閑話:『欲望の工房と踊る鍛冶屋たち』333.1
帝国南部、豊かな水路が巡る港町アクア・ポリス。
潮の香りと魚市場の喧騒に混じり、街の端にそびえ立つ巨大なレンガ造りの建物からは絶え間なく地響きのような重低音が漏れ出していた。
『帝国技術研究局アクア・ポリス支部』――通称「マキナの工房」。
「うおおおおおっ! 回れ! もっと回れぇぇッ!」
煤と油にまみれたマキナの雄叫びが、熱気に歪む工房の空気をビリビリと震わせる。
彼女の目の前で、巨大な『エーテル・ドライブ』の試作機が悲鳴のような金属音を上げて高速回転していた。駆動部から散る火花が、彼女のゴーグルのレンズにギラギラと反射する。
「局長! 出力が計算値の百二十パーセントを突破しました! これ以上はハウジングの強度が……!」
「構うな! 限界を知らねえと新しい合金の配合が決められねえだろうが! 行けェッ!」
ガガガガッ! バシュゥゥゥッ!
異音が頂点に達した瞬間、試作機が盛大な白煙を噴き上げて完全に沈黙した。
周囲の技術者たちが「またか……」と頭を抱えてむせ返る中、マキナだけは煙の中から現れ、「ふはは! よし、次の課題が見えたぜ!」と真っ黒な顔で白い歯を見せて笑っていた。
かつての彼女の工房は、常に冷え切っていた。画期的なアイデアの設計図を描いても、「予算」と「資材」という重厚な壁の前に、丸めて捨てるしかなかった。
だが、今は違う。
「いやぁ、金があるって最高だな! 失敗を恐れずにガンガン試作が組める!」
マキナは油まみれのウエスで顔をごしごしと拭いながら、上機嫌で背後を振り返った。
そこには額に汗を光らせ、鍛え上げられた丸太のような腕を組んで並ぶ数十人の男たちがいた。アクア・ポリスの街で代々続く、腕利きの鍛冶屋や鋳造所の親方たちだ。
ほんの数ヶ月前、マキナが彼らを初めて集めた時の空気は冷ややかで最悪だった。
『なんだこの小娘は。妙な図面ばかり持ち込みおって。こんな複雑な曲面の部品どうやって叩けってんだ!』
『どうせ軍の道楽だろ。支払いはいつになるかも分からんしな』
だがその空気を一変させたのは、彼女の後見人としてどっかりと工房に腰を下ろした一人の巨漢だった。
“海竜”オルランド・デ・ロッシ中将。
「がっはっは! 細けぇことは気にするな親方衆! この金貨の山、前払いで全部置いていく! 失敗してもお咎めなしだ!」
ロッシが木箱いっぱいの金貨を床にぶちまけようとした、まさにその時。
「――中将閣下!! なりませんッ! それは陛下の御内帑金を含む特別予算ですぞ!」
悲鳴のような声を上げて木箱にすがりついたのは、エンリコ少将の特に事務関係の後任として中央から派遣されてきた、神経質そうな眼鏡の副官だった。
「親方衆! 誤解なきよう! 無軌道なばら撒きはいたしませんが、このマキナ局長の図面通りに部品を納品いただいた暁には、市場価格の三倍、いや精度によってはそれ以上の『適正かつ破格の報酬』を、即時現金でお支払いすることを帝国軍の名において保証いたします!」
副官は必死に木箱の蓋を押さえつけながら、契約書を片手に熱弁を振るった。
どんぶり勘定の猛将と、冷や汗まみれで実務を回す有能な副官。
だがその「失敗を恐れず挑戦できる資金力」と「確実な報酬の約束」が、親方たちの目の色を変えたのは事実だった。
「いいか親方衆! この図面通りに削り出せたらさらにボーナス弾むぜ!」
最初は金目当てだった職人たちも、マキナが描く「まだ誰も見たことのない機械」の部品を一つ一つ組み上げていくうちに、その目の奥に狂気にも似た熱を宿し始めていた。
「俺たちのハンマーが新しい時代を叩き出している」という強烈な自負。
そして「失敗しても副官殿が泣きながら金を払ってくれるから、どんどん新しい工法を試せ」という、職人にとって夢のような環境。
――例えば、少し前のことだ。
「マキナ局長! 依頼されたあのバカ長い銃身の特殊合金の鋳造だがな!」
街で一番気難しいと言われていた大鍛冶屋の親方が、顔を真っ赤に上気させて巨大な図面を広げてきたことがあった。
「俺ァ三日三晩寝ずに火の温度を調整して、ついに気泡一つない完璧な筒を抜き出してやったぜ! ほれ見てくれ!」
「おおっ! さすが親方! こいつはすげえ精度だ!」
マキナがその銃身――のちに北の荒野で一千メートル先の標的を穿つことになった『マキナ・キャノン』の心臓部――を愛おしげに撫で回し、親方の肩をバンバンと叩いた。
「へへっ、どんなもんだ!……で、次はなんだ!? もっと硬くて、もっと複雑な注文を持ってるんだろ!? 俺のハンマーが鳴って仕方ねえんだ!」
親方の言葉に他の職人たちも「俺のところにも回せ!」「いや次はウチの旋盤でやってみせる!」と、我先にとマキナへ群がってきたのだ。
その熱を帯びた開発ブーム(ムーブメント)は、あの超長距離ライフルを完成させ、北へと送り出した今現在も、さらに勢いを増して続いていた。
◇◆◇
そして現在。
相変わらずのやかましい熱気と鉄を打つ音が響く工房の片隅で、マキナの作業台に無造作に置かれていた『囁きの小箱』が、ブゥンと低い振動音を立てた。
マキナはスパナを放り投げ、通信機に耳を当てる。
『――マキナさん。届きました。あの兵器……無事に試射を終えました』
ノイズの向こうから聞こえてきたのは、北壁の軍師――リナの少し疲れたような、しかしどこか弾んだ声だった。
『……この短期間で、これほどの精度で作り上げるなんて……。本当に凄いよ。ありがとう、マキナさん』
リナからの、完成品に対する心からの称賛。
その言葉の重みに、マキナは鼻の頭をこすりながらニッと笑った。
「ああ、ありゃ私一人の力じゃねえよ。この街の親方たちのお陰だから、そっちに礼を言っとくわ」
マキナは、図面を囲んで顔を突き合わせ、熱い議論を戦わせている職人たちの汗だくの背中を、誇らしげに振り返る。
「最初はけっこー無茶言ったつもりだったんだがな、最近じゃあいつらやる気満々でさ。『もっと難しい注文はないか』って私の尻を叩いてくる始末だ」
『ふふっ。マキナさんの熱意が皆さんに伝わったんですね』
「金払いが良いのが一番だろうけどな! まぁ、お前がそっちで上手くやってくれて、ロッシのおっさんと……えーっと、名前忘れたけど真面目な副官が財布の紐を握ってくれてるお陰だ。ありがとな、リナ」
マキナは作業台に積まれた新しい図面の束――それは、いつか空を飛ぶための「鋼の翼」の骨組みの設計図――をパラパラとめくった。紙が擦れる音が、新しい風の予感を孕んでいる。
「さて、感傷に浸ってる暇はねえ。こっちは次から次へと新しいアイデアが湧いてきて、寝る暇も惜しいくらい忙しいんでな。……じゃ、切るぞ! そっちも死なない程度にやれよ!」
『ええ、マキナさんも過労で倒れないようにね。それじゃあ――』
プツンと通信が切れる。
マキナは『囁きの小箱』を無造作に放り投げると、大きく息を吸い込み、肺いっぱいに鉄と油の匂いを満たした。
そして、職人たちの輪へと弾かれたように飛び込んでいく。
「おーい! お前ら! 次の注文だ! 今度は空を飛ぶための『羽の骨』だ! 誰が一番軽くて丈夫な骨を打てるか、勝負しようぜェッ!」
「おうっ!!」
帝国の南端、豊かな水の都で。
後に大陸全土の歴史を塗り替えることになる技術革命の産声が、職人たちの力強い槌音と共に、今日も高らかに響き渡っていた。




