断罪の牙
しんしんと雨の降る中を馬車が進む。
どうやらこの辺りは湿地帯らしく、路面状態がすこぶる悪い。そのせいで時折、馬車が大きく跳ねる。
「おいイロハ、もう少し揺れないように気を付けろ」
『気を付けてはいますがセンサーで一番まともそうな場所を走ってこれなんで諦めて下さい』
俺の苦情は御者役を任されたイロハにより、にべもなく切り捨てられた。
「こっちは集中したいってのに全く……」
出発して三日ほど経つが、もうずっとこんな感じだ。
街道が恋しくて泣けてくる。が、緋竜の山は人里とは真逆に位置しているのでどうしようもない。
『ところでレストさんはさっきから何をしてるんです? まさかとは思いますが、私に面倒を押し付けておいて御自分は遊んでたりしないでしょうね……?』
アームを用いて器用に手綱を操りながら、珍しく怒気を滲ませるイロハ。
「違うから。真面目な取り組みだから」
俺はイロハにそう返すと、意識を集中して腕を変化させる。
──ただし、普段通り単に白狼や黒猫のものに置き換えるのではなく、アレンジを加えた上で。
「パペット人形……? レスト、腹話術でもするの?」
「にしてはちょっと造型がリアル過ぎない? もう少しデフォルメした方がいいと思うわよ」
「そうねぇ……魔術としては凄いけど、見た目がほぼ剥製だからちょっと不気味かも」
手首から先を白狼の頭部に変えてみたのだが、近くで見ていたリシア達は好き勝手な感想を寄越してきて、
『やっぱり遊んでるんじゃないですか!』
「違うっつーの!」
それを聞いたイロハが憤慨する。
まぁ今の反応からそう勘違いするのは仕方ないとは思うが。
しかし……うーん。
「ダメだな……重すぎる」
とりあえず腕を戻して改善策を検討しよう。
「レスト、今のは結局、何がしたかったの?」
隣で小首を傾げるリシアに向き直る。
「新技の開発だな。まず前提として、白狼の最大の武器は牙だよな?」
「うん」
「それを真化身時以外では全く活用出来ないのが気になってな」
クロエから余剰魔力の話を聞いて、牙もどうにか戦術に組み込めないかと試行錯誤しているのだが……振るうだけでいい爪と違い、牙を活用するなら避けては通れないことがある。
それは噛みつくという行為だ。が、正直に言えばそんな真似は極力……いや、絶対にしたくない。
何故なら感触や味覚のせいで不快な気分になるのが確定しているからだ。
真化身時であれば身体と感覚が完全に獣のものとなるせいか、その辺り全く気にならなくなるのだが、半化身や通常時ではそうもいかない。
なのでそんな事態を招かずに活用する方法としてファングナックル的なものの開発に勤しんでいる訳だが……。
「ここまで重いのは想定外だったなぁ」
手首から先が鉄アレイにでも変わったかと思えるほどだった。
完全にデッドウェイトだ。これではとても実戦で使う気にはならない。
「それなら余計なとこは省いたらいいんじゃないかしら?」
「簡略化か……」
考えてみれば重さの大部分を占める頭骨辺りは不要だと気付く。
「最低限必要な部位だけを再現すれば、重さも多少は緩和されると思うの」
コトノハの言に従い、白狼の口回りだけをイメージして腕の変化を試みる。
すると前のに比べて半分以下にまで重量が減ったように感じられる。
「こんなもんか」
「見た目はかなりシンプルになったわね。シルエットはちょっと蟹の鋏っぽい?」
『用途が似てるなら形も似てくるものですよ』
「レスト、どんな感じ?」
「かなりマシになったな」
少なくとも振り回す分には支障無さそうだ。
まぁそれでも通常の変化よりはずっと重いのだが、そこは威力重視の弊害として目を瞑る。
「ところで牙を武器にしたいなら、爪みたいに牙だけ手に生やせばいいんじゃないの?」
「あーそれはな……」
『レストさんが求めてるのは一撃の威力なので、咬合力まで含めて再現しないと意味がないんですよ。言うなれば技の爪に対する力の牙みたいな』
「うんまぁそんな感じ」
俺に代わってイロハが全部説明してくれた。しかもわかりやすく。
「それに多分だけど、牙だけってのは難しいと思う」
「リシアちゃん、どうしてそう思ったの?」
「私はレストの生態に詳しいから」
リシアが何を根拠に言ってるのかはわからないが、無理と言われるとやりたくなるのが人の性。
仮に出来てもイロハが言った通り、全く意味は無いなのだが……この新技開発には暇潰しという側面もあるので構わず試す。が、
「牙だけだと何か違和感があって上手くいかないな……」
「違和感は魔術を扱う上での最大の障害なの。レストさんが手を白狼の頭部に変化させることが出来たのは、認知の齟齬を抱くことなく明瞭にそれをイメージ出来たからだと思うのだけど……もしかしてレストさんが前にいたとこでは、そんな生き物がいたりしたの……?」
コトノハのその発言で腑に落ちた。牙単体は難しくても頭や口ごとであれば問題なく出来る理由なんて一つしかない。
『アニメや特撮みたいな創作物にならたまにいますね』
つまりはそういうことだろう。これは異世界の知識を持つやつ、もしくは旧文明の娯楽に触れていたイロハにしか理解出来ない話だと思う。
「なにそれ。……あー、なるほど。確かにそういうのが沢山あるわね」
「もはや一々突っ込むのもアホらしいが、まーた記憶を漁ったのか……」
「最近は疑問が浮かぶと、それに関連するレストの記憶がすぐ出てくる。便利」
「けどあれ、たまに全然検討違いなものが出てくるのよね……」
ついに検索予測機能まで追加されたらしい。
精度が微妙な辺りまでそのまんまなのは笑えるが。
「お姉ちゃん、蚊帳の外で悲しい」
『あ、それなら私がナノエフェクトで意識の仲介をすることで秘儀によらずとも見れますよ』
「え、ほんと!」
「待てこら」
何を勝手に話を進めているのか。というかだ。
「おまえはまたいつの間にそんな芸当を身に付けた……? あとコトノハさん“も”ってことは当然、おまえ自身も見れる訳だよな??」
『いやそれはなんと言いますか……まずクロエさんから記憶の閲覧速度に難があるから改善したいと言われまして』
「クロエ……?」
「……」
おい顔を背けるなこっちを向け。
『それをナノエフェクトでどうにか出来ないかとあれこれ試行錯誤する過程で偶然出来るようになりました』
「そういうことは俺に一言あって然るべきだと思うんだよね……」
「アンタの記憶は共有しといて損はないんだし別に構わないでしょ」
悪びれすらしねぇ! 確かにその方が話は早いけども!!
俺は不遜な態度を貫くクロエに反省を促すべく手を伸ばそうとする。が、不穏な気配を察したのか、クロエは素早く二階部分に駆け上がっていってしまった。
「逃げられたか……」
御者席にいるイロハはそんな馬車内のやり取りに気付くことなく、
『まぁ既にリシアさんとクロエさんには見られ放題な訳ですし、そこに私とコトノハさんが加わったところで大差ないですよ』
暢気な口調で俺の神経を逆撫でてきた。
確かにイロハの言うことはもっともだろう。しかしそれはそれとしておまえが言うなという話だと思う。
「そういう発言は迷惑をかけた側でなく、かけられた側にのみ許されるものだよなぁ?」
『あの……ほら私、今は馬車の手綱を握ってますし?』
ゆらりと立ち上がった俺を見て己の危機を悟ったのか、イロハが命乞いを始める。が、
「リシア」
「ん、わかった」
俺の意図を察したリシアが半ば奪い取るような形でイロハから手綱を取り上げる。
「これで問題ないな」
『……!! た、待避ー!』
「逃がさん……おまえだけは……」
上空に逃れようとするイロハをすんでのところで捕まえる。
『レストさん! せめて腕を戻して下さい! 牙がボディに食い込んで……力もいつかの比じゃなく強くて洒落になってませんって!!』
図らずもイロハの嘆きにより新技の有用性が証明された。
「なるほど。後は不具合が無いか洗うだけだな。よし、このままおまえで実証実験をしてやる」
『どうしてそんな非道な発想が出来るんですか!? 私は衝撃テスト用のダミー人形じゃないんですよ!!』
「うわぁ……もしかして次からあれで折檻されるのかしら。これはもう迂闊にからかえないわねぇ」
「レスト、程々にしてあげてね」
『リシアさん……』
リシアが珍しくイロハを気遣うような発言をする。
「雑用係がいなくなったら困るから」
『リシアさん……』
まぁそんなことだろうとは思っていたが。
「ちゃんと修復可能な範囲で壊すから大丈夫だよ」
俺はリシアにそう告げると、悲鳴をあげるイロハを無視してゆっくりと腕に力を込めた。