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第三十五話 王子と三人の従者


 その日は、あいにくの空模様だった。


 朝から雲行きは怪しかったが、今、イアルンヴィズの森の上空を覆う雲は、暗くよどんでいた。重く垂れ込めたそこから雨が振り落とされるのは、時間の問題だろう。


 見上げ、アルヴィスは馬上からぼやいた。


「天気悪いっすねー。やっぱ今日じゃなくて良かったんじゃ……」

「明日は聖日祭だ。王子たる私が席を空けるわけにはいかない」

「そりゃそうでしょ。じゃなくて、聖日祭終わった後でも良かったんじゃないですか」


 どう考えても日取りが悪い。まっとうなアルヴィスの意見に、反論したのはしんがりを務めていたキアルディだ。


「そんな何日も、誘拐犯の元に白雪姫を置いておけるか! 状況を見極めろ、アルヴィス!」

「状況見極めた結果、そんなヤバそうじゃねーなーって俺は思ってるんだけど……」


 彼らは、白雪姫を守るような言動をとっていた。

 状況はよく分からないが、白雪姫が表向き死んだことになっていて、失踪している現状を考えると、彼女をなんらかの敵から守るために、共に身を潜めている従者なのではないかという予想も出来る。


「まあ、あの双子は気になるから、気は抜けねーけどな」


 大事な聖日祭の前日に、何をやっているのだろう。ぼさぼさの頭を掻き、アルヴィスは大いなるため息をついた。


 アルヴィスだって暇ではない。

 明日は、アース歴500年を記念する聖日祭。王子の晴れ舞台だ。


 正しくをアルファザード王国近衛隊第一王子特別親衛隊隊長という長ったらしくも畏れ多い役職名を賜るアルヴィスには、指示を出さなければいけないことも、確認しなければいけないことも山ほどある。


 そもそも人の上に立つのも、人を指揮するのも、まったく柄ではないのだが。


「あー、だりぃ」

「それ、今俺が一番言いたい台詞なんだから、取んなよ精霊」


 アルヴィスの背中で呻いた男――精霊は、両腕を伸ばし、大きく伸びをした。


 レナードが同行を命じた従者は3名。

 騎馬は、レナードの愛馬を含め3騎。


 3人目の従者は、馬を駆るのは嫌だと言い、アルヴィスの馬の背に同乗していた。


 信じがたいことに、彼はあり得ないバランス感覚であぐらを掻いて、馬の尻尾を眺めていた。


 アルヴィスとしても、落ちたところで知ったことではないので、いないものとして扱っていた。

 実際、落ちることも口を開くこともなく、ほとんどいることを忘れかけていた矢先のぼやきに、アルヴィスはちらりと後ろを振り返った。


 その常人離れしたバランスは別としても、黒髪の後ろ姿は、異様に白いことと、やたら目立つ容姿をしていること以外は、ごく普通の人間に見える。


「こーして見ると人間と変わんねーな。尖った耳と牙はどうした? あと、顔の変な模様」

「……んなモンつけて歩いたら、速攻役人か聖職者呼ばれるだろうが」

「へー、鏡の精ってのも意外と人の常識に縛られて生きてんだな」

「そりゃ、お前の主ほど常識脱ぎ捨てて生きてるヤツもそういねぇからな」

「お前の主だけどな」

「…………」


 どうやら落ち込んだらしい。いったん静かになった人型の精霊は、気を取り直すように付け足した。


「とりあえず、今の俺はただの人間と変わんねぇから、妙な期待すんじゃねぇぞ」

「妙な期待って?」

「んぁ? そうだな……村一つぶっ壊したり、王様を呪い殺したり……」

「絶対なるアース神さまぁー。ここに悪魔がいますぅー」

「あっ、てめ。なに通報してやがる!」


 精霊の突っ込みに、アルヴィスは嫌そうに口を曲げた。


「鏡の精にンなもん期待してねーよ。てかアンタの思考もどんだけ物騒なんだよ。勘弁してくれよ、俺、平和主義なんだからさー」


 ガシガシと頭を掻きながら愚痴る。


 面倒ごとというのは、起こるものではなく起こすものだ。起こす人間が周りにいるから、必然的に巻き込まれるのだ。


 アルヴィスとしては面倒ごとのない日常が理想なのだが、この世に生まれ落ちて19年、そんな安らかな日々を経験した記憶は一度もない。それもどうかと思う。


「しかもさっきから、何なんですかこの霧」


 主の視界を意識し、先頭を進むアルヴィスは纏わりつく霧を払った。

 天気の影響か、濃い霧が立ちこめ出していた。徐々に視界が白く染まり、いまや2馬身先の木の陰がぼやけて見える。


 アルヴィスは懐中時計を取り出し時刻を確認した。


「げっ、マジかよ……」


 朝早くから王都ファザーンを出発し、馬を飛ばしてオルフェンまで3時間。そこまでは計算通りだ。


 だが、南境の町オルフェンからイアルンヴィズの森に入って、すでに同じ3時間が経過していた。


 白雪姫が囚われている森の家の、だいたいの場所は把握した。

 見通しの良い場所が少ないので、あまり走らせるわけにはいかないが、順調に進めばオルフェンの町から馬で2時間はかからないはずだ。


 それが、この時点で3時間とは……そんなに時間が経った気はしていなかったが、これは完全に迷っているパターンだ。


「あー、こりゃあいつだな。気付かれたか」


 背中で精霊がなにやら呟いているが、取り合う余裕はない。


「相棒。どうやら迷ったようだな!」


 現状把握能力の低いキアルディにまで指摘され、アルヴィスは観念して馬を止めた。


「アルヴィス、策はあるんだろうな」

「そーですね」


 こういう時は基本、皆アルヴィスに丸投げだ。こんな謎の迷い方をする予定はなかったので、策もなにもないのだが、現状は打開せねばならない。


「あの家の近くに河が流れていました。川沿いを上れば、霧があっても近くまではいけるはず……下流までは確認してませんが、あの大きさの河なら国境を越えてアルファザードまでは流れ込んでるはずです。方角的に、多分カンソ川に続く水流だと思うんで……」


 記憶を手繰りながら、方向を指し示すため右手を挙げた。


「なんで、こっからだとずっと西に行けば河にぶつかるはず――」


 だが、空を見上げても太陽はなく、行く道も戻る道も白い靄に覆われた世界で、正確な方角を示すのは困難だった。


 霧は、彼らから方向感覚すら奪い取る。


「ああでも、この霧じゃ一旦引き返して、カンソ川を上った方が確実かね。マジで迷いの森だわ」

「へぇお前、意外に賢いな」


 背中から聞こえた偉そうな賛辞は無視して、アルヴィスは完全に方角が分からなくなる前に、来た道を引き返すことにした。



 その後ろで、ぽつん――と、水滴が木の葉の表面を叩いた。



 雨が降り出していた。





               ◇  ◆  ◇





 川上りは、割と険しかった。


 白雪姫のいる森の家がある場所は、エルドラド王国の国境から西へ緩やかに延びる台地の上にあり、平地の多いアルファザード南部から進む場合、高低差がある。

 西に行けば行くほどその差は広がり、カンソ川が流れる南西の町トルバドールから見るイアルンヴィズの森は、ちょっとした山のように聳えていた。

 また、川の上流は高台から削り取られたような渓谷を流れており、登るのは馬を使っても少々骨が折れた。


 イアルンヴィズの森は、こういった地形が多く存在する。


 大陸の中南部を覆う大森林地帯を水源とする水流は少なくない。川上りが楽であれば、この森が永き時に渡り、神聖不可侵な場所として残されることはなく、とっくにどこかの国が攻略し、我がものとしていることだろう。


 三騎だからどうにかなるが、これを部隊を引き連れてとなると、骨が折れるどころの話ではなく、意味なく多大な労力がかかるのは必至だ。


 深き森は神聖で、人の手で犯すべき場所ではない。


 森に逃げ込んだ罪人は追うなという古くからの言い伝えがあるが、それは森に対する信仰心だけでなく、案外現実的な採算を考えた結果、収支が合わないという結論に達したからではなかろうか。


 などと、アルヴィスがどうでもいい考察をめぐらしながら、渓谷を上り高台へと辿り着くと、穏やかな流れを湛える河と、見晴らしのいい川辺が広がっていた。


「本当にこんなところに白雪姫がいるのか?」


 馬を川辺で休ませ、水を飲ませている間、見渡す限り草と木と水しかない世界に、レナードがそんな疑問を口にした。間髪入れずキアルディが、背筋を伸ばして答える。


「間違いありません。殿下の忠実なる騎士キアルディ、この目でしかと確かめました!」

「まあ確かめたって言うか、返り討ちにあったっていうか……」

「だまれこのダルヴィス!」


 木に寄りかかりながらダルそうに補足するアルヴィスを、キアルディが余計なことを言うなとばかりに怒鳴りつける。

 束の間の休憩を取る間も、レナードの忠実なる少年騎士は落ちつきなくあたりを探索し、繁みの中を出たり入ったりしていた。


「何をさっきからきょろきょろしている、キアルディ」

「先日、この辺りで見たことない馬を見かけたんですよ」


 主の問いに、キアルディは身振り手振りを交えて説明した。


「真っ黒で、化け物みたいにでかい馬です。紫の目で……いかにもレナード様が好きそうな珍しい馬なんで、今度見つけたら捕まえようと思ったんですが」

「見つけた……って、あれどう見ても他人の馬だろ。てか人乗ってたし」


 所有者が黙って譲ってくれるわけはない。


「世界中のものはレナード様のもの、レナード様の物はレナード様のものだ!!」

「…………」


 さっそく突っ込みを放棄したアルヴィスを尻目に、レナードの碧眼に真剣味が宿る。


「その馬……」


 少しだけ考えるような間は、不自然なものではなかった。


「……キアルディ、その馬を探し出し、傷つけずに捕獲しろ。うまくやれば褒美をやる」

「マジですか! 僕超がんばります!」


 レナードの指令に、キアルディが歓喜する。すぐさま、馬と並んでぼんやり川面を眺めていたヴァリウスに命じた。


「おい、鏡の精、黒い化け物馬がどこにいるか教えろ!」


 人の姿をしたヴァリウスが、うるさそうに眉をしかめて振り返る。


「分かるわけねぇだろ。俺様は便利な珍しい物探知機じゃねぇぞ」

「ほんと、意外に使えねーよな。白雪姫の場所を聞き出すのも随分手間取ったし」


 アルヴィスが口を挟んだ。精霊の言う通り、魔法の鏡の使い方には制限があるらしく、聞き方が悪ければ望んだ答は返ってこない。

 


 曰く、鏡の精は、人間が正解を計れない「価値」への問いかけに明確な答を与えることが出来る。


 曰く、それは鏡が、本来人の姿を映し、その「価値」を見定めるために存在するからである。

 

 曰く、「価値」への問いかけに対する回答は真実である。


 真実の回答は、鏡の持つ魔力によって定められたものである。

 その基準は、他の何ものかの力によって立証することは出来ない、唯一の真実である。



 ――らしいのだが、どうもその基準は鏡の精霊であるヴァリウス自身も関知するところではないらしく、その通り何ものによっても立証できない。


(立証できない真実って、どうやって真実って証明するんだよ……)


 と、つい考えてしまうが、人が相対的にしか物の価値を計れないから、人以外のものが絶対的価値を示しているわけで、それを人が証明できるわけがなく、とはいえ証明出来ない答を真実と立証できるのかというと……と、堂々巡りの哲学論へ突入するので、アルヴィスはそういうものだと割り切ることにした。


 要するに、この態度の悪い魔法の鏡は、価値を示す「世界で一番美しい女は誰だ?」という質問には答えられるが、「白雪姫はどこにいる?」という質問には答えられない。当人(当精霊?)の言うように、便利な何でも探知機ではないからだ。


 ただし、鏡はその答を所有者が理解しない場合、さらに限定的な修飾語を足し同じ回答を繰り返す。

 これを繰り返すことで、目的の人物の居場所であったり詳細を限定することが出来ると分かったのは、かなりの間、鏡の前で押し問答を繰り返した後だった。


「どんだけ融通きかねーんだよ。お役所仕事か? 鏡の精霊ってのは」

「精霊には精霊のルールってもんがあんだよ。それに、野郎にサービスしてやる色気はねぇ。てめぇらの使い方が悪いだけだろ。ちゃんと俺の取扱説明書読めっつの」

「あんのかよ、そんなもん」


 初耳だ。あるならさっさと渡しておいて欲しいものだ。


「ローズに渡されてねぇのか?」

「あの魔法使いか? 聞いてねーよ」

「あいつ……相変わらずボケてんな」


 精霊が呆れたように呟く。魔法の鏡をレナードに売ったのは、少し前から繋がりのある魔法使いだ。常にとぼけた笑顔で、とぼけたことを言っているので、どこまでが本心なのかまったく分からない。


「やっぱボケてんのかよ、あの人」

「ボケてんだよ。あ、痴呆ってヤツかもしんねぇな。そろそろ」

「痴呆って……いくつなんだよ、あの顔で」

「さぁ……いくつだっけか? 覚えてねぇなすでに」

「…………」


 それ以上、アルヴィスは聞かないことにした。







 懸念していた霧が発生することもなく、行動を再開した4人は、見通しの良い平地が続く川沿いを進んだ。


「馬?」


 前方に、川辺で水を飲む栗毛の馬がいた。

 少し距離を置いて止まり、アルヴィスたちはその馬の様子を観察した。


 栗毛の馬は、しなやかで美しい体躯をしていた。こちらに気付き、じっと視線を3頭の騎馬に注ぐが、その場から逃げ出す素振りも、威嚇する気配もない。

 レナードが首を傾げた。


「野生の馬か? それにしては……」


 明らかによそ者である彼らの騎馬を見ても反応しないところを見ると、相当人に慣れている。


「レナード様、ここは僕が……」


 己の馬を前に出し、キアルディが近づく。

 慎重に歩みを進めながら、弓に手をかけようとするが、


「キア、威嚇するな」


 アルヴィスに制され、その手を引っ込めた。

 すると、不気味なほど静かだった馬が、大きく嘶き、前足を振り上げた。


「うわっ?!」


 突然の豹変に、油断していたキアルディと彼の愛馬が驚く。


「逃げたぞ!」

「追え。主の元へ向かうかもしれない」


 レナードの指示にすぐさま鞭を入れ、キアルディが栗毛の馬を追って繁みに飛び込んだ。

 森の中を器用にすり抜けていく馬を見失わないのは簡単なことではなかったが、精鋭揃いの王国近衛隊の中でも、最長射程を誇る長弓使い、第一王子特別親衛隊副隊長の視力は並外れている。


 先頭を走っていたキアルディは、木々の狭間から、見覚えのある森の家が覗くのをはっきりと捕らえた。


「はっはーっ。計算通り!」


 誇り、キアルディは手綱を引いた。間を置かずアルヴィスが追いつき、2騎は慎重に距離を測りつつ、家に近づいた。

 生い茂る草木の合間から見える家の様子を窺う。


 門の前では3人の男が、キアルディたちが追っていた一頭の馬を取り囲んでいた。

 騒ぎを聞きつけ、家から出てきたのだろう。


「おい、ジェードどうしたんだっ?」

「珍しいな、こいつがこんなに興奮するなんて」

「……何かあったのか?」


 赤毛の少年と、金髪の青年が、興奮する馬を宥めるように身体を撫でさする。

 最後に灰色の髪の青年が正面から顔を持ち、顎を撫でると、馬はピタリと大人しくなった。


「あいつ……っ」


 双子の片割れだ。どちらかは判別出来ないが、昨夜の苦い思いが蘇り、キアルディは弓に手をかけた。


「やめろ、キア。今日は奇襲をかけにきたわけじゃない」


 アルヴィスが制止する。遅れて追いついたレナードが、森の家を一瞥する。


「それが例の家か」

「レナード様、どうします?」

「面白い」


 門前の男達から視線を外さず問うたアルヴィスに、レナードは形の良い唇を歪めた。


 白馬の腹を蹴り、彼らの前に出た主が号令した。


「行くぞ。アルヴィス、キアルディ、ヴァリウス!」

「ハハッ」  


 二つの声が応え、


「ふぁー……」


 一つのあくびがそれに重なった。

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