ンナウドの大海賊
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何日目のリハビリ生活だか、軟禁生活だか知れない日に、一冊の絵本に目が留まった。タイトルは『ンナウドの大海賊』――
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世界には二種類の人間が生きています。
良い人間と、悪い人間です。
世界には二種類の人間が住んでいます。
陸に住んでいる人間「クヌガウド」と、海に住んでいる人間「ンナウド」です。
ンナウドは悪い人間ばかりです。
海で取れるおいしい魚たちを独り占め。
海で取れる魔法の宝石も独り占め。
クヌガウドが船に乗っていると、勝手に入ってくるなと追い出そうとします。
悪いンナウドの中でも悪いンナウド。
それは海賊です。
海賊の中でも悪い海賊。
それは大海賊キャプテン黒服です。
キャプテン黒服は海の王様。
とってもワガママな王様です。
「おいしい魚も魔法の宝石も、全部ぜーんぶオレのもの。
クヌガウドにはやらないぞ」
キャプテン黒服は海の魔王。
とってもコワーイ魔王です。
「クヌガウドが手に入れた金銀財宝、全部ぜーんぶオレのもの。
クヌガウドの船なんか沈めてしまえー!」
キャプテン黒服の大声で、風はビュウビュウ、雨はザーザー。
渦はグルグル、波ザブーン!
キャプテン黒服は海の大嵐。
とってもつよーい大嵐です。
「わっはっは。
どうだどうだ、参ったか。
ンナウドのきれいな海は、全部ぜーんぶオレのもの。
クヌガウドにはやらないぞ。
絶対絶対やらないぞ」
とってもワガママで、とっても乱暴なンナウドに、クヌガウドは怒りました。
「海はみんなのものなのに!
広い広い海なのに!
ンナウドだけが独り占めなんてヒドイ!
ズルい!」
クヌガウドの王様は考えました。
「ようし、ンナウドに負けない強くて立派な陸を作ろう。
ンナウドがうらやましがるような、きれいで立派な大きな陸地。
海より広い陸地を作ろう」
どんどん広がる立派な陸地。
クヌガウドの大きな王国。
ピカピカ輝く銀色の城に、海の魚たちもうっとりです。
キャプテン黒服はとってもうらやましがりました。
「オレの海より広くて大きな陸にしようなんて許さないぞ!
銀色の城を建てるなんて許さないぞ!」
キャプテン黒服の大声で、風はビュウビュウ、雨はザーザー。
渦はグルグル、波ザブーン!
クヌガウドの王様は考えました。
「ようし、ンナウドに負けない強くて立派な武器を作ろう。
ンナウドが悪さをしないように、怖くて立派な大きな武器。
キャプテン黒服をやっつけよう!」
どんどん作ろう立派な武器を。
クヌガウドの大きな武器。
ピカピカ輝く銀色のロボットに、ンナウドたちは逃げ回る。
キャプテン黒服はとっても悔しがりました。
「オレの海より強くて怖い武器を作ろうなんて許さないぞ!
銀色のロボットを作るなんて許さないぞ!」
キャプテン黒服の大声で、渦はグルグル、波ザブーン!
海はどんどん舞い上がり、キャプテン黒服の服の中に入っちゃった!
「わっはっは。
どうだどうだ、参ったか。
ンナウドのきれいな海は、全部ぜーんぶオレのもの。
クヌガウドにはやらないぞ。
絶対絶対やらないぞ」
怒ったクヌガウドの王様は、ロボットに命令します。
「ロボットよ、あの悪い奴をやっつけろ!
あの青い服を着たンナウドの大海賊。
青い海を身に着けた、悪い悪い大海賊をやっつけろ!
この海泥棒め!」
ロボットはキャプテン黒服を追いかけます。
青い服を目印にどこまでも追いかけます。
「わっはっは。
捕まえられるものなら捕まえてみろ!」
キャプテン黒服はすたこらさっさと逃げていきます。
こうして世界から海が減って、クヌガウドの王様の望み通り、陸は海より広くなったのです。
住むところを失った他のンナウドもどこかへ行ってしまい、世界から悪い人間はいなくなりました。
けれどもロボットはいつまでも命令を忘れずに、青い服を着た悪い奴を探し続けます。
悪い奴をやっつけることが仕事のロボットは、いつまでもクヌガウドの王国中を走り回ります。
銀色のロボットの大声で、ミサイルをバーン!
レーザー光線でビビビーッ!
毒ガスをブシュー!
「うるさいなあ、うるさいなあ。
早くキャプテン青服を捕まえてくれないか。
これじゃあ夜も眠れない」
クヌガウドはすっかり困ってしまいました。
これもみんなンナウドのせいです。
みんなみーんな、ンナウドが悪いのです。
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「気分でも悪いのかい」
テスラがひょいと顔を覗き込んできた。
「顔が青いよ」
「そんなこと……」
「そんなにグロテスクな内容だったかい」
「まさか。たかが荒唐無稽の……絵本ですよ」
「童話というのは本来残酷なものじゃないか。仲良しこよしなだけじゃ人生渡り歩いていけない。いろんな人間と関わることになるからね。近寄りがたい性癖の持った輩はごまんといる。例えばアタシはクチャクチャと音を鳴らしながら食事をする奴が大嫌いでね。一向に直そうとしない患者を殴りたくなったよ。けどアタシは物事の分別がついていたからね、何度も優しく注意してあげたよ。……何だいその目は。フン、ともかくショッキングでネガティブな物事の存在を理解させ、その上で対応の仕方を考えさせてこその躾だとアタシは思うね」
ショッキングでネガティブな存在。この『ンナウドの大海賊』ではキャプテン黒服がそうだろう。彼のせいで(誰のせいで……?)海はなくなり、ロボットも(ピカピカ輝く銀色の……)暴れ回っている。対応の仕方? 一刻も早くキャプテン黒服を捕まえて海を返してもらう他ない。
「何か気になることでも?」
テスラの右の眉尻が跳ねる。
「ただちょっと、その」
クヌガウドの王様には顔がない。ミリコが意図的にそうしたのか、爪か何かで全て削り取られ……いや抉られた感じだ。傷めた紙の繊維がぐちゃぐちゃに毛羽立っている。
「ウチの姪っ子がね、これがまたとんでもないクソガキで、見事なまでの親のコピーだったよ。まるでタイムスリップ。あの女、何言っても耳を貸しやしない。人の家の教育に口をはさむなってさ。自分は大人だと思い込んでいやがって。ハハ、どこが」
聞いてもいないのにテスラがべらべらと身内の話へと展開する。
「大変なんですね」
「反省、謝罪、償いの三本を覚える代わりに、逆切れ、開き直り、責任転嫁、度忘れ、独善の五本セットを携えたクソビッチ。白昼堂々とお股おっぴろげてデパートのベッド売り場で踊ってた阿婆擦れさ」
「ははは。さすがにそれは大袈裟でしょう?」
そんな常軌を逸した人間はいるまい。しかしテスラはうんざりとばかりに首を横に振った。
「あの阿婆擦れは精神廃頽を患っていたんだよ。知ってるかい? 依存症の中でも特にセックス依存は精神廃頽を併発しやすいんだ。重度の依存者は薬物を使ってるケースが多いからね、あれは獣返りよりも酷いよ。目も当てられない。そいつらからすればアタシたちの方が得体の知れない宇宙人らしいけど。まるでこの世の終わりだよ。想像できるかい?」
「いえ……」
「さて、ここで問題。そんなゴミみたいな阿婆擦れをデパートで目撃した時、どう対処すべきだったと思う?」
「はあ。私だったら見て見ぬふりをしますよ。そういうのは店員の仕事ですから」
「知り合いだったとしてもかい」
「他人のふりをします。不憫に思われたくありませんし」
「ああ! 無難な答えだ」
テスラは男らしく笑った。
「元看護婦としてのあなたの答えは?」
〝姉妹として〟と言わなかったのは、私情的には私と同じことを考えただろうからだ。テスラは看護婦として構えている時は与えられた仕事をきちんとこなしてきただろう。心構えの問題なのだ。ヘルシアンをロボットと称する彼女だ。薬を横流してきた彼女は人間らしさを失われていく者を見下している。たとえ血のつながった相手であったとしても。
「模範解答はね」
と、彼女は顔を近づける。薄荷のような匂いがする。そして耳がこそばゆかった。
「即座にデパートから脱出することさ」
「どういうことですか」
「記憶を取り戻したら、この意味がわかる」
「すみません。なかなか思い出せなくて」
「いいんだよ」
彼女は目を細め、絵本を取り上げた。
「これはミリコに返しておくよ。もう一度見たくなったら、脚をつけた後に行くことだね。今日はもうお休み」
子どもをあやすように私の側頭部を撫でた。テスラの今の言葉は、歩けるようになったら部屋を出入りしても構わないという許可だった。船内を歩き回れば窓の一つくらいあるだろう。一体どこを航海しているのかわかるかもしれない。
私の睡眠時間は規則正しいものになっていた。とはいっても用意してくれた時計の示す針を信じたとしての話ではある。私は枕に頭をうずめた。
「うるさいなあ、うるさいなあ。
早くキャプテン青服を捕まえてくれないか。
これじゃあ夜も眠れない」
私は目を覚ました。部屋の隅に豪華なベッドがあって、誰かが丸まっている。窓の向こうでは、
銀色のロボットの大声で、ミサイルをバーン!
レーザー光線でビビビーッ!
毒ガスをブシュー!
これは何だ。夢か。
「わっはっは。
捕まえられるものなら捕まえてみろ!」
キャプテン黒服。青い服を着た黒服。
「ロボットよ、あの悪い奴をやっつけろ!
あの青い服を着たンナウドの大海賊。
青い海を身に着けた、悪い悪い大海賊をやっつけろ!
この海泥棒め!」
のっぺらぼうの王様が顔を毛羽立てて怒鳴った。




