第73話:導く光
森の奥はまだ煙の匂いが残っていた。
焦げた風が木々を抜け、灰が舞う。
俺は馬を降り、手綱を結び、空を見上げた。
「……お、来た来た」
雲の切れ間を割って、低い唸りが響く。
光の筋を引きながら、空船がゆっくりと降りてきた。
帆が風を掴み、木々の葉がざわめく。
甲板に見慣れた顔。
「おーい! コール、呼ぶのがおせぇぞ!」
リュカが片手を振り、シアが安堵の息をつく。
「コール様、ご無事で……!」
「まぁな。そっちは見つけたか?」
俺は馬と一緒に甲板に乗り込む。
焦げた街の匂いが、まだ風に乗って運ばれてくる。
「ふふん、聞いて驚け」
リュカが顎で船室の方を指す。
その先――同じ顔のセラが二人、横にアイリス(少年)。
扉の前で、白布を羽織った少女がこちらを見た。
青い髪を揺らし、柔らかな笑みを浮かべながら。
「アーク様ぁ〜! 助けに来てくださったんですねぇ!」
「「「……は?」」」
言い終える間もなく、彼女は走り寄ってきて、そのまま飛びついてきた。
「わっ――おい、ちょっ!」
抱きしめられた勢いで後ろによろける。
柔らかい感触と共に、花のような匂いが鼻をかすめた。
「私、ずっとお屋敷で一人で寂しかったんですよぉ〜?
もう、誰も帰ってこないから不安で不安で……」
「お、おい落ち着け、近い、近いって!」
「げぇ!? やめろ! 同じ顔でそいつに抱きつくな! 気色悪い!!」
アイリス(少年)が叫ぶ。
「あらあら、お姉さんを取られて嫉妬かしら?」
「ふふっ、弟くんそっくりで可愛いですねぇ」
その様子に、二人のセラがからかうように微笑んでいる。
「コール……またか?」
リュカが眉をひそめる。
「違ぇよ! てか“また”ってなんだ! またって!!」
「ふふふ、コール様?……」
シアの声が震えた。
顔は笑っていたが、目が笑っていない。
「これは……どういう状況でしょうか?」
「誤解だ! アイリスが勝手に!」
「勝手に!……お名前を呼び捨てにする仲なんですねぇ〜」
「違う違う! ほんとに違う!」
「うおぉ、やべぇ、空気が凍った……!」
リュカが後ずさる。
甲板の上に、妙な熱気と冷気が入り混じる。
その中心で、まだ腕を離さない“アイリス(優しい方)”が微笑んだ。
「ふふっ……でも、本当に来てくださって嬉しいです。
アーク様が来るって、信じてましたから」
「ちょっとあなた? 失礼ですよ? いい加減コール様から離れなさい?」
シアの笑顔は穏やかだった。
……表面上は。
だが、声の端に隠しきれない鬼みたいな迫力が滲んでいる。
「まぁまぁ、そんなに怒らないでください?
だって、助けに来てくれたんですもの。
感謝と喜びを“体で伝える”のは、悪いことじゃありませんよね?」
「あらあら、伝え方がずいぶん大胆なんですねぇ。
体でなんて……“屋敷暮らし”は退屈だったんでしょうけど……下品」
「……まぁ、ひどいわ。寂しい夜が長くて……抱きしめてくれる人もいなくて……
だ、か、ら、もっと抱きしめてくださいアーク様〜」
「だったら違う誰かを探しなさい。コール様は“そういう方”ではありません」
ピキ、と音が聞こえそうな張り詰めた笑み。
アイリス(優しい方)は、わざとらしく首を傾げた。
「へぇ……“アーク様”を、そんな風に呼ぶんですね?」
「当然です。“あなた”よりもずっとお側に仕えてますから」
「……じゃあ、私が“アーク様”と呼ぶのは、もっと特別ですね♡」
「はぁ!? おいおいおい!」
空気が今までにないほど張り詰め、
リュカが柱の影からちょっとだけ頭を出して声を掛ける。
「ちょ、ちょっと落ち着けって! 剣とか抜くなよ!? な!?」
「抜きませんよ?」「抜きませんよぉ?」
ふたりの声が、ぴったり重なった。笑顔のまま。
「こ、こえぇぇ……!」「……やばい」
リュカが青ざめ、アイリス(少年)が完全に後退する。
その横で、セラ1とセラ2はまるで舞台を観るように無表情で見つめていた。
「……人間関係とは、難儀な任務ですね」
「戦場より静かなのに、圧が倍ですね」
「お、おい、誰か助けてくれぇ〜!」
俺が悲鳴を上げた頃、アイリス(優しい方)はようやく腕を離し、くすりと笑った。
「ふふふ、冗談ですよ。でも――」
指先で、そっと俺の胸元に触れながら囁く。
「本当に助けに来てくれて、ありがとう。
……私、本当に嬉しかったんです」
その声音だけは、たしかに本物だった。
怒りに燃えていたシアも、一瞬だけ言葉を詰まらせる。
「はぁ……頼むぜ」
俺は大きく息を吐いた。
―――
報告を終え、俺たちはそれぞれの持ち場に散る。
リュカとシアは船を雲上に戻し、上空で待機。
セラ1・2と「少年アイリス=小ネリス」は地上で隠密行動に移る。
俺は屋敷で“アイリスを救出した”ことにして、彼女を後ろに乗せ、
馬でリシアン兵の救助隊へと合流した。
リシアンの増援が到着してから、数時間が経った。
俺は避難民の護衛を任された。
焦げた石壁の間を、子供を抱えた母親たちが列をなす。
兵も冒険者も、疲れきっていた。
リシアンの使者は「増援を待たねば」と繰り返すだけで、
王都からの報せは何一つ届かない。
指揮を執るリシアン兵の上官――名をルドレフと言った――は、
俺をあからさまに避けている。
(この違和感は何だ?……)
王剣を帯びた俺を、ただの傭兵のように扱う。
まるで、命令を“出させたくない”ように。
日が真上に登った頃、早馬の蹄の音が響いた。
旗印はリシアン領のもの。
馬上の伝令は、真っ直ぐにルドレフのもとへ駆け寄る。
「……報告」
「極秘だ……」
耳を澄ますが、距離がある。
ただ、その顔を見ただけで分かった。
あの目は、何かを隠している。
胸の奥で、熱が灯る。
いや、違う――ヴァルセリクスが、震えていた。
鞘の中で金属が鳴る。
抑えようとしても、止まらない。
まるで何かを“呼んでいる”。
「……やめろ、今は騒ぐな」
低く呟く。だが剣は震えを増し、柄を握り抑えても鞘の中で脈動を強める。
振動は限界を超え、ヴァルセリクスは鞘から飛び出すように、自ら抜き放たれた。
その瞬間、眩い光が迸った。
空を裂くような閃光が一直線に伸び、
街の西――リシアン領の方向へと伸びて消える。
あまりの光に、周囲の兵が思わず膝をついた。
「な、なんだ……!?」「空が、光を……!」
俺はその光を見つめながら、唇を噛んだ。
ヴァルセリクスが俺に何かを伝えている。
「ッチ」
嫌な予感がビンビンだ……。
俺はヴァルセリクスを握りしめたまま、その輝きが示した方向を睨んだ。
手綱を握り、馬を進めようとした時、リシアン兵が立ちふさがる。
「アーク殿、どこへ行かれる!」
ルドレフが声を上げ、兵が数人立ち塞がった。
「邪魔だ! どけ!」
「今は封鎖中です! 増援到着まで待機を!」
「命令だと? 俺は王剣の騎士・セイヴァーだ! 退け!」
「申し訳ない。これはリシアン様の命!――通すわけにはいかん!」
剣を下げることもできず、兵士の盾が道を塞ぐ。
俺は息を吐き、ヴァルセリクスの柄を握り直した。
そのとき、前に座るアイリスから、小さな囁き。
「……アーク様、下を見てください」
アイリスがわずかにスカートの裾を摘んでいた。
次の瞬間、裾の中から何かが“コトリ”と落ちる。
――小さな銀球。
ルドレフが「何を――」と言いかけた瞬間、白煙が爆ぜた。
煙幕が一気に広がり、視界が真っ白に染まる。
「なっ!?」「敵襲か!?」
混乱に乗じて、アイリスが俺の腕を引く。
「今です!」
「ッハァ!」
俺は馬の腹を蹴り、煙を裂いて進み始める。
白煙の向こう――ギルドの連中がこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。
ヤーズがわざとよろけるように兵へぶつかり、他の仲間も立て続けに体当たりを仕掛ける。
「おっと! すまねぇ! 煙で目が!」
「ぐっ……このっ!」
乱戦のような騒ぎの中、道が大きく開いていく。
風が巻き、灰と光が交じり合う。
掲げたヴァルセリクスの指し示す光を追うように、
俺は馬を走らせた。
――導きは西に。
この光が、真実へ続く道であることを祈りながら。




