第十九話 世界で一匹の蝶
その小さな家では、1人の人間と、1匹の精霊のティータイムが続いていた。
「でさー……聞いてる? レイン」
「聞いてますよー。うん、やっぱり紅茶はアルファザード産のプリンス=オブ=ファーザーンが一番ですね。この、独特のフレバー……」
「もう、レインったら!」
「分かってますよ。ええと、何でしたっけ? あの子の話ですよねぇ」
「そうだよ。……ねぇねぇレイン。なんで人間にとって、『楽しい』と『幸せ』ってちがうの?」
「そんなこと、誰が言ったんですか?」
「レインはちがうの?」
「考えたこともないですねぇ。だいたい、幸せってなんですか? 楽しいとなにが違うんですか?」
「なんでぼくが質問返しされなきゃいけないのさ」
ぷぅ。と精霊が頬を膨らます。
「レインに人間のこと聞いたのがまちがいだったよ」
「失礼ですねぇ。私は一応人間ですよ?」
「『一応』ね」
カラカラカラ……
小さな檻の中では、1匹の白ネズミが、小さな滑車を回し続けていた。
「まあ一つ言えるのは……」
ずっ……と、紅茶をすする音。
「人間っていうのは、儚い生き物なんですよ。だからその分、たくさんのことを考えて、たくさんのことを求める。よくばりなんです」
「ふぅん」
「しあわせっていうのは、そういう人間独特の感性なんじゃないですか?」
カチャン、とティーソーサーにティーカップが置かれる。
「幸せか不幸せか。『人生』というのを一つの短い区切りとして、評価しようとする。無意味な気もしますけど、彼らにとっては意義のあることなんでしょう」
「ほんとひとごとだよね。レインにとっては無意味なわけ?」
「無意味ですねぇ。滑車を回しているネズミが、『オレは今何キロ地点を走っているぜー!』っていちいち計算しているくらい無意味です」
「うわぁ。それすごく無意味だねぇ」
カラカラカラカラカラ……
滑車が回り続ける。
レインは、アルファザード土産の焼き菓子にかぶりつきながら、傍らの棚に置かれたネズミ小屋を見やった。
彼の背後には、この小さな家には不相応な、華美な装飾の施された大鏡が鎮座している。
「ネズミはなんで滑車を回してるんでしょうねぇ」
「なんでだろうね? それこそ無意味じゃない?」
向かいに座る精霊は、ネズミが滑車を回す理由には興味がないらしい。
「多分、楽しいからじゃないですか?」
◇ ◆ ◇
その日も、爽やかな朝だった。
大きく伸びをして寝台から起き上がり、フィオナは窓のカーテンを開けた。
朝鳥の声が聞こえる。
差し込んでくる日差しに目を細め、窓を開けると、新緑の薫りがした。
春風が頬を撫でる。その風に乗って、聞き慣れた声が届いた。
「おはようみんな! 今日も元気に咲いてるかー?」
もう、すっかり慣れてしまった朝の風景だ。
「ラウ! おはよう!」
花壇に水を巻いているラウの後ろ姿に、二階から声をかける。
明るい金髪が、朝日を浴びてキラキラと輝くのが眩しい。
ラウには、晴れた朝がよく似合う。
「よっ! 姫サン! 今日も元気かー?」
腕を振り上げての声かけは、花にするのと全く同じもので、思わず笑ってしまった。
心地よい朝の空気に誘われ、フィオナは部屋を出ると、早足に階段を降りて庭に出た。
「今日も朝早くから、精が出るわね」
家の横手に回ると、軍手に、首にタオルとすっかり畑仕事のようなスタイルのラウが、満面の笑みで迎えてくれた。
「ああ、朝ご飯は花にとっても活力の元だからな! いっぱい食って、元気に咲けよーおまえらー」
これも、いつかと同じ会話だ。
「ラウは、本当に花が好きなのね」
何気ないセリフのつもりだったが、ラウが不思議そうな表情を見せた。
「そう見える?」
「ものすごく、見えるけど……?」
「……アタリ」
ニッと、白い歯を見せて笑う。フィオナもつられて笑った。
「ねぇ、私も手伝う」
「お、じゃあよろしく。花壇はもう終わったから、次は裏庭な」
裏庭には、様々な野菜や果物の、栽培農園がある。
この森から町は遠い。自給自足が出来るに越したことはないため、ラウが色々と試しに育てているのだ。
「この森は資源も豊富だけど、やっぱり先住民は動物たちだから、あんまりオレ達が荒らすのも悪いしな」
「やさしいのね、みんな」
フィオナは、彼らに『住まわせてもらっている』感覚だが、彼らは森に『住まわせてもらっている』という気持ちで生活しているらしい。
「っていうか、ヴァンとウィルがそういうとこ厳しいからな」
「あの二人は、この家のリーダーよね」
畑に水をまきながら、たわいのない会話をする。
「そうだな。一番古くからこの家に住んでるし、一番年上だし……やっぱり、何かと頼りになる」
「ウィルとヴァンと、ユーリとジークは、兄弟だから一緒にこの家に来たのよね? あとのみんなは、バラバラに来たの?」
聞くと、ラウはちょっと意外そうな顔をした。
「そういや、その辺の話もしてなかったか。えーと、最初にヴァンとウィルがこの家を見つけて、その後しばらくしてジークとユーリが来て、ちょっとしてオレとカミュが加わって、しばらく後にリッドが転がり込んできて、一番最近が姫サン、かな」
指折り数えるラウ。
「ラウとカミュは一緒に来たの?」
それは初耳だ。
確かに、二人は普段から特に仲がいいので、昔からの知り合いというなら納得だ。
「ん~まあ、ね。ちょっと訳ありで……」
やはりこの話題になると、ラウはいつもの明るい表情をかげらせた。
「カミュは大事な親友だ。幼馴染み、ってやつかな。親同士も交流が多くて」
そこで、一度会話が途切れてしまった。
「あ、姫サン。ちょっとたんま」
何かに気付いたように、ラウに呼び止められる。
水をまいていた手を止めると、じっと見つめられた。
「どうしたの? ラウ……」
ラウが軍手を外して近づいてくる。
腕が伸び、男の人らしい骨張った指が、両頬を包んだ。
「……頼むから、このまま……」
彼があまりにも真剣な顔をするので、フィオナは何も言えずに見つめ返した。
「じっとして……な?」
囁くような声。近づいてくる蒼の瞳は、真っ直ぐで淀みない。
鼻筋の通った精悍な顔は彫刻のようで、少し異国の雰囲気がした。
周囲のムードメーカーとして、いじられたりとぼけたりすることが多いが、真面目な顔をしていると、とても紳士に見える。……もちろん、普段から紳士なのだが。
「よしっ、つかまえた!」
普段と違う雰囲気に飲まれていると、そんな声と同時に、表情が変わった。
輝く笑顔で彼が見せてきたのは、1匹の蝶だった。
「頭に止まってた。きっと、姫サンのこと花と間違えたんだな」
そっと、傷つけないように羽を摘んでいた手を放すと、蝶は逃げもせず、差し出された指先に止まった。
じっとラウの指にとまる蝶を観察する。
花のように開いた羽は、虹のごとく鮮やかな7色だ。
それらの色がかたどる模様は、複雑で繊細な変化に富み、芸術家の作品のように心を惹きつけた。
光沢のある羽は、朝の日差しを反射し、淡く輝いて見える。
「綺麗……」
「この蝶は、世界に1匹しかいないんだ」
「世界で1匹?」
「種類は一緒なんだけど、生まれてくる子供の柄が全然違うんだってさ。不思議だよな? 普通、子どもって親に似るもんだと思うけど」
驚くフィオナに解説しながら、ラウは優しい表情で、指先の蝶を愛でている。
「だから、そいつら1匹1匹が、全部世界でただ一匹の蝶なんだってさ。以上、ユーリの受け売り」
「ユーリって、物知りなのね」
「あいつ、ああ見えて意外に頭いいんだよな。聞いたら何でも知ってるし……よく嘘もつくけど」
蝶を放したラウが、それを目で追うフィオナをじっと見つめた。
「どうしたの?」
「ん? いや……さっきの姫サン、頭に虹色の髪飾りつけてるみたいで、すごく可愛かったなぁと思ってさ」
「ラ、ラウ?!」
「ちょっと惜しかったかなー、ウィルに見せて、絵に描いてもらえば良かったかも」
「ウィルに?」
「あいつの水彩画、見たことある? 上手いぞ」
そう言ってから、ラウは思い直したように歯を見せて笑った。
「まあいいや。オレだけの特別ってことで。ラッキー」
「…………」
無自覚にざくざくと投げられる好意は、深い意味はないと分かっていても、つい気になってしまう。
ユーリやカミュのように、分かっていてからかわれるのとは、また違うこそばゆさがある。
「……ラウってなんか、恥ずかしいわ」
「えっ、オレ恥ずかしいっ?」
ぎょっとするラウ本人には、まったく自覚はないらしい。
「でも、ウィルが絵を描くなんて初めて聞いたわ。もしかして、たまにヴァンと出かけてるのも絵を描くため?」
「ああ」
それはとても良いことを聞いた。
今度見せてもらおう、とフィオナが思っていると、
「……姫サン、花好きかって聞いたよな」
「え?」
唐突な切り出し方に、記憶を探る。
確かに、雑談の中でそんな感じのことを聞いた。
とはいえ、聞くまでもなく、あんなに花に愛情を持って接することの出来る人が、花が好きでないはずはない。
「実は、最初はそうでもなかったんだ」
「花?」
「ああ。嫌いじゃなかったけど、特別興味もなかった。綺麗だとは思うけど、わざわざ育ててまで……って感じかな」
「じゃあ、どうして?」
「ウィルが好きなんだよ、花」
ああ、と声に出して納得してしまいそうになる。
ウィルと花。似合い過ぎる組み合せだ。
「この森、色んな植物が群生しててさ。今度姫サンも連れてってやるけど、ちょっと足を伸ばしたら、すごい風景に出会えたりする」
フィオナは頷いた。昨日、リッドと素敵な景色に出会ったばかりだ。
あんなところが他にもあるなら、ぜひ見てみたかった。
「ウィルはあんまり遠出できないだろ? だから、せめて……って感じかな。花があるのは誰だって嬉しいし、好きならもっと嬉しいだろ。やってくうちに自分もどんどん好きになっていくし、割と凝り出したら止まんないんだよな」
そう言って、太陽の下で爽やかに笑うラウは、とても輝いて見えた。
「それに、姫サンも来てくれたし」
「私?」
「やっぱ、好きな人が見てくれると嬉しいだろ?」
「……えっ?」
「姫サン、好きだろ? 花」
「……あ、うんうん! 好きよ!」
首を傾げるラウに、慌てて頷く。一瞬、別の意味を考えてしまったのは内緒だ。
「喜んでくれる人が増えると、やりがいも増えるよな!」
以前、ラウはウィルに『言葉の伝え方』を教えてもらったと話してくれた。
きっとこの二人の間にも、フィオナには見えない絆が存在するのだろう。
昨日、リッドと話してて思ったことを、改めて強く思う。
「この家の人たちってみんな個性的だけど……ちゃんと、お互いを思い合って生活してるのね」
家族じゃないけど、家族のような存在。
(私も、その一員になれたらいいのに……)
「うーん……そうなのか? いや、どうなんだろ……」
首を捻るラウ。その時、風に乗って声が聞こえた。
「カミュが呼んでるわ。朝ご飯みたい」
空になったジョウロを持って立ち上がり、フィオナは空を見上げた。
今日も、透き通るような快晴。ラウの瞳と同じ色だ。
「よっし、メシだー」
ラウが元気な声を出す。
風に乗って、カミュの「うるさい」という声が聞こえてきた。
そんな日常の一コマにも、笑ってしまう。
――――
「……?」
ラウの後をついて家に戻ろうとして、フィオナは一度立ち止まった。
今、誰かに見られているような気がしたのだ。
振り返るが、そこにはラウの自家栽培園と、その奥にイアルンヴィズの森が広がっているだけだ。
(やっぱり、気のせいかしら……?)
ルイロットが遊びに来ているのかもしれない。
この森には、フィオナたち以外にもたくさんの生き物が棲んでいる。
あまり過敏になることはない、と自分に言い聞かせ、フィオナはラウの後を追った。




