第3話:【特訓】静かに、でも激しく動いてください
第二回配信の直前。整備ドックに置かれた『ガーデニア』のコックピットで、凛音は白華のヘルメットをきつく締め直しながら、鬼の形相で言い聞かせていた。
「いい、白華? 今日の目標は『隠密』よ。音を出さない、声を漏らさない。忍者のように戦うの」
彼女の手元のタブレットでは、マイクのゲイン設定が限界まで下げられ、数重ものノイズゲートが設定されている。
「ニンジャ、アイエエエ……。わ、分かったよ、凛音ちゃん。私、気配を消して頑張るね!」
「そう、それでいいわ。……よし、マイク感度は最小。ノイズ除去も最大。これなら少しくらい息が荒くなっても、配信には乗らないはず……!」
凛音は自分に言い聞かせるように頷き、オペレーター席へと戻った。
だが、彼女は気づいていなかった。周囲の雑音を極限までカットしたことで、逆に『機体内部のわずかな音』が際立つ、真空のような音響空間が出来上がってしまったことに。
【ライブ配信:白華の安否確認チャンネル】
同接数:45,000人(待機中)
『きたきた、伝説の鼓動配信』
『今日は「隠密」任務だってよ。静かな白華ちゃんも助かる予感』
『音質設定が前回と違うな……? さすがに運営のガードが固くなったか』
「ターゲット確認。……しゅ、出撃します!」
白華の声は、凛音の設定通り、フィルター越しで少し遠くに聞こえる。
よし、これなら大丈夫――凛音は胸を撫で下ろした。
白華自身も「忍者のように」という指示を忠実に守ろうとしていた。敵に見つからないよう、ガーデニアを極めて低速で、慎重に駆動させる。
しかし、その静寂への執着が、リスナーに地獄を――ある意味では天国を見せることになった。
「……んっ、……ふぅ……」
白華は音を漏らさないよう、唇を噛んで呼吸を制御する。
だが、その『息を殺そうとして、微かに喉が鳴る音』が、高感度センサーによって生々しく拾い上げられた。
『……っ!? 何だ、今の「ごくり」って音』
『もしかして白華ちゃんが息を止めてる音が聞こえてる……?』
『雑音が消えたせいで、喉の奥で鳴る音まで聞こえるんだが……えっ、これ合法?』
「……すぅ、……っ、……くぅ……」
さらに、白華が慎重にレバーを操作するたび、パイロットスーツがシートの革や、彼女自身の肌と擦れ合う。
「……あ、……いけない。……静かに、しなきゃ……」
服が擦れるスルスルという柔らかな音。そして、耐えきれずにわずかに漏れた、熱っぽい吐息。
凛音が設定した『静寂』という名のキャンバスに、白華の生体音が鮮烈な色彩として描かれていく。
『衣擦れの音が……すぐ耳元で聞こえる……』
『隠密どころか、耳元で添い寝されてる気分なんだが』
『運営、最高かよ。この「抑制された音」こそASMRの真髄だわ』
「ちょっと、白華!? なんだかバイタルが妙に艶っぽいんだけど……もっと普通にして!」
「えっ!? 凛音ちゃん、私、すごく静かにしてるよ……?」
慌てる凛音の声に、白華はさらに身を縮める。
そこへ、深層遺跡の影から、大型機械生命体『鋼魔・重装型』が姿を現した。
「大きい……。見つかったら、音が、出ちゃう……」
白華は恐怖でさらに息を詰め、パイルバンカーを構えた。
杭を圧縮する重厚な機械音さえ、凛音のノイズキャンセルによって『心地よい振動』へと変換されている。
「……っ!! ……あ、あああ……っ!!」
衝撃に備えて全身を硬くし、声を漏らさないように歯を食いしばる。
その『出そうになる声を必死に押し殺した、掠れた唸り』が、リスナーの理性を粉々に砕いた。
「――っ、は……ぁぁぁぁっ!!」
――ドォォォォォォォンッ!!
パイルバンカーが炸裂する。
叫びたいほどの衝撃を、彼女は『喉を鳴らす』ことで必死に抑え込んだ。
その結果、配信に流れたのは、戦士の咆哮ではなく、耐え難い苦痛と快楽が混ざったような、震える吐息だった。
『……今の「んぅっ……!」は反則だろ』
『声を我慢してるのが……一番くる……』
『運営さん、この設定を考えたなら天才だよ。俺、もう戻れない』
――戦闘終了。
白華はシートにぐったりと横たわり、汗を拭いながらマイクに微笑みかけた。
「凛音ちゃん、見ててくれた? 私、最後まで静かに……頑張ったよ?」
「……ええ。見てたわよ。別の意味で、一生懸命な声を、世界中に聞かせてたわね……」
凛音は机に突っ伏していた。
チャット欄は、これまでにないほどの熱狂と『ギフト』の嵐で埋め尽くされている。
『――マスター凛音、ご報告です』
そこへ、補助AI“エコー”の無機質な声が響いた。
『「音を隠そうとする行為」により、パイロットの心拍数等の集音効率が300%向上しました。これを「忍びASMR」として最適化、設定を保存します』
「……なんですって?」
『さらに視聴者の満足度が180%向上。生存率の大幅な上昇を確認。今後もこの設定をデフォルトとします』
「ちょっと、エコー! このポンコツAI! 勝手にそんな変態じみたことを……って、あいたたたた……」
凛音は腹部を押さえ、その場にうずくまった。白華の『純粋な努力』が、補助AI“エコー”の『計算』によって、世界一不道徳な音響体験へとどんどん昇華されていく。
「凛音ちゃん? またお腹痛いの? 大丈夫! 私、もっと完璧なニンジャになれるように練習するね!」
無邪気な笑顔で誓う白華。
その『練習』が、リスナーをさらなる沼に沈めることになるとは、彼女はまだ知る由もなかった。




