第十二話 特別じゃない日々
どうにも頭の中がぐるぐるしていて、フィオナは、とりあえず目についた店に足を踏み入れた。
実は買い物をすること自体がはじめてで、手順は市場でジークを見ていて分かったが、陳列されているものが高いのか安いのかもよく分からない。
店の女性に尋ねたところ、妙に気に入られてしまい、あれもこれもと勧められた末、なんとかフィオナは、その店で一番安くて動きやすい服を買った。
少し疲れながら店を出ると、一瞬どっちから来たか考えてしまう。
キョロキョロとあたりを見回し、ふいに、メインストリートから伸びる路地に目がいった。
覗いてみると、そこにも下町らしい風景が続いていた。
もうそろそろジークの元に戻らなければいけない、と思いつつ、好奇心が疼く。
(ちょっとだけ……)
と、足を踏み入れようとしたその時。
「――そこの女、ちょっと止まれ」
「!」
背後から声をかけられ、フィオナは振り返った。
「これは……おい、通報があったのは、この女で間違いないな」
「ああ、そうだろう。確かに……」
町役人姿の男が二人、顔を見合わせ話し合う。
(なんだろう……?)
様子がおかしい。もしかして、正体がばれてしまったのだろうか。
嫌な予感がして、フィオナは一目散に逃げ出した。
「おい! ちょっと待て!」
路地に駆け込むと、男たちが追ってくる。
捕まったらどうなるのだろうと思うと、いてもたってもいられず、フィオナは役人たちを巻くように細い裏路地を曲がった。
「はぁ、はぁ……」
物陰に身を隠し、息を整える。
「どっちだ?」「お前は向こうを」そんなやりとりと足音が遠ざかり、フィオナはようやく緊張を解いた。
早く、ジークの元に戻らなければ。
「お嬢さん、一人かい?」
「!」
気を抜いたときに声をかけられ、フィオナの心臓は大きく跳ねた。胸に抱え込んだ包みが、ガサリと音を立てる。
見ると、ジークと同じくらいの年齢の青年が二人、笑顔でこちらを見ている。
「お、超かわいいー」
「女の子ひとりで、こんなところ歩いて、危ないなぁ。俺たちが守ってやるから、ちょっと付き合ってよ」
「け、結構です!」
慌てて逆方向に駆け出す。男のうち一人が、誰かに指示を飛ばした。
「おい、そっち行ったぞ!」
「りょーかい」
「!」
逃げ道を塞ぐように、路地の先から別の男が2人、姿を現す。
彼らは偶然声をかけたというわけでなく、あらかじめターゲットに目を付け、仲間を呼んでいたらしい。細い裏路地で退路を塞がれ、フィオナの足はすくんだ。
4人の男が、じわじわと距離を詰めてくる。
「だ、誰か……!」
「呼んだって誰も来ねぇよ!」
正面から近づいてきた男の手が伸びる。下品な嘲笑に、フィオナは目を瞑った。
「――残念だが」
「ぐっ……!?」
「……その娘は、俺が守ることになっている」
「ジーク!」
フィオナに手を出そうとした男が昏倒する。
そこには、鞘に収めたままの剣を手にしたジークが立っていた。剣を持っていない方の左腕には大きな包みを抱え、その手で器用にクレープを2つ持っている。
「ンだてめぇ……がはっ」
突然背後に出没したジークに、隣にいたもう一人が殴りかかろうとする。が、鳩尾を鞘で突かれ、呆気なく崩れ落ちた。
「なんなんだこいつ……くそっ」
「きゃっ」
最初にフィオナに声をかけた男が、舌打ちして後ろから肩を掴んできた。
「てめぇ、大人しくしろ! この女がどうなっても――がっ……」
「……彼女に触るな」
陳腐な言葉を吐き終わる前に、男の鼻柱に鞘の先が叩きつけられる。ゴッ……と鈍い音がフィオナの耳元で聞こえ、掴んでいた手が離れた。
重い音を立て、仰向けに倒れ込んだ男を振り返ると、白目を剝いて気絶している。
「ひ、えっ……覚えてろっ!」
残る一人は、倒れる仲間の身体を避けるように後ずさり、そのまま捨て台詞を吐いて逃げ出した。
「……大丈夫か」
「…………」
一瞬の活劇に言葉が出ず、フィオナは黙って2回頷いた。
片手で、鞘から剣も抜かずに4人を片付けてしまった。
「……あまり離れるなと言っただろう」
「ごめんなさい」
静かな声で諭され、フィオナは素直に頭を下げた。
甘い香りが鼻先を掠め、顔を上げると、ジークがいつも通りの無表情で、クレープを一つ差し出していた。
申し訳ない気持ちとありがたい気持ちがない交ぜになる。クレープを受け取って礼を言ったところで、フィオナは先ほどの役人の件を思い出した。
「そうだ、ジーク! さっき、町のお役人が……」
「役人?」
「……私のことを、知ってるみたいだったの。急に追いかけられて、つい逃げ出しちゃって……」
「……ああ、そのことか」
「何か知ってるの?」
また彼らに見つかったら、と不安になり相談したフィオナに対して、ジークは落ち着いた様子で頷いた。
「……それなら、心配ない。話はつけておいた」
「話……?」
「彼らは、お前の素性を知っているわけではない」
「どういうこと?」
話が読めない。ジークはなぜかフィオナの顔をじっと見て、黙り込んだ。
「……確かに、お前は目立ちすぎるな」
「……?」
後で話す、とだけ言って、ジークは来た道を戻りだした。
離れないように、その後をついていく。
メインストリートまで来ると、辺りに活気が戻り、少し気持ちが落ち着いた。
「こら、危ないから走っちゃダメよ」
ざわめきの中で、トーンの高い女性の声がはっきり聞こえた。
目を向けると、小さな兄弟が、道の真ん中ではしゃぎながら追いかけっこをしていた。
「……あ」
母親の予言通り、弟の方が見事に転び、盛大な泣き声を上げた。
「あーあ、だから言っただろうが、まったくお前たちは~」
慌てて若い夫婦が駆け寄り、夫の方が泣く子を抱き上げる。
兄の方は、母親に何かを言い含められながら、手を繋いで歩き出す。
仲睦まじい4つの背中を眺め、フィオナは微笑んだ。
「さっきの果物屋さん、夫婦で経営してたでしょう?」
「……ああいう小さな店は、大抵家族で経営しているものだが……それがどうした?」
「私、あんな生き方があるなんて知らなかった」
正確には、知識としては知っていた。ごく一般的な、市民の生活。
だが、目の当たりにしてみると、驚くほど、それは彼らの人生そのものだった。
働くこと。会話を交わすこと。共に暮らすこと。夫婦。家族。
多くの人間の生活が絡まって、町という一つの単位の集団が出来上がっているのだと実感する。
何も特別なことはない、平凡な日々。
それでも、フィオナが暮らしてきた、城の中の『平穏な日々』とは、全く違う色をしている。
「私もああなりたいな」
「……あの女性か? あまり推奨はしないな」
けたたましい中年女性との会話を思い出したのか、ジークの顔が僅かに曇る。
「自分で働いて、自分で生活して、いつか――」
(大切な人と、笑顔でいられるような)
平凡で、幸せな毎日。
そんな未来を思い描くと、心が躍った。
実際に目にすることで、今まで空想の産物でしかなかった世界が、ゆっくりと現実のものとなってフィオナの前に扉を開く。
(もっと知りたい)
そう思った。
手にしたクレープにかじりつくと、カスタードの甘い香りが口の中に広がる。
「……日々の労働の対価を得、それによって生活を豊かに送る。人としての、当然の営みだ」
同じくクレープを手に、ジークがぽつりと呟く。
彼がこんな風に歩きながら甘味を食べている姿というのも、不思議な取り合わせに見えた。
「……だが、確かに国を離れるまで、俺にはそれが欠如していた」
ジークは、言葉を選んでいるように見えた。
こんな風に、彼が自分のことを話すのは珍しい。
フィオナは、じっと耳を傾け、続きを待った。
「……今はそれを知ることが出来て、良かったと思う」
かなりの間を置いて、そんな言葉で締めくくる。
今、ジークは過去の自分と重ね合わせ、フィオナの気持ちを理解してくれている。
それが分かって、嬉しくなった。
「そういえば……」
「何だ?」
ふと、気になることがあり、フィオナはジークを見上げた。
「ジークたちは、どうやって物を買うお金を手に入れてるの?」
「……労働の対価を得る。当然のことだ」
「労働って?」
「……人による。詳しく説明する必要はない」
気になる。
が、そこで会話は途切れてしまい、ジェードの元に戻る頃には、すっかりクレープも食べ終わっていた。




