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最終章 ―― それでも音は続いていく ――

 雪音がいなくなって、季節が少しだけ動いた。


 街の雪はほとんど溶け、

 朝の空気にはかすかに春の匂いが混じっていた。


 だけど、奏の胸の中にはまだ冬が残っていた。


 雪音のいない世界は、

 思っていたよりも静かで、

 思っていたよりも冷たかった。


 雪音と過ごした場所も、

 言葉を交わした瞬間も、

 触れ合った温もりも、

 全部ふいに胸の奥を刺してくる。


 それでも――


 あの夜から、奏はギターを手放さなかった。


 雪音と出会った、あの路地。

 雪音が歌い続けた、あの街角。


 そこに毎晩立ち、

 奏は雪音の遺した曲を弾いた。


 まるで、祈りのようだった。


 まるで、雪音と話しているようだった。


 そして奏は気づき始めていた。


 歌えば歌うほど、雪音が遠くなるような気がして。

 でも同時に、

 歌えば歌うほど、雪音が近くなる気もした。


 矛盾しているようで、

 それがいちばん現実に近かった。


 消えてしまったものと、

 残っているものの境界線が、

 いつも胸の中で揺れていた。


 *


 ある日、雪音の母・新庄から電話があった。


「奏くん。雪音の四十九日が来るから……

 よかったら、来てくれないかしら」


「行きます。もちろん」


 その日は、春の雨が静かに降っていた。


 雪音の家に入ると、

 仏壇の前に雪音の写真が置かれていた。


 笑っていた。

 ギターを抱えて、くしゃっと顔を歪めている写真だった。


 その笑顔を見るだけで胸が痛んだ。


「奏くん……ありがとうね」

 新庄は深く頭を下げた。

「あなたがいたから、雪音は……とても幸せだったの」


 奏は首を横に振った。


「……俺の方が、雪音に救われました。

 今でも……雪音の歌声が、ずっと残ってます」


 新庄は温かく微笑んだ。


「雪音の歌、続けてくれてるのね」

「はい。……雪音が、生きた証だから」


 その言葉に、新庄の目に涙が滲んだ。


「奏くん……本当に、ありがとう」


 奏は深く深く頭を下げた。


 雪音を守れなかった。

 病気を止められなかった。

 奇跡を起こすこともできなかった。


 それでも……


 雪音が残したものを、奏はまだ抱えて生きている。


 それが唯一の救いだった。


 *


 帰り道、奏は雪音の曲のノートを開いた。


 最後のページ。


 震える文字で、こう書かれている。


 〈奏くんの声で、終わります〉


 奏は静かに歩きながら、

 そのページに指を触れた。


 そして思った。


 ――終わらせないといけない。

 ――終わらせることで、雪音をもう一度抱きしめられる。


 そう思った。


 街の灯りが少しだけ濡れて見えた。


 春の雨は優しく、

 どこか雪音の声に似ていた。


 奏はギターを抱えて、

 あの街角へ向かった。


 *


 夜の街に着くと、

 いつもの場所に立った。


 風が吹いた。


 どこか、雪音の髪の匂いがした気がした。


 奏は深呼吸をし、

 ギターを持ち替えた。


 そして――

 雪音の遺した曲を、初めて“完成形”として弾き始めた。


 イントロ。

 ゆっくりと流れ出すメロディ。


 雪音が考えたコード進行。

 雪音の声が重なっている気がする。


 奏は目を閉じて歌った。


 言葉が震えた。

 声が泣いた。

 喉の奥に詰まった想いが溢れた。


 でも歌った。

 最後まで、歌った。


 雪音の声と、奏の声が重なるように。


 曲の最後のフレーズ――

 歌詞は、雪音のままだった。


 〈届いてますか

 あなたのいない空の下で

 私はまだ歌っています〉


 奏は、泣きながらその歌詞を歌った。


 最後の音が、夜に溶ける。


 ギターの余韻が、街灯に触れて、

 淡く震えた。


 そして――

 歌い終わった瞬間。


 風が吹いた。


 まるで雪音がそっと奏の頬に触れたかのような、

 優しい風だった。


 奏はゆっくり目を開けた。


 誰もいない街角。

 静かな夜。

 冷たい空気。


 でも、確かに――

 雪音の気配が残っていた。


「……雪音。聴こえた?」


 風がまた吹き、

 街灯がかすかに揺れた。


 奏は微笑んだ。


 涙は止まらなかったけれど、

 その涙は温かかった。


 それは悲しみだけではなく、

 雪音に出会えたことへの感謝の涙だった。


 雪音が残した音。

 雪音が残した愛。

 雪音が残した未来。


 それらは全部、奏の胸にまだ生きている。


 だから――


「これからも歌うよ。雪音のために。

 そして……俺のために。」


 奏はギターケースをゆっくり閉じ、

 空を見上げた。


 曇っていたはずの空に、

 薄い月が浮かんでいた。


 三日月だった。


 まるで、雪音の笑顔みたいに、

 静かで、儚くて、あたたかかった。


 奏はそっと呟いた。


「……ありがとう。雪音」


 風がやさしく頬を撫でた。


 まるで返事のように。


 こうして、奏の中で――

 雪音は“永遠”になった。

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