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第二十一話 屋根裏部屋で


 とりあえずは、床に転がっているものから拾い集め、フィオナは部屋を片付け始めた。


 が、散らかした当人はというと、奥のボロボロのソファにだらしなく身を預け、ぼんやりと眺めているだけだ。

 ソファの手前に置かれた、背の低い机の上には紙が広げられていて、何か設計図のようなものが細かく書き込まれていた。


 ユーリの趣味は『発明』らしい。


「だいたいがガラクタ」というのはカミュの談だが、話を聞く限りでは、回転式ドラム洗濯機や、ウィルの車椅子など、それなりに生活の役に立つものも作っているようだ。


 それにしてもウィルの予想通り、目も当てられないことになっている。


 だいたい、こんなに足の踏み場のない状態で作業して、効率が悪くならないのだろうか。何がどこにあるのか、分からなくなりそうだ。


「こんなに汚くしていたら、不便じゃない? どうして片付けないの」

「んー、やりたくないから?」

「掃除だって、ジークにばかり押しつけてるじゃない」


 文句を言いながら、ガラクタを拾う。

 別に、自分だって言うほどこの家に貢献できているとは思わないが、ユーリの生活態度には、ついつい小言を漏らしてしまう。


 ユーリとジークは双子だが、性格は正反対だ。

 ジークはあまりしゃべらないし、積極的に人とコミュニケーションを取るタイプではないが、自分の役割に対しては責任を持って取り組む姿勢がある。


 掃除はいつも朝の決まった時間にやって、夕食後は部屋の散らかったものを片付けている。

 町に出掛けるのだって、一応は交代制らしいが、ジェードがジークの馬ということもあり、一番頻繁に請け負っているのはジークだ。


 対するユーリは……朝は朝食ギリギリに起きてきて、食後は気が付いたらいなくなっている。

 ティータイムや夕食には姿を見せるが、それ以外はどこにいるか、分からないことの方が多い。

 唯一、夕食後には、決まってリビングで、リッドとカミュとラウの四人でカードゲームに興じるので、その間は姿が確認できるくらいだ。


 一体何をしているのか、どこに行っているのか……ほとんど謎である。


 そんなことをつらつら考えていると、ごろりと足下で何かが転がった。


 掴みあげてみると、何かと思えば、木彫りの人形だった。


(……何に使うのかしら)


 呆れた目でそれを眺めていると、背中からユーリの声が聞こえた。


「ジークが何で、黙って全部やるか知ってる?」


 振り向くと、ユーリがソファの上で片膝を立てながら、こちらを眺めている。


「面倒臭いんだよ。ボクと話して、説得するっていう一連の作業が、無駄だと思ってるワケ。ま、妥当な判断だよねェ」


 ユーリが、唇に薄い笑みを敷いた。

 いつまで経っても、フィオナはこの笑みの真意を知ることが出来ない。彼は一体どんな感情で、笑っているのだろう。


「ボクが何をやっても、誰も特に何も言わないでショ? 何でだと思う?」


 同じ笑みで問いかけてくる。

 フィオナが答える前に、ユーリが回答をくれた。


「無駄だからだヨ。理解するのも、解り合うのも――」


 その言葉はいつも通り軽薄で、難解だ。


 ただ、フィオナを含むこの家の住人を、どこか突き放した物言いだということは分かる。


「だからアナタも、無駄だと諦めた方がいいんじゃない?」

「諦めないわ」


 その言葉だけは絶対に違うと思って、フィオナは即答した。


「私は、あなたを理解したい」

「無駄だヨ」


 今度は、ユーリが即答して、酷薄な笑みで付け足す。


「まァ、例え理解したとしても――その先に道はない。理解しても、解り合えない。だったら、理解なんてするだけ無駄だと思うけどねェ?」


 彼の言う『解り合う』というのが、同じ価値観を共有し、共感することだというなら、確かにそれは難しいのかもしれない。


 フィオナは、父の考えを、価値観を、理解していた。理解することは出来たが、共感することは出来なかった。

 共感することは出来なかったが――理解していたからこそ、父の言葉に従ったのだ。


 この家に集った7人は、誰もが個性的で、性格もバラバラだ。

 だが、一つの空間と時間を共有し、暮らしている。

 そんな彼らと暮らすことで、フィオナ自身、分かったことがある。


「解り合えなくても……同じように感じることが出来なくても、理解すれば、思いやれるわ」


 ユーリの視線を真っ直ぐに見返し、フィオナは言い募った。


「その人のためにどうすればいいのか、考えることが出来る」


 朝、ラウは「ウィルのために花を育て始めた」と言っていた。

 例え、ラウがウィルと同じように「花を好きだ」と感じていなくても、ウィルのことを理解することで、何をすれば彼が喜ぶのか、考えることが出来るのだ。


「ふゥん……」


 息を吐くだけのユーリの相づちは、面白そうにも聞こえ、面白くなさそうにも聞こえた。


「アナタは、ボクのために何かしてくれるんだ?」

「出来ることがあるなら、したい。役に立ちたいの」


 昨夜のヴァンを思い出す。あの時、彼は何かを思い詰めているようだった。


 それでも、短い会話の後、感謝の言葉をくれた。

 フィオナの言葉が、なんらかの形で、ヴァンに『エネルギー』を伝えたのだ。


(私は今、ユーリにちゃんと伝えられてる……?)


 言葉にはエネルギーがある。ちゃんと伝えようとする思いが、言葉以上に相手に届く。

 ウィルに教えてもらったラウが、フィオナに教えてくれたことだ。


 理解することを『無駄だ』と切り捨てる彼に、この言葉は届いているのだろうか。


「かわいいねェ」

「!?」


 返ってきた言葉は予想だにしなかったもので、フィオナは拳を握り締めぷるぷる震えた。


「ひ、人の話、聞いてる……ッ?」


 怒っていいのだろうか。これは。


 人に対して本気で声を荒げた記憶は、フィオナの覚えている限りではない。


「アナタ、頭カタいって言われない?」

「へっ……?」


 人生初の怒鳴るという行為を検討しているところに、突然指摘を受け、フィオナは間抜けな声を出した。


 そんなことは、言われたことがない。


 というか、言ってくれる人間などいなかった。

 城には、たくさん人はいたが、みな割れ物を扱うようにフィオナに接していた。

 面と向かって性格を指摘されることなど、ほとんどなかった。


 もちろん、頭ごなしに怒鳴られたことなど皆無で、そのせいでヴァンと出会ったばかりの頃は必要以上に怯えてしまって、嫌われていると思い込んだものだ。

 けれど、悪いことをした時に怒ってくれる人がいるのは、ちゃんとその人が自分と向き合ってくれているからで、怖いと思う反面、嬉しい気持ちがある。


「私、頭固い……デスカ?」


 思わず尻込みして、敬語で聞いてしまう。


「そうだねェ……カタいっていうか……ココロをアタマで考えるタイプ?」


 膝の上に頬杖を突き、唇を歪めるユーリの目は、優しいような、哀れむような、そんな色をしていた。


「誰かサンそっくり」

「誰かサン……?」


 フィオナの知っている人間だろうか。


 一緒に住んでいるメンバーを思い浮かべてみるが、見当がつかなかった。というか、『心を頭で考えるタイプ』というのがよく分からない。


 考えていると、ユーリが天井にぶつからないよう、背中を丸めて近づいてきた。

 フィオナのおかげでスペースが出来た床に膝をつき、手を伸ばしてきたかと思うと、急に視界が回転した。


「ユ、ユーリ?!」


 埃っぽい床に押し倒され、見慣れない眼鏡をかけた、見慣れた笑顔を見上げる。


「さァて、ナニして遊ぼう?」


 本当に、会話が通じない。


「掃除を! 掃除をしましょう……!」

「えー」


 唐突すぎる行動に、じたばたと逃れようとするが、両腕をひとまとめに拘束され、身動きが取れない。


「じゃあ、交換条件」


 指先が頬に触れ、唇の下をなぞる。ユーリの薄い唇が、とんでもないことを口にした。


「お姫サマがボクを満足させてくれたら、掃除をさせてあげる」


 そもそも掃除をするのはフィオナではなく、ユーリだ。


「ま、満足……?」


 彼が人をからかって喜ぶ性質なのは知っている。主にリッドが犠牲になっているが、リッドを怒らせるとき、彼は至極楽しそうだ。

 今も十分からかわれている気がするが、これ以上何を求めるつもりだろう。


「何をすればいいの?」

「そうだねェ……例えば……」


 考えるような素振りを見せ、ユーリが眼鏡を外した。

 見下ろしてくる顔から、ふっと表情が消える。そんな真剣な目をすると、本当にジークとそっくりだ。


 けれど、ゆっくりと近づいてくる彼の貌の――右の目元にあるほくろが、少しふたりの印象を変えていた。

 意識してほくろを注視していたが、そのうち、それも叶わなくなる。吐息がかかるほどの距離で、視線が絡む。


 頬をくすぐる指先の感触すらも気にならなくなるくらい、視界を占める翠に目を奪われていた。



 翠。



 この双子の瞳には、独特の力がある。


 ――目眩がする。


 これ以上見つめられると頭がおかしくなりそうで、フィオナはぎゅっと目を瞑った。



 どんどんっどどどんっ



 背中を突き上げるようなリズミカルな振動が、床から伝わった。


「ユーリーめしだぞー!」

「…………」

「めーしー!」


 リッドの元気な声が、階下から響く。


 ハッと我に返り、フィオナは大声で叫んだ。


「い、今行きます!」

「あ、そうだフィオナじゃん。ちゃんと掃除させてるかー?」

「え、えーと……あ、あんまり……」


 フィオナの存在に気付いたリッドと、床越しに会話する。


 すると、ユーリが顔を上げ、憮然と睨みつけてきた。正確には、フィオナの下にいるであろう、2階のリッドを睨んだのだと分かる。


「ほんと、イイトコロを邪魔してくれるねェ、このお子サマは」


 ユーリの腕が解かれ、解放される。


 慌てて彼の下から這い出し、フィオナは部屋の最奥まで逃げ込んだ。背の低い机に突っ伏し、心臓を抑える。


(な、ななななな……)


 抵抗するのを忘れていた自分に驚く。

 今更ながら心臓がバクバク言っていた。知らないうちに、息をするのすら忘れていたのかもしれない。


(い、今、何されるとこだった……!?)


 頭がよく回らない。とにかく酸欠で動悸息切れで大混乱だ。


「あっ!? なんか言ったかユーリ!」

「イーエ、何も」

「誰がお子様だ、誰が!」

「聞こえてんじゃないデスカ」


 ふたりのやりとりが、なんだか遠くで聞こえる。


「お姫サマ何してんの?」


 突っ伏して息を整えていると、まったく人ごとのようなユーリの声が飛んでくる。

 言い返そうとしたところで、指先に何かが絡まりフィオナの意識はそちらに向いた。


「糸……?」


 机の上には、適当に巻かれた透明の糸が積まれていた。

 どうやら、その糸山の中に知らず手を突っ込んでいたらしい。


 裁縫糸にしては太い。それに、少し伸縮性がある気がする。試しに引っ張ってみるが、なかなか丈夫だ。


「あァ、ソレは触わんないで」

「あ……ごめんなさい」


 咎められ、反射的に謝る。同時に、ガタガタと音がして、フィオナは何事かと振り返った。


「早く行かないと、うちのシェフがうるさいよ?」


 見ると、屋根裏部屋への出入り口に、簡易な梯子が降ろされていた。


「……あるんじゃない……」



 梯子。



 どこまで人をからかうのだろう、この男は。


「どーぞ、お姫サマ」


 どっと疲労が襲い、フィオナはのろのろと出入り口に近づき、ユーリの手を借りながら階下に降りた。こういうときだけ紳士的だ。


 2階の床に足がつくと、元の世界に戻ってきたような安心感があった。

 綺麗な床、明るい室内、清涼な空気。実に落ち着く。

 リッドは廊下でホウキを手に仁王立ちしていた。どうやら、これで天井を叩いていたらしい。


「おっせーぞ、ふたりとも。早くしねーと料理が冷めるってカミュが……ってオマエ、どうした?」


 屋根裏から降りてきた二人に、さっそく文句を投げつけるリッドが、顔を覗き込んでくる。

 まだ顔の火照りが収まっていないので、あまり近くで見られたくはなかった。


 頬を抑えて身を引くと、リッドの眦がつり上がり、フィオナの背後に向く。


「おいユーリ! またフィオナに手ぇ出したんじゃねーだろうな!?」

「またとは人聞きが悪い。まともに手を出したのは今回が初めてだヨ」

「はぁっ?!」


 さらりと言って、階段を下りていくユーリ。

 肩を怒らせ、リッドがフィオナを振り返った。


「おいっ、フィオナ! アイツに変なことされなかっただろうなっ?」


 ブンブンと首を横に振る。


 されていない。されていない……はずだ。

 首を振っているうちに、自分でもどこまでが『変なこと』なのか、よく分からなくなってくる。

 が、リッドに心配はかけたくなかったので、疑いの視線から目を逸らし、フィオナも早足に階段を下りた。





               ◇  ◆  ◇





 昼食の席はもう整っていて、カミュが腰に手を当てて待ち受けていた。


「こらー、遅いぞー」

「ごめんなさい、カミュ」


 謝ると、口を尖らせて怒った顔を作っていたカミュが、お茶目な笑みを見せた。

 本気で怒ってるわけじゃない、という合図のようで、そんな気遣いを見せるカミュにフィオナも微笑み返す。


「ユーリ、食べるときは、その埃だらけの白衣は脱いでね」

「はいはい」


 白衣のままで降りてきたユーリに、ウィルが注意する。眼鏡は外していた。


「洗濯するから、洗い物のところに出しといて」

「はーい」


 間延びした返事をするユーリ。ちゃんと聞いているのか疑問になる。


 ダイニングには、おいしそうな匂いが充満していた。

 その匂いに誘われるように、急速に空腹感がやってくる。

 今すぐテーブルにつきたい気分だったが、フィオナは、自分が手にしている掃除道具を思い出した。


「その前に、これを片付けてくるわ」

「そうだね。それは奥の物置に――」

「こっちね」


 ウィルとヴァンの部屋がある方だ。


「早く食べたい」という気持ちに押され、フィオナが少し駆け足で、窓の前を通り過ぎようとした、その時――


「フィオナ!」


 鋭い風を切る音と、硝子の割れる音。

 急に肩を掴まれ、床に身体を押しつけられる。


「……ッ」


 小さな呻きが耳元で聞こえた。


「オイ、ユーリ大丈夫か!?」

「ウィル! 怪我は?!」

「おい、今のって……っ」


 飛び交う声。

 一体何が起こったのか、理解できないまま、フィオナはユーリの胸に抱えられていた。

 我に返り、慌てて身を起こす。窓硝子が割れ、あたりに細かい破片が飛び散っていた。


 部屋を見回し、息を飲む。


 壁――ダイニングとキッチンを仕切るカウンターだ――に、1本の矢が突き刺さっていた。


 壁に食い込む、鋭い(やじり)


 そのすぐ真横――それこそ、肩口でゆるく束ねられた髪の数筋を掠めるほどの距離に、ウィルの顔があった。


 透き通るような白磁の肌は、今は青ざめ、血の気がない。

 表情を強ばらせたまま、その場から微動だにしない彼は、本当に陶器の置物になってしまったようだった。


「オレ、見てくる!」


 ラウが、慌ただしく家の外に飛び出す。


「フィオナ、大丈夫か? ……ッユーリ、オマエ……!」


 駆け寄って来たリッドが、顔をしかめる。 


「ユーリ……?」


 ユーリの様子がおかしい。

 フィオナは、先ほどから床に蹲ったままのユーリの身体を揺すった。


「……っ!?」


 右肩に触れた時、ぬるりと湿った感触があった。

 左手が赤く汚れる。

 フィオナは、全身から血が引いていく音を聞いた気がした。




「ユーリ!」




 ユーリの白衣が、鮮血に染まっていた。



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