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第三十七話 お前は美しい


「婚……約者……?」


 意味が理解出来なかったわけではないが、その内容を己の中に落とし込むのには、かなりの時間を要した。

 フィオナの前で、吟遊詩人も羨むような美声が、謳うように続ける。


「知らぬのも無理はない――王女が15歳の誕生日を迎えた次の日に、正式に発表されるはずだったのだから。だが、王女――私の婚約者は、15歳になった日の夜に死んだ――」

「なんたる悲劇! 美しい悲劇です、レナード様!」


 後方から、従者の一人が合いの手を入れる。それに乗せられるように、彼の言葉は盛り上がり、力強い抑揚をつける。


「――そう、神は私に美しさを与えた。だが、同じだけ美しいものを手に入れることを許しはしなかった――これは悲劇だ。この美しい悲劇を戯曲家が描くのならば、歴史にも名を残そう」


 天に向けられた指先の隅々までもが絵になり、彼は実は本当に舞台俳優なのではないだろうか、とフィオナは疑問を抱いた。


「だが、神は私に天啓を与えた。奇跡という名の運命の糸に手繰り寄せられ、再び私はお前に巡り会ったのだ。この美しい奇跡こそが、私が全てを手に入れることを許された存在――アース神に選ばれし者であることを(あか)す劇詩となるだろう」


 …………


 何を言っているのか、よく分からない。


「なぁラウ、これ何語?」

「……うーん、オレも公用語以外は、こっちの大陸の言葉知らないからなぁ」

「いや、公用語だろこれ。発音は完璧だと思うけど」

「おーい、そこ。現実逃避したい気持ちは分かるけど、ちゃんと聞いてあげてー」


 同じ気持ちだったらしいリッド、ラウ、カミュの3人のやりとりに、従者の片方が突っ込んだ。


 門の外で主を見守る2人の従者は、一目でそれと分かる白い軍服に身を包んでいた。アルファザード王家を表す腕章が縫いつけられた白と金の軍服は、精鋭と名高い王国近衛隊の制服だ。


「ん……?」


 馬上から、きょろきょろとあたりを見回す青髪の騎士の様子を、もう一人が咎める。


「アルヴィス、何をよそ見をしている??」

「いや、あの双子がいねーな、と思って……さっきまで片割れはいた気がすんだけど」


「なんだそんなことか! そんな雑魚はどうでもいい!」 

「俺たち、その雑魚に返り討ちにされたんだけど……」


「それより、レナード様のお言葉に静かに耳を傾けんか!」

「んなこと言ってお前、絶対意味分かって聞いてないだろ。まあぶっちゃけ、フィーリングで十分だけど」


 彼に仕えている従者も、今ひとつ意味は分かっていないらしい。


「――お前は美しい」


 思わず意識が彼の劇詩調の台詞から逸れ、別の方向に向いていたが、単刀直入に投げられた言葉に引き戻された。


「そして私も美しい」

「はぁ……」


「美しい者は、美しい者の隣にあってこそより輝きを増すものだ。暗闇の中を流れる星の瞬きは確かに美しいが、それはただ周りの暗さに引き立てられているだけだ。真に美しい者は、晴天の空の太陽の如く、輝きの中でひときわ光輝くものだ。私の輝きの中で、お前はもっとも輝くだろう」


 ……言っている意味の半分くらいしか理解出来ない。


 ちらりと彼の従者たちの反応を見ると、青髪の騎士が明後日の方向を向いていた。

 彼の馬にもたれかかるようにして、ヴァリウスと呼ばれた青年がぼやいた。


「お前の主さぁ、ホントどうにかなんねぇの?」

「だから、お前の主だっつってんだろ」

「マジで、今すぐ速攻やめたいんだど。誰か鏡割ってくんねえかな」

「心配すんな、城にはレナード様が囲ってる本場グレイス出身の名職人がいる。いつでも修理可能だ」

「いやがらせかよ」


 うんざりとぼやく黒髪の従者。少なくとも彼は、自身の主の一風変わった言動を、賛美する立場にはないらしい。それはある意味、とても気の毒なことだ。


 さらにフィオナの背後では、様子を見ていた他の住人が、完全にしらけた空気を発していた。

 開いたままの戸口の前に立っていたカミュが額に手を当て、疲れたように呻く。


「こんな口説き文句はじめて聞いたぜ……」

「なかなか新しいねェ」

「……って、ユーリお前、何してんだ。ンなところで」


 戸口のすぐ脇の壁に背を預け、膝を折って座っているユーリを見つけるカミュ。

 身を潜めるように丸まったその姿は、外の人間には見えないが、ここにいる限り庭先の会話は筒抜けだろう。


「ワケありってヤツだヨ。ねェ、ジーク?」

「…………」

「ジークまで……」


 その隣に、同じ態勢で座り込んでいる双子の兄に、ユーリが同意を求める。

 呆れて見やるカミュの呟きに、どこからか聞こえた馬の嘶きが重なった。


 その瞬間、全員の意識が、そちらへと集中する。


「あの人は、毎回遅れて登場するねェ」


 喉で笑うユーリは、次に起こる展開を予想し、楽しんでいるようだった。



 間を置かず、森の中から漆黒の馬が姿を現し、少年騎士が声を上げた。


「殿下! あいつですあいつ! あの馬です!」

「――今度は何の騒ぎだ」


 馬上から事態を見下ろすヴァンの眼が、家の前でフィオナに膝をつく金髪の王子を捉える。


 途端、眉間の皺が深まった。


「嫌な予感というのは当たるものだな……」


 ため息混じりの呟きが届く。

 ため息をつかれた相手は、ヴァンを目に止めると素早く立ち上がった。


「ヴィンセント!?」


 聞き慣れない名を叫んだレナードの顔には、確かな驚きと、そして逆立つような敵意――とは似て非なる感情の波があった。


 徐々に角度を落とす陽の下で対峙する二人の影が伸びる。


 仁王立ちするレナードに対し、ヴァンはかなり遠い位置で馬を止めた。

 愛馬から降りずに相手を見下ろすヴァンの目には、不味いものを見るような色が混じっている。


 睨み合いは長いものではなかった。先に視線を逸らしたのは、レナードの方だ。


「――まさかとは思ったが、貴様の馬か」


 目を伏せ、笑みを浮かべる姿は、どこか嬉しそうにも見えた。


「そうか――生きているとは思っていたが、まさかこんなところに身を潜めているとはな。よもや、このように誘拐まがいのことまでしているとは……」


 フィオナから離れ、先ほどより毅然とした動きでヴァンに近づくレナード。


「嘆かわしいことよ。かつてのこの私の好敵手も、堕ちたものだ」

「お前の好敵手になった覚えはない」

「なんだと?!」


 一欠片の感動もない声で無下にされ、レナードはいきり立った。が、すぐに気を落ち着けたように、余裕のある嘲笑を浮かべる。


「――まあ、いい。こちらこそ願い下げだ。ここで出逢ったのも何かの運命だ。これ以上、その惨めな生き様を晒さないで済むよう、この私の手で葬ってやろう」


 すらりと腰に帯びた剣が抜かれる。

 その様を冷めた目で眺めるヴァンに動きはなかったが、代わりに周囲の人間が慌てた。


「おいっ、あんた、手は出さないって約束だろう!」

「ちょっと殿下、どうしちゃったんですかー?」


 カミュと青髪の騎士が止める。


「殿下の御前と知りながら、馬も降りずに無礼な口を叩くとは不届き千万! レナード様、ここは僕が後ろから援護しますので、思いっきりやっちゃってください! まずは遠くから弓で馬を狙って……あ、ダメだ! あの馬を傷つけてはならんのだった! どうしようアルヴィス!?」

「だーかーら、面倒くせーからお前は黙っとけ。そもそも一騎打ちに手を出す馬鹿があるかっ」


「ヴァン! そんな変なキンパツぐりぐり巻き毛のナルシスト野郎、ぼっこぼこにしちまえっ!」

「止めとけってリッド。気持ちは分かるけど、あの人一応、大国の王子様らしいから。下手に手ぇ出したらマズイから」


 各々の陣営で、勝手にヒートアップする好戦的な少年をなだめる大人たち。

 アルヴィスとカミュが頭を抱える中、2人の少年は、そのとき初めて互いを認識したように睨み合った。


「貴様! 今なんと言った! レナード様のお美しい御髪をき、ききんぱつぐりぐりまきげだとっ!?」

「聞こえてんじゃねーか。やーい巻き巻きナルシスト! 自意識過剰ー」


 舌を出してのリッドの口撃に、少年騎士が顔を真っ赤にする。


「レナード様は自意識過剰などではない! 事実、あのお方より強く美しい男など存在せんのだ! 真実をありのまま述べて何が悪い! 無知な猿が過ぎた口をきくな!」

「はっ! あんなの、絶対ウィルの方が美人だし、ヴァンの方が強いだろ。アルファザードの王子ってどんなもんかと思ったら、たいしたことねーな」


「嘘をつくなっ! レナード様より美しい者など存在するか! あっ、その女はダメだぞ。女だからな! まぁ、その女よりもレナード様の方が美しいがな!」

「はぁ? ふざっけんな。フィオナの方が可愛いに決まってんだろ、ぶっ飛ばすぞ!」

「はいはい、もーいい加減にしろよお前ら」


 永久に続きそうな口喧嘩を、カミュが呆れて止めようとするが、どうにも収まりそうな気配はない。


「相変わらず人間って馬鹿なのな」

「それは否定しねーけど、こいつらは特別馬鹿だぜ。馬鹿の中の馬鹿だ」


 他人事のように眺める敵陣営の大人2名。


 そんな場外乱闘を尻目に、睨み合いを続けるレナードとヴァンの間には、言葉にしがたい緊迫感が横たわっていた。


「――剣を抜け、ヴィンセント」


 抜き身の剣を持って、馬上の男を見上げる王子の言葉に、ヴァンは応えない。レナードは嘲笑した。


「私と戦うのが怖いか? 長い逃亡生活で随分と腕が鈍っているようだな? いや――腕ではなく、鈍ったの魂の方か――無力な兄を言い訳に、己の運命(さだめ)から逃げ出した卑小な男は、私の前からも逃げ出すらしい」


 ――その挑発に、それまで冷淡に相手を見下していたヴァンの眼に熱がともった。言葉にせずとも分かる殺気が膨れあがり、呼応するようにクンツァイトがぶるりと鼻先を揺らす。


 その手が、腰に帯びた剣の柄に触れようとした――その時。


「そこまでだよ」


 涼やかな声が庭に響き、レナードとヴァン、そして騒がしかった少年剣士とリッドまでもが、ピタリと動きを止める。


 全員の注目が玄関口に集まり、そこからスロープを降りてくる車椅子の人物に、ヴァンの殺気が霧散する。


「…………」


 ヴァンと対峙し、爛々と輝いていた薄氷色の両眼から闘志が薄れる。冷めた眼差しで見下ろすレナードに近づき、ウィルが微笑んだ。


「久しぶり、レナード」

「フンッ」


 鼻を鳴らし、そっぽ向くレナードの態度に、ウィルが小首をかしげる。


「あれ、もしかして俺のこと忘れちゃった?」

「……忘れられるものならとっくに忘れている」

「そう? 良かった」


「相変わらず気の抜ける男だ」

「弟が気張ってるからね。バランスが取れて、ちょうどいいだろう?」


 緊張感のないウィルの回答に、レナードは呆れたように息を吐いた。手にしていた剣を鞘に収める。


「――まあいい、今この場で貴様らの罪は問わないという約束だしな」


 あわや流血沙汰かと思われた事態は、その一言であっけなく収束した。


「一つだけ確認する。貴様らはこの場所に、白雪姫に害をなすために捕らえていたわけではないのだな」

「それだけは誓ってないよ。彼女は、命を狙われこの家に逃げ込んだ。たまたま、俺たちがそこで暮らしていた。だから、保護しただけだ」


『保護』


 ウィルのその言葉が、意外なほどフィオナの胸に刺さった。


 彼の言葉に間違いはない。

 だが、なんだろう……この、どこか薄い膜が一枚張られたような、よそよそしい響きは。


「――白雪姫」


 知らず胸を押さえていたフィオナが顔を上げると、淡い碧眼がこちらを見据えていた。


「よもや、私の求婚を断る理由などあるまいが、返事を聞かせてもらおう」


 ウィルの横を通り過ぎ、近づいてくるレナードと向き合う。

 背の高い彼を見上げると、思いのほか優しい声が降ってきた。


「確証がなかった故、まだお前の生存については、エルドラド国王にご報告はしていない。事情があるのならば、いいように計らおう。お前の命を狙う者があるならば、アルファザードの力をもって、全て排除してみせる」


 力強い言葉に、嘘があるようには聞こえない。


「このような場所で得体の知れない男どもと細々と暮らす必要もない」

「だれが得体が知れないだっ!」

「私の妃として美しく返り咲くシナリオならば、幾通りも用意してある――」


 リッドが噛みつくが、まるで聞こえていないとでもいうように、レナードがフィオナから目を逸らすことはなかった。


 間近で見る顔は出来すぎた彫刻のようだったが、人間味に欠けるわけではない。音がしそうな睫の奥の瞳は、その涼しげな色に反して、情熱と自信に溢れていた。


「――安心して私の元に来い」


 差し出された手を取るのは簡単だ。


 何も憂うことはないという彼の言葉を信じるならば、それは、フィオナにとって安全な未来が約束されているということだ。


「さぁ……」


 けれど――


 息を詰め、その手を見つめるしか出来ないフィオナを助けるように、カミュが口を挟む。


「今日は連れて帰らない、って約束だったよな?」


 ようやく、レナードの視線がフィオナから逸れた。


「……白雪姫の意志があれば、その限りではない」

「フィオナが行くわけねーだろ!」


 リッドが反駁した。同意を求めるように、琥珀色の目が向く。


「なっ、フィオナ……」


 すぐにでも応えたかったけれど、声が出なかった。


「フィオナ?」


 答えないフィオナに、リッドが不安そうに重ねて名を呼んだ。


 ――帰りたくない。


(けれど――)


『もし、いつか来る夢の終わりが、今来たとしても、来るべき時が来た――ただ、それだけのことなんだよ』


 優しいけど悲しい声が、頭に響く。


(『いつか』が、終わるとき……)


「フィオナ」


 促すようなウィルの声に、フィオナは我に返った。


 縋るように、その目を見つめる。

 紫水晶の瞳。全てを見透かすように澄みきっているのに、どうしたって底が見えない。


 彼は、一体どういう答を求めているのだろう。


 自分のことだというのに、無性に彼に答を求めたくなった。


「――無理に今、答を出す必要はない」


 そう彼女を選択の淵から救い出してくれたのは、意外にもヴァンだった。


 馬を降りたヴァンが、ウィルの傍らに立つ。

 この二人がひとところに収まっているのは、不思議とフィオナに安心感をもたらした。


「お前も、いつまでもこんなところで油を売っている場合ではないだろう」


 ヴァンの揺るがぬ視線がレナードを刺す。


「明日は聖日祭だ。アルファザードの祭典は、西大陸一の権威を知らしめる大切な式典。次期国王たる貴様が、その前日に姿を眩ましては、示しがつかん」


 厳しい言葉の後、ヴァンは門前で待つ従者を振り返った。


「貴様らも、君主の余興に付き合うだけが臣下の務めではない。上に立つ者を支える騎士としての自覚を持ち、時には主の過ちを戒めることも責務と心得よ」

「耳の痛いお言葉で……」


 アルヴィスは頭を掻いたが、レナード信奉者の少年は憤慨した。


「ふざけるな、貴様。どこのどいつか知らんが過ぎた口を利くな! レナード様が過ちを犯すはずがなかろう!」

「――まったくもって、キアルディの言う通りだ」


 めずらしく、レナードがキアルディの言葉を聞き流さずに同意した。


「き、聞いたかアルヴィス! レナード様が『キアルディの言う通り』だとおっしゃったぞ! キアルディの言うとおり……」

「あー、分かった分かった。良かったねー」


 馬上で大喜びするキアルディの肩を、アルヴィスが生暖かい目で叩く。


「――ヴィンセント、どの口がそれを言う?」


 冷めた眼差しがヴァンを刺す。相手を見据える迷いのない目には、ヴァンと同種の強さあった。


「貴様は何度、その聖なる日の式典を欠席している。それどころか全ての聖務を放棄し、このような場所で……」


 視線が傍らの車椅子に座るウィルを掠め、どこか嘲るような色を浮かべた後、ヴァンに戻された。


「――『あの国』で、二人の王子の失踪――貴様がどこまで知っているかは知らないが、いろいろな憶測が飛び交っているぞ。暗殺、異常愛、隠匿……王位継承権に最も近い二人が、ある日忽然と姿を消したとなれば、根拠のない憶測が飛び交うのも無理はないことだが、おおよその人間の見解としては――」


 一拍間を置き、レナードは冷ややかに吐き捨てた。


「貴様が、第一王子を攫ったということになっている」

「なっ……」


 声を上げかけたフィオナを、青い眼が一瞥する。

 対するヴァンに大きな反応はなく、普段と同様に、厳しい表情で相手を見据えていた。


「かよわい第一王子を拉致し、殺し――潜伏期間を経て、ほとぼりが冷めた頃に戻ってくる。王として」

「それは一部の人間の、希望的観測だ」


「だがその一部の人間は、それを既成事実としようとしている。戻ってきた貴様が、王座につくための準備に余念がない」

「…………」


「それが余計に、周囲にそう映るのだろう」

「…………」

「どうするつもりだ?」

「あり得ない」


「ならばこのまま、足の不自由な兄のために、身分を隠し細々と生きるつもりか? 才を腐らし、民を捨て、血を分けた家族を捨てて――」

「家族? 誰の話だ」


 今度は、ヴァンの眼に嘲笑が浮かんだ。


「俺の家族は、ウィルだけだ」


 そうヴァンが答えた瞬間、レナードの瞳に映ったのは、明らかな侮蔑の色だ。


「貴様がそう言うならば、何も言うまいよ」


 逸らされた視線は底冷えしていて、無駄な時間を使ったとばかりに彼はフィオナに向き直った。


「――まあいい。短い間とはいえ、世話になった相手に別れを惜しむ時間も必要だろう。今日のところは引き上げる」

「そうしましょ。帰ったらやること山ほどありますから」


 やっとか、と言いたげにアルヴィスが同意し、首を回して嘆いた。


「あー、戻ったら戻ったで超めんどくせー。キア、帰ったらいろいろ頼むわ」

「何を言うアルヴィス。雑務は隊長の貴様の仕事だろう」

「ンなこと誰が決めたんだよっ」


 主の前だというのに、この二人は随分と自由だ。レナードもあまり気にした風でもないから、意外とおおらかな人間なのかもしれない。


 最後に、彼はフィオナの顎先を持ち上げ、隅々まで観察するように顔を見つめた。


「――惜しいな」


 一言そう漏らし、指先が離れた。


「このような薄汚れた場所では、ダイアモンドすらその輝きを鈍らせる――」


 彼の目は決して冷たくはなかったが――それは言葉通り、宝石や絵画を愛でるのと同様のものに感じられた。


「――聖日祭が終われば迎えに来る。その時には、お前のもっとも美しい姿を私に見せるがいい」


 踵を返した彼の背で、豪奢な金髪が揺れる。

 馬に足をかけ、飛び乗ったレナードのマントの裾が翻るのを、フィオナは身じろぎもせずに見送った。


「ヴァリウス」


 アルヴィスに促され、様子を眺めていた黒髪の青年が動いた。


「それでは、失礼致します」


 丁寧に礼をした彼は、面を上げる時、やはりじっとフィオナを見る。

 他の人間はいないもののように、一顧だにもしない。


 門に背を向けて歩き出したアルヴィスの馬の臀部に、男はあろうことか、騎手と背中合わせのまま飛び乗った。


 あんな乗り方をする人間を、見たことはない。

 そもそも、普通のバランス感覚であれば、確実に振り落とされている。

 だが、まるで体重がないもののように、馬は進む。


 キアルディとアルヴィスは、レナードに仕える騎士であることがはっきりしているが、彼はほとんど存在を主張することもなく、状況を眺めているだけだった。


 だが得体の知れない、どこか非現実的なその姿は、強烈な印象をフィオナのうちに残していた。


 赤い唇に妖艶な弧を描き、ヴァリウスは片膝を立てたまま、ひらりとフィオナに手を振った。

 



 影の伸びる3騎の後ろ姿が森の奥に消えるまで、フィオナはいつまでも見送っていた。





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