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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第86話:封印の山へ墜ちる船


 焦げた風が谷を渡っていく。

 さっきまでの喧騒が嘘のように、あたりは静まり返っていた。

 倒れた副官の手が地面に落ち、血の跡が乾いていく。

 リュリシアは目を閉じ、ほんの一瞬だけ祈りを捧げた。


 その沈黙の中、リシアンが口を開く。


 「……試練派は――魔族と繋がっていたのですか」


 低く落ち着いた声だった。

 燃える残骸の明滅が、彼の横顔を照らす。

 焦げた煙が鼻を刺し、風が焼けた布を揺らした。


 副官は荒い息を吐きながら、かすかに首を振った


 「……“試練派”が全員そうだったわけでは……ありません」


 リシアンが一歩近づく。


 「どういう意味です?」


 「導師が“人ならざるもの”だと知っていたのは……上層のほんの一握り。

  兵や若い将の多くは、“人の力で国を守る”という理念を信じて戦っていました」


 リュリシアの指がわずかに震えた。

 彼女の目に映るのは、さっきまで剣を交えた敵兵の姿だった。

 それは、同じ国の民の顔をしていた。


 「……でも、あなたは知っていたのでしょう?」


 リュリシアの問いに、副官は苦く笑う。


 「ええ。バルデス卿の側にいましたから。

  導師が、古の時代で暴れていた“魔族”と同じ存在だということも……」


 焦げた風が再び吹き抜け、灰が舞った。

 谷の向こうでは、まだ小さな火がくすぶっている。


 副官は、血に濡れた唇で続けた。


 「卿は最初から知っていたんです。

  “神の加護”などもうない。

  偽善だけでは国は守れない。

  ならば――“悪魔の力”を使ってでも国を守る、と」


 「それで魔族と取引を?」


 リシアンの声には、怒りではなく確認の色があった。


 「そうです。国を守るには力が必要です。

  今の現状を見れば、“慈悲”を掲げるあなたたちにも分かるはずだ……。

  近年、“慈悲”の声が強まり、軍は削がれ、試練の権限は失われていった。

  だが、周囲の国々は一つも武を緩めてはいなかった。

  バルデス卿にとって試練とは、信仰でも栄光でもなく、国を守る“責務”そのものだったのです」


 リシアンは目を細める。


 「……だから蜂起を起こしたと」


 焦げた風が再び流れ、谷を覆う煙がわずかに晴れる。

 遠くで、兵の嗚咽と負傷者の呻きが重なって聞こえた。


 副官はうなずき、かすれ声で笑った。


 「導師は言った。“魔族の力を国防に転じれば、この国は再び強くなる”と。

  卿はそれを信じてはいない、だから力のみを得ようとした。

  ……“神が見放したなら、悪魔を飼えばいい”と」


 エレナが息を飲み、リュリシアの顔がわずかに歪む。


「陛下…私は……ただ、この国のため……」


 言葉はそこで途切れた。

 副官の身体がぐったりと崩れ、リュリシアが思わず駆け寄る。

 すでに息はなかった。


 焦げた匂いが谷を包む。

 リュリシアは静かに彼の目を閉じ、立ち上がった。


 「封印の地」


 その名を口にした瞬間、リシアンとエレナの顔がわずかに強張る。

 リュリシアは顔を上げた。


 「伝令! すぐに出立の用意を。封印の地までの経路を確保しなさい!」


 「はっ!」


 兵たちが駆け出す。焦げた風が巻き上がり、旗が裂けた音が響いた。

 谷の空気が再び動き始め、沈黙が破られる。


 そのとき――上空で影が動いた。

 谷を照らしていた陽光が一瞬翳る。


 巨大な船影が雲を裂いて降下してきた。

 イルクアスターだ。


 「頼みましたよ……」


 リュリシアの声に、安堵と焦りが混ざる。

 甲板の上で影が慌ただしく動き、艦体がゆっくりと旋回する。

 錨と橋が下ろされ、強い風が谷を巻いた。


 リュリシアは船に走り、エレナも続く。


 「行きます!」

 「はっ!」


 吹きつける風に髪が流れ、焦げた土が舞い上がる。

 リシアンが後方から声を上げた。


 「私はここに残ります! 慈悲の指揮はお任せを!」


 「お願いします!」


 リュリシアは振り向かずに答え、

 エレナとともに架け橋を駆け上がった。


 次の瞬間、甲板が彼女たちの足を迎える。

 橋が上がり、船体が震えた。


 ――イルクアスター、甲板。


 船は全速力で雲を裂き、風を纏って疾走していた。

 船体の木板が軋み、帆が鳴く。

 甲板の上では黒衣の影たちが縄を張り替え、火花の残る大砲を冷ましていた。


 「ったく忙しねぇ! 勝ったと思ったら次かよ!」


 舵を握りながら響く俺の声に、リュカが苦笑する。


 「戦場ってのはだいたいそういうもんだろ?」


 船内には焼けた大砲の金属の匂いがまだ残る。

 だが、それ以上に緊張を感じさせたのは――リュリシアから聞かされた封印の話だ。


 “封印の地”――彼女から聞いたその名が、頭から離れない。


 前にリュリシアが話してくれた剣のおとぎ話。

 ヴァルセリクスがあれほどの力を持つなら、もう一振りの王剣〈ヴァルセリオン〉。

 それで封印されている上級魔族なんて、絶対やべぇってもんじゃねぇ。


 その時イルクアスターが、ぎし、と低く唸った。


 「ん?」


 次の瞬間には船全体が一度大きく揺れた。


 「な、なんだ!? コール今の!」


 リュカが言葉を言い終える前に、俺は舵を離した。

 今の揺れ方は風に煽られたわけじゃない。


 「ウィスキー!舵やれ!」


 ウィスキーがあわてて現れ、無言で舵を握った。

 俺は甲板下へ飛び降りる。


 ――動力室。


 船の心臓とも言えるクリスタルが、かすかに明滅していた。

 いつもの透き通る青ではない。

 光は濁り、息をするように点滅を繰り返している。


 「やべ……(大砲撃ちすぎたか…)」


 結晶の前に立ち、台座に手を当てた。

 いつもの息吹はまったくない。

 ろうそくの火よりも弱々しい、消えかけの気配だけが残っていた。


 次の瞬間、船全体が跳ねた。

 身体が浮き上がり、床に叩きつけられる。


 「おい! どうなってんだ!」


 上からリュカの怒鳴り声が返る。


 「燃料切れだ!」


 船体が大きく傾く。

 帆が裂け、魔力光がはじけた。

 イルクアスターがまるで呻くように震える。


 急いで舵まで戻り、ウィスキーと交代する。


 「ウィスキー! 帆を抑えろ!」


 影がすぐに反応し、それぞれ船を少しでも長持ちさせようと動く。

 外の空気が揺れている。

 雲の切れ間から、山裾の街並みが見えた。


 「コール様!? 下がってきてます!」


 シアが手すりに捕まりながら叫ぶ。


 「アーク! こんなところでリュリシア様を殺す気か!?」

 「うっせぇ! こっちも死ぬ気で抑えてんだよ!!」


 エレナはリュリシアをかばうように手すりを掴み、風の中で叫ぶ。

 その中からリュリシアの声が響く。


 「街の外れに開けた平地があります! そこへ!」

 「行くしかねぇ!! 全員捕まってろ!! 振り落とされるな!!」


 風が甲板を切り裂き、帆の亀裂が大きくなり、光の粒になって淡く消え始める。

 イルクアスターが急降下を始めた。


 風の轟音と共に、木板が焦げる匂いが広がる。

 船を守る結界も消え始め、風が直に肌を叩き、景色が迫る。


 「衝撃に備えろ!!」


 リュカの叫びと同時に、世界が傾いた。


 ――ドンッ!!


 凄まじい音が響き、船体が地面を滑る。

 木が弾け、砂煙が巻き上がった。

 船は勢いのまま地面を削り、砂と木片を巻き上げながら――

 やがて、最後の悲鳴のような軋みを残して止まった。


 ……生きてる。


 全身が痛む中、俺は上体を起こした。

 耳鳴りの奥で、遠くの鳥の声が聞こえる。


 目の前には、街の瓦屋根が並んでいた。

 その向こう――霧に包まれた黒い山が、空を裂くように聳えている。

 その頂から、どこか不吉な光がかすかに漏れていた。


 リュリシアがゆっくりと立ち上がり、山の頂を見据えた。


 「封印の地は、あの山の上……」


 エレナが息を整えながら頷く。


 「ここから先は……陸路ですね」


 焦げた風がまた吹いた。

 俺は深く息を吐き、苦笑した。


 「はは……こっからは飛ぶより、歩くほうが安全かもな」




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