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第九話 必ず守る


 その日の夜は、フィオナが思っていた以上に盛大にもてなされた。


「俺たちの家にようこそ、お姫様」


 カミュが腕をふるったごちそうの数々が、食卓に並ぶ。

 8人がテーブルを囲むと、途端に賑やかになった。リッドがユーリにからかわれて騒ぎだし、それを叱責するヴァンをラウが宥め、なんだかんだでウィルがまとめてしまうのを、ジークが黙って見ている。そして、それをカミュに突っ込まれ……と際限ない。


 おそらく、フィオナが来るまでもこんな感じだったのだろうと容易に想像出来る、賑やかな食卓。


 そこに自分も参加しているのが、とても不思議な気分だ。


「はー、楽しかった」


 ディナーを終え、片付けを手伝った後、フィオナは自室で今日一日を思い返していた。


 人生初めての洗濯は、新しい発見ばかりだった。

 半日一緒にいて、ウィルのことも少し知ることが出来た気がする。

 パーティでは皆が心から歓迎してくれて、ようやくフィオナは、この家の一員になってもいいのだと、自分を許せた気がした。


(朝、ウィルからヴァンのことを聞けたからかも……)


 ウィルの話を聞いて、少しだけヴァンの見方を変えることができた。

 まだつい、怖いと思ってしまうことはあるが、自分は嫌われていないと分かっただけ、ほっとした。


 一度はベッドにもぐって見たものの、まだ興奮が覚めないのか、今日楽しかったことが思い出され、なかなか寝付けない。

 諦めて寝台を降り、フィオナは窓の前に立って外を眺めた。夜に包まれた森は、空に溶け込むように暗く沈み込んでいる。

 

 爪痕のような細い月が、星のない空にはっきりと浮かんでいた。


(少しだけ……外に出てみようかな)


 夜に外に出るなとは言われていない。庭先に出るだけなら、危険もないだろう。


 そっと階段を降り、玄関から外に出ると、ひんやりとした夜風に迎えられた。

 花壇では、ラウが手入れをしている色とりどりの花々が揺れている。


 家の外周をぐるりと回ってみようと、草を踏みしめる感触を楽しみながら、フィオナは歩き出した。


「……?」


 裏庭に近づくにつれ、物音が聞こえてきてフィオナは首を傾げた。


 何かが、空を切るような音。


(ジーク……?)


 灰色の髪を背中に流した後ろ姿。小さな息遣いに合わせ、鋭い剣先が宙を切り裂く。


 集中している相手に、声をかけていいものか悩み、フィオナは自然と息を潜めた。

 一歩、近づいた時に、足下の草を踏む音が、妙に大きく聞こえた。


「誰だ」


 固い声と共に振り返ったジークに、ビクリとする。


「……なんだ、お前か」


 フィオナの姿を見て呟いた声は、先ほどよりわずかに柔らかい。


「すみません、邪魔をしてしまいました」

「構わない。だが、夜に外をうろつくのは感心しない」


 手にしていた抜き身の剣を鞘に戻すジーク。

 その言葉に甘え、フィオナは、星明かりの下でも相手の顔が見える距離にまで近づいた。


 どこかでフクロウが鳴いた。


「眠れなくて……」

「……どうかしたのか?」


 何か気がかりがあるのかと思ったのだろう。少し心配そうに――フィオナが、勝手にそう感じただけかもしれないが――聞いてくるジークに、慌てて訂正した。


「いえ、そんなんじゃないんです。皆さんと過ごした晩餐が、あまりにも楽しかったものだから……」

「……そうか」

「あんなに賑やかな食卓は初めてなので、ちょっと感動してしまいました。私、兄弟がいないので」

「……兄弟が多くても、ああも騒がしくなるとは限らない」

「そうですか? もしかして、ジークはユーリ以外にも、兄弟がいるんですか?」

「……上と下に、一人ずつ」

「ということは……ジークとユーリは双子なので、4人兄弟?」


 指折り数えると、ジークが黙って頷いた。


 相変わらず表情に大きな変化はなく、こうして僅かな星明かりの下で見ると、よく出来た人形のようだ。初めて出会った時、この美しい双子はまるで見分けがつかない、と思ったものだ。


 だが、2日間彼らと共にいて分かったのは、ユーリとジークでは表情が違い過ぎて、同じ顔でも間違えようがないということだった。


 無駄がなく、泰然としているジークに比べ、ユーリは何事につけても意味不明で、余計な事を考えさせる言動が多く、その表情も、常に本心と一致しているのか分からない喜怒哀楽を『作って』見せる。


 何を考えているか分かりにくい、という意味では共通だが、まるで正反対の二人が、どうして他の親兄弟と離れ、この森の家で共に暮らしているのか――これもまた、非常に謎めいている。


「ジークが4人兄弟ですか……なんだかあんまり、想像がつかないです」


 この双子の兄弟というのがどんな人物なのか、まるで想像がつかない。だが、確かに家族で食卓を囲んだところで、今夜のような騒ぎになる予感はしない。


「想像する必要はない。まるで意味のないことだ」

「そうですか?」


 聞き返すと、やはり無言で頷かれた。


 そこで、話題が途切れた。


 聞きたいことはいくらでもあったが、どれも今はまだ聞いていいことではないような気がして、口に出す前に夜の闇に消えてしまう。


「鍛錬のお邪魔をしてすみませんでした。どうぞ、私はもう少しここにいますので、気になさらずに続けて下さい」


 そんな状態で時間を取るのも申し訳ないので、そう促すと、首を横に振られる。もう終わり、ということだろうか。


「剣、お好きなんですか?」

「……嫌いではないな。武器は、目的がはっきりしている」

「戦うため、ですよね」

「ああ」


 ジークが頷く。


「剣術は、いつから?」

「分からない。生まれた時から共にいる。……あいつと同じだ」


 珍しく、必要以上に付け加えられた一言を、フィオナは考える。


 ジークと生まれた時から共にいる人物と言えば……


(多分、ユーリのこと)


「じゃあ、ユーリも実は剣術が得意……だったり」

「あいつは研究の方が好きだ。身体を動かすなど馬鹿がやることだと思っている」

「そうですか……」


 いかにも言いそうな答えだ。


「きっと、ユーリも安心してるんでしょうね」

「……安心?」


 意外な言葉だったのか、ジークの視線が、はっきりとフィオナを捕らえる。


「いつでも守ってくれるジークが一緒にいるから、ユーリは安心して好きな研究に打ち込めるんですよ、きっと」

「……そうかもしれないな」

「ジーク?」

「そこに『安心』があるかは別としても、利害の一致があって共にいることは確かだ」


 利害の一致、とはあまり兄弟間らしからぬ言葉だ。


「うらやましいです」

「……何?」

「私、何もできないから、そうやって誰かのためになれる特技があるっていうのは、すごくうらやましいです」


『お前に何が出来る』とヴァンに問われて以来、フィオナは自分に出来ることを探していた。今はまだ、何も見つけられていない。


「…………」

「あ、すみません! 努力の賜物をうらやましいなんて言ってはいけませんよね。私も、もっと頑張らないと……」

「いや」


 無言で見つめられ、自分の発言の浅ましさにフィオナは慌てて謝った。だが、ジークは珍しいものでも見るように、フィオナを見下ろしている。


「……お前のその素直さは、特技と言ってもいいものだ」

「え……?」

「褒めている」

「あ……ありがとうございます!」


 褒められたらしい。素直に頭を下げ、フィオナはもう一つ言い忘れていたことを思い出した。


「……俺はもう戻る。お前も戻れ。一人で出歩くのは危険だ」

「はい! あ、あと、ジーク」

「何だ?」

「きっと、この家の皆が、ジークがいてくれて安心していると思います」

「……お前もか?」

「私、ですか? はい、もちろんです。私は自分の身を守る術を持っていないので……今もこうやって、夜に外にいても、ジークと一緒なのでとても安心しています」

「そうか」


 頷き、ジークはフィオナが来た道を歩き出した。すれ違いざま、一瞬、肩に手が触れる。


「なら安心してもらっていい」


 その背を追いかけると、夜風に乗って声が届いた。


「必ず守ると約束する」


 彼が今、どんな表情をしているかは分からない。


 でもその声は、とても優しい、とフィオナは思った。




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