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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第45話:騎士との対峙


 砂を踏みしめる音が響く。

 太鼓の合図。

 視線の先に立つ男――「アーク」。


(この男が……決勝まで残った?)


 エレナはわずかに眉をひそめた。

 剣を構えるでもなく、肩に担いだまま立つその姿は、どう見ても無作法だ。

 礼儀も気品も感じられない。

 場違いな軽薄さすら漂っている。


(……見ていた通り、粗野な傭兵くずれか。金と血の匂いしかしない)


 エレナにとって“騎士”とは誓いそのものだった。

 剣は民を、主を守るためにあり、勝利のために汚すものではない。


 だが――この男は違う。


 勝つためなら手段を選ばず、平気で嘘をつき、裏をかく。

 そういう類の者だ。


 観客の声がうねる。

「またやるぞチャチャチャ!」

「面白いの見せろ!」

 笑いと酒の臭いが混ざり、試合場は浮かれきっていた。


(……茶番だ)


 審判が叫ぶ。

「――決勝戦! アーク対エレナ!!」


 太鼓が鳴り、

 観客が一斉に手を叩く。

「チャッチャッチャ! チャッチャッチャ!」


 その瞬間――アークが動いた。


 ゆっくりと、肩にかけていた剣を下ろす。

 両手で柄を握り、腰を落とす。

 砂を踏みしめ、足の軸が沈む。

 ――構えた。


(……なに?)


 今まで、どの試合でもこの男は構えなかった。

 挑発し、笑い、相手の動きを崩して勝つ。

 それが彼の“戦い方”だった。


 だが、今――

 初めて、ちゃんと構えた。


 その瞬間、観客の笑い声が途切れた。

「……え?」

「構えた?」

「な、なんだ?」

 ざわめきが波のように広がる。

 太鼓も一拍、遅れた。


 空気が変わった。

 さっきまでの祭り騒ぎが嘘のように、

 闘技場全体が――“戦場”の静けさに包まれた。


(……なぜ、今になって?)


 エレナは無意識に呼吸を整え、剣を握り直した。


 油断を誘うための芝居か?

 それとも、私を侮っているのか?


――違う。


 目が合った。

 その瞳に、敵意はなかった。

 ただ、真っすぐ。

 まるで何かを“確かめる”ように。


(どういう……つもりだ?)


 胸の奥が、ひどく静かに揺れた。

 理由もなく。


 太鼓が再び鳴る。

 砂が舞う。

 二人の影が伸びて、重なった。


 エレナは剣を抜いた。


 始まりの太鼓の合図が鳴り響いた。


 次の瞬間――砂が弾ける。

 アークが、一気に踏み込んだ。


(勢はいいが…遅い)


 風を切る音が耳を裂く。

 剣が横に振り抜かれ、砂煙が舞い上がった。

 観客が息を呑む。


 −ッカン


 火花。

 金属の衝突音。


 エレナは即座に受けた。

 刃の衝撃が腕を伝い、足元の砂が抉れる。

 だが、体勢は微動だにしない。


(……荒い)


 アークの剣は、ただ“速い”だけ。

 型も節もない。

 力任せで、流れがない。

 実戦で生き延びた者の打ち込み――それだけ。


 受けているうちに分かる。

 防御の隙を突かれる心配はない。


 だが、止まらない。


 ッカンカンカンカン


 まるで自分の腕を壊すことも厭わない勢いで、

 次から次へと打ち込んでくる。


「ッッッッッ!」

「………」


 刃が交差するたび、音が響く。

 観客の歓声も忘れ、ただ剣戟だけが会場に残った。


(反撃を……受けたくない?)


 エレナの瞳が細められる。

 踏み込みの深さ、腕の軌道――どれも守りより攻撃にすべてを費やしている。

 守る気配がない。

 受けることすら、拒んでいるような戦い方。


(まるで傷つくことを恐れていない――だが、止まること自体を恐れているような剣)


 アークは息を荒げながらも止まらない。

 剣の打ち込みが途切れるたび、即座に角度を変えて突きを差し込む。

 その目には、焦りではなく、何かの熱だけが宿っていた。


「……くっ」

「…(悪くはない)」


 火花が再び散る。

 砂煙が渦巻き、太陽が赤く照り返す。


 観客が息を飲む中、

 エレナは一歩、確信を得るように呟いた。


(やはり、あなたの剣は“人を守る”ものではない――けれど、なぜ……そんなにも痛々しい)


 剣は荒い。だが、迷いはない。


 幾たびもの戦場でこの剣を振るってきたからこそ分かる。

 彼の剣は、悲壮のようなものを秘めている……。


 エレナの足元の砂が沈む。

 その目が、決意を帯びる。


(なら――こちらも応えよう)


 次の瞬間、彼女は踏み込んだ。


 金属の咆哮が、夕焼けの空に響いた。


 ッスーカン


 ――その音は、控室の奥にも届いていた。


「……すげぇ音してんぞ、これ」

 リュカが息を呑む。

 窓の隙間から差し込む光が、砂の粒を照らして揺れていた。


 外の歓声が、もう“歓声”ではなかった。

 叫びと息が混ざり合い、観客全員が息を合わせて見守っている。


「おいおい……アーク、マジで全力じゃねぇか……」

 リュカの声が、わずかに震える。

 そこにあったのは純粋な驚きと、ほんの少しの恐れだった。


「今までの試合、手ぇ抜いてたってことか……」


 拳を握る音が響く。

 外では再び金属音――そして地響き。


 その横で、シアは無言のまま立っていた。

 窓の外を見つめ、

 両の手を胸の前で重ねている。


 リュカがちらりと見やる。

「……お前まで固まってどしたよ。いつもの余裕は?」


 シアは答えなかった。

 ただ、小さく唇を結び、目を閉じる。

 その横顔には、いつもの冷たい笑みも、皮肉もなかった。


「……アーク様」

 その声は、祈りのように静かだった。

「どうか――勝ってください」


 風が吹き抜け、

 砂の匂いと鉄の匂いが、遠くから届く。


 リュカが呆然と呟いた。

「あれ、本気でやってんな……冗談抜きで、命懸けだ」


 シアの指が震える。

 窓の向こう、砂の舞う闘技場の中で、

 アーク――コールは何度も剣を振り抜いていた。


「あぁいう戦い方もするんだな……、あいつ……勝てるかな?」

 リュカの言葉に返事が途切れる。


 シアは、わずかに目を開いた。

「そんなの!……」


 声が震える。

 喉の奥で何かが詰まるように、続く言葉が出ない。


 いつもなら即答できるシアも、今――自分の目に映るアークの姿に、

 いつもの“余裕”を重ねることはできなかった。


 真剣に、自らの全力をぶつけるアーク。

 だが、その剣は届かない。

 それでも怯まず、攻め続ける。


 その姿に、シアの唇がかすかに震え、

 やがて静かに答えた。


「……私は、信じます」


 その声は優しいのに、どこか張り詰めている。

 祈りのように、言葉が空気に溶けた。


「……勝つわ」


 風が吹き抜け、

 砂と鉄の匂いが、窓越しにふたりを包んだ。


 ――轟音。


 その瞬間、世界が再び“戦場”に戻る。

 砂が爆ぜ、火花が閃く。

 会場の中央では、剣と剣が幾度も交わり、金属の咆哮が空を裂いていた。


「ハァッ!」

「ッアブね!?」


 鋭い一閃――エレナの反撃だ。


 重い。

 一撃を受けた瞬間、腕がしびれる。

 全身を伝う衝撃が、骨を鳴らすようだった。


(……くそ、速ぇ……!)


 踏み込んだ足が砂に沈む。

 力任せの打ち込みでは、もう押し切れない。

 エレナの剣筋は正確無比。

 一撃ごとに重みがあり、流れに無駄がない。


(防げねぇ……このままじゃ、押し潰される!)


 エレナがさらに前へ出る。

 剣が閃き、肩口を狙う。

 俺は即座に受け流そうと腕を上げたが――遅い。


「――ッ!」


 衝撃。

 視界が揺れる。

 腕が焼けるように熱く、足が砂を滑る。

 バランスが崩れた。


 観客席がどよめく。

「押されてるぞ!」

「“不退の騎士”が一気に流れを取った!」


(……やばいな)


 脳裏をかすめるのは冷静な判断だけ。

 正面から受けたら終わる。

 なら、受けるな。


――自分で、吹き飛べ。


 エレナの次の一撃が振り下ろされる瞬間、

 わずかに刃をずらし、

 その衝撃に“逆らわず”――身を任せた。


「ッ……!」


 剣圧を利用し、体が宙を舞う。

 観客の目には、それは“吹き飛ばされた”ようにしか見えない。


「すげー!飛んだぞ!」「さすが騎士だ!!」「うをぉおお!やめてくれ〜!全財産がぁ〜!!」


 だが、その落下の中、すでに次の動きを決めていた。

 地面を転がりながら砂を掴む。

 その勢いのまま、立ち上がる。


(……危なかった。今の受けてたら、腕が残らなかったな)


 脇腹に痛みが走る。

 包帯の下で傷口が開いた感覚がある。

 それでも口元に、わずかな笑み。


「……はは、やっぱ本物だな」


 エレナが剣を構えたまま、

 わずかに眉を寄せる。


 その表情には、

 “敵を見失った”ような戸惑いが一瞬だけ浮かんだ。


(軽い? いや、違う――あれは、自分で吹き飛んだ……やはり)


 観客の熱が再び高まる。

「立ったぞ! まだ立ってる!」

「アーク、まだ終わってねぇ!!」


 エレナは一度、剣を引いた。

 夕陽が刃に反射し、赤い光が彼女の頬をかすめる。

 静かに息を整え、視線をまっすぐに向けた。


「……貴様に対する認識を、改める」


 声は低く、しかし確かな響きを帯びていた。

 軽蔑ではない。

 それは、真に“戦う者”に向ける声だった。

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