第352話:『見えざる死神の産声』
乾いた風が岩肌を舐めるように吹き抜けていく。
肌を刺すような極寒の季節にはまだ間があるものの、高所特有の冷気が額に滲んだ汗をひやりと冷やした。
眼下には赤茶けた荒野を這う一筋の蛇のような街道が見える。数日後、覇国の数万の軍勢が必ず通るであろう死の道。
その街道を遥か遠くから見下ろせる切り立った岩山の頂付近。絶壁に隠された僅かな岩棚に四つの影が音もなく蠢いていた。
彼らは互いに一切の言葉を交わさない。
ただ、荒い息遣いと筋肉が悲鳴を上げる微かな衣擦れの音だけがそこにあった。
背に負った荷は人の力で運ぶにはあまりに過酷な重さだった。だが彼らの瞳には疲労を凌駕する熱が宿っている。それは歴史の転換点に立ち会う者だけが持つ一種の狂熱に似ていた。
分厚い黒布が解かれ、鈍く光る鉄の塊が岩肌に姿を現す。
無骨な台座。複雑に絡み合う圧力管。そして大人の身の丈ほどもある極太の銃身。
四人の影は手慣れた、しかしどこか神聖な儀式でも執り行うかのような慎重さでそれらのパーツを組み上げていく。金属と金属が噛み合う「カチャリ」という硬質な音が静寂の山間に吸い込まれていく。
小一時間が経過した頃、岩棚には漆黒の凶鳥のような威容を誇る砲台が完成していた。
砲身にそっと触れた射手の指先が微かに震えている。武者震いか、それともこの得体の知れない鉄の獣への畏怖か。彼は仲間たちと視線を交わした。皆、無言のまま爛々と目を輝かせている。
これから放たれる一撃がこれまでの剣と盾の常識を永遠に過去のものにする。その確信が彼らの血を熱く滾らせていた。
射手と観測手がそれぞれの位置につく。
観測手が銃身に据えられた精緻な多層レンズの照準器を覗き込んだ。
「……距離、一千五百。風向、北北東。微風」
囁くような声に射手が深く頷く。
狙うは対岸の山肌に突き出した見上げるほどに巨大な奇岩。
射手は熱源ユニットのレバーを静かに押し込んだ。
シュゥゥゥ……。
獣の寝息のような音が鉄の腹の底から漏れ出し始める。
チューブを通じて送られた『エーテルリキッド』が気化し圧力が臨界へと達していく。銃身を包む空気が陽炎のようにゆらゆらと歪み始めた。
観測手の右手がすっと上がる。
「……照準、固定」
射手の指が引き金に繋がるワイヤーに掛けられた。
深く息を吸い込み、風が凪いだその一瞬の隙を突いてワイヤーを引き絞る。
――キィィィィィィィンッ!
空気を、いや空間そのものを引き裂くような甲高い絶叫。
台座の蒸気圧緩衝器が真っ白な白煙を激しく噴き上げ、巨大な銃身が轟音と共に後方へスライドする。
火薬の煙も爆音もない。ただ、射線の上の大気が一瞬だけ螺旋状に歪み、見えない何かが真空を突き破って飛び去った。
四人の視線が遥か彼方の標的へと釘付けになる。
永遠にも思える沈黙。
「……着弾」
観測手のかすれた声が漏れた。
レンズの先。あの大岩の中心にぽっかりと小さな、だが完璧な円錐状の黒い穴が穿たれていた。
爆発は起きない。
だがその一撃がもたらした運動エネルギーは岩の内部構造を完全に破壊していた。
ピシ、ピシッ。
穿たれた穴を起点に蜘蛛の巣のような亀裂が岩全体へと瞬く間に広がっていく。
そして――。
ズズズズズ……。
巨大な岩は、自らの重さに耐えきれなくなったかのように音もなく静かに崩れ落ちた。後から遅れてガラガラと崩落の地鳴りが山彦となって届く。
射手はワイヤーからゆっくりと手を離した。
誰も言葉を発することができない。
剣が届かぬ遥か遠方から、一切の気配を悟らせることなくあれほどの質量をただの一撃で粉砕する。もしあそこに立っているのがどれほど強固な鎧を纏った猛将であろうと、結果は同じだ。
自分たちが何という化け物の『引き金』を預けられたのか。その事実が彼らの背筋に冷たい汗を這わせ、同時に覇国の命運がすでに尽きているという圧倒的な全能感をもたらした。
射手は大きく息を吐き出し、額の汗を手の甲で拭った。
傍らの男が懐から黒光りする『囁きの小箱』を取り出す。
後方にいるゲッコーへと短い振動を送る。
『――設置完了。試射、良好』
見えざる死神は岩山の上で静かに産声を上げた。
あとはこの死線に獲物が足を踏み入れるのを待つだけだ。
彼らの見下ろす荒野のさらに向こう、風が吹き抜ける彼方では、今まさにこの戦いの『主役』たちが沈黙を破り、立ち上がろうとしていた。
夜の闇が迫る野営地に幾千もの松明が灯り始める気配を冷たい風が運んできていた。
静かに戦いの準備は整いつつあり……
そして、Xは復旧不能!?……ゲッコーさん何やった!?恐るべし……(笑)
Xについては緊急措置で対応予定!マテ、次回!?




