第十一話 街角デート?
外出の準備を整えた後、
「お前に紹介したい奴がいる」
とジークは言った。
「紹介……?」
ここにはまだ誰か住人がいたのだろうか。そんなことを思いながら、森の中をついていくと、急に視界がひらけた。
目の前に、大きな川が流れていた。
川沿いは広くひらけていて、この鬱蒼とした森に、こんなに見通しの良い場所があったのかと驚く。
渡るには小舟を渡す必要がありそうなその川は、見た目には穏やかな水流を湛えていた。
春の日差しを受けた水面が、無限の変化を見せながら、キラキラと輝いている。
ジークが指笛を吹いた。
澄んだ高音が風に乗り、遠い下流まで響く。
しばらく待つと、下流の繁みから、一つの影が現れた。
徐々に大きくなっていくそれは――
「馬……!?」
栗毛の馬が、真っ直ぐこちらに歩いてくる。
「ジェードだ。今日はこいつを使う」
「この子はジークの?」
「ああ」
首元をジークに撫でられ、ジェードはフィオナの目の前で立ち止まった。
よく手入れされた、きれいな馬だ。
じっとこちらを見てくる翠の目はとても落ち着いていて、微動だにしない感じがジークに似ている気がした。
「こんにちは、ジェード。はじめまして、フィオナです。今日はよろしくね」
「…………」
反応はない。聞こえているのか疑問だったが、鼻面を撫でても嫌がられなかったので、とりあえずは受け入れられた、と思っておくことにする。
「こんな風に放し飼いにしていても戻ってくるなんて、とても賢いのね」
「……ああ。それともう一頭――」
ヒヒィン、とすぐ後ろで嘶きが聞こえ、フィオナは飛び上がって驚いた。
振り返ると、見上げるほどの巨大な馬が真後ろに立っていた。
「ひやぁっ!? わっ……お、大きい……」
「クンツァイト。新しい仲間のフィオナだ」
「はじめまして……フィオナです……」
まだ心臓がバクバク言っている。後ずさり、フィオナはクンツァイトの全貌を視界に入れた。
クンツァイトは、フィオナが見たこともないほど立派な青毛馬だった。
体格にしても、ごく標準的なジェードより二回りは大きい。
馬には詳しくないが、精悍な顔つきや立派なたてがみから、とてもいい馬なのではないかと予想がついた。
「この子も、ジークの?」
「……いや、こいつはヴァンの馬だ」
言われて納得する。似てる。
「森に逃げ込む際に放したらしいが、しばらくしてこの辺りで見つかったそうだ。主を追ってきたのだろう。忠実で、賢い馬だ」
ジークが漆黒の毛並みを撫でると、クンツァイトはぶるりと鼻を鳴らした。
「そう……とても、ご主人様が好きなのね」
フィオナは、おそるおそるクンツァイトに触れた。
紫色の美しい眼が、フィオナを見下ろす。
濁りのない眼差しは、やはり飼い主に似ている。
ヴァンもまた、この森に逃げ込んできたのだ。大切な馬を手放す決断をするほど、切羽詰まった状況で。
「それにしても、大きいわね」
「俺もこんな馬は初めて見た。このあたりにはいない種だ。おそらくは北の大平原の方に限定して生息する、珍しい種だろう」
それ以上、ヴァンの過去を詮索することはせず、フィオナはジークの手を借りてジェードに乗り、町へと向かった。
◇ ◆ ◇
二人が辿り着いたのは、森の北方、アルファザード王国の国境にある町だった。
名をオルフェンというらしい。
フィオナたちが住む家は、広大なイアルンヴィズの森の北東に広がる台地にあり、オルフェンまでは見通しの悪い森を、馬で進んで二時間はかからない。
彼らが町に出るといったら、大抵はここを指す。
「小さな町だが、必要な物は揃っている」
ジークの言う通り、こんな辺境の町でも、街並みは整っており、活気がある。
住民はこの町の中で必要なものを売買し、生活することが出来ているようだ。
さすがは大陸有数の大国、アルファザードといったところか。
ジェードを繋ぎ、町中を徒歩で進む。
市井を自由に出歩くのは初めてで、フィオナは物珍しさから、ついあちこち見物してしまいそうになったが、ジークは脇目もふらずに、目的の場所へと向かった。
「……はぐれるなよ」
だが、後ろに目でもついているのかと思うほど、フィオナが遅れると、必ず立ち止まって待っていてくれた。
ジークの目的地は、町の市場だった。
ちょうど太陽が空の真上にかかろうという時間だ。
ひときわ賑わっている広場に並ぶ、色とりどりの屋台屋根。
あまりの人の多さに、入り口付近で呆気に取られていると、
「いらっしゃい! そこのとっても可愛いお嬢さん!」
近くの屋台の売り子に声をかけられた。
愛想のいい声に顔を上げると、中年の女性がニコニコと立っている。
「今日はいい果物がいっぱい入ってるんだよ。ホラ、見ていってよ」
どうやらフルーツを売っている店らしい。
「今日はね、リンゴがオススメだ。この時期に珍しいだろう? この艶やかな赤み! ずっしりとした重み、どれをとっても一級品だ」
「……どうした、フィオナ」
「あんら! 美形のお兄さん! お久しぶりだわねアンタ! 最近見に来てくれないじゃないのさ!」
広場の中央に伸びる時計塔を気にしていたジークが、足を止めたフィオナに気付いた。振り返ったジークに、女性が声を高くした。
やはり彼の容姿は目立つらしい。すっかり顔を覚えられているジークに、女性はひときわ愛想を振りまいた。
「何か買っておいきよ、安くするよ。そりゃあもう特別に」
「果物か……特に買う物はないが」
「リンゴ、とかはどう? オススメみたい」
「リンゴ? 随分と季節外れだな」
受け売りでフィオナがリンゴを勧めてみると、ジークが意外そうに聞き返した。すかさず、売り子の女性が割り込んでくる。
「そう思うでしょう? ところがどっこい最近はねぇ、そういう季節外れのものを食べるってのが贅沢嗜好ってことで、都会で流行ってるんだよ。なんでも、王都の王子様が、魔法使いにリンゴ園の天候を変えさせて作らせてるんだってさ」
「王子が? 魔法使いに?」
フィオナが思わず聞き返すと、女性はさらに身を乗り出して話し始めた。この手の噂話は、彼女たちの得意分野だ。
「ホラ、うちの王子様、変わり者で有名でしょう? 綺麗なもの、珍しいものに目がなくって、世界中の珍品美品をかき集めてるって話じゃないのさ。ついには魔法使いまで手に入れちゃって、普通じゃ手に入らないような贅沢品を作らせるのに凝ってるのよ」
いつの間にか伝聞から、直接見てきたような口ぶりに変わっている。
「無駄な趣向だ。旬のものは、その時期に食べられれば十分だろう」
大国の王子の趣味趣向を、一刀両断に切り捨てるジーク。
「そうかい? 残念だねぇ」
ジークに断られ、女性はあっさりと引いた。押し売りをするつもりはないらしい。
「ところでお兄さん、いつもの渋めの男前は一緒じゃないんだね。女の子を連れて歩いてるのなんてはじめて見たよ。アンタも隅におけないねぇ! 恋人かい? お似合いだよ!」
「こ、恋人?!」
思いもよらない発言に驚くが、それをどう捉えたのか、女性は感慨深げに頷いた。
「うちの旦那も、アンタにゃ到底及ばないけど、若い頃はそこそこ評判のイイ男でさ……」
「オィ、おまえ、まァたお客さん捕まえて長話かィ。まったく、こっから売り時ってのに呑気なもんだなァ」
「ちょっとアンタ、この忙しい時にどこ行ってたんだい」
「ちょっと金物屋の旦那のところに顔出してただけでィ。おまえも若い夫婦つかまえてだべってただけ……って別嬪さんだなァあんた!」
噂をすれば帰ってきた旦那が、二人に視線を向けたところで目を剝いた。
食い入るように見られ、ぎょっとする。とっさに身を引いたフィオナを隠すように、ジークが動いた。
「アンタ、デカイ声出しなさんな。怖がってるじゃないのさ。ごめんねぇお嬢さん。こんな面してるけど、取って食いやしないからさ。ホラお兄さんも、そんな怖い顔しないで。こんだけ綺麗なお嬢さん連れて歩いてるんだからさ、ちょっと見るくらい許してやんなよ」
女性が、旦那を叱りつけその場を取りなす。
「……行くぞ、キリがない」
いつまでも無駄話を続けようとしてくる女性に、ジークは早々に見切りをつけその場を後にした。
「……これでだいたい揃ったかしら?」
市場を一周し、必要な物を購入して、フィオナはウィルに託されたメモを確認した。
「ああ」
「……じゃあ、これで今日の用事はおしまいね……」
少し寂しくもある。観光に来たわけではないが、フィオナにとっては、町の全てが新鮮で、楽しかった。もう少し見て回りたいと気持ちがうずく。
「……急ぐ必要もない」
「ジーク?」
「どこに行きたい? 少しくらいなら、寄っても許されるだろう」
「ジーク……ありがとう!」
寄り道というのは、彼らしくない。フィオナのために融通を利かせてくれたジークに感謝する。
「……俺も、女子が行きたがるようなところはよく分からないが」
「どこでもいいわ。ジークが好きなところに連れて行って」
きっとどこへ行っても楽しいだろう。ジークの心遣いだけでも、心が跳ねるほど楽しくなっているのだ。
自然と笑顔になり、彼を見上げて言うと、珍しくジークの目が戸惑うように揺れた。
「……どこでも……か」
短い逡巡のあと、歩き出す。
その後をついて歩くと、心地よい春風が頬を撫でた。
歩きながら、フィオナは、ジークがさりげなく歩調を合わせてくれていることに気付いた。
ジークは大きな荷物を手に、フィオナは小さな包みを手に。
男の人と肩を並べて歩くというのは、なんとなく特別な感じがした。
カミュではないが、これが『デート』というやつだろうか。
道行く人々の中には、男女の二人連れも多い。
皆幸せそうに、手を繋いだり見つめ合ったりして歩いている。
ジークとフィオナはそういった関係ではないが、周りから見ると同じように思われているのかもしれないと思うと、少しそわそわする。
風に絡め取られ、隣を歩くジークの、癖のない長髪がなびく。
それを見て、フィオナは短くなった己の髪を触った。肩口でばっさりと切られた黒髪。
父王のこだわりでずっと伸ばしていたため、こんなに短くしたのは初めてだ。
あの時はそれどころではなかったので、髪を切られたことに何の感慨もなかったが、なくなってみると、長年の重しが取れたような身軽さがあった。
ぴょんぴょん、と、その場で2、3度飛んでみると、
「何を飛んでいる」
とジークに不思議そうに問われたので、フィオナは笑って誤魔化した。
ジークが連れて行ってくれたのは、この町のメインストリートだった。
石畳の、道幅の広い大通りの両脇を、いろいろなお店が彩っている。
屋台が並んでいた市場とは違って、落ち着いた門構えの店が多い。道行く人も、どこかゆったりと、お店を見て回ることを楽しんでいるようだ。
春の暖かい日差しに誘われてか、外にテーブルを出したカフェで、午後のティータイムを楽しんでいる人もいる。
「いい匂いがする!」
風に乗って、甘い匂いが鼻孔をくすぐった。匂いを追って見ると、ある店の前に若者が行列を作っていた。
その列の先頭にいた女性の二人組が、筒状のものを手にその場を離れる。しゃべりながら、歩きながら何かを食べていた。
「あれは何? ジーク」
「……クレープだ」
「クレープ!」
生クリームやカスタード、フルーツを薄いパン生地でくるんだ菓子だ。城で食べたことはあるが、あんな風に手に持って食べ歩く形状のものは知らなかった。
「……食べたいのか?」
「………………」
食べたい。だが、買い出しに行って余計な寄り道をした上に、そんな要求をするのははばかられ、フィオナは押し黙った。
だが、視線は彼女たちがおいしそうに食べているクレープを追いかける。目が離せなかった。
ふっ、と頭上で笑いを押し殺すような息遣いが聞こえた気がした。
「……そんな顔をするな。買ってくる」
ぽん、と頭の上に手を載せられる。顔を上げると、珍しく口元を綻ばせたジークと目が合った。
穏やかな翡翠の瞳が、優しく微笑む。ジークのそんな顔を見るのは初めてで、フィオナは呆気に取られた。
「あ、ありがとうジーク。あ、あの、少し近くのお店を見てていい?」
「店?」
「あ……服! 服を見てくるわ! ウィルが買っていい言ってくれたし!」
「……ああ、俺にはどういうものがいいか分からない。好きなものを買うといい」
頷き、ジークが貨幣の入った小袋を渡してくれた。
「……あまり遠くには行くなよ」
「うん!」
なぜかじっとしていられない気持ちになり、フィオナは逃げるようにジークに背を向けた。頬が熱い。
(い、いったい何が……?)
火照った顔を両手で冷やしながら、フィオナは向かいの雑貨屋に並ぶ商品を眺めた。
色とりどりの石が嵌め込まれた装飾品は、どれもうっとりするほど綺麗だったが、フィオナの目には入らなかった。
鮮やかな翠が、いつまでも印象に残っていた。




