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懺悔  作者: 鳥丸唯史
5/10

ミリコ

 ◇◇◇


 私に脚ができた。前もって筋力の強化を続けていたことで腕の時のような重みは感じずに済んだが、代わりにバランスが必要とされた。感覚はあれども一度は失われていた部位。失われたはずの神経が突如現れたことで脳が混乱し、誤った信号を放つのはまあ、ある程度予測できたことである。そもそも四肢がなかった頃に、それこそ視界がなく、あるべき手足がない事実を受け入れるのにためらわれた時期に幻肢痛が起こらなかったのは運がよかったといえる。思い通りに歩けないくらい許容範囲内だ。長めの立ち眩みだと思えばいい。当分は杖が手放せないが、カンデラの技術で備わった新しい脚ならリハビリでスキップすらできるようになるだろう。

 腕もそうだが脚の長さも胴体とのバランスを考慮して決められたものである。私はノッポだったらしい。ずっとベッドからカンデラとテスラを見上げていたせいか、二人とも背が高いと錯覚していた。実際カンデラは一八〇センチもなく、テスラは一七〇センチ程度。いや十分に背はあるのだが、私はそれを上回る一九〇センチの長躯だったのだ。初めて立ち上がった時の天井の近さ、床の低さには驚いた。思わず立ち眩んでしまうのも無理はなかったのかもしれない。体がでかい分、その支えは必要となる。これからは体幹を主に鍛えていかなくてはならないだろう。

 体形の変化に合わせて、新たな衣類も用意された。カンデラの古着だったので多少の丈の違いは目をつむらなければならない。そもそも私に何の口出しができようか。体のラインに沿ったスポーティブかつ地味な色の服を着回しているテスラに対し、彼は身なりに気を使い鮮やかなドレスシャツを何着も持っているようだ。肌触りもいい。装具士というのは懐が温かい(金があるなら、なぜ彼は)身分ということなのだろうか。

 そして、やはり私は部屋から出るのをあっさり許可された。朝食を済ますと、トレーを引っ込めたテスラの後を追った。

「言っとくけど何の面白みもないただの船だよ。それと、急に大きく揺れることだってあるから気をつけてもらわないと困るね。キャプテンの手動操縦はそりゃあ荒いから」

 幅の狭い薄暗い廊下だった。出てすぐの壁には擦り傷がついていて、それは折りたたまれた医療用ベッドを部屋に入れようとした時のものだと予測できた。それほど船は大きくはないのだろう。

 私がいた部屋はたまたま何らかの名残で防音設備があったのか、廊下に出た瞬間にわずかなエンジン音らしき振動と、その空気の圧迫感を肌に受けた。

「ミリコはそっちにいるからね」

 例の右側に首を振りながら、テスラは左へ進んだ。性格通りの大股歩きでついていくのに一苦労である。

「アンタがいることは知ってるから、顔を出すなら堂々としなよ」

「ええ」

 船は専門外(専門……?)なため、構造はもちろん具体的な位置情報も把握できない。窓がないのでおそらくは地下(そう呼ぶべきなのか……)ではないか、とだけ。

 扉は左右ジグザグに設置されていて、調理室は私がいた部屋から二つ目の、左側の部屋だった。一つ目がテスラと占い師サボアの相部屋だという。前もって聞いていた話によればサボアが高齢で盲目であることの配慮らしい。〈人選(うらない)〉を重要視しているキャプテンにしてみれば一番死なれては困る相手という訳だ。丸い小窓が扉にあったが、暗くて姿は確認できなかった。カンデラとミリコはそれぞれ一人部屋で、テスラ曰く「あんな色男といっしょにする訳にはいかないだろ。体に悪い」だ。

 テスラは片手でキッチンだけ明かりを点けた。

「さあ。手伝う気がないんだろ。さっさとあの子に挨拶してきたらどうだい」

 食器をダブルシンクにつけながら彼女は言った。

「先にサボアという人に会ってみたいのですが」

 私は今後どのように行動を、態度を取っていくべきなのか。ミリコよりもその占い師の見解を聞きに行くことの方が何より大切のはずなのだ。けして占いだの予言だの妄信する性分ではないが、未だキャプテン一行が望んでいる鮮明なる記憶を何一つ取り戻せていない以上、糸口は掴んでおきたい。キャプテンが彼女を信じているというのなら、同じく頼ったって構わないだろう。ところがテスラは。

「彼女は最後でいい。自分のことを思い出してからにしな。体の方は回復してきたんだ。たとえこれから全部思い出したとしてもショックは不自由のない体の方へ流れてくれるはずだ。いいかい? ショックを手足に流すんだよ」

 彼女は真顔で振り向き、腕まくりをして見せる。

「手足に、ですか?」

「電流を逃がすようにね、分散させるのさ。叫んだって構わない。髪をむしり取ったって別にどうだってことはない。喉が潰れちまおうが何だろうが、カンデラに復元を頼めばいい話だよ。あいつは便利な男さね」

 後半は背を向けて水をちょろちょろ流しながら洗い物を始め出した。まさかと思っていたが何と、前まで私が着ていた病衣で皿を拭っているではないか。食器類の下に他の衣類がごちゃごちゃと浸かっているのが見える。

「あの、いつもそうやって洗い物を……?」

「この洗剤はどっちにも使えるんだよ」

 シンクの横に置かれた見覚えのあるオレンジ色のボトル。ボトルの口には禍々しい化学を感じる真緑色の液体が一筋垂れていた。前もって衣類にかけて置いておいたのだろう。

「いえ、そういうことじゃ……」

「何か問題でもあるのかい」

 文句は言わせまいという圧が照らされた背中から発せられている。私は左にちらついていた黒いものに振り向いた。影の中にアーチを描く、干された衣類。黒いものの正体はカンデラの藍色のシャツだった。これらは調理の時の熱で乾かそうとしているとでもいうのか。

「節水をしているんですか?」

「それ以外に何があるってんだい。さっさと行きな」

 衛生面の管理は彼女の担当ではないのか。彼女が問題ないと判断を下したのか。キャプテンは? 彼は何も言わないのか。思いも寄らぬ光景にショックを覚えた私は部屋に戻ることにした。

 ベッドに大の字に寝転がった。随分と狭くなった私の生活スペース。すっかり染みついた紅茶の香り。

 ……みんなアレは平気なのか。節水のため(なぜ……?)とはいえ、ミミズだった私の使い古した病衣をスポンジ代わりにして。まさか知らない訳ではないだろう。

 全身ケロイドだった頃の、あの赤色へと思わず連想して気持ち悪くなる。あとでテスラに吐き気止めを所望しようか考えた、その時。扉が開かれた。カンデラかと思ったが違った。

 子どもが私をじっと見ていた。

「……ミリコちゃん?」

 名前を呼ばれてか、彼女はひたひたと近づいてくる。裸足だった。とても小さな香色の足だ。十歳には満たっていないだろう。

 私はぎくりとした。花柄の白いレースをあしらったピンクのネグリジェがその薄紅の肌に合い可愛らしかったが、それに全く似つかわしくないものを彼女は胸に抱えていた。クマのぬいぐるみでも女の子の人形でもない、茶色にくすんだ頭蓋骨……。

「こんにちは」

 小鳥のさえずりのような声でぷっくりとした赤い唇を吊り上げた。間近でみるとやはり、頭蓋骨はジョークグッズとは思えない生々しいものだった。唖然としていると、彼女は不思議なものを見る目で首を傾げた。

「どうしてミリコの部屋に来ないの?」

「それは、ああ……。少し気分が悪くなってね。良くなってから行こうと思っていたんだよ」

 ミリコは「ふうん」と興味なさそうに、ずっと犬を愛でるようにソレを撫でている。かなり大切なものなのだろう。大きさからして、子どもの頭蓋骨だ……。

 ミリコはベッドに乗ろうと片足を上げる。「うんしょ」と一生懸命な姿は愛らしいのに。

「はい」

 ベッドに座った彼女は足をぶらつかせながら隣を促す。私はそれに従った。

「おじさんは王様なんでしょ?」

「え?」

 隣に腰かけるやミリコは言った。

「あー、おじさん変な声ぇ」

 思わず素っ頓狂な声を上げた私に対しコロコロと笑った。

「ミリコ知ってるよ。おじさんはクヌガウドの王様なんでしょ? だからおじさんも顔がなくなったんでしょ?」

「クヌガウドの、王様……。私が?」

「絵本読んでないの?」

「絵本……。ああ、あれね。ウナウドの……」

「ウナウドじゃなくてンナウド! おじさんちゃんと読んでないでしょー? せっかく貸してあげたのにー!」

 ミリコは猫のように目を吊り上げると頬をぷくっと膨らませて唇を尖らせた。

「ああ、うう。ごめんよ」

 笑って取り繕うしかない。私にも娘がいればこんなふうに気圧されたのだろうか。

「ミリコが読んであげる! こっち!」

 やわらかで小さな手が私の指を握りしめ引っ張った。巨人の私はされるがまま、腰を大きく曲げて歩を進めようとした。しかし、下手な体勢で動いたせいで脳と伝達義眼、義足の連携がうまく取れず、視界がぐらりと半回転し腰から横倒れとなった。鈍い痛みが杖の存在を思い出させた。

「おじさん、どんくさいね」

 ミリコは私の指をそのままにじっと見下ろしている。

「ハハハ……。ごめんね。そこの杖を取ってくれるかな?」

「ウーン……。イヤ!」

「いや?」

「うん。ミリコ、おじさんのことキライだもん」

 純度の高い悪口が胸に突き刺さる。そして頭蓋骨の双眸。空虚の視線が私の方へ向けられているように見える。


 ――都合の悪いとこだけ抜けてるんだな。


 カンデラの言葉を反芻(はんすう)する。都合の悪い部分(銀色のロボット……)が抜け落ちた私(どんどん作ろう立派な武器を……)の頭の中。私(誰が)……。

「……どうして私が嫌いなんだい?」

「だってクヌガウドの王様だもん。ねー」

 と、頭蓋骨に語りかけた。それを抱く左手の薬指には緑の石がはめ込まれた銀の指輪が鈍く光り、目をそらしても脳裏にちらついて消えなくなった。

「私が……王様……」

 私が王様。顔のない王様。顔を取られた王様。『私』は――

「違う」

「なんで?」

 ミリコの問いの意味を理解するのに時間を用いた。一体何が違うのか。なぜ私はそんなことを口にしたのか。そう言うように脳が発したのだ。私から離れず残っていた脳は『違う』と知っているのだ。

「おじさんはクヌガウドの王様でしょ?」

 虫食いの穴に向かって、脳が信号を送る。

「私は王様じゃないよ」

「どうして?」

 虫食い。

「私は王様じゃなくて……家来なんだ」

「家来?」

 私の記憶を食った虫。

「そうだよ。うん、そう……。王様じゃ、ないんだよ」

「おじさん、泣いてるの? 大人のくせに変なのー」

 虫。

「大人が泣いちゃあ駄目なのかい?」

「うん。水がもったいないもん」

 虫が忘れてしまえと食ったのだ。その方がいいのだと。顔を失って、芋虫となった私は新しい顔と手足を手に入れた。このまま思い出さずに、一から人生を歩んでいくことだってできるはずだ。しかし――

「おじさん、弱虫だね。そんなんじゃ生きていけないよ」

 脳が伝達義眼に訴える。これは誤作動でも打ちつけた腰の痛みに極端な反応をした訳でもないのだと理性が判断する。

「あ、ミリコわかった! 弱虫だから王様に嫌われたんでしょー」

 幼い彼女の無邪気な言葉は容赦なく虫食い穴をえぐり、下でうずくまり隠れている記憶の配線の片端をえぐり出そうとした。白い火花がまぶたの裏で散る。ガンガンとトンカチで頭蓋骨を内側から叩かれているようだ。そのリズムに合わせて涙がぼたぼた流れ出る。穴の中で潜んでいた虫の死骸が涙の膜に包まれて落ちていくのが見えた。

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