第87話:魂の弾丸
陽が少し傾き始めていた。
砂塵が収まり、焦げた木片の匂いがまだ空に漂っている。
船の腹は地面にめり込み、修理に取りかかる影たちの姿があった。
リュリシアは崩れた手すりのそばで風に髪を揺らしながら、静かに現状を見つめていた。
「……船は、もう飛べませんか」
俺は肩を竦める。
「浮かすことはできても、長くはもたねぇ。下手に動かせば真っ二つだ」
沈黙が落ちる。風が帆の裂け目を鳴らした。
リュリシアは振り向き、周囲の者たちに短く告げる。
「では、地上で編成を整えます。――アーク、貴方も聞いてください」
「おう」
彼女は用意された地図を広げ、指先で示した。
「封印の地はこの街の北西、山の尾根を越えた先です。距離にして半日ほど。
ですが、上空から見えた光……あれはただの光ではなく、何者かが封印に干渉した証です」
エレナが頷く。
「あれがまだ見えている限り、結界が生きているということですね」
「ええ。けれど――あの様子では、封印が“内側から”揺らぎ始めている」
リュリシアの声は静かだったが、背後の空気がぴんと張り詰めた。
「……なら、あまり時間はねぇな」
俺が言うと、リュリシアは頷いて指示を出し始めた。
「まず影の部隊を半分――船に残します。船体の修理と、それとお父様の護衛を。
念のためセラとアイリスもそちらにお願いします」
「了解、聞いたなてめぇら! さっさと動け!」
「「「「ッザ!(敬礼)」」」」
影たちが素早く動きはじめ、修理班と護衛班に分かれていく。
リュリシアは続けた。
「残りの全員で封印の地へ向かう……よろしいですね?」
「了解です、陛下」
エレナが即答し、剣を軽く叩く。
リュカはため息をつきながら肩を回した。
「はあ……また山登りか。せめて獣道くらい整備されてりゃいいけどよぉ〜」
「ならまた背負ってもらおうかしら? ねぇ、リュカ?」
シアが笑って言うと、リュカの顔が途端に引きつった。
あの瀕死で山道を引きずり回した記憶がよみがえったらしい。
静かに編成が決まっていく中、セラがリュリシアに近づき、微かに笑った。
「また危険な場所に……お嬢様ったら、そういう所は昔から変わりませんね」
リュリシアは小さく息を吐いた。
「ありがとう、セラ。……でも、危険を感じたらすぐに引きなさい、お父様をおねがいね。
封印が完全に解ける前に、なんとかしないと」
遠く、山の上から低い雷鳴のような音が響いた。
空の奥が淡く赤く光る。
俺はその方向を見上げ、ゆっくりと呟いた。
「……あれが、“封印の地”か」
焦げた風が再び吹いた。
リュリシアは外套を翻し、振り返らずに歩き出す。
「行きましょう。時間がありません」
その背中を追い、俺たちは黒い山の影へと踏み出した。
ーーーーー
山の斜面を越えるたび、風が鋭くなる。
黒い雲が山頂を覆い、空気が粘りつくように重く感じられた。
「……嫌な気配だ」
「コール! 前だ! 来るッ」
リュカが前方をにらむ。
次の瞬間、岩陰の影が揺れた。
ぬめるような黒が地を這い、炎のような眼がこちらを向く。
「敵です! 八体!」
シアの叫びと同時に、影たちが前線へ跳び出す。
銀の閃光が走った。
エレナが剣を抜き、一体を一瞬で斬り裂く。
だがその背後から、新たな魔族が飛びかかってきた。
「くっ!?……やはり銀では持たないか!」
2体目を両断した銀剣の刃が軋み、亀裂が走る。
さらに爪が迫り、火花が散った。
「下がれ、エレナ!」
俺の声に、彼女は振り返らず答えた。
「やれっ!」
その声に呼応し、背後の魔導銃が閃光を放つ。
弾丸が魔族の頭を砕き、エレナがとどめを刺す。
「これ以上は剣が持ちそうにない……アーク、次からは二人でかかる!」
その声に、リュリシアの視線が動いた。
彼女は短く息を吸い込み、決断した。
「エレナ――ヴァルセリクスを抜きなさい」
エレナの動きが止まる。
周囲の喧騒が遠のき、風の音だけが残った。
「陛下、それは……」
「あなたは私の剣。王の名において命じます」
エレナは一瞬だけ目を伏せ、そして――一歩前へ出た。
腰の鞘に手を添え、柄に触れた瞬間、空気が変わった。
風が止み、世界が息を潜める。
「……了解いたしました」
刃が抜ける。
音はなかった。
ただ、空間がわずかに軋む音だけが響く。
青白い光が剣身を包み、山の影が後退した。
空気そのものが震え、魔族たちの黒が押し返される。
エレナは前へ出る。
瞳の奥に、静かな炎が宿っていた。
「――退け」
ヴァルセリクスが低く唸る。
風が奔り、刃の一閃が闇を裂いた。
一歩で二体。
踏み込みでさらに三体。
銀では届かなかった魔族たちが、光の軌跡の中で霧散していく。
「ひょえ〜……さすがだな。やっぱ本職の騎士は違うぜ」
「ふっ……当たり前だ」
魔族が一斉に逃げ出そうとした瞬間、
エレナの剣が円を描いた。
風が渦となり、全方位に光が奔る。
爆ぜる音。
魔族たちは悲鳴を上げる間もなく、灰となって消えた。
静寂。
エレナは剣を構えたまま、しばらく動かなかった。
風が戻り、髪が揺れる。
その横顔は冷たく、美しかった。
リュリシアはその姿を見つめ、小さく息を呑む。
「古の“真の騎士”……」
エレナがゆっくりと剣を納めた。
光はすっと消え、ただの金属の刃に戻る。
だが、周囲の空気はまだ震えていた。
リュカが口笛を吹き、シアが感心し、俺が隣で拍手する。
「……おい今の見たか? 剣の風で影が粉になったぞ」
「……あの剣、あんなにすごかったんですね」
「……いや。俺の時より波紋がでけぇ。すげぇわ」
エレナは一言だけ静かに言った。
「道は、開けました」
リュリシアは頷き、山の頂を見上げた。
赤い光が鼓動のように瞬いている。
「封印が、呼んでいる――行きましょう」
リュリシアの声を合図に、俺たちは再び山道を進んだ。
焦げた風が頬を刺し、空はどこまでも赤黒く染まっている。
山の上から響く低い唸りが、まるで何かが目覚める音のようだった。
「……この匂い、これ確か」
リュカが剣の柄を握りしめる。
それに続いてシアも鼻をふさぐようにして腕を構え、俺に話しかける。
「コール様……あの街……エルフの女性を助けたときと同じ匂いがします」
「……なんだと?」
次の瞬間――。
霧の向こうから、何かが歩いてくる音がした。
「……人? いえ、でもこれは?」
シアが小さく呟く。
霧が晴れた先、そこにいたのは人影だった。
鎧をまとい、剣を持った兵士。
だが、その足取りはふらつき、顔は血の気を失っている。
そして――その胸元で、黒い刻印が淡く脈動していた。
俺はようやく、あの刻印をどこで見たかを思い出した。
奴隷の国……北の倉庫で見た箱に刻まれた紋章。あれと同じだ。
「……まさか、あの街の住人か……」
エレナが小さく息を呑む。
その瞬間、彼女の腰のヴァルセリクスが、かすかに震えた。
鞘越しに、低い音が響く。
刻印の光と、剣に宿る光が、互いに嫌悪するようにぶつかり合っていた。
彼らの背後から、もうひとつの列が現れる。
試練派の兵士たちだ。
槍の紋章を胸に刻み、無表情に号令を放つ。
「進め!。刻印者を前に!」
その言葉に、胸に刻印を持つ民たちがまるで糸で引かれるように一斉に動いた。
呻きながら、震えながら、しかし止まらない。
試練派の兵はそれを指揮棒で指し示す。
「駒に過ぎん!。動け!、偽りの王族の血を、この国を惑わす偽善を! 封印の糧に捧げよ!!」
その声が冷たく響いた。
リュカが剣を振り上げ、怒鳴る。
「てめぇら正気か! 同じ人間を……ッ!」
「クソが……」
苛立ち混じりの低い声が響く。
その次には俺よりも早く、リュリシアがまっすぐと前を向き試練派の兵士に問いかけた。
「人の心を捨ててまで……あなた達は何を守ろうというのですか!!」
だが試練派の兵は微動だにしない。
むしろ、薄く笑った。
「心を捨てた方が、楽に戦えるものだ」
刻印を焼かれた民が、苦しげに喉を震わせる。
「……やめ……たすけて……」
その声に、リュリシアの顔が歪んだ。
「アーク」
芯のある声で、リュリシアは前を見据えたまま、方法はないかと問いかけるように俺の名を呼ぶ。
俺は拳を握り、頭の中を走る情報の奔流を感じる……今ならわかる。
禁呪――刻印術。
肉体と魂の両層に固定される。
“物理的に切り離しても消えない”。
どちらかを破壊しても片方の術式がもう片方を再生成する。
破壊・無効化をするためには、肉体と魂に刻まれた術式を同時に壊す必要あり。
(なるほど……刻印核を撃ち抜く方法があるのか)
同時に、もう一枚の情報が脳裏をよぎる。
――誓いの王剣。
“強制の契約”を断つ刃。
魂を縛る鎖を「誓いに反するもの」と認識したとき、その鎖ごと断ち切ることができる。
ただし、それには契約者との魂の同調が必須。
−−ヴァルセリクスとの契約。
“人間の魂を、剣の側へ引き上げる”行為。
ただの人間には重すぎる、一種の存在の昇格儀式でもあった。
俺は既に様々な加護を受け、さらに禁呪をこの身に刻んだ。
たとえ加護を受けたリュリシアの指示でも、俺はもうヴァルセリクスを扱うどころか、契約すら許されない…。
視線が、自然とエレナに向かう。
鞘の中の剣が、刻印に呼応してかすかに震えていた。
(エレナなら――いや、ダメだ。ただの人間が耐えられる保証なんかどこにもない)
俺は低く息を吐き、呟いた。
「……魂の核。要するに、あの刻印を撃ち抜けば一時的に解放できる。
普通の斬撃じゃダメだ……」
リュリシアが振り返る。
「撃ち抜く……?」
「俺の血を使う」
言った瞬間、エレナが目を見開いた。
「待って、それは――」
「禁呪だ。血を媒介に相手の魂に干渉する。“魂血弾”ってやつだ」
俺は剣で手のひらを傷つけ、魔導銃を取り出し、銃身に左手を押し当てる。
赤い血がゆっくりと銃口を染めていく。
魔導銃の文様が紫から、赤いものへと変化していった。
「……ただし、代償がいる。いつもの血弾と違って命力を直接込める」
「……そんな、他に方法は?!」
短い沈黙。
その間にも、刻印を宿した民たちが悲鳴を上げながら前に進んでくる。
リュリシアは覚悟を決め、小さく息を呑み、囁く。
「……なら、私たちが止める。あなたは撃ちなさい」
俺は頷いた。
「動きを止めろ。殺すな――解放は俺がやる」
影たちが動き出す。
刃が空を裂き、刻印者たちの動きを封じた。
地面に大の字に貼り付けられた者に向かい、銃口を向ける。
致命傷にならないよう、なるべく急所の少ない部分を狙い、銃口が刻印の“目”をとらえる。
血が銃身に染み込み、空気がざらついた।
「――行くぞ」
「た、助け……死にたくない!」
引き金を引く。
銃声ではなく、鼓動のような音が響く。
赤い閃光が飛び、刻印の“目”を貫いた。
黒い煙が弾け、刻印が砕ける。
操られていた体が糸の切れた人形のように力をなくし、打たれた痛みで気絶している。
周りの影が急いで止血し、手当てを始める。
「成功した! さすがコール……様ッ!?」
シアが息を呑む。
だが、次の瞬間、俺の視界が滲んだ。
血が腕を伝い、膝が沈む。
胸の奥で魔力が削り取られていく感覚。
(一発でこれか!?……マジで死ぬぞ)
「アーク! もうやめて!」
「黙ってろ……まだだ」
二発目、三発目――。
撃つたびに血が増え、視界が白く霞む。
呼吸が浅くなる。
“あと一発”と思った瞬間、銃身が鳴った。
――弾が、出ない。
寿命ではない……先に魔力が、尽きた。
俺はその場に崩れ落ちた。
「……くそ、やりきれねぇ」
歯を食いしばる。
リュリシアが駆け寄り、俺の腕を支える。
その瞳は震えていた。
「アーク、もう……十分です」
「……いや、まだだ」
山頂。
そこから、黒い霧が蠢いていた。
まるで“誰か”が笑っているような気配。
リュリシアが小さく息を呑む。
「……バルデス卿」
俺は唇を噛み、銃を握り直した。




