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ようこそ、最前線の地獄(職場)へ。 私、リナ8歳です ~軍師は囁き、世界は躍りだす~  作者: 輝夜
第十一章:『一年という名の礎』

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第339話:『偽装の激戦、帰還する戦士たち』

 

 北の荒野を吹き抜ける風が、ざらりとした砂塵を天幕に叩きつけていた。


『風読む民』の野営地に取り残された覇王クルガンの使者は、舌打ちと共に天幕の入り口を乱暴に開け放った。

「遅い……。いつまで待たせる気だ」

 苛立ちに任せて吐き捨てた言葉は、広場を満たす香ばしいパンの匂いと、子供たちの屈託のない笑い声に虚しくかき消される。

 この野営地の異常な豊かさ。病の影すら見当たらず、民の頬には赤みがさしている。その光景を目にするたび、使者の肌にじっとりと冷たい汗が這った。


 その時。

 遠く地平線の彼方から、地鳴りのような馬蹄の音が響き始めた。

 土煙が赤茶けた空を高く濁らせ、野営地へと真っ直ぐに近づいてくる。

「帰ってきたぞ! 族長たちが帰ってきた!」

 見張りの声に、人々がわっと広場へ押し寄せた。使者もまた、供の兵を連れて偉そうに腕を組み、門の前に立ちはだかる。


 だが、土煙を割って現れた一行の姿を認めた瞬間、使者は組んでいた腕を解き、言葉を失った。


 生臭い血と、泥と、馬の荒い息遣いが、突風となって鼻腔を打ち据える。

 馬上の戦士たちの姿は、凄惨の一言に尽きた。

 引き裂かれた革鎧から覗く肌は赤黒く腫れ上がり、あちこちに真新しい血が滲んだ包帯が巻かれている。腕を不自然な角度で吊った者、兜を割られ頭部から血を流している者。彼らの乗る馬でさえ、白い泡を吹いて限界まで疲労しきっていた。


(……帝国軍の厚い壁に叩き潰されたか)

 使者の口元に、嗜虐的な嘲笑が浮かびかけた。


 しかし、その笑みはすぐに凍りついた。

 戦士たちの様子が、どうにもおかしいのだ。

 これほどの惨状でありながら、彼らの顔に敗残兵特有の暗い絶望や怯えはない。むしろ、その瞳の奥には、異常なまでの熱がギラギラと燃え盛っている。


「痛ぇっ! おい、肩を叩くな、骨にヒビが入ってんだよ!」

「がっはっは! だから言っただろうが、あの白い髭の巨漢に正面から挑むなと!」

「うるせえ! だが、見たかよあの帝国の分厚い装甲! 俺の槍の切っ先が、確かにあの硬え盾を削ったんだぜ!」

「次は必ず、あの白い壁をぶっ崩してやる!」


 血を吐くような痛みに顔を歪めながらも、戦士たちは口々に互いの武勇を語り合い、血に塗れた顔で獣のように笑い合っている。

 死地から生還した狂乱。あるいは、強大すぎる敵と刃を交えたことへの異様な高揚感。

 使者は、背筋を氷の刃でなぞられるような悪寒を覚えた。


(なんだ、こいつらは……。帝国と本気で殺し合い、ここまでボロボロにされて、なぜ笑っていられる……!?)


 彼が知る由もない。

 この傷が、シュタイナー中将率いる帝国北壁の精鋭たちとの、手加減一切なしの『実戦形式の合同演習(本気の殴り合い)』によって刻まれたものだとは。死なないギリギリの線で、互いの技術と魂をぶつけ合った、濃密な死闘の証なのだと。


 騒然とする広場の中央へ、ひときわ大きな黒馬が進み出た。

 バラクだった。

 彼の顔にはべっとりと泥がこびりつき、肩口の布は赤く染まっている。だが、馬上から使者を見下ろす鳶色の瞳には、歴戦の古狼の研ぎ澄まされた光が宿っていた。


 バラクはゆっくりと馬を降り、血と泥に塗れた足取りで使者の目の前まで歩み寄った。

 そして、使者が見下ろすこともできぬほどの、重く、絶対的な覇気を放ちながら低く唸る。


「――見ての通りだ、使者殿」


 地を這うような声が、使者の足元をすくう。

「我らは覇王の命に従い、最前線で帝国の防壁にこの身をぶつけ、血を流している」


 バラクは自らの血に染まった肩を無造作に叩いてみせた。ボフッ、と重い音が鳴る。

「民を飢えから救うため、そして北の未来のために、我らは泥を啜ってでも戦い抜く所存。……これ以上の詮索は、無用だ。お引き取り願おうか」


 圧倒的な迫力と、一歩も引かぬ覚悟。

 だが、使者を凍りつかせたのは、バラクの言葉だけではなかった。


「……ぐっ……!」

「……帝国の犬どもめ……次こそは……!」


 バラクの背後、馬から崩れ落ちるように降りた戦士たちが、血と泥にまみれた顔を一斉に使者たちへ向けた。

 兜の隙間から覗く、充血した瞳。

 折れた槍を杖代わりに立ち上がる者。血の滲む包帯を乱暴に巻き直しながら、剣の柄に手をかける者。

 彼らの眼光は、単なる疲弊した敗残兵のものではない。死線を潜り抜け、極限まで研ぎ澄まされた本物の「殺意」だった。


(……なんだ、この目つきは……!)


 使者と供の兵士たちは思わず息を呑み、じりりと一歩後ずさった。

 彼らは知らない。この戦士たちが放つ殺気が、シュタイナー中将率いる帝国軍との「文字通りの本気の殴り合い(合同演習)」によって、極限まで引き出されたものであることを。

 痛みと屈辱、そして「強大な敵とやり合った」という異様な高揚感が、彼らの瞳を本物の狂気でギラつかせているのだ。


「……使者殿。俺たちの血の匂いが、お気に召さねぇか?」


 腕を吊った大柄な戦士が、にたりと凄絶な笑みを浮かべて一歩前に出た。その歯には、生々しい血がこびりついている。

「帝国の壁は厚かったぜ。だが、俺たちは逃げなかった。……あんたたちも剣を抜く覚悟があるなら、ここで相手になってもいいんだぜ? 俺たちの『戦意』を、その身で確かめてみるか?」


 ギリッ、と。

 周囲の戦士たちが一斉に武器を握り直す音が、広場に響き渡った。

 彼らの身体から立ち上る、むせ返るような死の匂いと、行き場のない怒りの波動。それがすべて、今、自分たちに向けられている。


「ひっ……!」


 使者の背筋を、氷の刃がなぞるような悪寒が走り抜けた。

 口の中で言葉を探したが、舌が張り付いたように動かない。この凄惨な姿と、本物の殺気。彼らが帝国と命がけで戦ってきたことは、火を見るよりも明らかだった。これ以上、「帝国と通じている」などと難癖をつければ、自分たちこそがこの場で八つ裂きにされる。


 使者は逃げるように馬に飛び乗ると、供の者たちと共に、野営地から逃げ出すように駆け去っていった。

 砂塵を巻き上げて消えていく彼らの背中を、戦士たちはなおも飢えた獣のような目で睨みつけていた。


「……父上」

 傍らに立ったアランが、小声で囁く。

「ああ。……第一幕は、完璧じゃ」

 バラクの泥だらけの顔に、ニヤリと老獪な笑みが浮かんだ。


 ◇◆◇


 ヴォルガルド覇国、黒の宮殿。

 ヴィクトルの執務室は、外の猛吹雪よりも冷え切った静寂に沈んでいた。


 カツ、カツ、カツ。

 靴の踵が床を叩く音が、一定のリズムで部屋を往復している。

 ヴィクトルの手には、帰還した使者からの報告書が握られていた。紙の端が、彼の指の力でくしゃりと歪んでいる。


『――バラクの部隊は、間違いなく帝国と死闘を演じております。その傷、その狂気じみた戦意に偽りはございません』


 ヴィクトルの灰色の瞳が、報告書の文字を憎々しげに睨み据えた。


(……戦っている、だと?)


 彼の緻密な頭脳が、必死に答えを探して空回りしている。

 使者の報告によれば、バラクの野営地は確かに豊かだったという。病は消え、民は新しい服を着て、温かい食事を取っていた。

 その「豊かさ」は、どこから来たのか。

 普通に考えれば、帝国から支援を受けているとしか思えない。


 だが、帝国から支援を受けているのなら、なぜ彼らは帝国と血みどろの死闘を演じているのだ?

 帝国軍の屈強な壁に突撃し、骨を折られ、血を流して帰ってくる。それが芝居だというのか? いや、使者の目が節穴だったとしても、狂信的なまでの戦意は偽れない。


(帝国と戦っているのに、帝国から支援を受けている……?)


 二つの事実が、ヴィクトルの頭の中で激しく衝突し、矛盾の火花を散らす。

(ありえない。そんな論理の破綻した盤面など、存在してはならない)


 彼はギリッと奥歯を噛み締め、机の上の紙束を乱暴に薙ぎ払った。

 バサバサと、白い紙が虚しく床に散らばる。

 何かがおかしい。見えない糸が、自分の首をゆっくりと絞め上げているような、得体の知れない焦燥感。


「……私の目を、欺いているというのか。……あの老いぼれが、単独でこれほどの絵図を描けるはずがない」


 ヴィクトルの脳裏に、南の情勢が不気味な暗雲となって湧き上がってきた。

 アルカディア王国が『天翼の軍師』なる帝国の異物によって劣勢に立たされ、いつの間にかアルフォンスが新王として即位したこと。その結果、覇国にとって南の王国への工作が極めて動きにくくなったことは、ヴィクトルも把握していた。


 だが、それだけではない。

 ヴェネーリアの重鎮、ドナート・コンタリーニ。彼からの情報が、王国のロベール伯爵領を経由して定期的に入ってきていた。しかし、その連絡が半年近く途絶えている。

 当初は、ロベール伯爵の反乱が新王にあっけなく鎮圧され、情報ルートが一時的に潰れた程度にしか考えていなかった。大した影響もないため、放置していたのだ。


 しかし今、バラクの野営地で起きているこの理解不能な矛盾を前にして、その「情報の途絶」が、突如として氷の刃のようにヴィクトルの背筋をなぞった。


(……ただの反乱失敗ではないのか? あのロベール伯爵領の背後には、ヴェネーリアの莫大な資金と、もう一つ……『別の勢力』の秘密拠点すら存在していたはずだ)


 点と点が、最悪の線を描いて結びついていく。

 もし、その全てが『天翼の軍師』の掌の上で処理され、完璧に制圧されていたのだとしたら。

 半年もの間、自分は「情報が途絶えた」のではなく、「意図的に目を潰されていた」のだとしたら。


 ヴィクトルの冷たい指先が、微かに震えた。

 恐怖ではない。自らの計算式に割り込んできた、底知れぬ盤面操作能力を持つ存在に対する、どす黒い嫌悪と焦燥だった。

 南の空の向こうにいるであろう、『天翼の軍師』。彼の者がすでに北方にまで翼を拡げ、この矛盾に満ちた盤面を作り上げているのだとしたら。


「……王国に置いた秘密拠点は、どうなった?」


 ヴィクトルは、虚空を睨みつけながら低く唸った。

 放置していた自らの油断を呪うように、彼は足元の紙を革靴で踏み躙る。


「……確認せねばなりませんね。私の知らないところで、盤面がどう書き換えられているのかを」

 彼は震える手で眼鏡の位置を押し上げ、荒い呼吸を整えながら暗い瞳を光らせた。

「すぐに密偵を放ちなさい。南へ。ロベール伯爵領の現状と、そこにあったはずの秘密拠点の痕跡を徹底的に洗い出すのです」


 ヴィクトルの冷たい声が、執務室の凍てつく空気に溶けていく。

 見えない敵への底知れぬ不気味さを、怒りと殺意で塗りつぶしながら、彼は自らの足元に忍び寄る影を、今度こそ正確に捉えようとしていた。


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 輝夜さん、こんにちは。 「ようこそ、最前線の地獄(職場)へ。 私、リナ8歳です 第338話:『偽装の激戦、帰還する戦士たち』」拝読致しました。  いつまで待たせるんだ…  クルガンからの公式使者た…
 肩にヒビ、知り合いにバカ話でのツッコミで肩を叩いたらヒビが入った話があるが・・・あれも死闘(漫才的な?)をしていたのか。
更新お疲れ様です。 文字通り『死闘』を繰り広げ演じた戦士達の『気迫』に気圧される使者^^ 『毒蛇は混乱している・・・・』 メダパニ掛けられた状態のヴィクトル(^^;; 自身以上に見えた『軍師』の戦略…
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