胸を深く突き刺す。


「貴方に、……貴方たちに何かあったらどうするつもりだったんですか。せめて、せめて相談くらいしてください。私は貴方たちの顧問ですよ。そんなに、私は頼りないですか?」


「ちがっ……!」


 柚花の言葉には、激しい怒りと共に、絞り出すような自己嫌悪が混じっていた。 自分の軽率な行動が、彼女の心をこれほどまでに深く傷つけた。その事実が、鈴蘭の胸に強烈な自責の念を突き立てる。弁明の言葉は見つからず、ただ視線を落として唇を噛むことしかできない。 柚花は沈黙を貫く鈴蘭をじっと見つめていたが、やがて何かを決心したように、吐息とともに表情を崩した。


「……一条さん。貴方のその優しさや純粋さは、間違いなく美徳です。その行動力も、大胆さも、真っ直ぐな信念も……そのすべてが貴方の素晴らしい武器です。でもね、今の貴方はその武器で、自分自身を傷つけてしまっている」


「…………」


「貴方は神様じゃない。何でも見通し、すべてを救える全知全能の存在ではないんです。貴方は、人間なんです」


 諭すようなその言葉が、鈴蘭の防壁を容赦なく崩していく。己の無能さと無謀さに対する嫌悪が、濁流となって胸を満たしていく。


「人間とは、葦のように脆く儚い、ちっぽけな生き物です。ましてや貴方はまだ成人さえしていない、守られるべき子供です。とても、とても弱い存在なんです」


 突きつけられる言葉の数々に、鈴蘭はさらに深く深く落ち込んでいく。


「――だから、だから私たち大人を頼ってください。惨めに泣きついたっていい、無様に縋ったって構いません。一緒に強くあれる方法を、私が一緒に考えますから。どうか、……大人を、私を頼りなさい」


 厳しさに満ちていた声が、ふっと胸を包み込むような温かな色を帯びる。恐る恐る顔を上げた鈴蘭の目に映ったのは、太陽のような柔らかい笑みを浮かべた柚花の姿だった。視界が急激に熱く滲んでいく。必死で溢れ出るものを抑え込もうとしたが、もう遅かった。大粒の涙は光を透かし、宝石のような輝きを放ちながら、彼女の頬を伝い落ちていった。


 柚花とともに部室へと向かう。

 目元は赤く腫れており、誰が見ても泣いた後だと分かる惨状だった。扉の前まで来ると、鈴蘭は息を整えて静かに開ける。部室内には、すでに全員が揃っていた。いつもと様子の違う鈴蘭に戸惑いながら、楽が恐る恐る尋ねる。


「……あのぉ、どうしたの鈴蘭さん?」


 声をかけられた途端、胸が跳ねて少し動揺してしまう。だが、隣に立つ柚花が肩をポンと優しく叩いた。手のひら越しに伝わるぬくもりが、怯える鈴蘭に小さな勇気を与えてくれる。両手で自分の頬をパチンと叩いて気合を入れると、意を決して口を開いた。


「……みんな、昨日はごめんね。あんな無茶に付き合わせちゃって」


 突如として始まった頭を下げる鈴蘭の姿に、部員たちは慌てふためいた。あからさまに困惑を表情に出す者もいれば、平然を装いつつも内心で混乱する者もいる。やがて、東が代表して疑問を投げかけた。


「……急にどうした。なぜ謝る?」


 全員の疑問を代弁した低い声。しばらく重苦しい沈黙が続き、痺れを切らした亮が追撃するように言葉を放つ。


「らしくないですよ、部長。さっさと理由を話してください」


 急かすような言葉。すぐに打ち明けようとするが、喉が固く絞まったようにうまく言葉が出てこない。頭の中が真っ白になり、思考がぐるぐると空回りする。指先からすーっと体温が引いていき、呼吸すら浅くなっていく。パニックになりかける鈴蘭の横で、柚花が静かに、そして毅然と口を開いた。


「皆さん、少し時間をあげてください。一条さんが自分の口で話すための、覚悟を決める時間を」


 顧問の静かな頼みが部室内に浸透していく。部員たちはそれ以上追及せず、ただ静かに鈴蘭の顔を見つめた。だが、注がれる真剣な視線に鈴蘭はなおさら焦りを募らせていく。――どうしよう、何て言えばいい? どんどん追い込まれていく脳裏に、突如として龍五郎の笑顔が浮かび上がった。

 朝の光を背に受けて笑っていた、あのお爺さんの顔。自分がここで挫けたら、不甲斐ない態面を見せたら、あのお爺さんをまた一人にしてしまう。あの笑顔を曇らせてしまう。そのことに気づいた瞬間、鈴蘭の迷いは完全に消え去った。


「……昨日は、みんなアタシの我儘に付き合ってくれてありがとう。でも、結果的に何の成果も出せないまま、みんなの貴重な時間を無駄にさせちゃった。……アタシ一人ならどうなってもよかったんだけど、みんなを巻き込んじゃってるのは話が違うから」


 ギュッと拳を握りしめ、真っ直ぐにみんなの目を見つめる。


「さっき、柚先生に怒られたんだ。『大人を頼りなさい』って。……だから、アタシは格好つけるのをやめる。みんな、こんなアタシを……未熟で、一人じゃ何もできない弱いアタシを――助けてくんない?」


 絞り出した悲痛な弱音が、静まり返った部室内を支配する。恐る恐るみんなの顔を見渡すが、その表情は固く、どこか渋いものだった。「流石にもう嫌気が差したのかな」と察し、これ以上迷惑はかけられないと言葉を続けようとした、その時――


「――何言ってんの、鈴蘭。私たちはやりたくてやってんの。……どんどん頼りなよぉ」


「しづぅ……っ、うぐっ」


 顔を上げると、志鶴が呆れたような、それでいてこの上なく優しい笑みを浮かべていた。他の面々も、呆れ顔だったり、力強く頷いたりと、それぞれのやり方で鈴蘭の言葉を受け止めていた。張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れ、視界が再び熱を帯びる。鈴蘭はただ、溢れ出す涙を拭うことも忘れて、仲間の温かさに身を委ねていた。


 泣き終わった頃には、鈴蘭の顔は茹でダコのように真っ赤になっていた。高校生にもなって仲間たちの前で大号泣してしまったことが急に恥ずかしくなり、部室の隅で膝を抱えて小さくなっている。そんな鈴蘭を志鶴が楽しそうにからかっていた。

 部室内にいつもの和やかな空気が戻ったのを確認すると、柚花はパンパンと手を叩いて一同の注目を集めた。


「はい、皆さん! 急ですが、早速これからの作戦会議を始めましょう」


 その声に弾かれたように、部員たちは各々の席に着いて柚花へ視線を向けた。その表情には真剣さが戻っており、「人生満喫部」としての再スタートを切っていた。


「皆さんが昨日持ち帰った『かつて地主の娘だった』という情報。これを元に、まずは捜索範囲を大幅に絞り込んでいきたいと思います」


「でも先生、名前も住所も分からないのに、どうやって絞るんですか?」


 楽の素直な疑問に対し、柚花は部室の隅からホワイトボードをガラガラと引き寄せてきた。そこに、あらかじめ印刷していた二枚の地図を並べて貼る。柚花はマーカーを手に取ると、古い方の地図を指し示した。


「まず、龍五郎さんのご年齢から考えて、彼が幼少期を過ごした時代の古地図を用意しました。見ての通り、当時は一面の田んぼと小さな集落ばかりですが……ここを見てください」


 柚花が赤ペンで一つの区画を大きく囲む。


「周囲の民家に比べて、この一画だけ敷地が異常に広くなっていますよね。当時の『おひな村』の規模から考えても、ここが地主の屋敷跡である可能性が極めて高いです」


「おお……っ!」


 部員たちから感嘆の声が漏れた。自分たちが丸一日足を使って聞き込みをしても何も掴めなかった手掛かりが、大人の知識と視点によって一瞬で目の前に浮かび上がっていく。鈴蘭は「大人を頼る」ということの本当の意味を、身をもって理解した。


「そして、ここからが本番です。こちらが現代の最新の地図ですが……区画整理で街並みがすっかり変わっていて、そのまま重ね合わせても位置が分かりません。ですが――時代が変わっても絶対に動かない場所が一つだけあります。ここ、『女泣山』です」


 柚花は現代の地図の端、山の麓にあたる場所にポツンと印をつけた。昨日みんなで必死に聞き込みをしていた商店街とは、真逆の方向だ。通りでいくら歩き回っても手掛かりが見つからなかったわけである。


「つまり、商店街を中心に探していても、途方に暮れるだけだったということです。昔の地主の屋敷があったのは、この女泣山の麓……商店街から大きく外れたこの周辺エリアです。これからは、ターゲットをこの数キロ圏内に絞って情報を集めていきましょう!」

ちょっと展開を急ぎすぎた感はある。早く次の章に行きたかったんですよ……。

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