五人の船員
◇◇◇
私が乗せられた船には、私以外に五人の船員がいるようだった。
まずはキャプテン。あれっきり彼は私のそばに現れなくなった。クビカリの記憶がよみがえるまでは用なしということなのだろう。
次にカンデラという男。第一種装具士で、私の眠っている間に体形を測ったり、型を取ったりしているらしい。「第一種」というのは人工神経を通わせた義肢――伝達義肢を作る資格を持っているということである。それが許されない「第二種」よりも遥かに技量が必要なのはもちろんのこと、免許試験の合格率が低い。医師免許が必須であることから当然だろう。
この「第一種」よりも難易度が上がるのが「特殊」装具士というものである。「第一種」では義肢しか取り扱えないのに対し、目や耳、乳房といった外見のパーツをほぼ全て扱うことができるのだが……。
問題は彼がその「特殊」の資格を持っていないということである。キャプテンに「新しい目ん玉」をつけるよう言われていたので、てっきりこの男は特殊装具士だとばかり思い、それとなく尋ねたことで発覚した。「第一種止まり」だと明かされ、戸惑いのあまりに声を詰まらせてしまった。
「ちょいと昔、協会の人間といざこざがあってな。試験を受けずじまいなのさ。安心しろ。今回が初めてという訳じゃない。みんな俺に感謝するよ」
「それって違法じゃないのかい……?」
「ああ。ばれたら殺される」
「それはさすがに大袈裟じゃないかな……」
「どうかな」
本気とも冗談とも取れない曖昧な声音で彼は答えた。
「サボアの婆さんが占って……。その結果、俺がこの船に乗っている。そして俺は免許を持っていなかった。それだけのことだ。タダで俺のオペを受けられるんだから、お前さん運がいいぜ」
このまま具体的な日取りも聞かされることなく、普段通りに眠っている間に眼球の取りつけ手術が行われ、自身の全身ケロイドの四肢欠損の体と向き合わなければならなくなった。視覚情報から得る痛みというものがあるのである。色も。形も。痛々しいという気持ちは身体に具体的な感覚をもたらす。カンデラの技術は確かだ。何もかも鮮明に映る。顔は今、どんな風に……。
何て肉の色。(熱い……)何て憎々しい赤。(熱い……!)まるで炎が貼りついているようではないか。炎から抜け出そうともがくも、ベッドのシーツをかきむしる手も、マットを蹴飛ばす足もない。罠にかかった獣のように呻き声を出し続ける。
まさか手と足は貰えないのでは……。現実だけ見えるようにして、ここから逃げられないように手足は欠けたままにされるのではないか。
私の中で眠っていた恐れが爆発的に膨れ上がる。潰れた全身の汗腺から血が湧き上がってくるという幻覚が一瞬……。
「ああ……」
生温かな嘆息。瞼を強く閉ざすと上体が冷たく震えた。張られた氷の下でマグマが赤く、血のように赤く……。
私は逃げるつもりはないのだ。逃げるなんて。一体どこへ?
逃げられないのに……。
(一体、何から……?)
体に貼りついた炎。炎が……。この炎が記憶の配線を焼き切ったのだ……。
闇の中でキャプテンの声が反響する。
――自分が誰なのかも忘れちまったのか?
――何が何でも思い出してもらうぜ。
「しっかりしな」
気がつけば麻色の肌をした人物が険しい顔で私を覗き込んでいた。オリーブ色のバンダナが目に留まる。
「解熱鎮痛剤を打っといたよ。これで少しは楽になる」
テスラ。元看護婦で、体の不自由な私を全面的に世話してくれている人だ。当然ながら排泄も手伝ってくれるため初めはかなり抵抗があったのだが、男勝りな口調で声も低めであることや、男だと思ってくれればいいと淡泊に言われてしまったことで半ば諦めている。
初めて彼女の姿を見てもそれは変わらなかった。おかっぱで、胸はあったがそれ以外は男らしくあろうというような、背は高く肩幅は広く、張りのある滑らかな三角筋がビリジアンのタンクトップから盛り上がっていた。手だけを見たなら、失礼だが女だと判別できない。しかし私の粘っこく噴き出した黄色い液体をガーゼで柔らかく吸い取るところといった、女としての片鱗は完全には消せないようだ。それとも元看護婦としての習慣的な行為だろうか。彼女には感謝しきれない。ゾンビのように醜い私をずっと世話し続けているのだから。
薬が効いてきたのか、私は冷静にベッドが置かれている環境を見渡した。窓はなく、配管はむき出しの白壁。三メートル四方程度の薄暗い部屋。電灯はあるがドア横にスイッチがあるので押しに行けない。重体だった患者の病室にして設備は質素で、花一輪ぐらい欲しいものだった。時間もわからない。今日は何日で、朝なのか夜なのか、晴れなのか雨なのか。そもそもここが船の中だという確信さえも。視覚で得られる情報がここでは少な過ぎる。
「どうだい。新しい目の調子は。体に馴染んできたかい」
「ああ……。おかげさまでね」
「そいつはよかった。近いうちに残りのパーツを取りつける。ギセイキだって、お望みの大きさを言えばやってくれるだろうさ」
テスラは腕を組み、ニタニタといやらしい笑みを浮かべた。ギセイキと聞いて、やがて『義性器』だと意味を理解した私は羞恥心を引っ張り起こした。
「いえ私は、結構です」
「ずっと寝たきりじゃあ溜まってくるだろ? ええ?」
「そういうのには興味がないもので」
「何を。男なら誰しもしたいものだろ? それとも、アンタは非性愛者なのかい」
「はい。ですから用を足しさえできればそれでいいんです」
「つまらない人生だねえ。ま、かくいうアタシも男には興味ないんだけどね」
と、彼女は肩を竦めた。私は「はあ」と頷いておく。
「とはいえ、サボアはヨボヨボのばーちゃんだし、ミリコちゃんに手を出す訳にもいかないしねえ」
「ミリコちゃん?」
「キャプテンの妹だよ」
「妹がいたんですか」
「まあね」
テスラはちらっと右を見た。おそらくその子がいる部屋があるのだろう。
「とても可愛らしい子なんだけどねえ」
ものを含んだ言いようだったが、詳しくは追及できなかった。薬が効いたことによりとてつもない睡魔が私を抱き寄せにきたのである。
「せいぜい今のうちにたくさん休んでおきなよ。手足ができりゃあ地獄のリハビリが待ってるんだ。わかってるね?」
軍人のさながらの鋭い声音に対し、はいともいいえとも答えられぬまま、眠りの沼へと引きずり込まれていった。
◇◇◇
眠りから覚めるたびに私の容貌に変化が起きていく。鷲鼻、左耳の形に合わせた右耳、広がっていく白い皮膚。黒い髪……。ペタ・トロンボーンの身分証を元に整形しているのだという。しかし――
「お前さんはペタじゃあないな。お前さんの方が面長で、耳も尖ってる」
最初から予感はしていたのだろう。身分証で顔をあおぎながら、カンデラはあっけらかんと言った。身分証を持つ手――肩までまくった藍色のシャツの袖から右手首の甲にかけて古そうな火傷の痕があり、対し左腕には文字らしきものが彫られていた。
「でもキャプテンはペタでいいと言いました」
「そうだな。まあ関係者ではあるだろう」
カンデラが突きつけるようにして身分証を見せてきた。私は思わず逃げるようにして頭部を枕により沈めた。
長くたくましい右腕だ。その浅黒い肌に歪に張りついている薄桃の皮膚はまるで牙をむくアルビノの蛇で、その牙が私の方に向けられている。
「よく見ろ」
さらに身分証を近づけてくる。この男もまた、私の記憶を必要としているということか。
「俺とテスラはお前さんより先にこの船にいる。お前さんより先に占いで呼ばれてきた。それはなぜか」
落ち窪んでいる双眸が妖しく光ったように見えた。それは彼の虹彩が珍しい青紫であるせいだろう。(それとも義眼で好みの色を入れているのだろうか。そうだとすれば、なぜ彼は……)私はその光からそらせず、体がすくんだ。
「なぜか」
カンデラが繰り返す。感情の起伏を感じられない淡泊な調子で。しかし、目は口程に物を言う。彫りの深い顔が私を見下ろすことで濃い陰影を作り、妖しげな虹彩は冷たさを強調する。彼は蛇の化身なのだ。
「それは……」
声が渇いていた。唾液をどうにか湧き出させるも、ねっとりと食道にまとわりついて息苦しさを生む。
元看護婦と、第一種装具士。これはまるで。
「私の、面倒を見るためですか……」
「そうとしか考えられん。まあ、テスラの場合はサボアの婆さんの面倒もあるだろうが……。だがよりによって何で俺とアイツだったのか。わかるか? なぜ婆さんが俺らを選んだのか。なぜ俺と、テスラなのか」
「それは……」
そこまではわからない。なぜ、彼らなのか。わかるのは、記憶を取り戻さなければならないということ。それが私の価値なのだ。新しい肉体の部品を与えられる代償なのだ。
サボアという老婆の〈人選〉は正しいとするなら、私は彼らにとって必要な情報(クビカリ……)を思い出すことになる。それで彼らの手厚い看護は報われるのだ……。
「さあ、よく見るんだ。どうだ?」
私はここで初めて身分証と焦点を当てた。
ペタ・トロンボーン。手鏡に映る私よりも丸顔で、耳も小さい。鷲鼻だけが忠実にこの顔に再現され、身分証の彼よりもバランスが取れている気がする。
この身分証は? これは、社員証だ。
「アイ、ジェイ……」
「I/J&G。ペタ・トロンボーンが務めていた」
「アイ・ジェイ・ジー……」
その企業名は虫食い穴へと吸い込まれていく。
「こいつはタクミノカグとジョー&ジェーンが合併してできたんだが……」
その二社の名前に、私は「ああ」と声を出す。パズルのピースがかちりと小気味よく虫食いの穴の片隅にはまる。
「知っているよ。タクミノカグは電動の家具を売りにしていて、私もベッドを母に贈ったよ」
東洋発の老舗で、家具を自動化させることでバリアフリーの進歩に貢献した企業だ。人工知能を搭載させた家電は一般的だったが、洗濯から分別収納までをひとまとめにした〝洗濯するチェスト〟の登場は当時話題となり、共稼ぎの味方とも呼ばれた。医療用ベッドに至っては世界シェアトップを誇っているが、私が使っているこのベッドはどうやら違うようだ。
「ジョー&ジェーンは確か日用品メーカーじゃあないかな」
ガーデニング用品に力を入れ、センサー付きの殺虫剤など、衛生薬品の製造販売を行っていた有名企業だったはずだが。
「いつの間に合併したんだい?」
カンデラはわざとらしく溜め息をつき、ツーブロックカットの頭を左手で荒々しく掻いて舌打ちをする。
「なるほど。都合の悪いとこだけ抜けてるんだな」
彼は右腕を引っ込め、社員証を胸ポケットに収めた。
「すみません。これでも少しずつ知識を思い出しているんです。特殊装具士というのもあなたに会って思い出しましたから」
「そうだな。そうだろう。あれを見ればショックのあまり嫌でも思い出すだろう。でもその状態で急に思い出しても、気が狂って死んじまうかもしれないって、テスラが言うもんだから。記憶よりも体の回復を優先させてるのさ。キャプテンもそれを認めてる」
そう言いながら目を細め、口角を非対称に吊り上げた。ではなぜ今、社員証を見せたのか。確かに彼は『思い出せ』とも『覚えているか』とも発してはいない。しかし社員証を目にしたのをきっかけにすべてを思い出す可能性も大いにあったのだ。そして、発狂していたかもしれないのだ。
「どうだ? 頭は痛むか?」
非対称の笑みのまま、首をかしげる。この男は、私の記憶を取り戻したいが私自身のことはどうでもいいのかもしれない。これから残りの部品を与えるつもりでも、けして善意ではない。彼にとっての代償なのだ。
「いえ……」
私は首を横に振る。術後の鎮痛剤が尾を引いているのか、頭蓋骨が割れるかというほどの頭痛は起こらないでいる。その代わり漠然とした、空虚な感覚。睡魔はまだ顔を出さないが、まどろみの中でたゆたうような。微妙に頭が重い。虫食いの穴の底に落ちた記憶の重さなのだろうか。
私にとって、クビカリは都合の悪いものなのか。(逃げられないのに……)だから忘れてしまったのか。
「んん。問題なさそうだな」
またしてもあっけらかんとした声だ。妖しげだった双眸をぱっちりと開け、満足気に頷いている。
「はい?」
「緊張のせいだな。額から汗がにじみ出ている。新しい汗腺は正常に働いているようだよ」
と、右人差し指で私の額を一筋なで、そのまま私の左頬にこすりつけた。ぬめり気は感じられなかったが、指に合わせて押し潰されていった頬の感触は人工のものとは思えないくらい顔に馴染んでいた。
「まさか、わざとですか?」
「何がだ」
澄まし顔で返され、少々むかついた私は「いいえ」とうやむやにした。
「キャプテンは今、どうしてるんです?」
あれから何日経っているのだろうか。今も待ちわびて、それでいて苛立っているのだろうか。
「ん? 船を操縦してるよ」
「船は自動じゃないのかい?」
「どっちにしろ気は抜けない。俺たちの命はキャプテンに委ねられてるようなもんだからな」
「危険なところを移動している?」
「そうだな。キャプテンは四六時中危険に晒されてる」
カンデラは鼻を鳴らして苦笑いを浮かべた。
「ここのところ穏やかな日が続いてはいるが、いつこの船が横転するかわからんね」
「キャプテンの目的は一体何です? クビカリと何の関係が……」
なぜ私が選ばれたのか。なぜ記憶が必要なのか。誰からも知らされていないのだ。
すっとカンデラから表情が消える。そして一言。
「世界平和」
唖然とした。
「……というのは大袈裟なんだがね」
カンデラは冗談めかして肩を竦める。
「つまり、冗談でもないという……」
私はじっと彼を見据えた。
「俺たちは正義の使者を気取ってる訳じゃあない。どちらかと言えば悪人なのさ」
「では世界征服?」
「かもな」
「まあ、あなたは違法で特殊装具を扱っている訳ですから」
「俺は悪くない。協会がガチガチなだけだ」
悪人と言ったばかりなのに。私は思わず失笑した。
「とにかく、だ」
記憶を取り戻すためのヒントはこれで終わりであるとばかりに、彼は手を鳴らした。
「皮膚は自前の肉と馴染んでいることだし、次はお待ちかねの腕だ。せいぜいもどかしく思えよ」
第一種装具士である彼にとっての専門分野に取りかかる。彼は待ちきれないとばかりにくっくっと笑った。




