第72話:灰に潜む影
光が収まりきらないうちに、俺は馬を走らせた。
〈ヴァルセリクス〉の刃はまだ熱を帯び、手の中で微かに脈を打っている。
街路の先――崩れかけた建物の上に、黒煙を背にした男の姿があった。
「退けぇ! 避難を優先しろ!」
怒鳴り声が響く。
槍を振るいながら、兵と冒険者を指揮している。
焦げた外套、額の古傷――見覚えのある輪郭。
「……ジェダス!」
馬を止めると、男がこちらを見た。
一瞬、目を細め――次の瞬間、口角を上げた。
「……誰かと思えば、“旅人(仮)”じゃねぇか」
「覚えてたか」
「忘れるかよ。新人のくせに支部を一発で静かにした奴なんざ、後にも先にもお前だけだ。
……しかしお前、その格好、だいぶ出世したな」
ジェダスは笑いながら槍を地面に突き立て、息を整えた。
「今は洒落てる暇もねぇがな。街の半分が焼けた。
俺たちは逃げ遅れの避難民をギルドに集めてるが……持たねぇ」
周囲を見渡す。
ギルド前の広場は、瓦礫と血で埋まっていた。
負傷者を運ぶ冒険者、剣を構える兵。
誰もが、限界まで戦っている。
「……俺が来た道なら、敵はいねぇはずだ」
俺が言うと、ジェダスの目が一瞬見開かれた。
「……さっきの爆光、やっぱりお前か」
「まぁな。避難を始めろ。さっきリシアンのとこの兵隊も、救助に来てるのを見た」
「……助かる。おい、全員聞け! 南門へ避難開始だ!」
指揮の声が響き、冒険者たちが動き出す。
人の波が、少しずつ南へ流れていく。
その刹那――
「……ッ! 待て!」
ジェダスが顔を上げる。
空気が変わった。
遠くの瓦礫がざわりと揺れ、黒い影が再び滲み出る。
焼け焦げた石の隙間から、死人のような腕が伸びた。
数ではさっきの倍――まるで“穴”が開いたように湧き上がる。
「第二波かよ……っ!」
冒険者の悲鳴。
〈ヴァルセリクス〉が震えた。
刃の奥から響く低い鼓動。
まるで呼応するように、心臓が鳴る。
「……もう一丁か」
馬の頭を上げ、剣を抜く。
青白い光が一気に広がり、夜風が唸りを上げた。
炎の残滓を巻き込みながら、剣が再び震える。
「そんなに暴れたいなら……やれ、ヴァルセリクス!」
水平に振り抜いた一閃。
光の波が街を貫き、迫る魔族の群れを一瞬で呑み込む。
爆音も、断末魔もない。
ただ、夜が白く塗り潰されていく。
風が通り抜け、瓦礫の上に降るのは――灰でも血でもなく、淡い光の粒だった。
ジェダスは息を呑み、ただ呟いた。
「……まるで、神話の剣だな」
「どうやら今の俺は、伝説らしいぜ?」
皮肉にも笑みを浮かべながら、剣を下ろす。
光の余韻が街を包み、夜明けのように静かに照らしていた。
ーーーーー
避難の列が南門を抜けたころには、夜が完全に明けていた。
炎はまだくすぶっていたが、街の息は戻りつつあった。
「急げ、負傷者を優先しろ!」
ジェダスの声が響く。
冒険者たちが担架を運び、子供を抱いた女が泣きながら列を進む。
俺はその背を見送りながら、剣を鞘に収めた。
〈ヴァルセリクス〉はすでに静まり返り、先ほどの脈動が嘘のように消えている。
その代わり、腕の奥にまだ痺れが残っていた。
「これで……全員か?」
「おう、最後の避難民だ」
ジェダスが頷いた、そのとき――
丘の向こうから、角笛の音が響いた。
白い霧を裂くようにして、旗がいくつも翻る。
鎧ではなく、簡素な外套。
だが動きは整っており、先頭には祈祷杖を掲げた女司祭。
後ろには治癒師、荷車、そして武装した民兵が続いていた。
「……あれは?」
ジェダスが目を細める。
旗に刻まれた紋章――両の掌に包まれた光の花。
「リシアン領の印だな」
俺がそう言うと、ジェダスが鼻で笑った。
「へっ、慈悲派ってやつは、いつも口で説法垂れるだけの坊主どもかと思ってたが……
たまには働くじゃねぇか」
「説法だけで人が救えりゃ、俺も苦労しねぇな」
俺が返すと、ジェダスは肩をすくめて笑った。
丘を越えてきた救援隊が門前に到着し、すぐに治療班が広場へ散る。
傷を負った者に薬草の香が広がり、祈りの声が重なった。
ジェダスはそれを見て、ぼそりと呟く。
「ま、口より手を動かす奴らは嫌いじゃねぇ」
俺は頷き、馬のたてがみを撫でた。
「……同感だ」
吹き抜ける朝風が、焼けた街を通り抜ける。
炎の残り香の中で、ようやく誰かの笑い声が戻ってきた。
朝の風が、焼け焦げた街をかすめていく。
そのとき――
ドォン、と腹に響くような音が空を震わせた。
遠く、アドリアンの屋敷がある方角に、白い煙が立ちのぼる。
「なんだ!? 今の爆発は!」
ジェダスが振り向く。
俺は空を見上げながら短く答えた。
「……敵じゃない。俺の連れだ」
ジェダスは訝しげに眉を寄せたが、それ以上は聞かなかった。
代わりに、俺の方が問い返す。
「ジェダスのおっさん――なんで街がこんな状態になってる?」
男は槍の柄を握りしめ、苦い顔で答える。
「……わからねぇ。夜に北側から火が上がったと思ったら、
あっという間に三方から街全体が襲われた。
まるで最初から街の中に潜んでたみてぇに、
同時に炎が上がったんだ」
――この街は、周辺でも防備は確かなはずだ。
見張り塔も、警鐘も、訓練された衛兵もいたはず。
それが、ここまで崩れるとは。
焦げた瓦礫を見渡しながら、嫌なものが頭の中で繋がっていく。
「……何かがおかしいな」
俺は低く呟いた。
ジェダスが槍を杖代わりにしながら、煙る街を睨む。
「……ああ、俺もそう思ってた。
この街の守りは甘くねぇ。訓練された衛兵も多い。
なのに――あの数がいっぺんに湧くなんて、普通ありえねぇ」
低く吐かれた言葉に、俺も頷く。
「やっぱり、誰かが仕組んでるな」
焦げた石畳の隙間から、まだ熱を帯びた風が上がる。
あの波のような襲撃――自然発生では説明がつかない。
〈ヴァルセリクス〉の刃が、わずかに震えた気がした。
「……救い残しは?」
俺の問いに、ジェダスは肩越しに振り返る。
「…生きてるのはもういねぇ。女も子どもも全部出た。
……お前が開けた退路がなきゃ、全滅だった」
「そうか」
馬の手綱を握り、俺は街の奥を見据えた。
黒煙の向こう、まだ何かが動いている。
「……まだ終わっちゃいねぇな。
出どころを探る」
ジェダスが目を細めた。
「おいアーク。深入りすんなよ。
今の街にゃ“普通”じゃねぇ何かがいる」
「普通じゃねぇのは、いつものことだ」
軽く笑って馬の腹を蹴る。
蹄が火の粉を散らしながら、路地を駆け抜けていく。
朝日が昇りかけのその街で、
俺は再び炎の奥へと戻った。
ーーーーー
避難の列が完全に途切れたあと、
俺は瓦礫の間を歩いていた。
焦げた空気の中に、まだ何かが“生きている”気配がある。
〈ヴァルセリクス〉は鞘に収めたまま、けれど手の中で微かに震えていた。
まるで――“何か”を警告しているように。
瓦礫の影、崩れた路地の奥で、
血を吐きながら這いずる影が見えた。
腕も片足も焼け落ち、半身は人と同じに戻っており、もはや抵抗の意思もない。
「……生き残りか」
近づくと、そいつは怯えるように顔を上げた。
――恐怖。
「た、助け……て……俺は、ちがう……こんな……」
言葉を吐き出すたび、血が泡立つ。
そいつの傷の回復は遅かった。
「話せば助ける。お前らはどこから入った?」
「ちがう! 俺は、人間……なのに……俺は、この手で家族を……」
人間、家族――その二つの単語。
その言葉に、俺は驚きを隠せなかった。
男の今の姿。
服はほとんど焼け落ち、おそらく民家の瓦礫から這い出てきたのだろう。
嫌なものが、頭の中でさらに形を取っていく。
俺は膝をついて、男の顔を覗き込む。
「命じられたんだな? 誰にだ?」
答えようとした男の胸に――目が止まった。
焦げた皮膚の下、うっすらと光る刻印。
円環に重なる二重の線、その中心に刻まれた古代文字。
――見たことがある。
だが、どこでだったか思い出せない。
その瞬間、鞘に納めた〈ヴァルセリクス〉が唸った。
俺は剣を抜き、振り返る。
まるで――音が消えたように空気が張り詰める。
冷たい風が流れ込み、炎の残滓が吸い込まれる。
背後から嫌な気配が近づいていた。
俺の眼の前に、ゆっくりと一人の男が姿を表す。
人と同じ輪郭を持ちながら、さっきまで襲ってきた魔族と同じような人外の気配。
その目の奥は燃える深紅。
低い声が瓦礫に響いた。
「脆弱」
現れた男は腕を組み、顎に手をやりながら、俺の背後で怯える男を睨みつけた。
「我らの加護を受けてその醜態を晒すとは……恥を知れ」
「うぅっ」
「おい、大丈――」
「ガバッ!?」
俺の背中で助けを求めていた男は苦しみだし――次の瞬間、風船のように破裂した。
周囲に飛び散った臓物は煙を上げながら砂に帰っていく。
その後には血も残らず、男がいた痕跡は焦げ跡以外、何も残らなかった。
俺は静かに剣を振り、相手を見据えた。
爆ぜた男の血の匂いが鼻につき、それが燃料のように目の奥で怒りを燃やす。
「てめぇが“命じた”奴か!!!」
「……しかし人間とは脆い。この程度の数を退けられぬとは……脆弱」
低く響く声。しかしそれは返答ではない。
奴は俺を見てもいない。まるで、別の存在に語りかけているようだった。
「魂はよく燃える。悲鳴が多いほど、主の呼気は濃くなる。
愚かな人間ども……我らを“利用”するつもりで、己を燃やすとは……まさに家畜以下」
男の独り言に、胸の奥が冷たくなった。
“利用するつもりで”――?
「どういうことだ!」
俺が声を発しても、そいつは答えない。
ただ焦げた空を見上げ、淡々と続ける。
「主は待っている。扉の向こうで。
この地が血に満たされても、いまだ閉ざされたまま。
だが――人の欲は、いずれ封印の扉を開く。その脆弱さゆえに」
「……何を言ってやがる」
男はようやく俺に気がついたように目を合わせ、剣を見た。
「お前には関係のないことだ。……たとえ、その剣を貴様が持っていたとしても、全ては守れまい?」
「てめぇ、どういう意味だ!」
俺は剣を深く握り構える。
だが男は相変わらず、関係なしと言わんばかりの態度で話を続けた。
「我は呼ばれ、役を果たした……還る。それだけだ。
貴様が邪魔をしなければ、多少の者は捨て置こう」
その瞬間、男の身体にひび割れが走った。
皮膚の下で黒い光が蠢き、まるで内側から崩れ落ちていくようだった。
やがて、殻が砕けるみたいに体が割れ、中から影が溢れ出す。
それは陽の光を避けるように地を這い、建物の影に吸い込まれていった。
沈黙。
俺は残った焦げ跡に目を落とす。
そこに残ったのは、誰かがここで燃えていた痕だけ。
焼けた石に染みついた悲鳴と絶望が、脳裏に焼き付いて離れなかった。
「……利用してるつもりが、利用されてるって? ……クソ」
〈ヴァルセリクス〉の刃がわずかに脈を打つ。
微かな音――いや、呼吸のような震え。
まるで、この剣も俺のように苛立っているのかもしれない。
俺は顔を上げ、北の空を見た。
黒煙の向こう、まだ陽の光が届かない灰色の空。
胸の奥で、説明のつかない寒気が這い上がる。
「……嫌な風だ」
呟きとともに、風が吹いた。
焼けた砂が舞い上がり、跡に残った焼け跡さえもかき消すように……。
俺はそれを見届け、静かに背を向けた。
〈ヴァルセリクス〉の柄を握り直し、歩き出す。
「……誰が仕組んでいようが関係ねぇ。
今度は――俺が叩き潰す!」
風が吹き抜け、瓦礫の上に光の粒が散る。
その中を、俺は一人で歩き続けた。
焼け跡の街に、再び静寂が戻る。
だがその静けさの底で、確かに“何か”が蠢いていた。




