第三十六話 彼が白馬の王子様
朝、気が付けばフィオナの姿がなくなっていたことに、森の家は騒然とした。
事件が起きたのは、偶然、1階にいた住人が全員席を外していた――ほんのわずかな時間だった。
総出で周辺を探し回ったが見つからず、ジークがジェードを駆り捜索範囲を広げたが、フィオナはもちろん、それ以外の不審な人物の痕跡も見つけることはできなかった。
最悪の事態を想像し、落ち着かない心地のまま待つが、フィオナはもちろん、昼過ぎには戻ると言っていたはずのヴァンすらも帰ってはこない。
不安と焦燥がつのり、日も落ちようかという頃合いに、ふらりと待ち人が戻ってきた。
どこかぼんやりとしていたが、怪我もなく、無事な姿のフィオナに全員が安堵する。
だが、事情を聞いても不明瞭な答えしか返ってこず、少し混乱しているのだろう、と彼女が落ち着くのを待つことにした。
――それは、そんな矢先のことだった。
馬の嘶きが聞こえ、何事かとカミュが外の様子をうかがうと、いつも通り森に放していたはずのジェードが、興奮気味に門の前で暴れている。
ジェードは、主人に似て大人しく冷静な馬だ。
滅多に鳴き声を上げることもなく、逆に不気味なほどだが、そんな普段の姿からは想像もつかないほど激しく首を振る様子に、何かを訴えかけるような気迫を感じた。
「おい、ジェードどうしたんだっ?」
「珍しいな、こいつがこんなに興奮するなんて」
尋常じゃないジェードの様子に、家から飛び出したカミュとラウが首や胴を撫でさするが、落ち着く様子はない。
遅れて姿を見せたジークがジェードの視界に入るよう正面から対峙し、顎に触れる。
すると、そこで初めて目的を達成したように、馬はピタリと動きを止めた。
「……何かあったのか?」
大人しくなったジェードの翡翠の瞳が、物言いたげに主人を見つめる。
そこから何をくみ取ったのか――ジークの万事落ち着いた視線が森に向けられ、ほとんど同時に、複数の馬蹄が門まで届いた。
「何だ……?」
近づいてくる気配に、カミュが小さく呻く。
すると、不安が伝わったように、ジェードが身を震わせて嘶いた。
「ジェード、もういい」
主人の静かな声に、忠実な獣はたてがみを翻し、その場を走り去る。
――が、残された人間は逃げるわけにもいかない。
カミュは身構え、目前に広がる森を見据えた。
帳のように緑葉を繁らせた木々を縫い、繁みを踏み分けて姿を見せたのは、3騎の騎馬だ。
見事な白毛の馬を、2頭の鹿毛馬が守るように左右に従っている。
当然、馬上には彼らを繰る騎士の姿があった。
夕暮れのイアルンヴィズの森に現れた、3人の騎士。
「おいっ、何なんだよそいつら!」
ちょうどその時、2階で監視していたリッドが、玄関から飛び出してきた。
「リッド! お前、出てくんなっつっただろうが。ユーリはなにして……」
こういう事態にならないよう、ユーリがお目付役として待機していたはずだ。
振り返り、リッドを叱責したカミュは、そこであることに気付いた。
「――あれ? ジークどこいった」
そういえば、そのユーリの双子の兄であるジークの姿がない。招かざる客に気を取られ、いつの間にか彼が消えていることに気付かなかった。
同じように、今気付いたらしいラウが首をひねる。
「さっきまでいたような……」
「あの双子~っ」
カミュは頭を抱えた。
「まじぃぞ。ヴァンまだ帰ってねぇし」
ジェードの様子に、慌てて飛び出してきたので、今は武器を持っていない。
それに、例え武器を持っていたとしても、ジークと対等に渡り合ったという相手に、逆立ちしても太刀打ち出来るわけはなかった。
リッドを背に庇い、ラウとカミュが門の前で3騎を睨み上げる。
「――今日は戦いを挑みに来たわけではない」
警戒心も露わに対峙する3人に対し、中央の白馬の騎士が口火を切った。
「ここに白雪姫がいると聞いた」
とりわけ大きな声を出したというわけでもないのに、広い空間に、波紋のように広がる美しい低音。
歌わせれば淑女の魂まで飛びかねない美声は、上品な発音で、だがあくまでも居丈高に言葉を続けた。
「――すぐに引き渡せ、というわけではない。まずは無事である姿を確認したい。その上で、話しをさせてもらおうか」
ラウと目配せし、カミュは一度大きく息を吸ってから、相手を見据えた。カミュの意図を受け取ったラウが頷き、今にも飛び出しそうなリッドの両肩を押さえつける。
「――嫌だと言ったら?」
「その回答は、存在しない」
その言葉を合図に、両脇に従う2人の騎士が同時に武器を取る。
右手には、赤茶の髪が、沈みゆく夕日の下で赤々と燃え上がる若い弓騎士。唇を結んだ表情には年齢に不相応な潔癖さがあり、反抗的な3人を睨みつける目には、分かりやすい敵意が宿っている。
対して、左の馬上の人物は、長い前髪に目元が隠れ、その表情までは分からない。
騎士らしからぬざんばらな髪は、赤みの強くなった西日を受け、藍色がかって見えた。
だが何よりも、目映い白を金糸で縁取った揃いの軍服が目を引く。禁欲と洒脱を兼ね備えたそれは、一種の儀式的な美麗さを漂わせていた。
外見的特徴から言って、奇襲をかけてきた2人組に間違いない。だが、昨夜と一変したその華やかな制服は、彼らが一介の傭兵などではないことを如実に物語っていた。
そんな一枚の絵のような色の対比の中央に当然の如く収まり、見下ろしてくる男――年齢は20歳ほどだろうか。
燦然と輝く黄金の冠を戴くような、豪奢な金髪。
冬の湖を思わず薄氷色の眼差しは、冴え冴えとしながら、力強く他者を圧倒する。
まさしく王者の威厳を身に備えたこの男の素性は――聞かずとも自ずと知れるようだった。
「――貴様らが何者かは、あえて問わない」
紅を塗ったように赤い唇が動く。
整い過ぎた貌は、疑う余地もない自信と余裕によって、より一層その輝きを増していた。
彼には、見る者を惹きつける強烈な力がある。
「――ここは神聖な森。白雪姫が無事であるならば、貴様らがどの国を追われた罪人であろうとも、今ここでその罪を問わないと約束しよう」
白雪姫を傷つける気はない。無理に連れ帰る気もない。彼らを責めることもない。
最大の譲歩をしているはずなのに、そこには一欠片の気後れもなく、逆にこちらが追い詰められているような抑圧を感じる。
「…………」
カミュは、慎重に口を閉ざしたまま、相手を見据えた。瞬時にいくつもの行動パターンを想定するが、結論を迷う余地はなかった。
「カミュ! どうすんだよ、まさかこいつらの言うこと聞くつもりじゃ……」
それでも感情が邪魔をし、行動に移すことが出来ないカミュを、リッドの訴えが揺さぶる。
目を閉じ、静かに息を吐く。自然と、拳を握りしめた。
「……ラウ、リッドを頼む」
「分かった」
「おいカミュ?!」
3騎に背を向け、家に向かうカミュを守るように、ラウが相手と対峙したまま後ずさる。
暴れようとするリッドを引き留め、じりじりと後退する背の向こうで、カミュはスロープを上り、家の扉を開いた。
◇ ◆ ◇
「ウィルは、中に……」
家の中に踏み入り、フィオナの肩を抱いたカミュは、彼女と向かい合っていたウィルを振り返った。
カミュの表情には、己の無力さに対する悔しさが滲んでいた。その視線を受け止め、ウィルが静かに頷く。
「ウィル……」
「フィオナ、気を付けて」
肩に置かれたカミュの手から緊張が伝わり、フィオナは胸を支配する不安を和らげるようにウィルの名を呼んだ。
だが、いつも安心をくれるはずの彼の微笑みも、今はどこか力なく、胸をすり抜けていく。
カミュに背を押されるようにして、フィオナは重い足取りで戸口へと向かった。すぐ外にいたラウが、リッドを押さえたまま道を空けてくれた。
慣れたはずの戸を緊張の面持ちでくぐる。ウィルのために階段から差し替えられたというスロープを降りると、門の前に3頭の馬が並んでいた。
中央にいた馬上の一人と目が合う。
「確かか?」
それはフィオナに問われたものではなく、両脇に従う騎士に向けられたものだ。
左右の騎士が答えた。
「あれが白雪姫です」
「まー俺らも、近くで見るのは初めてですけど、多分間違いないでしょう」
「……なるほど」
アイスブルーの瞳が、真っ直ぐにフィオナを射貫く。その揺るぎない視線は、誰かに似ていると、フィオナは第一印象で感じた。
「あなたは……?」
驚くほど美しい男だったが、フィオナはそれ以上に、この顔も知らない騎士がなぜ自分をわざわざ探しに来たのかが気にかかった。
フィオナの疑問に答えたのは、右に控えた赤い髪の騎士だった。
「ここにおわすお方は、アルファザード王国第一王子、レナード=アレクサンドラ=ウル=アルファザード様であらせられる」
「アルファザードの王子……!」
西大陸一の大国の王子だ。しかも、第一王子ということは、次期国王陛下。
「その者、エルドラド王国第一王女、フィオナ=エレアノーア=ソル=エルドラドに相違ないな?」
あまりのことに言葉が出なかったが、答えないことは不敬にあたると感じ、フィオナは辛うじて頷いて肯定した。
「そうか――」
王子が口を開く。そこには、どこか芝居じみた感慨が滲んでいた。
「――死んだと聞いていたが、このような運命もあるものだな」
白馬を降り、藍色のマントを翻した王子が、フィオナから目を逸らさずに聞いた。
「ヴァリウス、彼女で間違いないのだな」
すると、どこから現れたのかと思うほどの静けさで、彼の左後方に一人の男が現れた。
背の高い黒髪の男は、その身丈に比べて細い身体を恭しく折り曲げた。
ゆっくりと上げられた面は不健康なほど白く、その中で異様な力を放つ切れ長の両眼が、爛々と漆黒の輝きを見せていた。
その眼に捉えられ、フィオナは身が固まった。
赤い唇が妖艶な笑みを刻み、慇懃な口調で彼は答えた。
「ええ、間違いありませんよ殿下――彼女が、『世界で一番美しい女性』です」
「ならば何の問題もない」
断言した男の回答に満足し、レナードはフィオナに近づいた。その動作の一つ一つが、舞台上の役者のごとく洗練されていて、美しい。
目の前で膝をついた相手に戸惑うフィオナに、彼はさらに驚くべき事実を口にした。
「迎えに来た――お前は、私の婚約者だ」




