1、新婦ダリアの片思い
作品に興味を持ってくださり、ありがとうございます。この小説はのんびり連載していく予定です。お気に入りや評価、感想があると作者の励みになります。もしお好みに合う方がいましたら、どうぞよろしくお願い申し上げます。
「わたくしの書物は絶対に見つからないように包んでちょうだい」
「かしこまりました、ダリアお嬢様」
輿入れの荷の中に新婦の宝を隠して、キンツェル伯爵家の特別な春の朝は慌ただしく過ぎていく。
キンツェル伯爵家は王の刃として血を請け負い、王国中の裏社会を支配する闇の家門だった。
なぜ過去形かというと、数代前から温厚で気弱な当主が続いており、家門の権勢が地に落ちたからだ。
没落した名門――そんなキンツェル伯爵家の令嬢ダリアは、新興貴族のもとへ嫁ぐことになった。
新郎ヘルマンは傑物だ。
商人の家に生まれ、たぐいまれな文武と金儲けの才能により爵位を買い、選ばれし者にしか抜けないと言われていた聖剣を抜き、隣国との戦争で活躍して英雄と呼ばれるに至った男だ。
彼を題材にした書物は国内外に広く流通しており、ダリアはその全てを蒐集していた。
「あの男を直接見るのは久しぶりだわ」
ダリアはその漆黒の艶髪をほっそりとした優美な指先で掬い取り、踊り出しそうな声になった。ヘルマンが好きなのだ。片思いだが。
「あの男は幼い頃、わたくしに『私を好きになってはいけませんよ』なんて言ったのよ。思い出すたびに殺意が湧くわ」
「お嬢様、おいたわしや。そんな。不遜な男に……」
「今度はわたくしが言ってあげるのよ。わたくしはあなたを愛するつもりはありませんからね、白い結婚で浮気も禁止よ」
政略結婚は王太子の命令だ。どちらの家も、断ることはできなかった。
しかし、断ることができてもダリアは断らなかった。しゅきだから。
春を迎えたばかりの麗らかなこの朝に、ダリアはキンツェル伯爵家領を離れて嫁に行く。
花の香りを芳醇に含んだ風が駆け抜けて、木々の枝に芽生えた新緑を揺らす。
ひらりと舞う花びらは爛漫な春の色を纏い、暖かな陽差しの中で小鳥たちの可憐なさえずりが爛漫な春を寿いでいた。ダリアは黒塗りの美しい棺桶に入り、忠実な侍女のメルフェに微笑んだ。
「蓋を閉めて出発してちょうだい。わたくしは到着まで中で睡眠を摂るわ」
「棺桶に入って嫁入りだなんて、まるで吸血鬼のようですよ。ダリアお嬢様はご趣味が悪くていらっしゃる」
「あら。これはね、『わたくしはあなたの腕の中で生まれ直しますわ』というメッセージですのよ。さあ、蓋を閉めてちょうだい」
数人がかりで蓋が閉められると、視界が真っ暗な闇に閉ざされる。
まるで、伝承に語り継がれる吸血鬼になった気分。物語を好むダリアは、自分が空想上の生き物になった心地で胸の上で両手を組み、真紅の双眸を閉じた。
(あのヘルマンはどんな顔で棺桶を見るかしら)
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
これから夫になる男、ヘルマン・ウェルザー伯爵と初めて出会ったのは、六年前。十二歳の時だった。
父が主催するサロンで、ヘルマン・ウェルザーの名を、ダリアはその日より前から何度も耳にしていた。
平民の商家に生まれながら、先を見通すような言動で莫大な富を築かせた神童。文武ともに秀で、ついには伝承の遺跡に眠る聖剣の所在まで言い当て、自ら潜り、選ばれし者しか抜けぬと言われたそれを引き抜いた――。
国中が騒ぎ、大陸にまで名が広がる特別な存在。
それが、父の主催するサロンに現れるという。
だから会場の一角に立つ少年を見つけた瞬間、ダリアは確信した。
(あの方が噂のヘルマンね)
光を集めたような金髪に、氷を思わせる冷静な碧眼の美少年。一歳しか違わないはずなのに、そこに立つ姿は妙に完成されていて、子供らしい落ち着きのなさがまるでなかった。
視線を向けられただけで、胸の奥がひどく騒ぐ。
(なんて……)
噂は誇張ではなかったのだ。とても素敵。格好いい!
憧憬にも似た熱が胸に満ち、鼓動が速くなる。
一目惚れという言葉が頭をよぎる中、ダリアは慌てて背筋を伸ばした。
ここは父のサロン。主催貴族の令嬢としての自分がいる。
浮かれてはならない。
優雅に歩み寄り、堂々と名乗ろう。
相手は平民出身とはいえ、今や注目の人物だ。
騎士のように敬意を払って挨拶を返してくれるだろう――もしかしたら忠誠を誓うような言葉の一つも。まあ、素敵!
そんな想像に胸が熱くなりながら、ダリアは彼の前に立った。
「キンツェル伯爵家のダリアですわ。ようこそお越しくださいました」
完璧な礼だった。
少年は一瞬だけ彼女を見た。
その視線は鋭いというより、値踏みするようだった。
そして。
「私をお気に召しませんように、お嬢様」
静かで、驚くほど冷ややかな声が降ってきた。
形式上の礼すらせず、それだけ言い捨てると、彼は踵を返して人波の中へ消えていく。
一瞬、意味が理解できなかった。
(……は?)
数拍遅れて、言葉が頭の中で形になる。
お気に召すな? 主催家の令嬢に向かって?
天才と名高いとはいえ、商人の子にすぎないのに?
ありえない。無礼にもほどがある。
あんな……あんなに冷たく、すげなくされたのは、初めて。まるで、まったく無価値……いいえ、嫌いな虫さんにでも出会ったみたいな、あの態度!
ダリアの胸が苦しくなる。心臓は騒ぎっぱなしで、頬も脇の下も胸も、全部熱い。
この熱はなんだろう。
怒っている? 不快だった?
それとも……?
名前のつけがたい激しすぎる熱は、その日からダリアの心の中でずっと燃え続けている。
「ヘルマン……しゅき……!」
片思い、である。
ダリアはヘルマンと結婚しようと父におねだりしたり本人に手紙を書いたりしたが、ずっと断られ続けていた。しかし、このたび突然、会ったこともない王太子が「お前たち、結婚しろ」と権力をふりかざして想い人を夫にしてくれたのだった。




