酸と障壁
「そういえばさ」
魔獣討伐への道すがら、俺は器用に人の頭の上で寛ぐクロエに声をかける。
「リシアの調子が悪いことに、クロエは何で気付けたんだ?」
これでも数ヵ月近く寝食を共にしているのだが、全く気付けなかったのは地味にショックだったりする。
特に振る舞いに変わりは無かったと思うんだが。
「まぁアンタの世界には魔力が無いみたいだし、仕方ないんじゃない?」
「え、それ関係あるの?」
「レストはリシアの牙って見たことある?」
「そりゃあるけど……」
俺の問いには答えず、よくわからないことを聞いてくるクロエ。
見たことがあるどころか、噛まれたことすらある訳だが。
「昨日と今日は見た?」
「いや、見てないな」
リシアはクロエと違い、人化していることが多い。
それに人化をしていなくても、戦闘中でもなければ牙を剥き出しにするようなこともない。
なのでそう頻繁に目にするものでは無かったりする。
「リシア──というか白狼族の牙って、普通の狼より長いじゃない?」
「あー最初見たときは驚いたな」
「あれは余剰魔力によるものなの」
「……は?」
「体調が悪ければ魔力はその回復に充てられる。そうなれば当然余剰魔力は失われて、それによって生成された牙は維持できなくなるってわけ」
俺はあの牙は種族特有のものだと思ってたよ……いやその認識でもあながち間違いではないようだけど。
「帰ったら確かめてみるといいわよ。今はそれこそ普通の狼と同じくらいの長さになってるから」
「クロエはそこから気付けた訳か……」
「そういうこと。ちなみに余剰魔力で生成されるものは種族毎に決まってて、黒猫族は爪の長さに表れるわ」
「ってことは普段のリシアの牙やクロエの爪の先は魔力で形成されてるのか」
クロエは普段、あの長さの爪をどうやって収納しているのかが長らく疑問だったが、種明かしされてしまえば何てことはない。単に必要の応じて魔力で伸長していたのだろう。
と、そんな話をしていると、突然前方から殺気を感じた。
「クロエ」
「お出ましね」
足を止めて呼び掛けると、クロエは頭の上から降りて臨戦態勢に入った。
「目的の魔獣かまだわからない。少し出方を窺うぞ」
「わかったわ」
いつ攻撃がきても対応出来るように身構える。
次の瞬間、岩影からこちらに向かって何かが飛んでくる。
「レスト!」
「問題ない!」
クロエの声が響くのとほぼ同時に、俺はその場を飛び退く。
すると先程まで立っていた場所に大量の液体が降り注ぎ、灼けるような音と刺激臭が辺りに立ち込める。
酸による攻撃──! 相手が討伐目標であることを確信する。
「そこ……!」
と、クロエの方は回避と同時に攻撃に転じたらしい。
爪による一撃。それにより岩影から転がり出てくる軽自動車ほどの体躯をした巨大蟻。
「話で聞くのと実際に目の当たりにするのはまた違うよなぁ……」
この前のワームも大概だったが、こちらも負けず劣らず見た目がキモい。
心の準備はしていたのだが、それでもくるものがある。
「浅かった。けどやっぱりアタシの爪なら問題なく通るわね。これなら一人でも楽勝だったかも?」
「おいクロエ! 酸にだけは気を付けろよ!」
「へーきへーき!」
そう言って再度突っ込むクロエ。
俺は念のため、いつでも援護が出来るように、クロエに追従する。
「きゃっ!」
「クロエ!?」
クロエが突然、何かにぶつかったように弾き飛ばされる。
そしてそれを見越したかのようなタイミングで酸を吐き出す巨大蟻。
俺はクロエを空中で抱き止めると、足場を生成して真横に身を投げ出す。
間一髪で酸を避けた俺は、側転の要領で着地してクロエの状態を確認する。
目立った外傷は無い、な。
「いったぁ……」
「クロエ、大丈夫か?」
「ん、平気みたい」
「あまり心配させるな。で、何があった?」
「弾力のある壁にぶつかった、ような?」
クロエ自身もよく分かってないらしい。
いや、これはまさか……。
「せいっ!」
俺は自身の予想が当たっているかを確かめるため、こちらを威嚇する巨大蟻に対して閃光を放つ。
すると案の定、目標に到達する手前で魔術は霧散してしまった。
それを見たクロエが深刻そうに呟く。
「レスト、不味いわ……」
「……どんな風に?」
「あの距離じゃ爪が届かない」
「なるほど……」
障壁を貫けるのはあくまで爪だけであり、至近距離に迫れない以上こちらの攻撃手段はないということらしい。
「初撃で仕留めきれなかったのが悔やまれるわね……」
「それは相手も思ってそうだけどな」
最初から遠方に障壁を張っていなかったのは、まさか障壁を通してくるとは思わなかったからだろう。
リシア曰く、障壁の類いは種類問わず、自身より離れた位置に張るほど消費が増えるとのこと。
つまり親父さんみたいな化け物でもない限り、安易に用いたくない手段って訳だ。
「レスト、何か手立てはある?」
俺の腕から抜け出たクロエはこちらに指示を仰いでくる。
真っ先に考えたのは障壁を切り裂いての肉薄。しかしこれはリスクが高い。もし手間取れば障壁を突破した瞬間、酸をもろに浴びることになる。
かといって回避を挟めば障壁を張り直す暇を与えてしまい元の木阿弥だろう。
消耗を待つのも現実的ではない。常時展開している訳ではないだろうし、こちらが疲弊して酸の餌食となる方がずっと早いからだ。
「接近するのは厳しいな……っと!」
酸が飛んできたのでクロエと左右に別れるように避ける。
発想を変えよう。近寄らずに倒す方向で思案する。
さっきクロエは爪が届かないと言っていた。が、それはあくまでクロエの爪に限った話じゃないのか?
俺は秘儀により、腕を黒猫族のものに変化させることが出来る。つまり、俺にも障壁を貫くことは出来るのだ。
試しに腕を変化させて、少しだけ爪を伸ばしてみる。
と、1m程に達してもまだ全然余裕があることがわかった。
この感じなら恐らく5~6mはいけるはず。
クロエが障壁に弾かれた際の彼我の距離は多目に見ても2m程度だった。
「レスト! 手がないなら一度引くわよ!」
クロエが酸を避けながら声を荒らげる。
どうやら巨大蟻は初撃で障壁を抜いたクロエを警戒しているらしく、こちらには攻撃が全く飛んでこない。
自身にダメージを与えてくる可能性があるのはクロエだけと判断したのだろう。
「クロエ! 俺が仕掛けるからもう少しだけ耐えてくれ!」
「! わかったわ!」
クロエにはこのまま囮を勤めてもらおう。
俺は左腕を白狼のものに変化させると、前方に突き出して障壁にぶつかるつもりで駆ける。
すると巨大蟻は一瞬こちらを見るも、しかしすぐに視線をクロエに戻す。
脅威と見なされていない。ありがたい話だ。
そろそろ障壁にたどり着く頃合いとなったので、右腕を黒猫のものに変えて攻撃の準備をする。
と、想定通り突き出した左腕が障壁にぶつかり──想定以上の衝撃が俺を襲う。
「いった!?」
おいくっそ堅いぞこれ! 弾力なんて欠片もないんだが?!
クロエは全速力でぶつかってよく平気だったな……。
刹那、そんな思考が過るもそれを振り払い、左腕で衝突の勢いを無理矢理に弱めながら障壁に爪を突き刺し──。
「貫けっ……!!」
──勢いよく爪を伸ばす! が、その一撃は巨大蟻に届く直前、大きく軌道を変えて足元の地面を抉った。
それを見た巨大蟻はこちらを脅威と見なしたらしく、俺に対して迎撃の構えに移る。
「くっそミスった……!」
俺は酸の的になるのを避けるため、爪を戻して急いでその場を離脱する。
「何か妨害でもされた?」
「いや、誤算があった」
それも複数だ。
まず一つ目、それは障壁が想定以上に頑丈だったこと。
これによりぶつかった際の衝撃を完全に殺しきれず、手元が若干狂ってしまった。
そして二つ目、刺した爪に対して少なからず障壁の抵抗があったこと。
このせいでやはり狙いが逸れた。
で、三つ目だがこれは正直、俺が間抜けだったとしか言えないのだが……伸ばした状態の爪を支え切れなかった。
長い棒の端を持って狙い通りの場所を突くのは難しい。これはてこの原理により、自重よりずっと強い負荷がかかるせいだ。
巨大蟻に届く程に伸ばすなら安定させる手段が必要だろう。
クロエにそう説明すると、
「障壁に対する感触は白狼の腕を選択したのが原因ね」
「そっちの方が強靭だから適してると思ったんだが……」
「そうね。ぶつかるのが障壁でなければ、その判断で正しかったんだと思う」
「? あ、クロエがぶつかったときは黒猫族の特性で障壁が弱まったのか!」
だからもろに衝撃を受けなかったのか。
さっきぶつかったのがもしリシアであったなら、ただではすまないところだったらしい。
「じゃあ爪を刺したときの抵抗は? クロエが初撃を入れたときどうだった?」
「そっちは多分、レストが扱う変化が模倣に過ぎないせいね。爪による魔術を阻害する力が完全には再現されてないんだと思う。アタシは抵抗なんて特に感じなかったし」
「そっちは化身すれば問題ないな」
どうせ既に俺も警戒対象だ。クロエを囮にする意味は薄い。
「爪を伸ばした状態で安定させる方法は?」
「そっちも案が浮かんだ。ただそれには白狼の力がいるから半化身で頼む」
「了解」
さて、次で決まってくれると助かるんだがな。




